第2章 第98話:王都報告 ― 影を巡る議論
王国の調査隊が村を去って数日後、王都では一つの報告が大きな波紋を広げていた。境界の影が人の世界で安定して存在しているという事実。それだけでも異例だが、さらにその影は意思を持ち、人を守り、境界を安定させる力まで見せた。王国の研究院にとって、それは歴史的な発見だった。同時に、危険な可能性でもある。王都の会議室では、影を巡る議論が始まろうとしていた。
王都の研究院は朝からざわめいていた。
白い石造りの建物の奥、円形の会議室には多くの研究者と役人が集まっている。
中央の机には観測記録が並べられていた。
境界波形。
影反応の測定値。
そして、三体の影の記録。
アルヴェンがその前に立つ。
「以上が、村で観測された全ての現象です。」
部屋は静まり返った。
やがて一人の老研究者が口を開く。
「……信じ難い。」
別の研究者も言う。
「境界存在が三体も安定している?」
「しかも意思を持つ?」
セリスが静かに答える。
「はい。確認しました。」
彼女は記録板を指す。
「一体は核を持つ影。
一体は影吸収型。
一体は高速移動型。」
会議室がざわめく。
アルヴェンが続ける。
「さらに、核影体は境界安定反応を発生させました。」
一人の役人が立ち上がる。
「つまり!」
その声は強かった。
「その影は境界を制御できる可能性があるということか?」
アルヴェンは少し考えた。
「制御ではありません。」
「安定化です。」
しかしその言葉だけで十分だった。
会議室の空気が変わる。
境界安定。
それは王国が何百年も求めていた力だった。
境界の裂け目は時々この世界に現れる。
影の侵入。
災害。
村や街が消えた記録もある。
もし境界を安定させる存在がいるなら。
王国の歴史が変わる。
若い研究員が言う。
「その影を確保するべきです。」
別の研究者も続く。
「王都へ移送すれば研究できます。」
だがセリスは首を振った。
「無理です。」
「なぜ?」
セリスは答える。
「影は人と共存していました。」
会議室が少し静まる。
セリスは続ける。
「村人が敵と認識されれば、影は防衛反応を起こします。」
アルヴェンが補足する。
「実際、騎士の行動で境界暴走が起きました。」
その言葉に役人たちが顔を見合わせる。
一人の軍務官が低い声で言った。
「つまり兵力でも制圧できない可能性がある?」
アルヴェンは答える。
「可能性はあります。」
軍務官の目が光る。
「……興味深い。」
その言葉には別の意味が含まれていた。
研究ではなく。
兵器。
その時、会議室の奥から声がした。
「やめておきなさい。」
皆が振り向く。
そこに立っていたのは、研究院長だった。
年老いた男はゆっくり歩いてくる。
「影は人の道具ではない。」
軍務官が言う。
「だが国を守る力になる。」
院長は静かに言う。
「境界の存在を道具にした例は、過去すべて失敗している。」
その言葉に会議室が少し静まる。
アルヴェンは続けた。
「影は村に留まっています。」
院長が聞く。
「理由は?」
アルヴェンは答える。
「少女です。」
会議室がざわめく。
「少女?」
セリスが説明する。
「影は彼女と共鳴していました。」
院長は目を細める。
「名前は?」
アルヴェンは言う。
「リナライ。」
院長はその名を静かに繰り返す。
「……二つの名を持つ者か。」
研究者たちがざわめく。
古い文献に記録がある。
境界と人の間に立つ者。
名を二つ持つ存在。
院長はゆっくり言った。
「しばらく監視だ。」
軍務官が不満そうに言う。
「それだけですか?」
院長は答える。
「今は。」
そして続けた。
「だが、この件は終わらない。」
アルヴェンはそれを理解していた。
王国は必ずまた動く。
影の力を見た以上。
会議が終わる。
研究者たちは記録を持ち帰る。
軍務官は何かを考えながら部屋を出た。
院長は最後にアルヴェンに言う。
「村はどうなっている?」
アルヴェンは答える。
「静かです。」
院長は窓の外を見る。
王都の空は青かった。
だが遠くの森の奥では、境界の影が静かに揺れている。
王都では影の存在を巡る議論が始まっていた。研究として観察すべきだという声と、兵器として利用できるという危険な考え。二つの意見が静かに対立している。だが誰もが理解していた。影の問題はこれで終わることはない。そしてその中心にいるのは、村にいる少女リナライだった。王国と影の物語は、さらに大きな流れへと動き始めていた。




