第1章 第14話:夜の来訪者と影の囁き
光を呼ぶ者には、必ず“影”が寄り添う。
クローディスとの出会いから数日――静かな夜に、リオナは初めて“共鳴の負”を体験する。
それは、人が忘れようとした想いが形を取り、彼の庭に現れた夜の物語。
夜風が、やわらかくカーテンを揺らしていた。
リオナは作業台に座り、パンの発酵を待ちながら、クローディスの残していった言葉を思い返していた。
「共鳴は双方向だ。あなたが光を与えれば、過去の残響もあなたを見つめ返す」
その言葉が、どうにも胸に引っかかっていた。
たしかに、花を咲かせたときも、市場で果実を戻したときも――“誰かの願い”のような感覚を確かに感じていた。
けれど、それが過去から伸びる“声”だったとしたら?
リオナはふと、庭に目を向けた。
月明かりが淡く差し込むその場所で、何かがゆらりと動いた気がした。
「……風、じゃない?」
外に出ると、庭の花々が微かに揺れていた。
まるで誰かがそこを通ったように、光の粒が舞っている。
リオナが一歩近づいた瞬間――空気が変わった。
冷たく、静かな波。
どこからともなく、囁き声が聞こえてきた。
『……ここに、いるのね……光の人……』
リオナは息を呑んだ。
目の前に、黒い影が立っていた。
人の形をしているが、輪郭は曖昧で、月光に照らされてもその内側は見えない。
「誰……ですか?」
影は、ゆっくりと首をかしげた。
『わたしは……この庭の“記憶”。忘れられたものの形』
リオナの心臓が一瞬跳ねた。
エリアナの庭を癒したとき、花たちは喜んでいた。だが――その裏で、“咲けなかった花”たちが存在していたのかもしれない。
「あなたは……僕が呼び戻してしまった?」
影は微かにうなずく。
『光が強くなれば、影もまた形を取る……。あなたの力は“記憶を照らす”もの。だが、記憶には、痛みもある』
その声は悲しげで、どこか寂しかった。
リオナはそっと手を差し出した。
「もしあなたが傷ついているなら……もう一度、光をあげたい」
影の中に、ほんの一瞬、揺らぎが走った。
『……怖くないの? わたしを見た者は、みな……消えるのに』
「僕は光を呼ぶ。でも、それは誰かを消すためじゃない。思い出して、もう一度笑えるようにするためなんだ」
リオナの手から、柔らかな光が広がった。
それは暖かくも冷たくもない、不思議な感触の波。
影の輪郭を包み込み、ゆっくりと形を変えていく。
――少女だった。
黒い霧が晴れるように、そこに小さな少女の姿が現れた。
白いドレスをまとい、髪は月光のように淡く輝いている。
目を見開いた彼女は、涙を浮かべて微笑んだ。
『……覚えててくれたんだね』
「君は……この庭の花の記憶?」
少女はうなずいた。
『私は“最後のミルナ”。咲けなかった花。
でも、あなたの光があたたかくて……やっと、形をもらえたの』
リオナは息をのむ。
自分の力が、ただ過去を蘇らせるだけでなく――“思い残した存在”に形を与えるほど深く作用していることを理解した。
少女は静かに微笑んだ。
『わたし、もう消えるの。けど……ありがとう。あの庭、もう一度、風を感じられた』
リオナは小さく首を振った。
「消えるんじゃない。君はこの庭の一部として、ずっとここにいる。僕が覚えている限り、君は生きてる」
少女の瞳に光が宿った。
その瞬間、月光が強く差し込み、庭全体が白く照らされた。
花々が揺れ、光の粒が夜空へと舞い上がる。
少女の姿が淡く溶け、風に溶けていった。
ただ、かすかに残った香りが、リオナの頬を撫でる。
――ありがとう。
それは確かに、声ではなく“心の残響”として響いた。
リオナは庭の中央で立ち尽くした。
月光の下、花々が再び静かに光っている。
だが、その奥底でリオナは理解していた。
自分の力は癒しと同時に、“忘れられぬ想い”をも呼び覚ます。
その想いが穏やかなら良い。
だが――もし、それが“憎しみ”や“絶望”であったなら?
胸の奥に、ひとしずくの不安が落ちた。
けれど同時に、リオナの中に確かな決意も生まれていた。
「それでも僕は、この世界の記憶を見届ける」
夜明けが近づく。
花々が静かに眠りにつき、空が淡く明るくなる。
リオナはそっと目を閉じ、闇に消えた少女の残した光を胸に抱いた。
夜の訪問者――“ミルナ”は、リオナが初めて触れた“影の記憶”だった。
それは彼の力のもう一つの側面、「想いの残滓」との共鳴。
癒しと危うさ、その境界線が少しずつ近づいていく。
クローディスがリオナの元を再び訪れ、
「影の発生記録」について研究結果を伝える。
そして、リオナの光の力が“世界の層”にまで影響を及ぼしていることが判明する――。




