31話 (外伝)特別シナリオ崩壊!女神ユクア、敗北の記録
神界・特別観測視聴室。
光のスクリーンに映し出されたのは、ギルスの戦場での一騎打ちの結末。ルガルニル王子が剣を収め、ユカナが神のような声で語り、茜が勝利を収めた――その全てを見届けた神々は、静まり返っていた。
いや、一人を除いて。
「……はぁぁぁあああああ!?!?」
ユクアが立ち上がるやいなや、机に両手を叩きつけた。神力でできた特製クリスタル机が、悲鳴のような軋みを上げる。
「何よこれ!? どこで!? どこでどう間違ったのよおおおおおっ!!?」
顔は真っ青、目は血走り、声は震えている。
「二回分! 二回分よ!? わたし、特別シナリオを二回も組んで結構な神力注ぎ込んだのよ!? “今回は絶対にあの小娘にぎゃふんと言わせてやる”って、ルガルザゲシ王の軍に結構神力注ぎ込んで、数も質も盛りに盛ったのに!! こんなの、普通の導き手だったら即ゲームオーバーでしょ!!」
視線は空中の戦闘ログに飛ぶ。
「なのに何!? なんで!? ウルにウルクにキシュにラガシュ!? 都市国家が団結!? そんなの私、想定してない! するはずないでしょ!? 人間ってもっとこう……自分勝手で利己的で、同盟なんて崩壊してなんぼでしょ!? なんであんなに都合よく団結してんのよおおおおっ!!」
投げつけた羽ペンが天井に突き刺さり、神界全体にユクアの怒りと混乱が響き渡った。
「人間のくせに……! 私の思い通りに動いてくれないなんて!! ありえない!! ぐぬぬぬぬぬ……!」
観測室には、もはや戦の余韻など残っていなかった。あるのは、ユクアの地団駄と絶叫だけである――。そこへ、さらなる追い打ちがやってきた。
視聴室の中央に浮かぶ神格感知球が突然反応し、鈍く脈動を始める。直後、空中表示が淡い光を放ち、文字が浮かび上がった。
《ユカナ=神格昇格:中位神級》
「……は?」
一瞬、ユクアの思考が停止した。それでも画面は無慈悲に、次の判定を表示する。
《発言:「血は継がれ、意志は託された。風は流れを変え、次の時代を運ぶ」――評価:神託表現レベルS(上位神級クラス)》
「ななななななな……なぁぁにぃいいいいいっっ!?」
視聴室に再び轟く、ユクアの絶叫。
「なんで!? あの子、神託の発声練習すらまともにやったことなかったでしょ!? 読み間違い、詠唱事故、途中寝落ち、全部経験済みでしょ!? なんでそんな“それっぽいセリフ”を一発で決めてるのよおおおおっ!!?」
神格感知球が、無感情にさらなる注釈を加える。
《上位神昇格圏内。短期成長特例認定の可能性あり》
「ちょっっっっっっ……!?」
その瞬間、ユクアの顔から全色が抜け落ちた。
(やばい。このままだと、妹に――抜かれる!?)
ざわ……っと神々の間に波紋が走る。
「へぇ~、ユカナ、中位まで来たんだ。あの子、地味にやるねぇ」
「しかも特例成長判定入ってるってことは、あれだよね。数回同じレベルの働きすれば、すぐ上位神格でしょ。そうしたらユクアさんと並ぶじゃん…って、昇格のスピード考えたら、あっちのが上だよね…プププッ」
「やば、姉妹逆転じゃん。いや~若い神って伸びるな~」
「ユクアさん、今どんな気持ち?」
「ねぇ、“姉として手本を示す”って言ってたの、覚えてる?」
「ふふっ……もうすぐ“妹に教えを乞う姉”にクラスチェンジ?」
ユクアの背筋が震える。
(ちがう、これはちがう、これは絶対違う!!)
「これはあの小娘のせいよ!!」
とうとう叫ぶ。
「あの小娘がズルしたんだわ! 裏ルートとか、神力強奪アイテムとか……禁じられた導きしろを使って、ユカナに神台詞言わせたのよ!!」
「……え、いや普通にがんばってただけでしょ」
「むしろズルしてたの、ユクアさんじゃん。敵軍に神力盛りまくってたし」
「しかも二回も特別シナリオ組んだんでしょ? 神力浪費の女神って書かれるわよ、記録に」
「妹の成功を素直に祝えない姉って……神格どうこう以前に、神としてどうなの……?」
ユクア、目にうっすら涙を浮かべながら、最後の力で言葉を絞る。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……っっ!! 絶対に許さない! あと一度くらいなら特別シナリオが仕込めるから、次こそ絶対に叩き潰して――」
その瞬間だった。神界全体に、重く澄んだ“光”が差し込んだ。空気がぴんと張りつめ、すべての神々が姿勢を正す。観測室に、厳かに、静かに降り立つ銀白の光の柱。
そこに現れたのは、神界の最上位に立つ存在――
テラ
神格階層における絶対調律の権威。その声は、命ずるでも咎めるでもなく、ただ理として響く。
「自らの妹を“叩き潰す”……とは、神としていかがなものか?」
その一言で、ユクアの顔から血の気が引いた。
「ちがっ……ちがいますちがいますちがいますっ!! 今のはその……感情的な……! えっと……そう、これは妹に神としての経験を積ませるための……そ、そう! “試練”ですっ!」
語尾が裏返り、声が半泣きに。テラは微かに目を細めた。
「……ならば、その試練は“乗り越えられるもの”であるべきです。そして、その後には“癒しと導き”――つまり、フォローがなければなりません。それもまた、“神”の責務です」
ユクアは椅子の上で正座のような姿勢になり、滝のような冷や汗を流しながら、頭を下げた。
「は、はは……ご、ごもっともで……ございますぅ……」
その声は、もはや音になっているかも怪しかった。テラが空中に溶けるように退場すると、視聴室に残された空気は凍りついたままだった。
――そして。
「……ふっ」
誰かが吹き出した。
「ぷっ……ははははっ、ユクアさん、顔真っ青! いや真っ白!? いやもう無色!」
「至高神様に“直接指導”とか……マークされてるじゃん完全に。すごーい、栄誉だねぇ」
「次また変なシナリオ組んだら、ユクアさんの神格下がるんじゃない? 降格審査とか入っちゃったりして?」
「あっ! もし降格したら、あのデスク返還だからね? 神力式自動清掃椅子も返却だよ?」
「あとあれ。導き手特別枠の“干渉権限”もはく奪……あっ、やばくないそれ?」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ……っっっ!!」
ユクアは耳まで真っ赤にして、机の角に頭を打ちつけ続けていた。ただの地団駄では足りず、今や“精神的正座ヘッドバンキング”の域に達している。
「なんなのよ……なんなのよ……どうしてこうなるのよぉ……」
そこへ――
「ふぅん……この導き手、やっぱり面白そうだね。手伝った甲斐があったわ」
穏やかな声が響いた。ユクアが頭を打ちつけるのを止め、眉をピクリと動かす。
「……今、なんて?」
声の主は、後方の神々の中でも特に気まぐれで有名な神、ニヤつきながらポップコーンをつまんでいた上位神の一柱――ミラナ。
「あ、ごめん聞こえちゃった? いや~、今回のユクアがさ、やけに必死で、導き手の邪魔しようとしてるの見ててさ。ついつい、おもしろくなっちゃって」
ユクアの目が据わった。
「……ついつい?」
ミラナは悪びれもせず、空中にぽんと指を鳴らす。視聴ログが投影され、彼女が軽く指先でルガルニル王子の進路を“ちょん”とつつく映像が再生される。
「ルガルニル王子だったっけ? そっちがちょっと有利になるように、連携の下地をね。キシュやウルクが動きやすいように風向き変えたり、ラガシュの民衆反乱ちょっとだけ煽ったり……ははははっ」
ユクア、静かに、口を開いた。
「お前が…お前が……都市国家連合を組ませた元凶かああああああっっっっ!!!」
天界の視聴室に、怒りの神力爆発音が鳴り響いた。羽ペンが再び天井に突き刺さり、今度は横のパネルまで吹き飛んだ。ミラナは椅子を回しながらひらひら手を振る。
「だって、ほら。人が必死に抗うの、見てて楽しいじゃない? 神として当然の趣味でしょ?」
「趣味で人の戦場に干渉するなああああ!!」
神格が上下するのは、果たしてユカナだけではないのかもしれなかった――。
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神界・第七層、東の静域。白亜の柱が連なる端正な神殿の一角――それがユクアの私室兼作戦室だった。書斎の空間は静かで整然としている。透き通るような光が高窓から差し込み、精密に配置された神力文書、整列されたシナリオ管理石板、そして一点の狂いもない筆記道具たちが、そこに在った。
しかし――その中心に座す者の表情は、静けさとは程遠い。ユクアはスッと背筋を正し、凛とした所作で神力ペンを手に取った。
「……あの生意気な小娘…いや、茜……次こそ、絶対にぎゃふんと言わせてやる……」
机上には、既に新たな戦場構成図が展開されていた。中央の赤く染まった地図には、刻まれた一つの王名。
《アッカド王 サルゴン》
「シュメール戦役? 終わりだなんて、誰が言ったのかしら。まだよ……まだ、私は終わらせない」
赤い神力ペンが走る。新たな部隊。新たな戦略。そして、抗うことすら許さぬ“時代のうねり”――ユクアは、書類の表紙に静かに筆を置いた。
《特別シナリオ3:シュメール終焉編 〜赤土の野に沈む太陽〜》
その筆跡は、整っていた。静かで、そして燃えるような決意に満ちて。
「さあ、次は“歴史”が、あなたたちを呑み込む番よ。
……せいぜい、あがいてみせなさい」
書斎に再び静寂が戻る。だがその空気は、確かに――次なる嵐の胎動を孕んでいた。




