67話 アッシリアの影、風の神の決断
ミタンニ王国の王都、ワシュカンニ。つい先日まで戦火に包まれていたとは思えぬほど、都市は驚くほどの速さで復興を遂げていた。広場では市が立ち、人々の往来は活気に満ちている。新王クルティワザの統治の下、ヒッタイトからの支援を受けつつ、国は再建の歩みを進めていた。
茜たち一行がワシュカンニの郊外に差し掛かった時、整列した儀仗兵の一団が道をふさぐように並び、最前列の指揮官が一歩前に出て声を張り上げた。
「風の神アカーネ様。ワシュカンニへのご訪問、心より歓迎いたします」
その言葉に、茜は思わず目を輝かせた。
「VIP待遇じゃない! やっぱり神格ってすごい……!…って、いきなり神様かぃ」
しかしその横でリュシアが冷静に一言。
「主……素が出てますよ、素が」
「あっ……今のは聞かなかったことに……」
咳払い一つ、表情を改め、茜は大巫女としての凛とした姿勢を取り戻す。
儀仗兵の案内で城門へと進むと、さらに想定外の光景が茜たちを待ち受けていた。金と紫の王衣をまとった若き王、クルティワザが門前にて自ら立っていたのだ。そして、茜の姿を見るや否や、彼は膝をつき、頭を深く垂れる。
「風の神アカーネ様。ようこそお越しくださいました」
茜は思わず小声でつぶやいた。
「王様自ら、私を神扱い……?」
その声に、後方からエンへドゥアンナが涼やかに言葉を重ねる。
「茜、あなたがワシュカンニ攻略戦で何を為したのか、忘れてしまったのですか? 王はその“神の御業”を、ヒッタイト軍の本営で目にしていたはずです。あなたを神として遇するのは、むしろ当然でしょう」
「うへぇ……ここではマジ神扱いか……」
とぼやく茜を尻目に、ミラナが口を尖らせて割って入った。
「あれ、私の神力だったのに!」
「でも茜がいなかったら、ミラナさん、いつも通り神力を無駄使いしてたと思うけど」
ユカナの一言に、ミラナは目を伏せ、肩を落とす。
「……身に覚えがありすぎる……」
そんなやり取りを交えながら、茜一行は熱烈な歓迎を受けつつ、ミタンニの王都に正式に迎え入れられていくのだった。そして正門前、クルティワザ王があらためて茜に向き直る。
「風の神アカーネ様。ミタンニ王国へのご光臨、感謝にたえません。どうか、ご滞在をお楽しみくださいませ」
茜は、内心でため息をついた。ここまで本気で神扱いされるとは思っていなかったが、これも演技の一環と割り切るしかない。
「ミタンニ王国の歓迎に感謝します。ミタンニ王国に幸あれ」
そう言って、儀礼的に空へ両手を掲げてみせた――が。
その瞬間、背後でこっそりとミラナが神力を発動させる。好奇心に駆られたミラナは、神力5を使い、天からワシュカンニの街全体に神々しい光を降らせた。もちろん見た目だけで何の効果もないのだが、美しさだけは本物だった。
黄金と白銀が織り混ざったような光がゆっくりと空から舞い降りる。光に包まれた都市に、まずクルティワザ王が息を呑み、その場にひざまずいた。そして王の側近たちも、そして城門周辺にいた民衆までもが、次々とその場にひざをつき、頭を垂れる。
「えっ、えっ、なにこれ!? なにこの反応!?」
茜があわあわと動揺していると、背後ではミラナがにやにやとした顔でこちらを見ていた。
(この残念神が……また余計なことを……!)
内心で毒づきつつも、ここで混乱を起こすわけにはいかない。茜は無理やり微笑みを作り、王の元へと歩み寄る。そして王の肩にそっと手を置いた。
「クルティワザ国王に祝福を」
その言葉に、クルティワザは感激の面持ちで立ち上がると、民衆に向けて声を張り上げる。
「我が民よ! 風の神アカーネ様の祝福を我が国は受けた。今我が国は厳しい状態にあるが、この神の祝福こそ、我がミタンニの正統性を示すものである!」
その言葉を合図に、城門前には嵐のような歓声が沸き起こる。
「ミタンニ王国万歳!」
「クルティワザ王万歳!」
「風の神アカーネ様!」
その熱狂を背に、クルティワザは嬉しそうに茜へと手を差し伸べる。
「さあ、アカーネ様。どうか王宮へ」
茜は苦笑しつつ、差し出されたその手を取った。
(……本気で神にされちゃってる気がするんだけど……そんなにミタンニ王国って厳しい状況にあるってこと?)
王宮に迎え入れられた茜たちは、程なくして王の私室へと通された。そこは重厚な装飾と香の薫りが漂う、王の静謐な空間だった。クルティワザ王は自ら椅子を立ち、茜の前に一礼する。
「改めて、アカーネ様。今日この日、我が王都に祝福を賜り、心より感謝申し上げます。……あの光景を見て、私だけでなく民たちの顔が輝いたのを、私は見ました」
その言葉には、形式的な感謝ではなく、民を思う王の真情がにじんでいた。クルティワザは、ふと表情を曇らせると、低く語り出す。
「……ミタンニ王国は今、極めて苦しい立場にあります。ヒッタイトとの戦いの末に敗北を喫したのは、もとを辿ればアッシリアとの国境紛争が発端でした。ここ数年、アッシリアは国境付近に度重なる小規模侵攻を繰り返し、それへの対処に追われ続けてきたのです」
「それほど押されてるの?」と茜が問うと、王は頷いた。
「はい……実のところ、今まさに“エシャッダ”という都市がアッシリア軍に包囲されています。我が軍が防衛に赴いておりますが、ここ一月の間に敵の圧力が急激に高まり、状況は芳しくありません。被害の報告も日ごとに増しており……民も兵も、疲弊の色が濃くなってきました」
茜は息を呑んだ。数日前までヒッタイト王国のカルケミシュでの平穏を目にしていた分、その背後でミタンニ国ではここまで深刻な事態が進行しているとは、予想すらしていなかった。
クルティワザはわずかに言葉を切り、深く息を吐いた。
「正直に申せば、王都の復興も限界が近いのです。ヒッタイトの支援があるとはいえ、物資も人手も足りません。民も軍も心身ともに疲れきっており、このままでは国としての持久力に限界が来るのは時間の問題でしょう」
その声には、若き王としての重責が滲んでいた。
「……今日、アカーネ様が訪れてくださったこと、それにあの“祝福”。それは我らにとって奇跡でした。民の顔には久しく見なかった笑顔が戻り、希望が灯りました」
茜はその言葉を静かに受け止めつつ、ソファに深く身を沈めた。
「でも、王都だけじゃないんでしょう? さっき言ってた都市……エシャッダって」
クルティワザは頷き、苦しげに目を伏せた。
「……ええ。エシャッダは国境近くにある、我が国の信仰と文化の中心の一つ。神殿も多く、巫女や神官たちも多く住んでいる聖なる都市です。その都市が包囲されているという報せが入ったのは、ほんの十日程前。すぐに部隊を派遣しましたが……その後の報告では、敵の規模が想定を上回っているようです」
「包囲してるのって、アッシリアの正規軍?」
「それは……まだ明確ではありません。ただ、ここ最近の傾向を見るに、アッシリアは戦車を含む先進的な編成を取りつつあり、これが小競り合いの枠を超えてきた可能性もあります。彼らは“浄化”の名のもとに、我らの神殿や文化施設を攻撃しているようで……」
その言葉に、茜の目が細められた。
「……神殿や文化施設を? つまり、信仰そのものが標的になってる……?」
「はい。我が軍も全力で守ってはおりますが、兵の疲弊と補給線の脆弱さが足かせとなり……長期防衛は困難です」
茜は短く息を吐き、腕を組んだ。
(……おかしい。アッシリアって、私の知る限り、征服した相手の神すら取り込む多神教的な世界帝国だったはず。主神アッシェルを頂点に据えて、他の信仰も体系化してたはず……)
(なのに、文化や信仰そのものを破壊するような行動を取るなんて……この時代のアッシリアは、まだそこまでの帝国ではなく、信仰や文化を力で踏みにじる段階にあるのかも。あるいは、統制の取れない暴走か……)
その疑問は、彼女の中に不穏な予感として静かに残り続けた。室内の空気が張り詰める中、茜の瞳には静かな決意が宿っていた。
そこへ、王宮の扉が控えめに叩かれた。
「入れ」
クルティワザ王の声に応じて、息を切らした若い伝令が室内に駆け込む。その顔にはただならぬ緊迫感がにじんでいた。
「ご報告いたします。包囲されていた都市エシャッダが……陥落いたしました。我軍は現在、敗走中とのことです」
一瞬、室内が凍りついた。
「……エシャッダが……」
クルティワザは深く眉をひそめた後、鋭く問いかける。
「そこに住む民たちはどうなった?それと神殿は? 神官たちは無事か? 我が軍の被害はどうなっている?」
伝令は口を開きかけて、ふと茜の方に視線を向けて言葉を詰まらせた。その様子に、クルティワザは眉をひそめる。
「心配無用だ。アカーネ様は我が国の賓客であり、真実を共有すべき存在だ。遠慮なく報告せよ」
伝令は一瞬戸惑いを見せたが、やがて決意を固めて言葉を継いだ。
「……はい。エシャッダの民達は逃亡に成功した一部の者を残して殺されたとのことです。それと神殿はアッシリア軍の手により徹底的に破壊され、逃げ遅れた神官、そして巫女たちも……全員、殺害されました」
沈黙。
クルティワザは言葉を失い、椅子の背に手をかけたまま、その場に立ち尽くした。あまりにも非道な報告に、王として、信仰の守護者として、衝撃を隠せなかった。茜は伝令の言葉を反芻し、ゆっくりと顔を上げる。
「……住んでいる人も、神官たちも、巫女たちも、みんな殺されたの?」
その声には怒りの色も悲しみの色もなく、ただ凍てついた静けさがあった。伝令は姿勢を正し、深く頭を下げる。
「はい……巫女様……いえ、アカーネ様。我が軍の力及ばず、このような事態となりました。誠に申し訳ございません」
室内の空気が重く、冷たく沈んでいく中、茜の瞳にははっきりとした怒りの光が灯っていた。そして、ゆっくりと目を閉じ、数秒の沈黙の後、茜は静かに口を開いた。
「リュシア。予定変更。バビロニアに行くのは…もう少し後。しばらくこの地に滞在して、ミタンニを助ける」
リュシアは何も言わず、ただ一度深くうなずく。
「了解しました、主よ」
隣にいたユカナが、ふわりとした笑みを浮かべて続ける。
「うん、いいと思うよ。それが茜らしいしね」
茜は軽く頷き、クルティワザ王の方へと向き直った。
「全部を救うなんて、私にも無理。だけど……少しだけ助けてあげる。私が軍を率いてアッシリア国境へ出る。名目は……あとでどうにでもなるでしょ? 何か適当な理由を用意して」
その言葉に、クルティワザ王は深く頭を下げた。
「アカーネ様の援助に、心より感謝申し上げます。私としては、復興中の王都を離れるわけにはいきません。ゆえに……軍の指揮を、アカーネ様にお任せしたく思います」
「え、それ……まずくない?」
茜は思わず苦笑したが、王は真剣な表情で言葉を重ねる。
「いいえ。アカーネ様がワシュカンニ攻略戦で示された“神の御業”は、すでにミタンニ国内で神話として語られ始めております。民も兵も皆、アカーネ様を“神が導く戦の象徴”として見ているのです。そのようなお方が軍の先頭に立つことに、何の不都合がありましょうか」
「……あの時のやらかしが……まさか、ここまで話が大きくなってたなんて……」
額に手をあてて嘆息する茜だったが、その背中には、確かに責任と決意が宿り始めていた。
そのとき、少し離れた椅子に腰かけていたミラナが口を開いた。
「ねえ、茜。なんでそこまで怒ってるの? 別にミタンニがやばくなったって、ヒッタイトでは私たちの信仰は安泰でしょ?」
その言葉に、茜は即座に振り返って言い放った。
「だから、あんたは残念神なのよ!いい?このミタンニ王国にも、あんたの信仰があるんだよ?で、アッシリアはそのミタンニに優位に戦ってる。しかも、あんたの信仰者も神官も巫女もみんな消そうとしてるのよ。あんた、そんな状況で黙ってる気?」
ミラナは一瞬たじろぎ、もごもごと唇を動かした。
「うぅ……せっかく生まれた私への信仰が……なくなるのは困る……」
そして顔を引き締め、拳をぎゅっと握る。
「分かった、分かったわよ!私もアッシリアと戦う!せっかく育った信仰を守るために、私も本気出すんだからっ!」
その力強い(?)宣言に、茜は肩をすくめながらも、少しだけ口元を緩めた。
その後、茜一行は一端与えられた居室に移され、ようやく気の置けない仲間たちだけの空間となった。しばし沈黙が流れた後、茜はゆっくりと口を開いた。
「……アッシリアはね、この先、世界帝国になるはずなんだよね」
突如語られたその言葉に、リュシアたちは静かに耳を傾ける。
「今はまだ地方の強国のひとつに過ぎないけど、いずれヒッタイトも、ミタンニも、周辺の国々を次々と呑み込んでいく。最終的には巨大な帝国として歴史に刻まれるのが、あの国の運命……歴史の流れだよ」
その声は穏やかだったが、確かな確信があった。
「でも……私が知ってるアッシリアは、本来もっと宗教にも寛容だったはずなの。征服地の神々を主神アッシェルのもとに組み込んで、支配体制を整えるっていう、柔軟な統治をしてたはずなのに……」
茜の瞳が鋭くなる。
「それなのに、今のアッシリア軍は、神殿を焼き、文化を壊してる。もしそれがこの時代特有の過激さだとしても……そんなやり方で拡大する帝国に、私は何も言わずにはいられない」
「だから、戦うの?」
ユカナが、そっと問いかけた。
茜は静かに、しかしはっきりと頷いた。
「うん。未来のアッシリアがどうであっても、いま目の前の暴力に目を瞑ることはできない。たとえそれが長い戦いになっても……私は、蛮行だけは止めさせたい。風の神アカーネとして、歴史に抗う価値は、そこにあると思うから」
その声には、迷いのない強い意志が込められていた。
茜は立ち上がり、テーブルの上に置かれたクルティワザ王から渡された戦況図を見下ろした。その地図には、現在アッシリア軍と交戦が続いている地域が赤く塗られていた。その中でも、ティグリス河東岸に位置する前線都市――アラプハの周囲には、赤線が幾重にも引かれていた。
「……ここね。アラプハ。アッシリアとの最前線、そして神殿も残ってる都市。戦況からして、ここが一番危ない」
そう言いながら、茜は視線を仲間たちへと戻す。
「――アラプハへ出る準備をして。あそこが、今回の前線になる」
その言葉が、仲間たちを再び動かす起点となった。しばらくして、茜はふと呟いた。
「まさかヒッタイト王国編の最終戦がアッシリアとの戦いになるとはね……」
その言葉に、リュシアが冷静な口調で応じる。
「いえ、これが最終戦にはならない可能性が高いです。主はすでにヒッタイト王国を出てミタンニ王国に参加しています。ヒッタイト王国として三戦戦っていますから、通常であれば次がキャンペーンの第四戦で最終戦となりますが、所属が変わった今、数戦戦う可能性も十分にあります。ご注意ください」
「やっぱり、そうなるか……。さすがに一回の戦いであのアッシリアを止められるとは思えないし……少し慎重に戦った方がよさそうね」
茜が肩の力を抜いて呟くと、ガルナードが頷いた。
「最初の戦いは、この戦力で問題ないでしょうが、その後の戦況次第では、戦力の拡大も検討すべきかと存じます、主殿」
「騎兵は、当分この規模で十分だろうが……歩兵の層は、もう少し厚くしておいた方がいいかもな」
アルタイが腕を組んで助言する。茜は皆の意見を聞きながら、改めて気を引き締めた。
「分かった。とりあえず次は大事な一戦になりそうだから、みんなよろしくね」




