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90話 キラキラ神像と約束の言葉

それから一月ほどが過ぎた。


ぺル=ラムセスの一角では、風の神アカーネ神殿の建設が急速に進み、すでに居住区画は完成していた。茜たちはそこに腰を落ち着け、日々の生活を送っていた。神殿の工事には、数多くのヘブライ人労働者が投入されている。汗にまみれ、石を運び、壁を削り、彫刻を磨き上げる彼らの手によって、神殿は目に見えてその姿を整えていった。


さらに、バトラー将軍の命を受けた第三軍団プタハの兵士たちが、昼夜交代で神殿を警護している。その厳重な警護ぶりは市民たちの目にも明らかで、「この神殿は特別な存在だ」との認識が、街に定着し始めていた。神殿の外観は他の聖域と同じく花崗岩や砂岩を基調に、白漆喰で仕上げられつつある。第一塔門――ピュロンはすでに完成し、その両脇にはラムセス二世の戦勝を描いた浮彫と、風をまとった女神アカーネの姿が刻まれていた。


その浮彫を目にして、茜は頬を赤らめる。


「……いや、ちょっと盛られすぎじゃない?私、こんなに凛々しくないから」


隣にいたネフェルタリ王妃は、即座に首を振り、きっぱりと言い切った。


「いいえ、そんなことはございません。これこそがアカーネの姿。むしろ現実の方が控えめに描かれているくらいです」


その力強い断言に、茜は思わず一歩引きながら苦笑するしかなかった。さらに、そばに仕える老女官までもが口を添える。


「近頃はヒッタイトとの交流で物資も豊かに入り、このぺル=ラムセスはさらに繁栄を極めております。その繁栄をもたらしたアカーネ様が称えられるのは、当然のことにございましょう」


「……いや、だから私は神じゃないんだってば……」


茜が困惑気味につぶやくと、ネフェルタリも老女官も「何を言うのです」とばかりに首を振る。結局、茜は照れくささを隠せぬまま、豪奢な列柱室の装飾を見上げるしかなかった。門を抜ければ、列柱に囲まれた広い前庭が広がっていた。その中央には、風の渦をかたどった石の祭壇が据えられ、既に供物の香が漂っている。


さらに奥の列柱室――ヒポスタイル・ホールに足を踏み入れれば、そこはまるで異世界だった。無数の列柱には渦巻く風の装飾が刻まれ、柱頭から壁面にかけては、バビロニア風の天空文様が鮮やかに彩られている。天井は深い濃青に塗られ、そこに金粉で星々が散りばめられており、まるで夜空そのものを閉じ込めたようであった。


その幻想的な光景に、ネフェルタリ王妃は思わず微笑みを浮かべる。


「……ここにいると、まるで異国に旅をしているようです。とても楽しい気分になりますわ、アカーネ」


茜は照れくさそうに笑いながらも、素直に嬉しそうに頷いた。


「ふふっ、そう言ってもらえると、私も嬉しいよ」


ただ、肝心の至聖所はまだ完成していない。王家が準備することになっている黄金の神像も、いまだ安置されてはいなかった。それでも、列柱室を満たす装飾と彩色だけで、すでに神殿全体は壮麗な雰囲気を放っていた。列柱室を抜け、建築現場を見回っていた茜とネフェルタリ王妃。仕上げの作業に忙しい人々の姿を眺めながら談笑していると、ふと茜の目がある人物を捉えた。


「あっ、モーゼも今日は来てるんだ。作業の方はどう?」


石材を担いでいた青年が顔を上げる。その瞳には疲労とともに、揺るがぬ意志の光が宿っていた。


「……神ではないもののための神殿など、本来は無駄にすぎぬ。だが、アカーネ、あなたが住む場所というのなら、私も手を貸そう」


その真剣な声音に、茜は肩をすくめて笑った。


「そそ。私の生活のためのお家だと思ってくれればいいよ。だから、しっかり作ってね」


モーゼは思わず呆れたように息を吐く。


「……私にとって神は唯一。だが、あなたを見ていると、エジプトの数多の偽りの神々とも違うように思える」


挿絵(By みてみん)


その言葉に、隣で聞いていたネフェルタリ王妃が眉をひそめた。


「……偽りの神々、と申したか?それは、ファラオをも神と認めぬということですか?」


モーゼは毅然と顔を上げ、静かに言い放つ。


「神は唯一。我が神のみ」


その断固とした言葉に、ネフェルタリの表情には怒気が宿る。だが茜が慌てて間に入った。


「まぁまぁ、ネフェルタリ、そんなに怒らなくてもいいって。ファラオはこのエジプトに繁栄をもたらして、立派に国を治めてるんだから、神様だろうとなかろうと関係ないよ。ラムセス二世は、歴史に名を残す偉大な王様なんだからさ。それで十分でしょ」


そう言って、茜は軽く手を振って場を和ませようとする。


「それに、私だって神様じゃないんだよ?」


しかし、その言葉にネフェルタリは困惑の色を隠せなかった。


「アカーネ……あなたはもう少し、自分を神として自覚なさるべきでは……」


さらに老女官までが渋い顔で付け加える。


「アカーネ様が神でないとしたら、では一体誰が神だというのです……」


茜は両手を広げて、トホホといった表情を浮かべるしかなかった。


モーゼは腕を組み、じっと茜を見つめた。

 

「アカーネ……あなたは、この地に繁栄をもたらしたと皆が口を揃えて言う。それでもなお、自分が神ではないと主張するのか?」


その真剣な問いかけに、茜は肩を竦めて軽い調子で返す。


「神様なんて、疲れるだけだよ。それより普通に生活楽しんでた方がよっぽど気楽だし、幸せじゃん?」


あまりに気楽な答えに、モーゼは思わず苦笑した。


「……あなたと話していると、こちらの調子まで狂わされる」


そのやり取りを見ていたユカナが、呆れたように口を挟む。


「それね、神様が言うセリフじゃないから……。信じる人が聞いたら泣いちゃうよ」


すると茜が即座に指を突きつけた。


「いやいや、ちょっと待って!ユカナ、あんたは本物の神様でしょ?むしろそっちがちゃんと頑張って信仰増やしなさいよ!」


「えぇ……」


逆に突っ込まれたユカナは、言葉に詰まりつつも顔を赤らめた。その場にいた誰もが、神と人間の境界がどこにあるのか分からなくなるような、奇妙で軽妙なやり取りに思わず苦笑を漏らすのだった。列柱室の外、神殿の前庭には涼しい風が吹き抜けていた。茜はモーゼの顔を見て、気楽な調子で声をかけた。


「ところでモーゼ、ずっとこのぺル=ラムセスにいるつもりなの?自分の故郷に帰るつもりはないの?」


モーゼは手を止め、ゆっくりと顔を上げる。その表情にはどこか深い影が差していた。


「……我がヘブライ民族には、神に約束された地があると伝えられている。しかし、それがどこにあるのか、我らには分からぬのだ」


「約束の地……ですか」


ネフェルタリ王妃がその言葉を反芻するように呟く。


茜は悪気なく、軽い調子で言ってしまった。


「それって……カナンの地のことだよね? 神がアブラハムの子孫に与えるって約束した地」


モーゼは驚愕のあまり目を丸くした。


「な、何故……何故あなたがその名を知っている……」


茜は肩をすくめて、にこりと笑った。


「私、それどこか知ってるから、そのうちみんなを連れて行ってあげようか?」


「茜、それヤバいやつだよ……」


ユカナが横から小声で注意するが、茜は聞こえていないようだった。


ネフェルタリ王妃は、急に話の流れが重くなったことに眉を寄せる。


「その……アカーネ? モーゼたちの“約束の地”をあなたが知っているのは、あなたが神だからでしょうけど、連れていくって……ヘブライ人はこのぺル=ラムセスを造るために必要な労働力なのよ? 夫のラムセス二世が、そう簡単に許してくれるとは思えませんわ」


モーゼは展開に追いつけず、ただ黙っていた。茜は笑顔を崩さず、あくまでマイペースに続ける。


「まあ、今すぐってわけじゃないよ。でも私がもう少しエジプトの安定に力を貸せば、民がもっと集まってくるでしょ? そうなればモーゼたちが約束の地に移っても問題ないんじゃないかな。それに……私が理由を言えば、ラムセス王は理解してくれると思うんだよね」


その言葉に、モーゼはハッとしたように息をのむ。


「アカーネ……様。本当に……本当に我らを約束の地に導いてくださるのか?」


茜はゆっくりと首を振った。


「違うよ、導くのはあなただよ、モーゼ。私は道案内をして、少し助けてあげるだけ」


モーゼはその答えにしばし沈黙し、やがて深く息を吐いた。彼の胸の奥に、かすかな希望の灯がともったことを、茜は直感していた。茜は腕を組みながら、ふと思いついたように口を開いた。


「それとさ、長い旅になるんだから準備も大変だよ。旅の間だって秩序が必要だし……“お互いに殺し合わないこと”とか、“盗みをしないこと”とか、ちゃんとルールを決めておかないとダメだよね」


気楽に言ったその言葉に、後ろで聞いていたミラナが思わず吹き出した。


「ん? それって……十戒の一部じゃない? アカーネが神様扱いだからって、アカーネのルールが十戒になっちゃうって……これ、どう考えてもヤバいやつの匂いがするんだけど」


隣のユカナが、顔を引きつらせつつ小声で返す。


「うん……今はいいかもしれないけど、後の時代――ローマ帝国とかになったら、爆弾級の案件に膨れ上がる未来しか見えないね。でも……まあ、茜がやるなら、私たちには関係ないかも」


「たしかに……どうせ全部茜が背負うんだし、私たちは安全圏か」 


ミラナはあっさり頷き、二人でこそこそ話を続ける。


しかし、当の茜はまったく気づかず、満面の笑みでモーゼに向き直った。


「ということで、モーゼ! そのうち、あなたたちを約束の地に案内してあげるから――まずは、この神殿をしっかり完成させてね!」


その言葉に、モーゼの表情が一変する。陰を帯びていた瞳が、力強く輝きを増した。


「……分かった。私たちに任せてくれ。アカーネ様。私はあなたを神としては認めない。しかし――偉大な友人として敬意を払わせてほしい」


茜は軽く手を振って笑った。


「友人で十分だよ。ネフェルタリもそうだしね」


「アカーネには、本当に適いませんね……」


ネフェルタリ王妃は小さく微笑みながらも、その眼差しには驚きと感嘆が混じっていた。


「でも、あれほど反抗的だったヘブライ人を、こうして従わせてしまう……やはりあなたは偉大な神だと、今日改めて理解いたしました」


茜は「いや、神じゃないんだけどなぁ……」と頭を掻きながら苦笑する。


その一方で、現場の空気は一変していた。モーゼの言葉に触発されたヘブライ人たちの顔には、かつてない活気が宿り、誰もが槌を振るう手を速めている。巨大な石が次々と積み上げられ、装飾が鮮やかに彩られていく。


****


それから一か月。

ついにアカーネ神殿は完成を迎えた。


今日は王家から寄進される黄金の神像が、至聖所に安置される日。その神像はまだ茜の目に触れておらず、ただラムセス王から「楽しみにしておけ、アカーネ」と告げられているだけだった。


朝からぺル=ラムセスの街は熱気に包まれていた。市中を練り歩くために運び出された神像を一目見ようと、人々が道の両脇に押し寄せ、歓声を上げる。太鼓と笛が鳴り響き、香が焚かれ、黄金の輝きが太陽を反射して街を照らし出す。やがて、王自らがアカーネ神殿へと姿を現した。


「アカーネ、今回の神像は、このラムセスが特別に作らせたものだ。必ずや気に入るだろう。楽しみにしておけ」


胸を張るファラオに、茜は目を輝かせて頷いた。


「キラキラの神像なら大歓迎! ラムセス王の力はもう知ってるし、どんな神像か楽しみだよ!」


その返答を聞いたラムセスは、茜が自分の偉大さを心から理解していると受け取り、満足げに笑みを浮かべた。一方、少し離れたところでユカナとミラナが囁き合っていた。


「私たちの神像は既に設置されてるけど……部分的に金で作られてるし、ラピスラズリやカーネリアン、トルコ石、アメジストまで飾られてるんだよね。あれだけでも十分すごいのに……」


「だよね。メインの茜の神像ってなったら……絶対とんでもないやつだよ」


ミラナは両目をきらきら輝かせながら、小さく呟いた。


「キラキラの神像……いいなぁ……」


その声に茜は思わず吹き出しそうになりながらも、胸の高鳴りを抑えられなかった。


やがて神殿の外から大歓声が巻き起こった。

いよいよ――黄金の神像が到着したのだ。


堂々と運び込まれてきたのは、見上げるほどの巨像。全身が金泊で覆われ、ラピスラズリやカーネリアン、トルコ石、アメジストといった宝石が惜しげもなく嵌め込まれている。茜を模したその姿は、現実以上に気高く美化され、まさに「女神」と呼ぶにふさわしい輝きを放っていた。


茜は目を丸くし、次の瞬間には歓声を上げていた。


「よっしゃ! 来た! やっぱりこれだよ、これ! エジプトの神像はこうでなきゃ! ラムセス王、これ凄いよ。本当にありがとう!」


挿絵(By みてみん)


感極まって何度も礼を述べる茜に、ラムセス二世は満足げに顎を上げた。


「そうか、アカーネも気に入ったか。余が直々に準備させた甲斐があったというものだ!」


そのやり取りを見ていたミラナは、両目をきらきら輝かせて身を乗り出す。


「うひょー! これこれ! これよ! 私もこういう神像が欲しい!」


「まったく……」


隣でユカナが苦笑しつつ肩をすくめる。


一方、エンへドゥアンナは、目の前の光景を静かに記録していた。彼女の筆から紡がれた言葉は、すでに叙事詩の響きを持っていた。


「風をまといし御身は、東より来たりて西に座す。大王の黄金は、ただ富を飾るにあらず、永遠の証をもって女神を祀る。ラムセスの治世にして、アカーネは神殿に憩い、砂と河の地にもその名は満ちる。わたしはこれを記す、いかなる世にも、風が吹くたび女神の加護を思い出すように――」


式典の場には、モーゼの姿もあった。黄金の神像に熱狂し、無邪気に喜びを爆発させる茜の様子を眺め、ふと穏やかな笑みを浮かべる。


「……私はあなたを神と認めることはできない。だが――これほど現世で喜びを示す姿を見れば、私もまた嬉しくなってしまう」


黄金の神像が至聖所に安置され、ぺル=ラムセスの空に再び歓声が響き渡った。その日、アカーネ神殿は正式に完成を迎え、風の女神の名は街の隅々にまで刻まれることとなった。


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