24話 王の謁見、欲と忠義の演技戦
神殿奥、厚い石扉の内側にある謁見の間は、外の熱気とは別世界のように静まり返っていた。石壁に灯された松明の火が、床の装飾に揺れる影を落とす。その中心、王座に腰掛けるのは、ルガルザゲシ王。ルガルニル王子は、整った姿勢で進み出ると、床に片膝をつき、頭を垂れた。
「父上。命に従い、遠征より戻りました」
王は返答もせず、静かに指を一度だけ動かす。
「詳細を聞かせよ」
その声には、広場で見せた温かみのかけらもない。王子は慎重に言葉を選びながら、淡々と語り始めた。
「遠征中、キシュとウルの軍と衝突しましたが……結果として、彼らの進軍は阻止されました」
「“衝突”……か」
王の口角が微かに動いたが、それは笑いではなかった。
「撃退したと申すが、なぜ完全に潰さなかったのだ?」
沈黙が場を満たす。やがて、王子はゆっくりと顔を上げて答える。
「彼らは、既に戦う力を失っておりました。我らがシュメールの中心となることに、もはや反対はしないでしょう」
「甘い」
一言、低く重い声が落ちる。
「お前は、まだ甘いのだ」
王は目を細め、まっすぐ王子を見下ろす。
「お前は確かに、第一妃の子。だが……王として後を継ぐに足るかどうかは、別の話だ」
空気が、ぴり、と張り詰めた。
「必要とあらば、第二妃の子を継がせることもできるのだぞ」
王子はひと呼吸おき、姿勢を正したまま、静かに言葉を返す。
「……申し訳ありませんでした。すべては、私の未熟ゆえです」
ルガルザゲシ王はしばし沈黙した後、さらに言葉を投げる。
「では続けて訊こう。ラガシュの王とその一族――なぜ処刑しなかった?」
ルガルザゲシ王の声には、明確な苛立ちが滲んでいた。ルガルニル王子は一瞬の沈黙の後、丁寧に言葉を選びながら答えた。
「ラガシュの民を平穏に従わせるには、血の粛清は避けるべきでした。王家は追放とし、王族の姿はもはや、かの地にはありません」
その言葉に、王の眉がわずかに動いた。
「追放……か」
皮肉とも賞賛ともつかぬ、平坦な調子だった。――だが、その視線は鋭くなった。
「その追放先は……どこだ?」
わずかに、茜の背筋に緊張が走る。だが王子は、落ち着いたまま深く頭を垂れた。
「国外でございます。ラガシュには、もはや彼らの痕跡はありません」
それは、事実に違いなかった。ウルへの移送――それは明確な追放であり、ラガシュから姿を消したこともまた真実。王はそのまま、さらに問いを重ねることなく、椅子に体を預けた。茜は、黙ってそのやり取りを見届けていたが、心中では感心を隠せなかった。
(王子……うまい。嘘は言ってない。本当のことも全部は言ってないけど……)
彼女の口元が、わずかに笑みの形を作った。
(……さすが“王族”。この場の空気で、ここまで切り抜けるなんて)
王は、再び椅子に深くもたれ、低く息をついた。
「……ならば、その言葉、行動で証明せよ」
ルガルニルが顔を上げたとき、王の表情はすでに結論を下した者のそれだった。
「お前を――ラガシュ太守に任ずる」
謁見の間に、重い沈黙が広がった。
「その地を、完全に我がものとして治めよ。……それが出来た時、初めてお前を、我が後継者と認めよう」
王子は、短く返す。
「……承知いたしました」
それは、栄誉のようでいて、事実上の左遷だった。王都を離れ、征服地で“実績”を証明しなければならない。それがどれほど難しく、そして危ういかを、王子はよく知っていた。
「……以上だ」
ルガルザゲシ王の低い一言で、謁見の間に張り詰めていた緊張の糸がふっと緩む。だが、王子はすぐには動かず、姿勢を正したまま静かに礼を取った。茜もその傍らで控え、内心でそっと息を吐く。
(太守就任、ね……まぁ、私の立場ならそのまま同行で問題ないわ)
戦場での活躍は王子軍の旗の下でのもの。ルガルザゲシ王にとって、彼女はまだ“背景の人物”に過ぎない。
(逆に言えば、この距離感こそが一番ありがたい)
茜はそんなことを思いながら、王子の横顔をちらりと見た。しかし、王が王子に視線を戻すことなく座に深く沈んだまま、場にわずかな沈黙が流れた。
――その時。
茜の瞳がわずかにきらりと光る。
(さて……ここからが私の出番かな)
ほんの少し、空気が動く。次の言葉を放つために、彼女は一歩、前へ出た。
「ルガルザゲシ王。客将として、この戦いに微力ながら貢献できたこと、光栄に思います」
王の視線が、ゆっくりと茜へと向けられる。その目に、一瞬だけ警戒とも探るような色が宿る。
(……何者だ、この女は)
ルガルニル王子の遠征に、常にその傍らにあった女。これまでに名を聞いた覚えはある。戦場でも名が上がっていたという。王の目がわずかに細まる。だが――次の瞬間、何かを思い出したように、王の眉がわずかに動いた。
(そういえば……あれは、神殿の神官が告げた“風神の巫女”――)
自分がシュメールを統べるという予言を、代弁者として運んできた“風の巫女”。それを王子に託し、客将として随行させた者――この女だったな。王の視線が、茜の全身をなぞるように動いた。ルガルニル王子がわずかに息をのむのを、茜は背後で感じ取る。
「それで?」と、王。
茜は微笑を浮かべながら言った。
「……せっかくの勝利ですし、戦の功に報いる何かをいただければと。銀でも、宝石でも、物資でも。シュメールでは戦の報酬は当たり前かと」
リュシアが一瞬、目を見開く。声は出さないが、隣に控えていた彼女は明らかに驚いた顔で小声を漏らす。
「え、主、それ本気で……?」
茜はリュシアに目線だけを向け、こっそり口元だけ動かした。
「少し欲深いところを見せておいた方が、安心されるの」
リュシアは小さく溜息をついた。
「それ、素ですよね……」
そんなやりとりを見透かしたかのように、王の口元がふっと持ち上がる。
(なるほど……預言者の代理人とはいえ、欲を持っているのなら安心できる。人の欲は読めるし、制御もきく)
彼女がルガルニル王子にただ忠誠を誓っているのではなく、現実的な報酬と利害によって動いている――それは王にとっては、むしろ信頼しやすい属性だった。
「よかろう」
王は即座に答えた。
「ふむ……」
ルガルザゲシ王は一度、茜を見つめたまま目を細めた。客将とはいえ、ラガシュの制圧において重要な役割を果たしたことは確かだ。まして、今回の遠征は、風の神ユカナの神託――すなわち、ユカナ神の導きに端を発している。
(その預言の担い手が、この女であったな……)
王は思考をめぐらせ、あえて表情に出さずに命じた。
「ラガシュ制圧と、神意を成した遠征の功により、銀五ミナ、ラピスラズリ二籠、香油一壺、そして一級の亜麻布十反を与える」
茜の隣で、リュシアが再び小さく息をのむ。思っていたよりも、はるかに厚遇だ。王は続けて、淡々と言葉を紡いだ。
「神意に従った者としての礼も含めてのことだ。……感謝するがよい」
王は続けて、やや抑えた声音で言う。
「寛大なる王としての姿も、示しておかねばならぬのでな」
茜は、深々と頭を下げた。
「ありがたく頂戴いたします。今後も私は、ルガルニル王子と行動を共にし、ウンマの栄光のために動きます」
そして、言葉を重ねる。
「もし何かあれば……王に書状を直接お送りすること、お許しいただけますか?」
茜の声はあくまで丁寧に、しかしどこか親しみを込めた口調で響いた。ルガルザゲシ王は、その言葉に一瞬だけ眉を動かした。だが、すぐに深くうなずく。
「それでよい。必要あらば、私に知らせよ」
その表情には、はっきりとした満足の色が浮かんでいた。
(なるほど……この女、ルガルニルに仕えているふりをしながら、私にも恩を売ろうというのか)
王の中で、茜の印象が明確に変化する。
(預言の導きに従って動き、欲もあり、忠誠も一方に偏らぬ――実に都合のよい駒だ)
――その反応を見て、茜は内心でほくそ笑んだ。
(うん、誤解してくれたわね。よしよし。これで王の視線も“友好的”)
もちろん、茜は王子の側につく気しかなかったが、それを正直に伝えるつもりなどさらさらなかった。
(こちらがどう見せたいかで、相手の態度なんてどうにでもなるものよ)
茜の口元に、ごくわずかな笑みが浮かぶ。それはあたかも忠誠を誓った者のように見えただろう。王は、茜が王子にただ仕えるのではなく、自分に対しても利を求めてくる――それを「操れる」と誤認したのだった。
(でもね……操れると思った時点で、あなたの負けよ)
微笑を浮かべながら、茜はゆっくりと身を引いた。ルガルニル王子が静かに頭を下げる。その背に寄り添うように、茜は歩を合わせる。
(さあ、“追放先の王子”と“欲深い巫女”。この二人で、もうひと仕事始めようか)
謁見の間の扉が、静かに閉じた。
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謁見の後、王子の屋敷の奥まった一室。薄暗い石造りの空間に、燭台の明かりが揺れていた。ルガルニル王子は着座すると、息を一つついて静かに言った。
「……左遷と言われれば、そうかもしれませんが。私は、しばらくウンマを離れるべきだと考えています」
茜は王子の対面に腰を下ろし、あっさりとうなずいた。
「同感。あの目……しばらく離れておいた方が身のためでだよね。それに、自由裁量が手に入った分、むしろやりやすくなったと思うよ」
リュシアが静かに口を開いた。
「先の遠征で整えた布石が、これでようやく効いてきますね。キシュとウルはもはや敵対する意志は持っていませんし比較的友好的な関係が築けるでしょう。それにラガシュを交易の中継地にすれば、資金面でも相当な安定が望めます」
「ウルにはウルカギナ王も居ますしな」と、ガルナードが頷いた。「こちら側に引き寄せるためには、むしろ良い位置取り。左遷ではありますが、捨てたものではありませんぞ」
王子は少しだけ口元をほころばせ、茜に視線を向けた。
「それにしても……よくあの場で、褒美を要求しましたね。正直、驚きました」
「王様、あれで私を見誤ってるよ」と茜は笑う。「“欲があるから制御できる”って思わせておけば、扱いやすいって思ってくれるだろうし」
リュシアがすかさずツッコむ。
「……それ、絶対に素ですよね。欲しかないですよね」
「まぁまぁ」と茜は苦笑しつつも、本当に嬉しそうに見えた。
王子はそのやり取りに目を細めた後、懐から布包みを取り出す。
「それでは、私からも茜殿の“欲”を満たすために、これを差し上げましょう」
布を開くと、中には青緑に澄んだ見事なトルコ石が二つ――ひとつは掌に乗るほどの大きさで、もうひとつは指先ほどの小粒な宝玉だった。
「これは……」
茜はにやりと笑いながら、大きい方のトルコ石を手に取ると、丁寧に巾着へと移した。
「ありがとね、王子様。こっちはちゃんと、信仰抜きで欲しかったやつ」
「では、小さい方は“風の指揮棒”の装飾に」と王子が微笑んで言うと、茜は手にしていた指揮棒をくるりと回し、羽根飾りの根元を確かめた。
「……なるほど、ここなら収まりがいいわね。でも、どう固定しようかしら」
そう呟きながら、茜は腰の小袋から細い赤茶の革紐を取り出す。
「こういうの、ひとつくらいは常備してるのよ。なんでも便利だから」
器用に指先を動かし、トルコ石を羽根飾りの根元に沿わせながら革紐を巻きつける。余った紐を結び目に通し、ぐっと引いて締めると――石は羽根の間にぴたりと収まり、軽く揺れながらもしっかりと固定された。陽光を受けて、銀と青緑の光が交差しながら、まるで風そのものを象ったかのように見えた。
「……うん、完璧。このまま伝説になっても文句ない出来ね」
リュシアが肩越しに覗き込み、からかうように笑う。
「欲深い主には、ちょうどいい指揮棒ですね」
「うるさい。実用と美は両立するの」
その会話に、王子もまた少し笑っていた。そして彼は席を立ち、窓の方を振り返った。
「――近いうちに、ラガシュへ移らねばなりません。準備を始めてください」
「あいあいさー」と茜が返す一方で、ユカナは顔をしかめた。
「えぇ~……また引っ越し? めんどくさそう……」
リュシアが即座に切り返す。
「では、ユカナ様一人でウンマに残りますか?」
「そ、それは無理……!」
「では、文句言わずに一緒に来るべきですね」
「はい……」
周囲に笑いが漏れた。こうして、風の巫女とその仲間たちは、次なる任地――ラガシュへと動き出す準備を整えていくのだった。




