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38話 再臨の衝撃、神殿に揺れる影

 朝の陽が、王宮の中庭をゆっくりと照らし始める頃。茜は、部屋の窓辺で小さく背伸びをした。昨日の緊張感の残る再会を経て、ようやく一息つける静かな朝だった。


 部屋の空気は、よく手入れされた香油と織物の匂いが混じり合い、十五年という時間の隔たりを感じさせないほど整えられていた。茜にとってはつい昨日のように感じられる出来事の連続――それだけに、この変わらぬ空間が、懐かしさと同時に不思議な隔たりを伴って胸に迫ってくる。


「今日は……何か来る予感がするんだけどな」


 窓の向こうの光に目を細めながら、茜が呟いた。


「“何か”はすでに、宮廷内を駆け巡っております。主の再臨の噂は、昨日の夕刻にはすでにウンマ中に広まりました」


 背後で静かに巻物を整えていたリュシアが、卓に手を置いて答える。


「というわけで、朝一番から来客ですな」


 ガルナードが重々しくうなずいたそのとき、外から軽くノックの音が響いた。入室を許すと、銀の縁取りが施された淡い青の装束に身を包んだ男が、静かに一礼して姿を現した。年の頃は四十代半ば。落ち着き払った態度といい、神官の中でも高位であることは明らかだった。


 彼の後ろには、二人の従者が大きな織布に包まれた長方形の箱と、銀の器に盛られた香料や装飾品を携えて静かに控えていた。


「……おおっ」


 思わず茜が声を漏らす。目の前の贈り物が、いかにも換金性の高そうなものであることは、誰が見ても明らかだった。だがその直後、茜はすっと表情を引き締め、内心では「これは面倒な案件の匂いがする」と警戒心を抱いた。


「風の大巫女様。突然の訪問、無礼をお許しください。私はウルから派遣されている、ウンマ滞在中の神官団の責任者でございます」


 茜は一瞬だけ目を輝かせながらも、すぐに姿勢を正した。


「どうぞ、お話を」


「我らウルは、これまでエンヘドゥアンナ王妃と緊密に連携し、政務にも参与してまいりました。しかし、風の大巫女様がご帰還なされた以上、これからはその導きに従うべきと判断いたしました」


 リュシアの眉がわずかに動いた。


「また、すでにウルに報せは届けております。近日中にはウル大神官が、正式に風の大巫女様にご挨拶のためウンマを訪れる予定でございます」


「ふむ……」


 茜は短く頷きつつ、表情を変えずにいた。


「さらに――ウルにおいては、神殿の副殿を新たに建立し、風の神ユカナ様を正式にお祀り申し上げております。どうか、一度ご来訪いただければと……」


 それを聞いたユカナが、ぱっと顔を輝かせた。


「えっ? 私の神殿? ほんとに!? やったー! えへへっ、茜、聞いた? 副神殿だって! 行こう行こう!」


 茜は苦笑しつつも、頷いて応じた。


「ありがとうございます。嬉しく思います。……伝えてくださった皆様にも、どうぞよろしく」


 神官は深々と頭を下げ、静かに部屋を辞していった。扉が閉まったあと、室内にはしばし沈黙が流れる。


「……完全に“乗り換え”だな」


 ガルナードがぼそりと呟く。


「史実において、ウルとエンヘドゥアンナの結びつきは極めて強固です。彼女が神官長としてウル神殿を束ねていた記録も残っています。……しかし、ここまで早く動いてくるとは思いませんでした」


 リュシアは静かに、だが驚きを隠さずに続ける。


「彼らにとって、もはや“誰につくべきか”の判断は明白なのでしょう。風の大巫女が再び地に立った――その意味を、彼らは最もよく理解している」


 茜は机の上の風の指揮棒を手に取り、くるりとひとまわしさせながら微笑んだ。


「……昨日は“控えよう”って決めてたんだけどなぁ。結局、興味が勝っちゃった。面倒だけど……ちょっと面白くなってきたかも」


 その微笑みの奥にある決意に、三人の視線が静かに集まった。再臨の余波は、すでに、シュメール全土を揺らし始めていた。午前も半ばを過ぎた頃には、王宮の一角はさながら小さな集会所のような様相を呈していた。


「……次は、キシュ神殿よりの使節。七名です」


「その次は?」


「ラガシュの司祭団、三名。それと、ウルクより政治顧問と、巫女長がお見えです」


「――多っ!」


 茜は応接の間の椅子にもたれ、片手でこめかみを押さえていた。既に何組もの使節団と面会し、丁寧な挨拶と儀礼の応酬を繰り返している。それだけで、思考が削られるような疲労が蓄積していた。


「みな、『これからは風の大巫女様の導きに従う』って……同じことしか言わないのに、なんで別々に来るのさ……」


 ついに音を上げた茜は、そのまま立ち上がると、リュシアに断ってナムル王の政務室へと足を向けた。政務室では、王印の帳面に何かを記していたナムルが、茜の来訪にすぐ気づいて立ち上がった。


「叔母様。お疲れではありませんか?」


「うん……いやもう、“疲れた”っていうより、“呆れた”って感じ。面会希望が止まらないんだけど、どうしたらいいの?」


 茜が肩をすくめて問いかけると、ナムルは少しだけ困ったように微笑んで言った。


「……皆、風の大巫女様の帰還を、心から待ち望んでおりました。お会いしたいと願うのは、当然のことです」


「……ああもう、そう言われちゃうと断れないじゃん」


 そうして、茜は腹を括ることになった。その後も応接の間には次々と使節団が訪れた。各地から集まった神殿の代表者や政務の長たちが、口を揃えて「あなたに従います」「導きを乞います」と深々と頭を垂れる。そのたびに、茜は表面上は穏やかに微笑みつつも、内心では、


(“再臨の象徴”って……そんな大層なもんじゃないのに)


 と、心の中で嘆息していた。


「うへぇ……明日も続いたらどうしよう……」


 殺到した使節たちの対応を終えた茜は、自分の歓迎の宴が始まるまでの短い一時、ようやく一息つくために私室へ戻っていた。椅子に深く腰を下ろし、昨日市場で購入した干しデーツをつまみながら、半ば放心した顔で天井を見上げる。


「……再臨、ってこんなに疲れるものだったんだね」


 ぼやいたその声に、リュシアは小さく咳払いして言った。


「この調子では、明日以降も面談希望が続くかと。それに各都市国家からの正式な挨拶はこれからです」


「やめて……ほんとに気力が削れるから……」


 そんなひとときの静寂を破ったのは、控えめなノックの音だった。


「どなた?」


 声をかけると、扉の向こうから懐かしい声が返ってきた。


「わたしよ。入ってもいいかしら?」


「シャラ・ドゥム! もちろん!」


 扉を開けて現れたのは、昨日と変わらぬ落ち着いた笑みを湛えたシャラ・ドゥムだった。けれどその目には、明らかに昨日とは違う、何か覚悟を帯びた光が宿っていた。


「疲れているところ、悪かったわね。でも、少しだけ話をしておきたくて」


 そう言って彼女は、茜の向かいに腰を下ろした。


「まったく……朝から晩まで面会続きで、歓迎どころか尋問受けてる気分だよ」


 茜が笑いながらぼやくと、シャラ・ドゥムも静かに笑った。


「ふふ、仕方ないじゃない。十五年ぶりに帰ってきた人に、誰もが一斉に会いたがるのも無理はないでしょ?……それにしてもね」


 笑みの後、彼女の表情がふと引き締まる。


「いま、シュメールでは……エンヘドゥアンナが、アッカドの財と影響力を巧みに使いながら、自派の勢力を急速に広げていたの」


 茜の視線が鋭くなる。


「それって……サルゴン王の戦略?」


「ええ。アッカドにとって、シュメールと正面から戦うのは得策じゃない。だから、政と神殿の両面から、じわじわとシュメールの中枢を取り込んでいく――その最前線にいたのが、エンヘドゥアンナだったのよ」


 シャラ・ドゥムの口調には、静かな怒りと悔しさがにじんでいた。


「ナムルは努力していたわ。若くして王となり、日々学び、政務にも真剣だった。でも……まだ若くて経験が足りない。それに、周囲が“育てるように仕える”形になっていたせいで、どうしても権威が弱かった」


「そこに、エンヘドゥアンナがつけ込んだ……」


「ええ。彼女は神殿と貴族の双方に人を送り込み、金で結び、静かに根を張っていた。あなたが戻らなければ、時間の問題だったと思う」


 しばしの沈黙が、二人の間に落ちた。やがて、シャラ・ドゥムは小さく笑って言った。


「でも、あなたが昨日戻ってきたことで、その流れが一気に崩れた。彼女がこれまで築いてきた均衡は、もう保てない。今ごろきっと、エンヘドゥアンナは、アッカドから連れてきた側近たちと一緒に頭を抱えているわ」


「私……何もしてないんだけどな」


「“いる”だけで変わるのよ。それが風の大巫女、あなたの力」


 そう言って、シャラ・ドゥムはまっすぐ茜を見つめた。


「歓迎の宴……おそらく、彼女があなたに接触してくるわ。気をつけて」


 その声は、旧知の友としての警告でもあり、シュメールの均衡を守ろうとする一人の母としての願いでもあった。


夕刻――


 茜の歓迎の宴は、ウンマ王宮の大広間にて盛大に催された。


 長い卓上には、干し肉や麦粥、ナツメヤシのペーストに魚の塩漬けといったシュメールの伝統料理に加え、アッカド風の炭火焼きラムや香草を使った豆料理、スパイスをまぶした煮込み料理などが所狭しと並べられていた。


 陶器の盃には、濃厚なシカルと甘いデーツ酒が注がれ、香ばしい香りが広間を包む。


「うわぁぁ……凄い!?」


 茜の目は皿のひとつひとつに輝きを宿していた。


「これが干し魚の蜂蜜煮……あ、このナツメのペースト、口の中でとろける~!」


 彼女は子どものように目を輝かせて料理を次々に味わいながら、感想を連発する。


「やっぱりシュメール料理は“歴史の味”って感じがするよね。穀物と乾物の旨味が凝縮されてて……あ、このアッカド風の煮込み料理、意外とスパイス効いてて現代でもいける味だわ」


 その様子を眺めていたリュシアが、肩をすくめてつぶやいた。


「主にとっては、味覚も重要な戦略資源のようですから」


 ガルナードも杯を掲げて笑った。


「口福こそ、戦における士気の源ですな」


 一方、ユカナはというと、干し果実ではなく、初めてシュメールの煮込み料理に挑戦していた。


「……これ、あったかくてやさしい味……こんなにおいしかったんだ。知らなかった……前も食べてればよかったなぁ」


 口元をほころばせながら、彼女はぺろりと平らげた。大巫女の帰還を祝うこの夜、宴の空気は華やかに満ちていた。王宮の大広間には燭火が揺れ、香が漂い、楽師たちの演奏と共に笑い声と盃の音が響いている。だがその裏側で――誰もが、ただひとつの瞬間を待っていた。


 宴も終盤に差しかかり、盃と皿が賑わいの余韻を残す中。しなやかな足取りと共に、清楚な衣をまとった女が、茜のもとへと歩み寄ってきた。王妃エンヘドゥアンナ。その姿が見えた瞬間、大広間の空気がぴんと張り詰める。歓談の声が次第に細くなり、杯を口に運ぶ手が止まり、神殿の巫女たちですら目線を向ける。まるで祝宴の喧騒がすべて遠ざかり、ただ一つの焦点に絞られていくようだった。


「風の大巫女様――ご挨拶が遅れましたわ」


 微笑と共に一礼したその口調は優雅で、動きも淑やか。だが、その笑顔の奥に隠された鋭さは、茜の目にすぐ映った。


「ご機嫌麗しゅうございます、風の大巫女様。昨日ご到着になられたばかりですのに……今日にはもう、あちらこちらで空気が変わったように感じます。やはり、お噂は本物でいらっしゃるのですね」


( “あなたのせいで混乱が起きてます”ってことね)


 その声音は柔らかく、微笑は完璧に整っている。それに茜も負けじと、涼しい顔で返す。


「風の流れって不思議よね。どこから吹いたか分からないのに、空気だけはきれいに変わってたりするから」


(つまり、“管理が甘かったのはそっちでしょ”ってことよ)


 エンヘドゥアンナの瞳が細くなり、笑みが一段と深まる。


「こちらでは、アッカドの教えと豊かさを、この地に少しずつ根付かせていたところでしたの。せっかく整えかけていた庭に、突然風が吹き込んで……土が舞うのは避けたいところですわ」


(“アッカドの勢力を入れたのに邪魔しないで”って言いたいのね)


 茜は飄々とした口調で応じた。


「まぁ、風が吹くときは、庭の草木も目を覚ますものよ。どこに何が根付いているのか、よく見極めないとね」


(つまり、“これ以上シュメールを勝手にいじらないでね”ってこと)


「まあ……大巫女様がそう仰るのならば」


 エンヘドゥアンナは、まるで舞姫のような優雅な身のこなしで一歩近づき、低く囁くように言った。


「ですが――大巫女とは、あくまで神に仕える身。あまり現世の有象無象に深入りなさらない方が、よろしいのでは?」


(“あなたの立場をわきまえて、黙っていてくれた方が助かる”ってことよね)


 茜はにこりと笑い返した。だがその目は、どこまでも澄んでいて、底知れなかった。


「そう言われると、ちょっと耳が痛いけれど……でもね。風って、空をただ吹き抜けるだけじゃなくて、ときには地上にふわりと舞い降りて、遊びたくなる時もあるのよ」


(つまり、“私は黙っていないから、覚悟してね”)


挿絵(By みてみん)


 その瞬間、二人のまわりの空気が、まるで水面に薄氷が張るかのように張り詰めた。賑わう宴の只中にありながら、その一角だけが静まり返っている。


 ナムルは遠巻きにそれを見て、顔を引きつらせていた。胃の奥がきりきりと痛む。


 (だめだ、これは……早く場の空気を戻さないと……!)


 意を決したように、ナムルが立ち上がり、手を叩く。


「では、ここで各神殿の舞を披露していただきましょう!」


 突然の切り替えに、神殿の巫女たちが少し驚いた顔を見せるも、すぐに動き出し、楽が奏でられる。茜はそれを感じ取り、軽くエンヘドゥアンナに視線を送り、何も言わずに杯を傾けた。エンヘドゥアンナもまた、何事もなかったかのように微笑んで応じる。そしてそのまま、静かに席を離れていった。そのやり取りを見ていたシャラ・ドゥムが、茜のそばに寄ってきて、そっと耳打ちする。


「さすがは……茜。これからも、よろしくお願いね」


 その一言に、茜はようやく気づく。


(……ああ、なるほど。エンヘドゥアンナの勢力拡大を、一番苦々しく思ってたのって――)


 その言葉に、何も答えず、茜は盃をそっと掲げて笑った。宴の空気は、再び穏やかに戻り始めていた。だがその背後では、まだ静かな緊張が、消えたわけではなかった。


****


―宴が終わり、賑わいの余韻を残したまま、茜たちはそれぞれの部屋へと戻っていった。


 茜の私室では、リュシア、ガルナード、ユカナが集まり、改めてこの日の出来事を振り返っていた。


「……思った以上に、アッカドの影響が深く根を張っていたのね」


 巻物を広げながら、リュシアが静かに言った。


「今日の宴の最中に様々な神殿関係者から話を聞いたのですが、神殿関係者の中にも、あからさまに王妃寄りの者が少なくなかったようです」


「つまり、あの王妃が仕込んできた根は、もう各都市の中枢にまで届いていたと……」


 ガルナードが重い声で言うと、茜は黙って天井を見上げ、長く息を吐いた。


「うへぇぇ……私、また厄介なとこに戻ってきちゃったんだね……」


 けれどその言葉とは裏腹に、その瞳には覚悟の色が宿っていた。


「……でも、シャラ・ドゥムさん、すごいね。今日の話でわかったけど、あの人、ずっとシュメールを守ろうとしてたんだ」


「ええ。表立って動かず、裏から支える形で」


 リュシアが頷いた。


「アッカドからの影響がこれほどまでに深く、しかも長い年月をかけて静かに侵食していたとは……。それが今日、主の帰還によって一気に崩れました。シャラ・ドゥムにとっては、まさに土壇場での奇跡と映っているでしょう。またナムル王が政務で板挟みになっていたのも無理はありません。母と妃、どちらかに肩入れすれば、王としての立場も失いますから」


 ガルナードが腕を組みながらつぶやく。


「ですが……そんな中に、いきなり“風”が吹いてしまったわけですな」


「その“風”が、私ってわけね……」


 茜は自嘲気味に笑いながら、指揮棒を指先で軽く回した。


「やっぱり、もうちょっと静かにしてた方がよかったかな……」


「それができる主なら、そもそも風の大巫女にはなっていませんよ」


 リュシアの指摘に、ユカナが小さく笑った。


「でもさ、今日の宴、美味しかったから私は満足だよ」


 茜は苦笑しながら、天井にもう一度目を向けた。


**


 その頃、王妃エンヘドゥアンナの私室では、緊張と焦燥の空気が漂っていた。豪奢な帳を下ろした寝所の奥、王妃を取り巻く側近たちは、皆沈痛な面持ちで彼女の言葉を待っていた。彼女は装飾の施された香炉の煙を睨むように見つめながら、静かに口を開いた。


「……これが、風の大巫女の“帰還”というものなのね」


 苦笑のように唇を歪めたが、その瞳の奥には恐怖が滲んでいた。


「十五年も空白があったのに……それでも、たった一日でここまで影響を与えるなんて」


 沈黙の中、ひとりの側近がそっと声を発した。


「王妃様、このままでは、これまで積み重ねてこられた基盤が……」


「わかっているわ」


 エンヘドゥアンナは静かに言葉を遮った。ゆっくりと椅子に背を預け、天井を仰ぐ。


「政治での影響力を取り戻す道は、今の空気では閉ざされたも同然……。正面からの巻き返しは、もはや現実的ではないわ」


 指先で金細工の腕輪を弄びながら、目を伏せる。


「でも……父上に、この失態を知られるわけにはいかない。アッカドの威信を背負ってここに来たのに、アッカドに因縁のある風の大巫女の帰還で再び全てを失ったとは……絶対に知られてはならない」


 その声に、側近たちが息を飲む。誰もが知っている。サルゴン王は成功だけを求める。失敗には容赦がない。エンヘドゥアンナは机の上の地図に手を置き、じっと東方を見据えた。


「……アラッタを使いましょう」


 側近たちがざわめく。かつてシュメールに征され、今は沈黙しているシュメール王国の東域都市国家群の中心都市――アラッタ。


「アラッタよ。かつてシュメールに滅ぼされた王族の末裔がまだ神殿を通じて残っていると聞くわ。あそこに……シュメールの神々に対する“疑義”を唱えさせるの」


「ですが、王妃様……アラッタの現状は不透明でございます。かえって……」


「実際の戦争は望まないわ。けれど、信仰が揺らげば、“風の大巫女”の立場にも影が差す。風の大巫女の権威に正面から挑めなくても――その足元を揺るがすことはできる。少なくとも、混乱を作り出すことは」


 鋭く言い放ち、エンヘドゥアンナは振り返る。


「……密使を送って。アラッタの神殿の高位神官たちと接触させて。『風の神ユカナ』を掲げるシュメールの神格に疑義を唱えるよう、働きかけてちょうだい」


「はっ」


 返答と共に、ひとりの側近が静かに部屋を出ていく。エンヘドゥアンナは誰もいなくなった後、深く椅子に座り込んだ。


「……どうか、これで逆転の一手になりますように……」


 けれどその瞳の奥には、祈りではなく、恐怖と焦燥が揺らめいていた。

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