69話 エシャッダの戦い
翌朝、エシャッダ近郊の乾いた平原に、二つの大軍が対峙していた。
アッシリア軍、総勢一万五千。その堂々たる戦列は、古代世界における最強軍団の一角としての威容を放ち、整然と並ぶ戦士たちの鎧と槍が朝日を弾いて輝いていた。一方のミタンニ軍は一万二千。数では劣るが、その右翼に圧倒的な戦力が集中しているのは明白だった。風の神アカーネが率いるその軍勢は、茜がシュメール統一戦争で一度だけ使用した斜線陣を応用した配置であり、特に右翼には鉄槍歩兵、鉄斧歩兵、複合弓兵、ポプリタイまで含む“神の主力”が並び立っていた。
「……ふむ、ずいぶんと偏った布陣をしてきたものだ」
アッシリア軍の将、シン・アヘリバ将軍は、副官と共に戦場を遠望しながら、鋭い眼差しで敵の布陣を分析していた。
「右翼に戦力を集中、中央は――なるほど、かなり薄い。そして……戦車がほとんど見当たらん。ふむ……」
アヘリバはじっと敵陣を見つめながら、ゆっくりと顎に手を添えた。
「やはり、前回の戦いで相当数の戦車を失ったのだろうな。前回のエシャッダの攻略戦で、こちらの戦車隊が奴らの機動戦力を相当に削った……それで、残存がほとんどないと見るべきか」
副官が頷く。「中央が開いているのも、その弱さを隠すための布陣ということでしょうか」
「あるいは、“誘い”の罠かもしれん……だが、兵力差はこちらに分ある。策を弄さず、真正面から圧し潰す方が、結果的に被害は抑えられよう」
アヘリバは静かに指揮棒を掲げ、きっぱりと命じた。
「――戦車隊、突撃準備。目標は中央。奴らの戦列を断ち切れ。突破後に本隊が一気に押し込む!」
彼の視線の先には、堂々たるアッシリア戦車隊の陣。ヒッタイト式の戦車を模倣した、馬二頭による高速突撃用戦車が、三百台。轟く音と共に地を駆けるその力は、アッシリア軍が誇る破壊の象徴である。そして、アッシリアの鉄車が唸りを上げて前進を開始する。中央に大穴を穿つため、轟音と共に――。茜は前線の様子と戦況板を見据えながら、小さく口の端を上げた。
「歩兵の随伴もなしに、戦車だけで突っ込んでくるなんて……ありがたい話だね」
彼女の目には、正面から突進してくるアッシリア戦車隊の砂煙が、まるで獲物自らが罠に飛び込んでくるかのように映っていた。
傍らにいたエンへドゥアンナが眉をひそめるが、茜はそのまま言葉を続ける。
「あのドイツ第三帝国の機甲師団ですら、戦車だけじゃ運用できなかったんだよ。必ず機械化歩兵をセットで動かして、戦車と一緒に戦ったんだから。戦車ってのは、衝撃力はすごいけど、継戦能力も防御力も単独では付け入る隙があるのよ。単独運用していいのは、相手に迎撃準備が無いときだけ」
彼女は指揮棒を掲げながら、軽く笑う。
「でも、今回は違うよ。――こっちは、迎撃の準備が完璧にできてるんだから」
特に、右翼――リュシア率いる複合弓兵部隊の存在は大きい。茜はそこに絶対の信頼を置いていた。
「未来予測地点、座標固定。斉射準備完了」
リュシアは静かに手を下ろした。
「全弓兵部隊、斉射」
命令と同時に、六百本の複合弓から矢が一斉に放たれ、しなりと共に唸りを上げる。まるで風の神の加護そのもののような、その圧倒的な斉射が、アッシリアの戦車隊を斜め横合いから襲った。鋼鉄の矢が車輪を貫き、馬を倒し、操縦者を撃ち抜く。先頭の数十台が即座に機能を失い、後続が混乱しはじめた。この斉射を、中央部隊からも確認したミタンニ軍の将軍は、思わず息をのんだ。
「……あの攻撃は……アカーネ様の部隊か」
彼の脳裏には、かつてのエシャッダでの敗北の記憶――アッシリア王国に蹂躙された日の戦場がよぎっていた。だが今は違う。神が、共にある。
「アカーネ様の攻撃が有効に効いている」
将軍は深呼吸し、落ち着きを取り戻す。
「中央部隊、中装槍兵を前列に展開! 弓兵は第二線で待機! ……敵の進撃速度はアカーネ様の攻撃で必ず落ちる。それまで、待機!」
その判断は正しかった。戦車隊は確かに進撃していたが、右からの攻撃により進路が乱され、整列が崩れかけていた。
そして――
「第二斉射、放て!」
リュシアの指揮下、再び右翼部隊から六百の矢が空を覆う。先ほどよりも角度を変え、車列の横腹を穿つように飛来した矢が、残る戦車隊に壊滅的な被害をもたらす。突撃が止まり、生き残った戦車が後退のため回転運動に入り始める。
「……止まった」
中央軍のミタンニの将軍は、その瞬間を見逃さなかった。
「今だ、撃て! 一斉射!」
中央の弓兵が、一気に射線を上げる。二列目から前列の槍兵の頭上を越えるように矢を放ち、乱れそしてその場で転進運動に入った戦車群に集中射撃。ついにアッシリアの戦車隊は――壊滅した。敵陣に空いた穴には、もはや突撃の勢いも、威圧の力もなかった。
「……これは、以前のミタンニ軍の戦いではないな」
アッシリア軍のシン・アヘリバ将軍は、戦車隊の壊滅した中央部を睨みながら、唸るように呟いた。
「特に敵の右翼……あそこが異様に強い。あれが“神を名乗る狂人の軍勢”というやつか……」
その時、戦場の左翼――つまり茜が率いるミタンニ右翼軍とアッシリアの左翼軍がついに正面衝突した。
茜が直々に統率する鉄槍歩兵は、分厚い盾と鋭い穂先を持ち、正確無比な隊列を保ったまま前進していく。まるで嵐のような威圧感を放ちながら、ガルナードの「怯むな、進め!」の号令と共に、前進が開始された。アッシリアの左翼部隊、中装槍兵で編成された部隊は、その突撃を正面からまともに迎え撃つ形になったが……接敵した瞬間、陣形は揺らぎ、戦列はぐらついた。
質が違う。練度が違う。武器が違う。鉄の穂先がアッシリア兵の盾を弾き飛ばし、鎧の隙間を正確に貫いた。兵士たちが恐怖の声を上げる中、茜軍の鉄槍歩兵の戦列はアッシリア軍の前線を押し込んでいく。その隣で戦列を組むミタンニ軍の中装槍兵たちも、茜軍の精強な動きに触発されたように前進を開始した。これまで守勢に回ることの多かった彼らだったが、茜の部隊と共に戦うことで、士気が大きく上がっていた。
結果――アッシリアの左翼は、瞬く間に崩壊の兆しを見せ始めた。
槍の壁が割れ、叫びが飛び交い、兵が後退を始める。茜の右翼が押し込む圧力に、アッシリア軍は耐えきれなくなっていた。その様子を高所から見下ろしていたアヘリバ将軍の元に、副官が息を切らせて駆け寄る。
「将軍、左翼が持ちません! 陣形の崩れが拡大しています!」
「――予備を全て左翼に回せ。中央軍も左翼寄りに移動させろ。敵の主力があそこなら、まずは左を立て直さねば全てが崩れる」
アへリバは即断し、部隊の再配置を命じた。的確で迅速な判断。彼が凡将でないことは明らかだった。一方その様子を遠望する茜は、斜線陣の端で戦場の流れをじっと見つめていた。
「一目でこちらの強さを見抜いて、戦場で修正してくるなんて……並の司令官じゃ絶対に無理だよね。さすが後の世界帝国アッシリアの将軍だわ」
しかし彼女の口元には、冷静な笑みが浮かんでいる。
「でも――今回の斜線陣の“本当の目的”は、まだ見落としてるね」
茜は視線を中央へと移し、敵の中央部隊が左翼支援に兵を割き、こちらに向かってきていることを確認した。そして自軍の側面に危険が生まれつつあることに気づいた。
「ここで側面攻撃されたら、せっかくの主攻が止まる……なら、封じるまで」
すぐさま鉄斧歩兵の指揮官に命令を送る。
「鉄斧歩兵を側面支援に投入して。敵の中央部隊からの側面攻撃を押さえるのよ」
間もなく、茜軍の鉄斧歩兵が側面に展開。アッシリアの中央部隊が左翼支援に動いた隙間に滑り込み、側撃を防ぐ形を固めた。
すると次の瞬間――
アッシリア軍の第二線に配置された弓兵から、雨のような矢が茜軍の頭上に降り注いだ。だが、茜軍の歩兵たちは既に盾を構えていた。鉄槍兵たちは初期型のファランクス陣形をとり、上段に掲げた盾で頭上からの矢を防ぐ。隣のミタンニ兵たちはその技術に劣っていたが、それでも茜軍の真似をして陣形を調整し、被害を最小限に留めようと必死に対応していた。
その混乱の中、再び戦場を貫く音が鳴る――
リュシアの複合弓兵隊と配属されたミタンニの弓兵が、後方からアッシリアの中央~左翼に向けて一斉斉射を敢行。風が導くような正確な矢が、密集する敵陣に突き刺さり、前線をなぎ倒していく。
「……あれは、もはや戦術ではなく“神話”の力だな」
アッシリア側の副官が、呟いたその言葉は、確かに正しかった。アッシリア左翼の前線は――再び崩壊の瀬戸際にあった。戦場の流れが、一瞬だけ凪いだかのように見えたその時、茜は微かに笑って呟いた。
「普通の斜線陣なら、敵がこちらの攻撃主軸に合わせて防御主軸をぶつければ、確かに陣形の強みは相殺される。……でもね、今回は違うんだよね」
指揮卓の上、再配置されていく敵部隊の動きを見つめながら、彼女は続ける。
「私の部隊に敵の防御主軸をぶつけさせたのは、最初から計算通り。こっちの兵の“質”と“練度”で、それごと削り取るのが、今回の斜線陣の本当の目的だったんだよ。……さすがアッシリアの将軍。戦場の修正能力も高いし、即応判断も的確。だからこそ、罠にかかってくれたんだけどね」
その頃、アッシリア本陣では、アへリバ将軍が重苦しい沈黙を破っていた。
「……なんだ、あの右翼軍は。あれが“神の軍”というものか。あそこまで強力な兵を相手にしては、もはやこちらの戦術が有効に働かぬ……」
副官が顔を伏せかけるのを制して、アヘリバは毅然と顔を上げた。
「この戦い、我が軍の敗北はもはや避けられん。だが――アッシリアの将軍として、一方的な負けでは帰れん。必ず一矢報いる!」
その言葉に、周囲の幕僚たちの背筋が伸びた。アヘリバは左翼の崩壊を完全に受け入れ、逆にそれを利用する決意を固めていた。
「中央部隊、戦線死守。崩壊した左翼の残存兵力を全て吸収し、最後まで踏みとどまれ。敵の包囲を阻止すること――それが今、我が軍全体を救う唯一の道だ」
それは、中央を“捨て石”とする命令だった。だがアッシリアは、軍事国家。勝利のために必要であれば、部隊が殉ずることを厭わぬ覚悟を常に持ち合わせていた。命を託された中央軍の指揮官は、目を伏せたまま深く頷いた。
「承知しました。我らはここで命を燃やし、将軍の矛を支える盾となりましょう。どうか、我らの死を無駄にしないでください」
兵たちもそれに続き、静かに陣形を再構築していく。自らの終焉を悟った者の動きには、奇妙な整然さと威厳があった。アヘリバはその姿に一瞬だけ視線を留めた後、自ら戦車に乗り、進軍中のほぼ無傷の右翼部隊へと急ぎ戦車を走らせる。
「――これより、最も手薄な敵左翼部隊へ突入する。突破後は即座に離脱を図る。我らが矛先、敵に深く刻みつけよ!」
将軍の激に応じて、アッシリア右翼の部隊が一斉に咆哮を上げ、突撃の隊列を整える。その進撃速度はまさに疾風のごとく、戦場の片隅から光と鉄の奔流が生まれようとしていた。
一方、茜はその動きを見て、唸った。
「なるほど……中央の全ての部隊を犠牲覚悟での守りに転じさせて包囲を阻止しつつ、無傷の右翼部隊でこちらの左翼に突撃。戦線突破と最低限の戦果だけを得て撤退する気ね……正直、そこまで割り切って動けるとは思ってなかったよ。さすがだわ」
そのとき、茜の司令部に戻ってきたリュシアが静かに口を開いた。
「主――この状況、アルタイの騎兵隊の投入を検討すべきです」
茜は一瞬だけ考え、頷く。
「……確かに、ここしかないね。あそこまで敵が思い切って動いてくるとは思ってもなかったよ。アルタイに伝えて。『敵中央部隊の背後を迂回し、突撃中の右翼部隊の背後から逆撃に入れ』って」
伝令を受けたアルタイは、嬉々として笑みを浮かべた。
「了解! 主よ!」
軽やかに馬を操り、最右翼に待機していた自軍の騎兵隊を率いる。
「全軍、出撃! 戦場を迂回する、目標は敵右翼の背後だ!」
蹄の音が轟き、アルタイの部隊は、風を巻いて戦場を迂回し始める。
その頃、ミタンニ軍左翼の防衛線に、アッシリア軍右翼が突撃してきた。その最先頭には、戦車に乗ったアッシリアの将軍シン・アヘリバの姿がある。自ら槍を掲げ、黒き戦装束に身を包み、怒濤のごとく進軍する。
「――主神アッシェルの加護を信じて、突破せよ!」
その号令に、アッシリア将兵が吼える。
「アッシェル万歳!」「突破だ、神の名のもとに!」
黒い波のように押し寄せる敵の圧力に、ミタンニ左翼は苦戦していた。混乱しかけた陣形の中、ミタンニ王国の指揮官のひとりが渾身の声を上げる。
「退くな! アカーネ様の奇跡を信じろ! ――我らは神と共にある!」
その言葉に応じるように、ミタンニ兵たちが盾を再び持ち上げ、踏みとどまる。
だが――。
アへリバ将軍率いる突撃は、その信仰すらも振り払うほどの突貫だった。槍の列が崩れ、盾が吹き飛び、幾つかの部隊が中央を割られ始める。
「中央突破成功! このまま一気に離脱経路へ!」
アッシリア兵の一団が、混乱したミタンニ左翼の一角を突破し、戦場外へと退却に転じる。
……しかし。
その背後に、地響きが重なる。
「……どうやら間に合ったみたいね」
右翼軍から戦況を見ていた茜が、薄く呟いた。
「よし、位置取り完了……突撃だっ!」
戦場の最右翼から回り込んだアルタイの騎馬隊が、矢のような速度でアッシリア右翼の背後に殺到する。砂塵を巻き上げ、騎兵が敵の背を食らう。
「うわっ――後ろから!?」「なんだこの部隊は、退けっ!」
ミタンニ軍の左翼部隊を突破しつつあったアッシリア兵に、背後からの衝撃が容赦なく突き刺さる。整列の崩れた部隊は、なすすべもなく切り裂かれ、蹂躙されていく。圧倒的な機動力と、騎兵の連撃。アッシリア軍右翼は、既に撤退を開始していたアへリバ将軍の本隊など一部を除き、瞬く間に――殲滅された。戦場から離脱しつつあるアヘリバ将軍は振り返ることなく走り続けていた。
「……なんということだ。これほどの兵力を、ミタンニが……いや、“風の神アカーネ”が持っていたとは……」
もはや敗北は明白だった。死守命令を出した中央部隊は包囲され、左翼は既に形が無くなっており、彼と共に突撃した右翼部隊も殲滅されつつある。生き残って戦場を離脱できたのは、彼とその側近のごく一部の精鋭部隊のみ。
アヘリバは唇を噛みしめ、吐き捨てる。
「狂人……いや、“風の神アカーネ”か。あれが本当に神であるならば、我がアッシリアにとって最大の脅威。我らが主神アッシェル様の神敵……必ず、必ず報告せねば。あれは――潰さねばならん存在だ」
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一方、戦場中央では――
アッシリアの中央部隊は崩壊寸前の布陣を未だ保ちながら、完全にミタンニ軍に包囲されていた。茜はその光景を見つめ、静かに口を開く。
「……アッシリア軍に告げなさい。包囲は完了しています。ここで戦っても無駄。投降すれば命までは取らない」
伝令が矢継ぎ早に駆け出す。しかし――その申し出に対して、アッシリア軍の中央指揮官からの返答は、静かに、だが鋼のように硬かった。
「我らは主神アッシェルの名において、最後まで戦う。降伏は、死より恥」
茜はその返答を聞き、深くため息をついた。
「……古代戦争あるあるか…。名誉や神の名に縛られて、現場の兵が無駄死にしていくやつ……」
言葉は冷ややかだったが、瞳の奥には沈痛な光が宿っていた。彼女は懐から、クルティワザ王から預かった指揮棒を取り出し、静かに掲げ、そして振り下ろした。
「各弓兵部隊、斉射開始。その後、突入部隊は掃討を」
彼女の命令とともに、空が再び矢で染まった。ミタンニ弓兵、そしてリュシア率いる複合弓兵部隊が一斉に矢を放ち、包囲されたアッシリア中央部隊へと降り注ぐ。空が暗くなるほどの斉射。矢の雨が容赦なく降りかかり、アッシリア兵たちの盾と甲冑を打ち鳴らす。
絶望的な防御の中、アッシリア兵たちは、それでも最後の一矢を放ち続けていた。だが、一人、また一人と、矢を握ったまま倒れていく。それでもなお、彼らは武器を手放さなかった。仲間の屍を越えてなお、前を睨み、剣を振るい、盾を構えて抗う。
しかし――
間もなく、周囲の包囲がさらに狭まり、ミタンニ王国軍の歩兵部隊――中装槍兵たちが、矢の雨に耐えて生き残ったアッシリア兵へと、とどめを刺すために前進を開始した。刺突。斬撃。叫び。血と土が交じる戦場で、アッシリアの生き残りたちは最後の瞬間まで剣を振るい、倒れてなお、手を伸ばしたまま動かなくなっていく。勇敢だった。誰ひとり、膝をついて命乞いする者などいなかった。
そして――
ついに、誰一人として立ち上がるアッシリア兵はいなくなった。ミタンニ軍の前に広がるのは、散った者たちが残した静寂の海だった。掃討は、完了した。血の匂い、割れた武具の残骸、風に運ばれる土煙――そんな中、茜はぼんやりと空を見上げていた。
「……終わったけどさ。これが毎回続くのかと思うと、ほんと勘弁してほしい……」
その呟きに本陣に戻ってきたリュシアがそっと目を伏せた。
「……致し方ありません、主。これが古代における“神々の名を掲げた戦”の現実。名を掲げてしまった者が背負う宿命でもあります」
続いてガルナードが一歩前に出て、膝をついて言う。
「主殿、お心は痛いほど察します。されど、我らがここにおります。力が及ぶ限り、必ずや支えますので……どうか、倒れぬように」
茜は少しだけ微笑んで、彼に目を向けた。
「ありがと、ガルナード。……でもね、今は大丈夫。まだ、ちゃんと立ってるから」
そこへアルタイが、土埃にまみれたまま片手を振りながら歩み寄ってくる。
「主、以外と優しい所あるんだな……いや、今さらか。ま、でも無理すんなよ。こんな時代の戦なんて、誰だって心削れるさ。辛くなったら、俺で良けりゃ話くらいは聞くからな」
「ふふ……みんな、ありがと。私ね、神って名乗っちゃったから、もう逃げられないんだ。だから覚悟はしてた。でも……これからアッシリアと、こんな戦を何度もやらなきゃいけないって考えると……さすがに少し、重いな」
その時、少し離れた場所で筆を走らせていたエンへドゥアンナが、目を上げて口を開いた。
「……茜。この勝利を無駄にしないように、私は必ず、この出来事を神話として記録します。時代を超えて、この地に“風の神アカーネ”の名が刻まれるように」
茜は目を細めて、彼女に小さく頷いた。
「うん、お願い。あのアヘリバ将軍にも名乗ったように、私の名前がアッシリアにも記録として残るなら――それは、将来必ず意味のあるものになるから」
やや遅れて、ユカナが歩いてきた。普段のふわりとした雰囲気は少し影を潜めている。
「茜……その、ごめんね。私の神力の会得のために、無理させてるの、分かってる。本当は、もっと穏やかな形で……って思ってたんだけど……」
それに、茜は首を振って笑った。
「最初の依頼は、ちゃんと果たすから大丈夫。古代の戦いに巻き込まれるって知った時から、覚悟は決めてたんだよ。だから大丈夫」
そして、やや離れた石に腰かけていたミラナが、溜息混じりにぼやいた。
「はぁ……ここまでやらないと神格が維持できないなんて……つらすぎじゃない? あたし、上位神なのに、ここまでやったことないよ?」
茜は即座に振り返り、きつめの笑みを浮かべて返す。
「……あんたは上位神なんだから、ほんとはもっとこういうの得意でしょ? 少しは目が覚めた? この“残念神”」
茜が半ばやけ気味に吐き捨てると、ミラナは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが――すぐに、ふっと微笑んだ。
「ふふ……やっと笑ったね、茜。うん、やっぱり私、こうやって茶化してるくらいがちょうどいいのかも」
その言葉の奥に、ほんの少しだけ、本気の優しさがにじんでいた。
「誰かが冗談でも言わないと、あんた、ずっと背負い込んだままになっちゃうでしょ? だから私が、あえて“残念神”やってるのよ」
そう言って肩をすくめる彼女の笑みに、茜もようやく――ほんの少しだけ、力を抜いて笑った。
「……いや、あんた本当に正真正銘の“残念神”でしょ。なにを今さら、いい子ぶってんのよ」
その言葉にミラナが「えぇ〜、ひど〜い」とわざとらしく肩を落とすのを見て、茜はぷっと吹き出す。
「でも……うん。ありがとう、ミラナ」
それは、いつもは素直に出せない本音の一言。小さな声だったが、確かに届いていた。ミラナは驚いたように目を丸くした後、静かに笑った。




