70話 焦土の都市
戦いの喧騒が過ぎ、エシャッダ近郊の仮設司令部には、落ち着いた空気が流れていた。夕暮れの冷えた風が天幕の隙間から入り込む中、中央の卓には平焼きパン、近くで獲れた野兎の塩焼き、塩チーズ、干しイチジクが並べられていた。茜たちは簡素な遠征用の食事を囲みながら、神力の清算を行っていた。リュシアが帳面を片手に、静かに報告を始める。
「今回の戦闘における神力付与は、初期勝利点が200神力、そして勝利評価Sによる90神力、合計で290神力となります。これに前回までの残神力209を加えて、合計499神力が保有状態です」
茜は、パンをちぎって口に運びながら軽く頷いた。
「……結構、増えたね」
「さらに信仰の拡大も報告されております。風の神アカーネがヒッタイト王国にて正式に祀られるようになった事が原因と思いますが、カルケミシュとハットゥシャにて各40神力、ワシュカンニでも40神力が発生。加えて、ユカナ様とミラナ様はワシュカンニにおいて、それぞれ10神力分の信仰が拡大しました」
リュシアはそこで手元の板を見やり、数値を読み上げる。
「結果として、主が227神力、ユカナ様が270神力、ミラナ様が55神力となっております」
その数値に、茜がパンを口に含んだまま、半笑いで呟いた。
「なんか……私への信仰、やばくない?」
「ヒッタイトの時代じゃ、茜が一番信仰されてるんじゃない?」ユカナが、ぶどう酒を傾けながらさらりと口にする。
「上位神の私の……二倍の信仰……」ミラナが両手で頬を押さえながらぼそりと漏らす。「私の立つ瀬が……」
「いや、あんたの立つ瀬は最初からないでしょ」茜は容赦なく突っ込む。
「でも、まぁ……あんな戦いがこれからも続くと考えると……茜が信仰得る方が正しいかもね」ユカナは少しだけ真顔になる。
「なに弱気になってるのよ。どうせなら、上位神になるくらいの気構えを持ちなさいよ」
「それは……茜に任せるよ。私、面倒だし……」
「……怠惰神に残念神……私、何やってるんだろ」
「まぁまぁ、私は信仰が着々と増えてるから満足してるし? だから、茜には感謝してるよ……うん」
「こっちの残念神は…あんたは、上位神なんだからもっと働け!」
その騒がしい会話を横で聞きながら、リュシアが一つ咳払いをして口を開いた。
「……続けてよろしいですか? 被害回復の件です。今回も自動回復は発生しておらず、神力による回復が必要です。やはり今回の戦いが最終戦ではないようですね」
帳面をめくりながら、リュシアは淡々と報告する。
「鉄槍歩兵6部隊、平均被害率20%、計22神力。鉄斧歩兵3部隊、平均20%、計12神力。複合弓兵6部隊、被害10%、計14神力。鉄槍騎兵3部隊、被害15%、計16神力。軽弓騎兵3部隊、被害10%、計10神力。全体の回復には、合計で74神力が必要です」
「……うわ、今回は結構出たね。上手く戦ったつもりだけど、正面からぶつかると被害出るわね」茜が眉をひそめる。「これで残る神力は……425か。黒字といえば黒字だけど、今後のこと考えると、回復用の神力はある程度残しておかないと」
「それで主、今後の強化方針はいかがしますか?」
リュシアの問いに、茜は考える素振りを見せてから言った。
「補強は後回しにして……鉄器文明の最後の枠、3-4『補給・重装騎兵錬成』を開けちゃおうかな」
「それでよいかと思います。必要神力は150ですが、私の補正により107で済みます。それと連動して開発可能となる兵科、重装鉄騎兵と投石機の開発が合わせて180神力のところ、補正で128まで軽減されております」
「ふむ……鉄器文明を完全に空けるというわけか。了解、リュシアの言う通りにするよ。これで……残神力は190か」
茜は指先で干しイチジクをつまみながら、続けて言った。
「投石機か……一応2部隊雇っておこう。雇用に神力48×2で96、で、護衛として鉄槍歩兵も付いているから、普段はそっちで使ってもいいし……それぞれの部隊は武装度と練度をCまで上げておく。消費神力50×2で100……って6足りないか。ここは私の神力から6、補填で」
リュシアが静かに笑った。
「主、珍しく思い切った補強をされましたね」
「いや、そろそろ長距離攻撃できる部隊があってもいいかなって思ってね。攻城兵器って言っても、野戦で使えるでしょ? いざとなれば鉄槍歩兵として運用もできるし。字面は攻城でも、この時代の戦場じゃ便利だと思って」
「なるほど……たしかに、そういう使い方はできるでしょうね」
戦後処理も一段落した頃、仮設司令部にはミタンニ王国の将軍たちが次々と集まり、仮設天幕の中は厳粛かつどこか誇らしげな空気に包まれていた。
「風の神アカーネ様、このたびの戦勝、まことにおめでとうございます。ついにあのアッシリアに、一矢報いることができました」
「アカーネ様のご指揮のもと、我らはあれほどの敵を退けることができた。まさに神の加護としか申せませぬ」
口々に讃辞を述べる将軍たちを前に、茜は無言で片手を上げ、制する。
「ありがとう。でも、まだ“勝ち”ではないよ。アッシリアの侵攻を完全に止めたわけじゃない。私たちが本当にやるべきことは、これからなんだから」
その声には冷静さと緊張感が宿り、将軍たちもはっとしたように口を閉じた。
「まずは、アッシリアに占領されたエシャッダを奪還する。そこからが始まりだよ」
その決意に満ちた言葉に、将軍たちは深く頷き、一斉に敬礼の姿勢を取った。
そして翌日、茜率いるミタンニ軍はエシャッダへと進軍。だが、そこに敵の姿はなかった。アッシリア軍はすでに撤退しており、戦うことなく、エシャッダの無血奪還はあっけないほどに成功を収めた――しかし、その都市の姿は、茜たちに深い衝撃を与えることになる。
城門は破壊され、都市の中心にあった神殿は跡形もなく焼き払われ、崩れた石柱の間には灰が積もっていた。市街地の家々もほとんどが略奪され、内部は破壊され尽くしていた。街路には、血の痕跡や焼け焦げた器物、そして放置された生活道具の数々が痛ましく残されていた。
そして――建物の影、広場の隅、井戸の傍には、倒れたままの人々の亡骸が、いくつも、いくつも。
「……やってくれたわね……」
茜は都市を見渡しながら、低く唸るように呟いた。その目は静かに怒りに燃えていた。
「まさかここまで破壊してくるとはね……いくら信じる神が違うからって、これはただの侵略じゃない。信仰と、文化そのものを潰すつもりでやってる……こんなもの、許せるはずがない。早く……アッシリアの方針を変えさせないと……」
傍らに控えていたリュシアが、静かに言葉を返す。
「主……このエシャッダの復興は、現実的とは言えません。ここまで破壊された都市を再建するには、膨大な時間と労力、そして資源が必要です。それをミタンニ王国が担えるとは……」
茜はゆっくりと頷いた。
「……分かってる。だからまずは――生き残った民たちを、集めて」
茜の指示を受け、ミタンニ王国の兵士たちは静かに街を巡り、まだ息のある者たちを探し始めた。
やがて、うつろな目をした人々――女、子供、年老いた者、そして戦災をかろうじて逃れた男たち――が一人また一人と広場に集められていく。すべてを失った彼らの表情は、どこか夢の中をさまようように虚ろだった。最終的に集まったのは、わずか五百余名。広場を囲む兵たちも、重苦しい沈黙のなかでその光景を見守っていた。茜は一歩、広場の中央に進み出て、民の前で深く頭を下げた。
「……遅くなって、ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
その声は、凍ったような空気を、ほんのわずかに揺らした。沈黙がしばし流れ、誰もが反応できないでいたが――やがて、涙を浮かべた一人の老女が、口を開いた。
「アカーネ様……頭を上げてください。さっき、ミタンニの兵隊さんたちから聞きました。あなたが……私たちの仇を討ってくれたと……」
彼女の言葉に、周囲の民の瞳にも、次々と涙が浮かび始める。
「逃げ延びることができたのは、私たちだけかもしれません。でも……それでも、私たちは、あなたに感謝しています。ありがとう……アカーネ様……」
茜の目にも、静かに涙がこぼれ落ちた。そして彼女は顔を上げ、住民たちを見渡すように言った。
「……ありがとう。でもこの都市は、もう放棄せざるを得ない。神殿も、生活の場も、すべて壊されてしまった。だから……あなたたちは、ミタンニの王都、ワシュカンニへ移ってもらいます。あそこなら、まだ安全だし、穏やかな日々を取り戻せるはずだから」
人々の中から小さなざわめきが起こり、何人かの若者が手を挙げた。
「アカーネ様。どうか、私たちを軍に入れてください。家族を殺されたまま、ただ逃げるだけなんて……耐えられません!」
だが、茜は首を横に振った。
「……気持ちはわかる。私だって、きっと同じ気持ちになる。でも、あなたたちはもう十分に戦った。生き残ったことそのものが、尊い戦いの証。これからは、私たちが戦う番。あなたたちは、ワシュカンニでゆっくり休んで――心を癒して」
その言葉に、若者たちは悔しそうに唇を噛んだが、やがて静かに頷いた。こうして、茜が率いるミタンニ北方軍と共に、生き残った民たちは、まずはティグリス東岸の拠点都市でもあるアラプハへと向けて出発した。アラプハに置いたミタンニ王国北方軍司令部。戦後の疲労が残る中、会議室では次なる戦略を練る会議が開かれていた。卓上にはティグリス川を挟んだ戦線図が広げられ、茜を囲んでミタンニ王国の将軍たちが緊張した面持ちで並んでいる。
「……今、アッシリアの北方軍は壊滅しているけれど、すぐに再編成されるはず。次に来る時は、さらに大規模になる可能性がある。だから、こっちから先に動く」
茜の言葉に、将軍たちは静かに頷いた。
「作戦は三段階。まず――アルタイの騎兵隊が南下して、アッシリア中央軍の補給線を徹底的に叩く。彼らの兵站を乱し、動揺させて、中央軍の戦線維持を困難にさせるのが狙い」
「俺の得意なやつだな!」
天幕の隅で待ち構えていたアルタイが、嬉しそうに身を乗り出した。
「補給部隊を見つけ次第、容赦なく潰していく。行ってくるぜ、主!」
「頼んだわ。大胆に、でも戻ってくるまでは死なないで」
茜が苦笑混じりに送り出すと、アルタイは勢いよく会議室を出ていった。その背を見送った後、茜は戦線図の北側を指差した。
「次に、私たち北方軍はアッシリア中央軍を誘き寄せる。補給線を叩かれている以上、向こうは何らかの対応を迫られるはず。そこを突いて相手の中央軍を北に引き寄せる。戦闘になる可能性もあるけれど、今回はあえて持久戦に持ち込むつもり。敵が動きを止めてくれるなら、それで十分」
「囮になる覚悟ということですか……」とリュシアが静かに応じた。
「最後に、北方に誘導されたことでがら空きになるティグリス河を、ミタンニの中央軍が渡河する。東岸に橋頭保を築いてから、北方に誘引されたアッシリア中央軍の背後を突く挟撃態勢を整える。これでアッシリアの中央軍は進退両難になるはず」
「三段階の挟撃作戦……見事な構図です」と将軍の一人が呟いた。
茜は小さく頷き、地図の中央に指を置いた。
「アッシリアの侵攻を止めるには、ただ守っているだけじゃダメ。こっちから動いて、戦局そのものをひっくり返さないと」
彼女の目には、確かな覚悟が宿っていた。アッシリア戦線第二幕の幕開けが、今まさに静かに動き始めていた。
****
アッシリア王国、王都ニネヴェ。白い石で築かれた荘厳な王宮、その中心に位置する謁見の間には、重く張り詰めた空気が満ちていた。高い玉座に腰掛けていたのは、アッシュール・ウバリト1世――尊大と傲慢を身に纏う王である。そこに、軍装を纏ったまま進み出る影が一つ。将軍シン・アヘリバ――北方戦線の総司令官にして、無敗を誇ってきた歴戦の武将である。しかし今、その顔には明確な疲労と痛恨の色がにじんでいた。
「戻ったか、アヘリバ将軍」
王の低く響く声が、天井の高い謁見の間に反響する。
「……はい、陛下」
アヘリバは片膝をつき、深く頭を垂れた。
「……我が軍は、ミタンニ王国北方軍、ならびに“神アカーネ”を自称する存在の軍勢と交戦し――敗北を喫しました」
その報告に、王の両眉がぴくりと動いた。玉座に身を沈めたまま、声を落として問う。
「“神アカーネ”……と申したか?」
「は……自らを風の神アカーネと称し、奇妙な戦術と、驚異的な精強さを備えた軍を率いておりました。もはやミタンニとは呼べぬ、異質な存在であります」
アッシュール王は静かに目を細め、深く沈黙したまま考え込む。やがて、冷たい声音で呟いた。
「……主神アッシュルの神格を拡大せんとし、征服地の信仰を取り込み、旧神々を粛清してきた我が国の方針に、神が介入してきたということか?」
その問いに、アヘリバは沈黙し、すぐには答えなかった。
「……断定はいたしかねます、陛下。ただ……あの存在は、明らかに“人”の領分を超えたものでした。常識や理によって計れるものではありません」
厳粛な空気が支配する謁見の間。その荘厳な石造りの壁に、アッシュール王の声が静かに響いた。
「……現時点で、神であると断じるには証拠が足りぬ以上、我らは方針を変えぬ」
王の声音は重く、だが冷静だった。
「しかし、だからといって放置できる存在でもない。“神アカーネ”と名乗る者……その軍は、確かに我らが想定を超えた力を有していたのであろう。その影響をこれ以上拡大させるわけにはいかぬ」
王の指が玉座のひじ掛けを軽く叩くと、侍従が素早く巻物を取り出し、軍令の準備に移る。
「よって、ティグリスに貼り付けている我軍は一時撤退させる。王都に集結させ、改めて軍を編成。総力をあげて、“神アカーネ”を討つ準備を整える」
その言葉に、アヘリバは静かに頷きながら、口を開いた。
「陛下……万が一、あの者が本当に“神”であった場合、いかがいたしますか……」
アッシュール王は、ゆっくりと彼の方へ顔を向けた。瞳に宿るのは、確固たる意志。
「ならばなおのことだ。“主神アッシュル”の名の下に異神を討つ。それが我が国の使命であり、正義だ」
言葉の端に、揺るぎなき信仰と王としての覚悟が滲んでいた。
「いくら神だとしても、地上に降りた以上、地上の秩序に従ってもらう。地上の秩序は――地上の力で正されねばならぬ」
アヘリバは深く頭を垂れた。その姿には、軍を失いながらなお命を奪われぬことに対する覚悟と、わずかな願いが込められていた。
「……御意。王命、しかと承りました。しかし――」
言葉を継ぐ声音に、ほんの僅かな震えが滲む。
「叶うのであれば、次の戦にて再び指揮権をお与えください。あの“神アカーネ”を名乗る狂人……必ずや、この手で討ち果たしてみせます」
その言葉に、玉座の上のアッシュール王はじっとアヘリバを見つめた。沈黙が一拍、二拍……やがて、重々しく頷く。
「よいだろう。お前の敗北は誤算であったが――その忠誠と執念、見所がある。次の戦では全軍の指揮を任せる訳にはいかぬが、討伐軍の一翼を預けよう。神を討たんとする意志、その炎を絶やすな」
アヘリバはその言葉に、驚きと感激を押し殺しながら、再びひざを折り、深く頭を下げた。
「ハッ……恐悦至極に存じます。アッシリアとアッシュルの威光のため、命にかえて尽くしましょう」
謁見の間に、忠誠と復讐の熱がひそやかに燃え上がる。
それは、次なる戦の火種であった。
****
アッシリア王アッシュール・ウバリト1世の命が下ったのは、アヘリバ将軍が謁見の間を辞して間もなくだった。
「ティグリス沿岸に展開する全軍へ撤退命令を出せ。北方はすでに失われた。残る中央と南の部隊を王都に集結させ、新たなる神討伐軍を編成するのだ」
王の勅命を携えた伝令は、二手に分かれてそれぞれの戦線へと駆けた。一手目は、ティグリス西岸にて前線を維持していた中央軍へ向けられた。だが、その行路の途中――
「……敵襲ッ! ミタンニ軍だッ!」
乾いた大地を蹴りつける無数の蹄音。アルタイ率いる遊撃騎兵隊が、まるで獲物を狩る猛禽のごとく砂塵の中を駆け抜けた。隊列の一角、草原の陰をすり抜けようとしていたアッシリアの伝令兵に、矢が一本突き立つ。
「無駄な抵抗だったな」
アルタイの合図で、数人の兵が駆け寄り、倒れた伝令兵の懐から巻かれた布筒を回収する。その場で開かれた羊皮紙に記された命令文を、アルタイがちらりと覗き込み、ニヤリと口元を歪めた。
「……中央軍への命令? しかも撤退指示か。へえ……」
彼は命令書を手に軽く振ってみせ、陽光に透かしながら言った。
「これって結構、大きな手柄になるんじゃねぇ? 敵の中枢が動こうとしてるってことだろ。こいつを握りつぶせば、向こうは本来の命令どおりには動けなくなるわけだよな」
その命令書は、慎重に巻き戻され、アルタイの腰袋へと収められた。
「さてと――敵の意図は潰した。十分な補給隊も潰せたし、そろそろ戻るか。主にいい報告ができそうだぜ」
そしてアルタイは、踵で愛馬の腹を蹴り、北へ向けて疾駆していった。砂煙が空へ舞い上がる中、伝令の姿は地平に沈み、アッシリア中央軍への命令は、永遠に届くことはなかった。そして二手目――南方軍へ向かった伝令だけは、敵の襲撃を受けず、無事に南方軍司令部へとたどり着いた。
「アッシュール王より勅命。全軍、王都ニネヴェへ帰還せよ」
将軍たちは命令の書状に目を通すと、ただちに撤収準備に取りかかり始める。こうして、ティグリス河畔に展開していたアッシリア軍のうち――中央軍は命令を受け取れぬまま、なおも前線に留まり、南方軍だけが静かに戦場を離れようとしていた。




