8話 戦車で切り拓く、原始時代の電撃戦
戦況盤の光が静かに消えていく中、風が止まり、草原の空気がしんと静まった。戦いは終わった。
リュシアがひとつ息を整え、端末を指先で操作する。
「今回の戦果報告です」
彼女の声は、いつものように端的で無駄がなかった。
「初戦勝利ボーナスとして100神力、加えて戦術勝利報酬S評価により30神力。合計130ポイントを取得。これまでの残量32と合わせて、現在の神力は162です」
「162か……なるほどね」
茜はすでに思考の計算モードに入っていた。
「で、被害の回復にかかる分は……軽槍隊が15%損耗×4部隊で、たしか回復コストが6。戦車は5%くらいだったから、こっちは2……」
指を折って数えながら、茜が口元で小さく呟く。
「回復コスト、合計で8。ってことは、残りは……154、っと」
満足そうに顎に指を添えて頷く茜に、リュシアが補足を入れる。
「部隊維持には十分な値です。次戦への備えとして、練度強化や武装拡張、あるいは文明のさらなる進化に回すことも可能でしょう」
「ふふっ……ふふふっ……いい感じに貯まってきたわね、我が神力貯金……!」
「そのような表現は、記録文書には適しません」
「いいの、これは気分の問題」
茜はくるりとその場で一回転し、満面の笑みをリュシアに向けた。
「さあ、準備しましょ。ここからは“本戦”でしょ? 次はもっと強く、もっとズルく!」
リュシアは目を細めながら、黙ってうなずいた。
戦況盤の光が完全に消え、代わりに静かな砂時計のようなインターフェースが宙に浮かぶ。茜は顎に手を当て、やや深刻そうな顔で唸った。
「うーん、Lv.1-3(防衛建築・信仰深化)開放しちゃってもいいかな? 確か90神力で済むし、巫女系とか守備兵とか出てくるんでしょ?」
リュシアが表情を変えず、すっと茜の正面に歩み出る。
「ですが、次の戦いはチュートリアルの最終戦。敵集落への二段階戦闘になります」
「なにそれ、二段階?」
「まずは外郭戦――野戦で敵の前衛を突破し、その後に集落内戦、すなわち市街戦が続きます」
「おおっと、いきなりリアルな攻城ルート来たな……」
「加えて、今回より敵側にも“指揮官ユニット”が投入されます。名は“グロガン”」
「グロガン?」
茜が首をかしげると、リュシアは淡々と答えた。
「原始時代において“戦と語りで人をまとめる”酋長です。鼓舞を主体とした統率型。自身は大型こん棒を使う前線武闘派でもあり……彼の最も危険な点は、士気操作能力です」
「つまり……」
「ええ。“咆哮の鼓舞”によって、周囲の部隊の士気が常に上昇。さらに“儀式の舞”で味方の士気を一時的に最大化する効果を持ちます」
「うわ……敵にも出てくんの? あたしらのリシュアみたいなやつが」
その言葉に、リュシアは口元をわずかに緩めた。
「……安心してください。私ほど優秀ではありませんから」
すかさず、司令部の隅でスリッパをパタパタさせていたユカナが、ぽそりと口を挟む。
「……リシュア、プライド高いから……」
「事実を述べただけです」
「うんうん、そーいうとこだよね……」
茜は苦笑しながら肩をすくめ、盤面を見つめ直した。
「にしても、こっちも練度上げたり、陣地もう一段階強化したりしないと……本当に囲まれたら終わりじゃん。グロガン、やっかいだわね……」
そして、ふっと微笑んだ。
「……よし、面白くなってきた。ズルだけじゃ勝てない相手ってわかってきたし。ちゃんと対策、考えよっか」
ふと茜が、戦況盤に映る戦車ユニットの配置アイコンを指さす。
「そういえばさ、今回の戦車って、歩兵部隊と完全に分離してるよね? これって普通?」
リュシアは軽くうなずきながら答えた。
「今回の戦車運用は、通常の編成とは異なり、歩兵と切り離しています。本来は歩兵と共に行動し、陣形の後方支援や突破支援を担うのが定石ですが……」
「でも今回は突破用だから分離でしょ! 電撃戦が正義!」
茜は即答し、いたずらっぽく笑った。
リュシアは一瞬だけ肩の力を抜いたように、小さく息を吐いて苦笑した。
「……時代を先取りしすぎてはいますが、戦術的には同意します」
「でしょ? 戦車って、結局のところ“突っ込んでナンボ”よ」
「機動力と打撃力に特化した突撃兵器としては、十分機能します。ただし、持久戦や支援連携には不向きですので……」
「わかってるって。一発屋運用、ちゃんと意識してる」
茜が軽く手を振りながらそう言うと、視線を盤面全体へ移す。
「ところでさ、これ以上部隊増やしても大丈夫? 戦力的にはもうちょい厚くしておきたいけど」
リュシアが即座に答える。
「私の現在の指揮範囲は“10部隊”までが補正対象です。これを超えると、命令や鼓舞などの効果が薄れます」
「なるほど……じゃあ、戦車みたいに“補正いらない子”は数に入れなくてもいい?」
「正確には、戦車は私の補正対象外でも十分機能します。突撃ルートとタイミングさえ誤らなければ、独立行動前提で考えて差し支えありません」
茜は一拍おいて、指をパチンと鳴らした。
「じゃあ、戦車抜きで“10部隊まで”ってことで運用すれば、安心ってことね?」
リュシアがほんのわずかに驚いたように目を細め——すぐに、静かにうなずいた。
「合理的判断です。承認します」
「ふふっ、リシュアにそう言われると、なんか自分が賢くなった気がするわぁ」
ユカナがぽそりと呟く。
「……そういう時だけ、やたら冴えてるんだよね、茜さん……」
戦況盤の補給モードが立ち上がり、茜の目の前に各ユニットのステータスと補強項目がホログラムで並び始めた。
「さて……じゃあ、強化メニュー、始めよっか」
茜は手を組んで指を鳴らし、神力残量の表示を確認した。《現在の神力:154》
横でリュシアが静かに問いかける。
「どのように振り分けますか? 次はチュートリアル最終戦です。おそらく、前線圧力も一段階上がります」
「うん、それは分かってる。だからこそ、前線の軽槍隊――ちゃんと強化してあげなきゃね」
茜の視線は、盤面の中央を支えていた軽槍兵たちの表示アイコンに向けられていた。第二戦の開始前、指揮官と話した彼らの顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
「正面から受け止める役なのに、武装度Eってさ……可哀想じゃん。ちょっと上げたくらいで世界が変わるわけじゃないけど、やらない理由もないでしょ」
リュシアがわずかに微笑む。
「人道的かつ合理的です。損耗率低下によって、結果的に総合戦力も安定します」
「んで……こっちもね」
茜が指先を滑らせたのは、戦車ユニットの欄だった。
「電撃戦やるなら、シュメール戦車は要。戦力の突き崩しには、足の速い槍が必要。歩兵だけじゃ火力も範囲も足りないし」
「戦車はコストに見合う成果を出します。ただし、軽装ゆえ損耗しやすいため、強化しておくのは賢明です」
「よし、じゃあ――まずは、戦車もう1台追加っと。これで戦線分割できる」
《シュメール戦車追加:−25神力》
「で、軽槍隊も1部隊増やして、全体の壁を厚く」
《軽槍兵追加:−10神力》
「それから、こいつら……」
茜は最前線で最も消耗していた一つの軽槍部隊に視線を留める。
「この部隊は、練度と武装度をEから一気にCに上げてやろう。このまま出すには申し訳ないってくらい働いてるし」
《軽槍兵:練度+武装度E→C:−30神力》
「んで、戦車の2部隊。こいつらもEのままじゃ死にに行くようなもんでしょ。Cまで上げる」
《戦車×2:練度+武装度E→C:−60神力》
「そして……残り29か……」
茜はやや考え込み、盤面に表示された別の軽槍兵2部隊に指を向けた。
「この子たちはDまで、せめてDまで上げてやろう。Cまでは足りないけど、これでも違うはず」
《軽槍兵×2:練度+武装度E→D:−20神力》
「これで残り……9ポイント。ま、次の戦で使う余裕はないし、回復分としてキープでもいいでしょ」
すべての入力を終え、戦況盤が強化指示を受理する。全ユニットの枠が一斉に更新され、表示された性能数値が一段階ずつ引き上げられていく。
「無駄遣いせず、全部戦力化。中途半端に神力残しても、次の戦いで負けたら意味ないしね」
「……“最終戦は敵が急に強くなる”というプレイヤー的な直感、侮れません」
「でしょ? だいたいゲームってそういうものよ。だから今は、全部使ってでも勝ちに行く!」
リュシアは静かに頷いた。
「了解。指揮系統、再構築完了。次戦準備、整いました」
戦況盤の更新が完了し、部隊編成の強化データが反映されたのを確認すると、リュシアがすっと姿勢を正した。
「補足ですが、次の最終戦は二段階構成になります。ご注意ください」
「二段階……って、前にも言ってた外郭と集落内部、だっけ?」
「はい。そして重要な点として――戦車の運用は、外郭戦場までが限界です。集落内部では地形上の制約により、使用不可となります」
茜の目が細くなる。
「つまり、集落内にまで敵が逃げ込んだら……戦車でグロガンを叩けないってことね?」
「その通りです。したがって、グロガンが市街へ退く前に、その布陣を崩すことが理想的です」
戦況盤の地図にうっすらと表示された地形ライン。その中心に、簡素な壁と入り組んだ通路――“集落内部戦場”が浮かび上がる。
「外郭戦……そこで決めきるってわけね」
茜は軽く顎をさすり、にやりと笑った。
「よーし……ドイツ軍ばりの電撃戦を見せてやろうじゃないの。こっちの“ゴロゴロ部隊”、舐めんなよ……!」
その声に、ユカナがスリッパの音をパタパタさせながら、やや不安そうに小声でつぶやく。
「……毎回そのノリで突っ込んでくけど、ほんとに大丈夫なのかなあ……」
だが、リュシアは迷いなく応じる。
「問題ありません。戦車の本質は、初撃の勢い。外郭戦で決着をつけるというのは、極めて理にかなっています」
「ふふっ、ありがと。……じゃあ、行ってやろうか。一気に勝って、締めくくり!」
全ての強化と配置を終えた戦況盤が、淡く輝き始める。
「転送準備、完了しました」
リュシアの声と同時に、茜の足元に陣形図が浮かび、光の粒子が体を包み始める。いつもの、しかし慣れることのないあの浮遊感が襲ってきた。
「……やっぱりこの感じ、耳がキーンってなる……」
ユカナが眉をひそめながら、スリッパの足を小さく揺らす。
「慣れないものは慣れないって、いつも言ってるじゃない」
茜が笑いながら返すその瞬間——
周囲が白く染まり、空間がねじれるような感覚とともに、三人の体が一気に別の場所へと転送された。
* * *
乾いた熱風が頬を打つ。鼻をつくのは、土と煙の匂い。
転送が完了した先——そこに広がっていたのは、メソポタミア風の集落を見下ろす丘の上だった。
遠くに見えるのは、日干し煉瓦で組まれた不規則な壁。その上に張られた色褪せた布旗が、風にはためいている。集落の奥からは、数本の細い煙が静かに立ち昇り、近くには木彫りのトーテムや、家畜の囲いが点在していた。
「……あれが、次の戦場……」
ユカナが、いつになく真剣な表情でぽつりと呟く。
視線の先には、どこか物悲しさを感じさせるような、しかし確かに戦が始まろうとしている“場所”があった。
その隣で、茜が大きく一歩踏み出す。
「よし、みんな。行くわよ!」
戦況盤を指でなぞるように操作しながら、彼女は明るく、けれどどこか燃えるような声で叫んだ。
「戦車でドーンって突っ込んで、全部ぶち壊す!!」
その気迫に押されるように、遠くで風がひとつ唸る。
リュシアは静かにその様子を見つめ、わずかに目を細めた。
「……ほんとうに、私よりも指揮向きかもしれませんね」
ユカナはパタパタとスリッパを鳴らしながら、ちょっとだけ首をかしげる。
「でもそれ、リシュアが一番ムキになるやつ……」