第1章 第12話:光の依頼人と忘れられた庭
市場での“消えた果実”の一件から数日。
リオナの穏やかな日々に、初めて“外の誰か”からの正式な依頼が舞い込む。
それは、一人の老女が語る――かつて光を失った庭の話だった。
市場での出来事があってから、街の人々の間で「光の青年リオナ」という噂が広まっていた。
本人は少し気恥ずかしさを感じていたが、それでも人々が笑顔で声をかけてくれるのは嬉しかった。
「リオナさん、今日のパンもいい香りね」
「この前のお礼に、うちの花をどうぞ」
そんな言葉を受け取るたびに、リオナは自分がこの世界に“馴染み始めている”ことを感じた。
その日の昼下がり、庭の花に水をやっていると、門の向こうに一人の老婆が立っていた。
背は小さく、杖をつきながらもその眼差しには不思議な強さが宿っている。
「……あなたが、あの光を呼ぶ青年かい?」
「え、あ、はい。僕がリオナです」
老婆は頷き、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「噂を聞いたんだよ。市場で果実を取り戻したとか。……私の庭もね、光を失ってしまったんだ」
リオナは眉をひそめた。
「光を……失った?」
老婆の名はエリアナ。
この街の外れにある古い屋敷に住んでおり、かつては花園を育てることで知られた女性だったという。
だが、数ヶ月前から庭が枯れ始め、花々が次々と光を失うように色褪せていったらしい。
「水もやった、土も変えた。でも駄目だった。……まるで、花たちの“心”が離れてしまったようでね」
エリアナの声には深い悲しみがあった。
リオナはしばらく考えた後、静かに頷いた。
「分かりました。僕でよければ、その庭を見てみます」
◆
エリアナの屋敷は、街の外れの丘の上にあった。
かつては花と香りで満ちていたであろう庭も、今は静まり返り、草木は灰色に沈んでいた。
風が吹くたびに、枯れ葉が舞い、寂しげな音を立てる。
「……本当に、何も咲かなくなってしまったんだ」
エリアナの声には諦めが滲んでいる。
リオナは膝をつき、土に手を触れた。
冷たく、乾いた土の中から微かに――微かに“何かの名残”を感じた。
それは、かつてここで花々が咲き誇っていた記憶。
人々が訪れ、笑い、香りを楽しんだ時間の欠片。
リオナは目を閉じ、掌に意識を集中させた。
小さな光が、指先からこぼれる。
すると、その光に呼応するように土の中から柔らかな温もりが戻り始めた。
――ぽ、と一輪。
小さな白い花が、枯れ草の影から顔を出した。
「……あれは、“ミルナの花”じゃないか!」
エリアナが声を上げた。
「十年前に絶えたと思っていた花だよ!」
リオナの掌から広がる光は、庭全体を包み始める。
花々の残した“想い”が呼び覚まされ、次々と色を取り戻していく。
白、青、紅、橙――まるで記憶が一斉に蘇るように、光と香りが風に乗って広がった。
エリアナの目に涙が浮かぶ。
「戻った……あの頃の庭が、戻ってきた……」
リオナは息を整えながら微笑んだ。
「花たちが、まだここにいたんです。あなたを、待っていたんですよ」
エリアナは震える手でリオナの手を握った。
「ありがとう……ありがとう。あなたの光は、命を思い出させてくれるんだね」
その言葉に、リオナは少し照れくさそうに笑った。
「僕はただ、ここに残っていた“想い”を見ただけです。花たちは、自分で咲いたんですよ」
風が吹き抜ける。
光の粒が舞い、庭の花びらが一斉に揺れた。
それはまるで、花たちが“ありがとう”と微笑んでいるように見えた。
帰り道、丘の上から見た街は、夕暮れに包まれて金色に染まっていた。
リオナは立ち止まり、胸の奥で小さく息をつく。
――この世界の“想い”は、まだたくさん眠っている。
それを見つけて、光を与える。
それが、自分に与えられた役目なのかもしれない。
小さな奇跡を一つ残して、リオナはゆっくりと街へ戻っていった。
失われた庭の再生は、リオナが「光の力」を人の願いのために使う最初の経験となった。
それは戦いでも、栄光でもない――ただ“日常の中で誰かの心を照らす”という穏やかな奇跡だった。
リオナが街の魔道師ギルドに招かれ、「存在の共鳴」を研究対象として観察されることになる。
そこから、彼の力の“もう一つの側面”が明らかになっていく――。




