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27話 勝利と撤退、風は新たな地へ

風が静かに平原をなでるなか、茜は本営の高台に立ち、風の指揮棒を高々と掲げた。指揮棒には、ルガルニル王子から贈られたトルコ石がはめ込まれており、太陽の光を浴びて、青緑色の輝きを放っている。それはまるで、茜の意志と王子の信頼が一つになった証のようだった。銀の装飾と青い石の光が交じり合い、指揮棒は空を切りながら、戦場に新たな幕開けを告げた。


「……さあ、相手をしてあげようかな」


すでに最前線にはガルナードが布陣を整えており、密集した中装槍兵部隊を操りつつ、鋼の壁のように睨みをきかせている。第二線ではリュシアが弓兵隊の指揮を執り、射撃開始の瞬間を待っていた。本営に残るのは、茜とルガルニル王子、そしてユカナだけだった。茜は指揮棒を握る手に軽く力を込めながら、視線を遠くの戦場へと投げる。そして、誰にも聞こえないほどの声でぽつりとつぶやいた。


「ダ女神の嫌がらせなんかに、負けるわけないでしょ……人の強さってやつを思い知らせてあげないと」


そのつぶやきをすぐそばで聞いていたユカナは、こくこくと何度も頷いた。


「うんうん、そのとおり!」


「……いや、あんたも神なんだよ?」


「でもねぇ、あのお姉ちゃんが困る姿が見られるなら、私は全力で茜に協力する!」


その無邪気な笑顔に、茜は思わず片手で額を押さえる。


「もう……なんなのよ、その神の気まぐれ」


それでも、彼女の表情にはどこか柔らかな笑みが浮かんでいた。少し離れた場所では、王子が慎重な面持ちで前線の動きを見つめていた。茜は彼に軽く振り返ると、肩越しに声をかけた。


「王子、大舟に乗った気持ちで見ててくれればいいよ。……今日は、私が王子を“勝たせてあげる”から」


「……茜殿」


その言葉に王子は目を見開いたが、すぐに表情を引き締めて、静かに頷く。


「戦友として、心から頼りにさせてもらいます」


その瞬間――


前線で、指揮レベルが上がったリュシアの弓兵部隊が一斉に弦を引いた。音もなく放たれた第一撃が、一直線に敵陣へと向かって放たれていく――


リュシアの弓兵部隊が放った矢は、まるで風に乗るように滑らかに、しかし確実に空を裂いた。投槍兵から進化した茜軍の弓隊は、リュシアの綿密な訓練の成果が如実に現れた部隊であり、兵士たちは互いに呼吸を合わせ、まるでひとつの巨大な意思として弦を引いた。


矢の雨が降り注いだのは、ウンマ軍の第二陣――投槍兵部隊だった。彼らは距離を詰める間もなく、圧倒的な射程の差をと攻撃力の前に、無防備のまま地に倒れ始めた。槍を構える前に、肩、脚、胸を射抜かれ、叫びとともに崩れ落ちていく。


「第一波、命中確認。射角を五度右へ修正、第二射――放て」


リュシアの指示は冷静だった。彼女の周囲では、部隊が規律正しく次の射撃姿勢を整えていく。第二波の矢が放たれた瞬間、ウンマ軍の投槍兵はすでに“部隊”としての形を保てなくなっていた。反撃の構えすら見せぬまま、数分で戦列は崩壊。士気の崩壊とともに、彼らの隊形も戦場の泥へと消えた。


「……これが部隊の質の違いです」リュシアは静かに呟いた。


ウンマ軍では後方から、神官戦士と祈祷巫女たちが急ぎ詠唱を始める。鼓舞と治療の祈りが投げかけられるも、もはやそれは慰めにしかならなかった。射撃は止まない。訓練された弓兵たちは、余裕すら見せて、とどめとなる第三射を投槍兵部隊の残骸に向かって放った。


茜は高台からその様子を見下ろし、唇を歪めた。


「これほどこちらが圧倒的であれば……この戦場で敢えて切り札を切らない方が良さそうだわね。戦車の投入は取りやめ」


「たしかに……」隣のルガルニル王子が、目を細めてうなずく。「ここまで茜殿の部隊が敵を圧倒するとは……。こうして味方として共に戦場に立てていること、私にとっては幸運としか言いようがありません」


青空の下、弓の響きだけが戦場を包んでいた。


そして時を同じくして、地を鳴らして進軍してきたウンマ軍の第一陣――軽槍兵たちが、ついに茜軍の中装槍兵と正面から激突した。


「――来たか。では、迎えて差し上げてやろう」


前線を任されたガルナードは、鋭く手を振り下ろし、味方の密集槍列に突撃命令を伝える。茜軍の中装槍兵は、銅の胸甲と強化された楯を備えた重装備の部隊であり、槍の穂先をわずかに下げて前方へと前進した。


挿絵(By みてみん)


ウンマ軍の軽槍兵が勢いに任せて押し寄せるも、その突撃は中装槍兵の壁に弾かれ、弾かれ、押し戻される。ウンマ軍の槍兵は軽装ゆえの機動性はあれど、装甲も統制も練度も、茜軍の槍兵とは段違いだった。


「ぬうっ、押しきれん……!?」


「列が乱れるな! 再編成を――うわあっ!」


激突の一瞬で、槍と楯の壁が揺れ、ウンマ軍の先鋒が次々と崩されていく。中装槍兵はまるで重厚な盾の塊のように前進を続け、次第に敵を戦列ごと押し潰していった。その様子を確認しながら、ガルナードは悠然と前へ歩み出ると、低く、しかしはっきりとした声で言い放った。


「この程度――先の遠征で、ラガシュを守るために奮戦したラガシュ軍の方が、よほど手強かったぞ」


鋭い眼差しで敵の崩壊を見つめながら、彼は続けた。


「この程度で我が軍を抜けると思ってもらっては困るな」


ガルナードの指揮下で統制された中装槍兵は、敵の横陣を削り、分断し、確実にじわじわと前進を続けていく。その姿はまさに“鋼鉄の波”――ウンマ軍の第一陣にとって、それは突破不能の壁だった。戦場の中央では、重なり合う矛と楯の音、断末魔と怒号がこだまするなか、茜軍は一歩も引かずに敵を削り取っていった。そして茜軍の弓隊が敵第二陣を沈黙させると、リュシアの指揮はすぐに第一陣――ウンマ軍の軽槍兵へと切り替えられた。


「目標変更、第一陣へ――射角調整、次、放て」


乾いた号令が響くとともに、再び弓が鳴る。既に後退の兆しを見せていた軽槍兵たちは、振り返る暇もなく矢の雨に晒される。中装槍兵との交戦で陣形が崩れかけていた彼らにとって、その矢はまさに追い打ちだった。


「……これじゃ、前にも後ろにも進めない……!」


矢が盾を貫き、脚を撃ち抜き、混乱が戦列の隅々にまで広がっていく。ウンマ軍の後方では、神官戦士たちが必死に神の名による鼓舞を叫び、祈祷巫女たちが祝詞を唱える。しかし、既に壊走寸前の兵たちに、その声は届かなかった。弓隊の指揮をしながらその光景を見ていたリュシアは、静かに頷く。


「ここで主殿がシュメール戦車隊を投入するか否かで、主殿の考えが見えてきますね」


リュシアは後方で高台に上っている茜の姿を見た。しかし茜は動かない。


「……動かさない、ですか」


リュシアは納得したように小さく笑った。


「主殿らしい。正攻法で完全に勝てるのであれば、こちらの切り札は見せない。戦いは勝つだけではなく、情報戦でもありますから。そういう意味では、今回は仕え甲斐のある主ですね」


戦場では、ウンマ軍の軽槍兵たちがついに限界を迎え、統制を失い、次々と後退しはじめていた。第一線の綻びはやがて全体に広がり――まさに、崩壊の兆しが目の前に迫っていた。


ウンマ軍の前線の瓦解は、確実に始まっていた。


リュシアの弓兵隊による射撃が止むことはない。軽槍兵たちは、中装槍兵の重圧にさらされながら、無数の矢が降り注ぐという二重の苦境に陥っていた。わずかに残った隊列も次第に崩れ、やがて統制を失った兵たちが無秩序に後退を始める。一人、また一人と背を向け、武器を手放し、逃げ出す。やがてそれは連鎖し、組織だった撤退ではなく、“敗走”と呼ぶにふさわしい混乱となって広がっていった。本陣に残された神官戦士と巫女たちは、戦場の趨勢を悟ると、やむを得ず撤退を決める。


「……ここまでか。司令部と共に撤収!」


その合図とともに、後衛の神官戦士たちが退却の隊列を組み、祈祷巫女たちは巻物と神具を手早く包み込み、後方へと姿を消していった。


ウンマ軍――全面撤退。


戦場に残るのは、茜軍の弓兵たちと、瓦解した敵陣を淡々と見つめる中装槍兵の壁。そして、その背後で風の指揮棒を静かに下ろす茜の姿だった。撤退するウンマ軍の影が完全に地平の彼方に消える頃、戦場には静寂が戻っていた。高台に立つ本営では、茜が深く息をついた。その視線はなおも遠く、敵が消えた方向に向けられていたが、やがて王子へと戻される。


「どうやら勝てたようですね」と、ルガルニル王子が安堵の混じった声で口を開いた。「しかし、追撃は不要でしょう。ここでの勝利は示せましたし、それ以上の流血は無意味です」


「同意ね」茜もうなずき、トルコ石のはめ込まれた風の指揮棒を胸元に戻す。「ここで追っても、戦略的には何の意味もないわ。それよりも――これから、どうするかを考えないと」


「ウルへ移動するのがやはり現実的かと」王子は静かに言葉を継いだ。「情勢を立て直すには、しばしの休息と、外部からの支援を得られる場所が必要です」


「そう思ってた。王子と意見が合ってよかったわ」茜は小さく笑う。


そのやり取りを聞いていたユカナが、唐突に口を挟んだ。


「ねえ、逃げるって判断でいいんじゃない? 無理して戦い続けるより、そっちの方が合理的でしょ?」


その言葉に、ルガルニル王子は少しだけ困ったような顔を浮かべたが、すぐに表情を和らげて頷いた。


「預言者殿の言葉には、やはり重みがありますな。……たしかに、“退く”という選択は、時に最も賢明な判断であることもある」


「ほんと、そう思ってくれるなら助かるわ」茜が肩をすくめつつ、「それにしても、あんたの言葉って、時々核心を突くのよね」と呟いた。


「へへーん。神だからね!」と胸を張るユカナに、茜は「あんたは預言者でしょ」と苦笑いを返した。


****


平原に落ちる陽光が、戦いの終息を告げるように穏やかに戦場を包んでいた。高台の本営に戻ってきたリュシアとガルナードが、やや砂塵にまみれた姿で司令部に姿を見せる。


「戻りました」リュシアが端正な礼で報告する。後ろでガルナードも軽く兜を取って深くうなずいた。


「おつかれさま。どうやら、これ以上の動きはなさそうね」茜が軽く目を細めながら、二人を迎えた。


「ウンマ軍の戦線は完全に崩壊しました。敵の抵抗も、ほとんど散発的なものでしたね」ガルナードが静かに報告する。


「王子とも話してたんだけど――このまま予定通り、ウルに移動しようと思うの」茜は真剣な眼差しを二人に向けた。


「異論はありません」リュシアは即答した。「今のラガシュに立て籠って戦うのは、あまりにも損失が大きすぎますし……何より、主も名実ともに“王子と並ぶ反逆者”となったのですから」


「うへぇ……」茜は思わず目をそらし、肩を落とす。「そんな気はまっっったくなかったんだけどね。私はただのお宝探しがしたいだけなのに……」


「はは、現実はそう甘くないものですな」ガルナードが肩をすくめて笑う。


「ってことは、私まで反逆の神ってことになるじゃん!」ユカナが両手を広げて嘆いてみせる。「もう、ほんと巻き込まれ損!」


「自業自得でしょ、あんたも同罪よ」茜がすかさず突っ込む。


それでも、誰も暗い顔はしていなかった。むしろ、その表情には、どこか吹っ切れたような軽やかさがあった。


「――それと、これが今回の戦果報告です」


リュシアが粘度板を、茜に差し出した。


「今回の戦果により、初戦勝利ボーナスとして神力100、さらに戦術勝利報酬として神力40が加算されます」


「合計140か。順調ね」と茜はうなずいた。


「ただし、中装槍隊五部隊に平均20%の被害が出ています。回復には、神力15を割り当てる必要があります」


「つまり……最終的な保有神力は?」


「149です。被害回復分を差し引いて、現在の手持ちと合わせた数字になります」


茜は小さく「ふぅん」と息を吐きながら、腰にさした風の指揮棒の装飾――トルコ石の光を、指先でそっとなぞった。


「じゃあ、ひとまず被害回復だけは済ませておいて。残りの神力は……ウルに移動してから、落ち着いて考えることにするわ」


「了解しました」とリュシアはすぐに応じる。


その様子を見ていたガルナードがにやりと笑う。「慎重であらせられる」


「無駄遣いはしない主義なのよ」と茜が軽く笑い返す。


すでに日は傾き、戦いの終わった平原には、茜軍の勝利と、それでも拭いきれない緊張の余韻だけが静かに漂っていた。そして、その視線の先には、ウルへと続く道が――まだ遠く、だが確かに――伸びていた。


****


乾いた風が街道を吹き抜ける中、ウルの壮麗な城門が姿を現した。厚い煉瓦の壁に刻まれた神々の印、門前に立つ兵士たちの整然とした姿勢――すべてが、この都市の威厳と歴史を物語っていた。ルガルニル王子と茜を先頭に、茜軍がその門にたどり着いた時、既に使者は届いていたのだろう。門前には、ウルの神官将エン=ナンナと、かつてのラガシュ王ウルカギナが待ち構えていた。


「これは、ようこそおいでくださいました。ルガルニル王子、そして風神の巫女殿」


先に進み出たのはウルカギナだった。かつて敵同士として剣を交えた王は、今は平服の身で、しかしその目には敬意と誠意の色が宿っていた。


「既に、奥方より話は聞いております。まさかこれほど早く、ルガルザゲシ王と決裂することになろうとは……ですが、王子がラガシュに尽くしてくださった恩を、私は忘れておりません」


「それを聞けて安心しました」王子は深くうなずいた。「ラガシュの民の安寧を守るための判断でした。これからしばらく、ウルの知恵と導きを頼りにさせていただきます」


続いて、エン=ナンナ神官将が歩み出た。厳かな神官の装束に身を包んだ長身の男は、茜をまっすぐに見つめ、深く頷いた。


「ウルは、風の神ユカナから寛大な措置を受けた都市。風神の巫女殿――あなたの導きにより、我らは災厄を免れました。お約束通り、女神ユカナを祭り、奉納も行っております。このウルにおいて、あなた方を歓迎いたします」


茜は一瞬きょとんとした顔を見せたが、すぐに口元を引き締め、軽く頭を下げた。


「歓迎されるのって、案外悪くないわね。ね、ユカナ?」


「うんうん、歓迎される神って、気分いいねぇ」


彼女の後ろで調子よく頷く神をよそに、リュシアはこめかみを押さえていた。門が、ゆっくりと開く。陽光の中、彼らは再び新たな地に足を踏み入れる――戦乱のただ中に咲いた、一時の安寧を求めて。

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