第1章 第11話:市場のざわめきと消えた果実
異世界の市場には、日常の中にも驚きと謎が隠れている。
リオナが訪れたある日の市場で起きた“小さな騒動”は、思わぬ形で彼の能力と街の人々の絆を浮かび上がらせることになる。
朝の光が街をやさしく照らしていた。
屋根の上では鳥たちがさえずり、通りのあちこちに漂う香辛料の匂いが、市場の始まりを知らせている。
リオナは籠を手に、今日も食材を買いに出ていた。昨夜のパンが好評だったため、もう少し果実を使った新しいレシピを試そうと考えていたのだ。
市場はいつもながら賑やかだった。
呼び声、笑い声、そして時折聞こえる値切りの声。
色とりどりの果実、魚、パン、布が並び、まるで色彩の波が押し寄せてくるようだ。
「おや、リオナさん。今日もパンかい?」
声をかけてきたのは、果物屋の老主人・ベルド。白い髭を撫でながら、にこやかに笑っていた。
「はい、今日は少し甘めのパンを作ろうかと」
「なら、こいつだな。森果の実だ。甘くて香りがいい」
ベルドは、緑がかった赤色の果実をいくつか籠に入れた。
見た目は小さなリンゴのようだが、近づくとほんのりと花の香りがする。
「これ、初めて見ました」
「最近、北の村から運ばれてきたやつでな。ちょっと高いが味は保証する」
そう言って笑うベルドの背後では、数人の子供が興味津々に果物を見ていた。
リオナはその中に、見覚えのある少年――前にパンを分けた孤児の一人、ノルの姿を見つける。
「ノル、今日も元気そうだね」
「リオナ兄ちゃん! 今日はお手伝いしてるんだ!」
「えらいね」
ノルは胸を張って言うと、店の前に並ぶ果実を丁寧に拭いていた。
ベルドが笑って肩をすくめる。
「最近はこいつが手伝ってくれて助かってるんだ。器用でな、もう半分はうちの看板息子みたいなもんだ」
リオナも微笑みながら果実を選んでいると、ふいに背後からざわめきが起きた。
「おい! 果実が……消えたぞ!」
振り向くと、隣の果物屋の女主人が慌てて叫んでいた。
見ると、並んでいた果実の一部が確かに無くなっている。
ただの盗難か――そう思ったが、周囲に誰も逃げる様子はない。
「風か? いや、あり得ねぇ……」
「この短時間で……?」
人々が騒ぎ出す中、リオナは周囲の空気の揺らぎを感じ取った。
微かな光の粒が、まるで何かを追うように空中を漂っている。
リオナはゆっくりとその方向へ手を伸ばした。
すると――
空中に“果実の輪郭”がぼんやりと浮かび上がった。まるで透明な果実がそこにあるように。
「……幻影?」
リオナが小声で呟くと、光がその“幻の果実”を包み込み、やがて実体を取り戻すようにポトリと地面に落ちた。
ざわめいていた人々が一斉に息を呑む。
「な、なんだ今の……」
「果実が、戻った……!」
ベルドが目を丸くしてリオナを見る。
リオナは自分の手のひらに残る微かな温もりを感じていた。
――これは、僕の力だ。
触れずとも、物の“存在の痕跡”を感じ取り、そこに光を与えて形を戻す。
リオナの異世界での能力は、どうやら“存在の共鳴”だった。
物や人の残した“想い”や“記憶”に光を与え、形として蘇らせる。
それはただの魔法ではなく、この世界の“流れ”に干渉する不思議な力。
「リオナ兄ちゃん、すごい……!」
ノルが感嘆の声を上げると、周囲の大人たちも拍手を送った。
「消えた果実を戻すなんて、初めて見たよ!」
「助かった、本当にありがとう!」
リオナは少し照れながら、果実を拾って女主人に返した。
「どうやら風のせいでも、盗難でもなかったみたいです。きっと、何かの“残響”が作用したんだと思います」
「残響……?」
「ええ、この街には、時々物や人の記憶が形を保つことがあるようなんです。僕の力はそれを見えるようにするだけで……」
そう言って微笑むと、女主人は深々と頭を下げた。
「ありがとう。本当に助かったわ」
その後、騒ぎはすぐに収まり、市場には再び穏やかな笑い声が戻った。
ベルドはリオナの籠に森果の実を多めに入れ、ウィンクをしてみせる。
「今日の分はサービスだ。あんたがいてくれて、助かったよ」
「いえ、僕はただ……少し、光を見ただけです」
リオナはそう答え、手を軽く振って市場を後にした。
夕方の風が頬を撫で、遠くでノルの笑い声が響く。
――日常の中に、光の揺らぎがある。
それを感じ取り、そっと形に戻す。
そんな行為が、この世界で少しずつ受け入れられ始めていた。
市場での“消えた果実”事件は、リオナにとって自分の力を知る最初の確かな経験となった。
それは戦いではなく、日常の延長線で人々を助ける穏やかな奇跡――彼の旅の本質を示す出来事だった。
リオナの力を見た街の人々が興味を持ち、彼のもとに“奇妙な依頼”が舞い込むことになる。




