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45話 騎る者の衝撃と神の名――アラッタ、戦略転換す

 ティグリス川岸の戦場から、逃げ延びたわずかなアラッタ兵たちが、炎と煙を抜け、深い傷を負いながらも王都の門を叩いた。彼らの衣は焼け焦げ、身体には無数の矢傷が刻まれていた。その中のひとりが、王の間に通されると、膝を折って地に伏した。


 「ザルマフ陛下……お伝えしなければなりません……ティグリス河での戦い、将軍閣下は……最後まで、忠義を尽くされました……」


 兵士の声はかすれていたが、その言葉の一つひとつが、王の胸を深く打った。


 「将軍は、我が軍より遥かに精強なシュメール軍を相手に、一歩も退かず戦い抜かれました。包囲されながらも、最後の最後まで我らを逃すために奮戦し……そのおかげで、我ら数名のみが脱出に成功しました。残る皆は、その場で――」


 兵士の喉が震え、言葉が詰まる。ザルマフは玉座の前に降り、血と泥にまみれた兵の肩にそっと手を添える。


 「よくぞ戻った。お前たちの犠牲、決して無駄にはせぬ……将軍の忠誠、王として忘れることはない」


 兵士は涙をこらえきれず、その場で嗚咽を漏らした。 ザルマフは玉座の前に降り、血と泥にまみれた兵の肩にそっと手を添える。


 報告は続いた。――敵の指揮官は想定していたとおり“風の大巫女”。その者が率いた軍は、まるで神話の世界からやってきたような異様な兵を有していた。馬のような生物に騎乗し、矢を放ち、槍を構えて突進する――まさしく“騎る者”としか形容できない存在。


 「騎る……者……」


 ザルマフは低く呟いた。その戦術の恐ろしさは想像を超えた。しかし、王は恐怖に呑まれなかった。代わりに、その背後にある思想を見抜いたのだ。


 「――機動力の集中運用、か」


 自ら呟き、ゆっくりと立ち上がる。


「我らの戦車は分散していた。だが、風の大巫女は……そもそも我らと同じ人の論理で戦ってはいない。時を越えし者、半ば神の如き存在――その発想は、人の常道からは外れている……」


 その言葉に、側近たちが息を呑む。ザルマフは、即座に命じた。


 「我が軍の全戦車を統合せよ。各都市に点在していたシュメール式戦車を、ひとつの機動部隊として再編する。徹底して集中運用を学び、対応する」


 従者たちが頷き、走り去っていく。だが、報告を終えた兵はなおも口を開いた。


 「陛下……それでも、あの“騎る者”と戦車では、根本的に……運用の理が、違うように思えます……」


 その言葉に、ザルマフは目を細めた。


 「……分かっている。だが、まずは敵の戦術を模倣せねば話にならぬ。真似から始め、いずれは我らのものとするのだ」


 王は拳を握りしめ、再び遠くを見据える。


 ――風の大巫女。お前の軍略がどれほど異質であろうと、学び、乗り越えてみせる。


 将軍の死が残したものは、決して虚無ではなかった。忠義の炎は、王の中で新たな覚悟となって燃え始めていた。その夜、神官長のエナ=シェンはアラッタ神殿の奥、誰も入れぬ至聖所に座していた。祭壇の前で跪き、両手を組み、深く祈りを捧げていた。


 「女神ミラ……どうか、お言葉を。アラッタは今、試練の中にあります。どうか、導きを……」


 しかし、何も返ってこない。燭台の灯は揺れることもなく、沈黙だけが支配していた。祈りを重ねるほどに、胸の不安が膨らんでいく。もしかして、女神は私たちを……アラッタを、見捨てられたのではないか――。


 その時だった。


 すべての灯火が、一斉に消えた。真闇の中、息を呑むエナ=シェンの耳に、何かが降り立つ気配が走った。


 「……恐れるな」


 荘厳な声とともに、淡い金の光が、神殿の中央に浮かび上がる。その中に立っていたのは、威厳と慈愛を宿した女神の姿。白金の髪を背に流し、青の瞳はすべてを見透かすように澄んでいる。


挿絵(By みてみん)


 「我はミラナ。この身、いましばらくは女神ミラと名乗っていたが……本来の名にて応じよう」


 エナ=シェンは言葉を失い、ただ地に伏していた。


 「いま、神界の力は乱れている。……干渉が過ぎれば、至高――いや、因果に歪みが生じてしまう。だからこそ、やたらな神託は控えていたのだ」


 ミラナの声は、まるで針の穴を通すような慎重さを帯びていた。途中、わずかに言葉を飲み込むような間があったが、エナ=シェンはそれに気づかなかった。ただ、その一瞬の言いよどみに、女神の「裏の事情」も感じ取れる――。


 「だが、そなたの声は届いた。……伝えよう。“時間を稼げ”。然る後に――隙を縫って、いや……我が導きを与えよう」


 そう言うと、光の女神は微笑を残し、再び霧のように消えていった。


 灯火が一つ、また一つと再び灯る。


 至聖所に残された神官長エナ=シェンは、呆然と立ち尽くしていたが、やがて胸に手を当て、そっと目を閉じた。


 「……見捨てられたのではなかった……女神は、我らを見ておられる……」


 震えるような声が、祈りとなって闇に溶けていった。


 翌朝、まだ陽も昇りきらぬうちに、エナ=シェンは王宮の謁見室に姿を現した。白い神衣の裾を翻しながら、足早に玉座の間へと進み、兄ザルマフ王の前で膝をついた。


 「兄上。これまで我らが女神ミラと呼んでいた御方は、女神ミラナというのが本来のお名前でした。そのミラナ様が……昨夜、私の前に神そのものとして降臨なされたのです。私たちは、まだ見捨てられてはいません。女神ご自身が、直接この地に降り立ち、御言葉を授けてくださったのです――」


 ザルマフの眉がわずかに動く。神本人の降臨という言葉に、室内の空気が一瞬で張り詰めた。


 「神そのものが……? その御言葉は?」


 「“時間を稼げ”――と。それが叶えば、いずれ導きが与えられる……と、そう告げられました」


 ザルマフは沈黙のうちに天を仰ぎ、重々しく頷いた。


 「ならば、我らがなすべきは決まった。徹底的に、時間を稼ぐ……アラッタは、ただ耐え凌ぐのみではない。その先に、神の導きがあると信じて戦うのだ」


 その日のうちに、ザルマフ王はアラッタの全司令官を召集し、戦略の転換を宣言した。


 「ティグリスを渡ったシュメール軍は、やがて深くアラッタに侵攻してくる。そのとき、奴らの補給線を叩く。補給を絶たれれば、あの軍も長くは持たぬ」


 王の言葉に、一部の将軍たちは訝しげな視線を交わし、反論の声を上げた。


 「しかし陛下、あまりに受け身すぎますぞ。正面からの迎撃こそ、兵たちの士気を保つには……」


 だが神官長のエナ=シェンが静かに前に出る。


 「昨夜、女神ミラナ様が私の前に降臨され、直接この戦略を示されたのです。これは、神の御心――」


 その言葉に、どよめきが走った。誰一人として神の降臨を否定することはできない。ましてや、沈黙を保っていた女神が今、直接言葉を発したとなれば、それはまさしく神命であった。将軍たちは静かに膝をつき、ザルマフの命に従う姿勢を示した。


 「相手の進軍をただ待つのではない。奴らが深く入り込み、補給線が最も脆くなった瞬間を叩く――それが我らの勝機だ」


 ザルマフの言葉は、王都に集められた各地の司令官たちに静かに響いた。


 「新たに統合した戦車隊は、補給線を断つために使う。正面からの決戦ではない。持久戦に持ち込み、奴らを干上がらせるのだ」


 その命令とともに、アラッタ軍の態勢が大きく変わり始めた。点在していた戦車部隊は一つに集められ、初の“統合戦車隊”として再編され、徹底した機動運用の訓練が開始される。同時に、シュメール軍の侵攻状況を掴むため、アラッタ全域へ偵察部隊が散っていく。


 耐えるために、そして迎え撃つために。アラッタは、戦い方そのものを変えようとしていた。


****


 一方その頃、シュメール軍の茜の天幕――そこでは茜を中心に、次なる戦に向けた補給と再編成の会議が進められていた。茜は地図と戦果表を睨みつつ、帳面に並ぶ数字を指でなぞった。


 「初期勝利点が100、そしてS勝利で40。合計140、現在の神力は――141、っと」


 椅子の背にもたれながら、茜は小さく息をつく。


 「けどさ……今回、相手が思った以上に粘ってきたよね。こっちも結構やられちゃってるし……次は、もっと上手に戦わなきゃ」


 その言葉に、重装鎧のガルナードが腕を組んで静かに頷いた。


 「アラッタ軍、想像以上でございました。兵の一人ひとりに王への忠誠が行き届いており、あれほどの劣勢にもかかわらず、最後の一兵まで戦い抜くとは……。あの老将も、見事な軍人でしたな」


 リュシアも横で書類をまとめながら、真剣な面持ちで言葉を添える。


 「はい。戦力ではこちらが圧倒的に勝っていたはずなのに、想定以上の損害が出た理由も、あの部隊の異常な士気の高さにあります。あれほどまでに命を懸けて戦える軍勢……今後も侮れません」


 茜は神力帳の横に、被害を受けた部隊名を記しはじめた。


 「まずは回復からだね。前線中央の鉄槍部隊2つ、25%の損害で9神力。中装槍兵3部隊の損害が20%、これでまた9。鉄斧歩兵3部隊が15%の損害で9。鉄槍騎兵2部隊は10%の損害で7。合計、34神力消費っと」


 小さく頷きながら記録をつける茜に、リュシアが補足する。


 「残りの神力は107です。次にどう割り振るか、判断をお願いします」


 「そだね。最前線で一番手薄なのは中装槍兵。三部隊とも武装度と練度はCだし、これを練度だけでもBに引き上げたいな。15×3で45、残り62」


 「それと、弓兵部隊も一つだけ練度Cだったから、これもこの機会にBに上げておこかな。リュシアもその方がいいでしょ?」


 「はい、了解です。15で練度をBに。残り47ですね。これで私の指揮下の弓兵隊は、新たに雇用した1部隊を除き、3部隊すべてが練度B・武装度C。弓隊自体が後期青銅文明のヒッタイトの時代の戦力ですから、シュメールの時代としては、かなり頼れる間接攻撃戦力になります。これだけ揃えば、たとえ相手に同時代の兵力が敵に出てきたとしても、ある程度は戦えるかと」


 茜は最後の数字を確認し、静かに神力表を閉じた。


 「最後に、前線を少し厚くしておきたいから、鉄槍歩兵を一部隊追加。雇用に18、練度と武装度を一段階ずつ上げて+25。合計43、残り……4神力ね」


 ガルナードが軽く頷く。


 「損耗は補えましたし、前線も少し厚くなりました。これで、しばらくは踏みとどまれるはずでしょうな。それに今回の戦いで私も主の元で10戦を戦った事になりましたから、私の指揮レベルも上がり、防御補正なども上がっています。そう簡単には崩れませんぞ」


 「うん、前線は安心してるんだよ。でもね、今回の戦いで騎兵の運用、相手に見られちゃったよね?」


 その問いかけに、リュシアはすぐに答える。


 「はい、アラッタ側が戦術的な観点から対抗策を練る可能性は高いと思われます。特に騎兵戦術は、彼らにとって完全に未知ではありますが、模倣はされ得ます」


 だがその言葉に、ガルナードが低く笑った。


「ご安心を、主殿。確かに敵は我らの戦術を目にしましたが、そう容易に真似できるものではありませぬ。騎兵戦術とは、古代の戦車と根本からして異なります。あの“馬上の戦”は、我らが今居るシュメールの時代よりも、はるか1500年以上未来――アッシリア帝国の後期にようやく確立された技術。兵の練度、馬の調教、そして何より戦場の思想そのものが違いすぎる。歴史とは、そうやすやすと飛び越えられるものではありませぬゆえ」


 「まあね……でも、あんまり油断もできないかも……」


 そう言って茜は天幕の外を見やる。風が少しだけ、草原を揺らしていた。その少し後ろで、ユカナが黙ったまま、視線を宙に漂わせている。


 「ユカナ? どうかした?」


 茜の問いかけに、風の神はゆるく首を横に振った。


 「……ううん。ちょっとね、別の“気配”が……でも、今はまだはっきりしないの。言葉にすれば、変に響いてしまうかもしれないから」


 「そう。なら、待つよ」


 再び静けさが戻る中、作戦会議は次の段階――戦略全体の見直しへと進もうとしていた。


****


 シュメール軍の司令部用天幕で行われた会議の場には、ラガシュの旧王・ウルカギナをはじめとする諸将も集っていた。


 「ティグリス上流、ニップル軍が確保した渡河点は保持継続します。また、我が軍が渡河したラガシュ近郊の渡河地点も拠点化します。この二点を軸にして補給を確保しつつ、アラッタへの侵攻路を定めます」


 リュシアの報告に、諸将が頷きを返す。


 「進軍はどうする?」


 ガルナードの問いに、茜が地図の上をなぞりながら答える。


 「全軍、一軍で動くよ。敵地奥深くで分断されたら、各個撃破される危険があるからね」


 「それが賢明ですな。補給線の確保さえ怠らねば、兵力差はこちらに分がある」


 ウルカギナが重々しく頷く。


 「問題は、敵が補給線を狙ってくる可能性ですな」


 そう口を開いたのは、ウルの神官将エル・ナンナだった。地図を指でなぞりながら、神妙な面持ちで言葉を続ける。


 「この地はアラッタに近く、敵にとっては地の利があります。我々の補給路は長くなり、防衛も難しくなるでしょう。補給が絶たれれば、いかに精強な軍でも動けませぬ」


 その言葉に、茜は小さく頷くと、風の指揮棒を手に取りながら答えた。


 「だからこそ、アラッタ側は必ずこっちの補給線に手を出そうとしてくるよね。だから、そこに機動力のある部隊を配置して、補給線に手を出してくる敵を一気に叩くつもり。私の騎兵で、補給線に近づく敵は即座に叩くわ」


 言葉の力に、天幕の中の空気が引き締まった。誰もがその判断の的確さを認め、静かに頷いた。こうして、侵攻の骨子は固まった。諸都市の偵察部隊がアラッタへ向けて散り、進軍路の安全確保と敵情の把握に動き出す。


 そして――夜が明けた。


 金色の陽光が大地を照らす中、シュメールの旗が翻る。いよいよ、シュメール軍はアラッタ王国本土への侵攻を開始するのだった。

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