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23話 凱旋と沈黙──時代が進まぬ理由

屋敷の灯が静かに揺れていた。祭の後のような穏やかな沈黙の中、作戦机の前でリュシアが眉をひそめて呟く。


「……おかしいですね。通常なら“次の時代へ進む”選択肢が出てくるはずなのですが……」


背後からリュシアの冷静な声が届いた。茜がゆっくりと顔を上げる。


「え? 出てないの?」


「はい。戦闘も全て終わり、目標都市も制圧済み。キャンペーンとしては明らかに終了しています。ユニットの体力は全快、練度と武装度も一段階上昇しました。でも――移行ができません。いつもなら、ここで選択が出るはずなのですが……今回はどこを探しても見つかりません」


「不具合ってわけじゃ……ないのよね?」


「いえ。演出も、勝利処理も、システム更新も行われています。“ただ、時代の転換が起きていない”だけ」


茜は顎に指を添え、しばらく思案した。


「じゃあ……私たち、まだこの時代に居ろってこと?」


「可能性としては、そう解釈できます」


「……ふむ」と、傍らにいたガルナードが低く声を漏らす。


「凱旋が終わっていないから、というのは?」


「王子の?」


「はい。都市国家での戦争の締めくくりには、形式として凱旋式が付き物です。もしそれが、“導き”において必須とされているならば……まだ終わっていないと見做されているのやもしれませぬな」


「確かに……」とリュシアが頷いた。


「理屈としてはありえます。ただ、今までの導き手の際は、そのような戦闘以外のイベントはスキップ出来たり、儀礼的なイベントとして簡略化されていました。今回、それがなされないというのは、やはり異常です」


「スキップできたものが、強制されてるってこと?」


「あるいは、“この時代でやるべきことがまだある”と判定されているか……もしくは、導きそのものが、異なる意志で動いているのかもしれません」


「違う意志……ね」


茜は椅子にもたれ、天井を仰いだ。風がわずかに障子の隙間を鳴らし、外の夜が深まっていく。


「王子の凱旋には付き合う予定だったし……どうせ行くつもりだったわ。だったら、もう少し様子を見ましょ」


「それが現実的な判断かと」とガルナードが頷いた。


「他に選択肢がない以上、主の決断に従います」とリュシアも一礼する。


すると、部屋の片隅でごろごろと寝転がっていたユカナが、掛け布の下から顔を出した。


「じゃあ、まだこの時代でのんびりしてていいんだね!」


「……いいけど、のんびりだけはしないでよね」


茜は小さく笑いながら、天井に目を戻した。そうしているとリュシアが、作戦机の上に置かれた木製の札に視線を落とした。


「……さて、戦闘報酬の精算をしましょう」


「うん、お願い」と茜が腕を組んで頷く。


リュシアは手早く札を重ね、数字を読み上げていく。


「初戦勝利ボーナスが120。戦術勝利S評価で50。そして……」


画面を見せる。


「ラガシュでのユカナ信仰の芽生えによって、ユカナの神力として+10」


「おおっ」とユカナが布団から顔だけ出して反応する。


「そして、ウンマ、キシュ、ウル、ラガシュ――ユカナ信仰がある四都市の信仰により、恒常神力として+40。また原始時代のグロガンの集落からも+10。合計で50」


「全部で……239か」


茜が満足そうにうなずくと、椅子から立ち上がり、腕をぶんと振った。


「当然、ユカナの神力は私が使うとして――」


「えぇ~~!? また~~!?」


ユカナが布団の中でじたばたと足をばたつかせた。


「ちゃんと神格は上げてあげるから。私に投資しなさい」


「私の自由意思はっ!? せめて、選ばせてよ!」


「どうせあんた、その神力サボるために使うんでしょ? ダメ」


「うぅぅ……ひどい……」


リシュアがそのやり取りを聞きながら、真顔で静かに一言。


「たしかに言葉は粗いですが……この神力は、主の戦果によってもたらされたものです。運用について主が主導権を持つのは当然かと」


「リュシアまでそっちの味方……。あ〜ぁ。神様って、本当楽じゃない……」


「まぁ、ユカナ様にも、いずれ“分かる”時が来ますよ」とガルナードが穏やかに締めた。


茜は机に戻り、指を一本立てて言った。


「さて。リュシアが言ってたように、時代が進めないってことは、何かいつもと違う要素があるってこと。だったらまずは、今の戦力をしっかり整えておきたい」


「承知しました」


リュシアは神力運用盤を展開し、続けた。


「残っていた軽槍兵3部隊を中装槍兵に進化……-30」


茜が頷く。


「これで槍と投槍は全て進化完了。シュメール基準では……圧倒的戦力ね」


「はい。これだけあれば、通常戦では問題は発生しないかと。ただし――」


リュシアの声が少し硬くなる。


「この先が読めない今、少しでも文明を進化させることが望ましいです」


「同意だな」とガルナードが口を挟む。「備えは何よりの盾。進む道が見えないからこそ、足元を固めるのが良かろう」


「うん。じゃあ、今できることは?」


「まずは以前一度開放した文明レベル2-1【青銅武具と密集戦術】で雇用可能な中装歩兵を開放しましょう。機動力が高く、防御は中装槍兵にやや劣りますが汎用性は高いです。それと今回の戦いで私は主殿の元で10回の戦いを経験したため、指揮官レベルが上昇し、指揮補正を含め様々な補正の度合いが増加しています。例えばこれまでは文明や兵種開放で-27 %の補正が入りましたが、ここからは-29%も補正となります。」


「リュシアの能力って本当便利よね。了解! それじゃまずはその新しい能力を使ってバランス型の兵種を開放する」


コスト:100 → 補正-29%で71 → 残り神力:138


リュシアはさらに資料をめくりながら言った。


「次が問題です。文明Lv2-2【改良戦車と機動戦】の開放……通常コスト160、補正後114で可能です。ただし――」


「ただし?」


「これを開放しても、現時点では神力が残らないため、そこから先の兵種開放や雇用はできません。進化だけは出来ますが、それも現在の神力では不足していますから、次に神力が入るまでは“開けただけ”になります」


「ふむ……で、この文明レベルが開くと、最終的に何ができるようになるの?改良戦車という事は、機動力のある部隊の開放だよね?」


「現在のシュメール戦車が、エジプト戦車射兵に進化可能です。そして、新たに“ヒッタイト戦車兵”を開放することができます。ただし、それらは次の神力が入った段階での話になります」


茜はしばし沈黙した。机の上のコマを指で回しながら、ぽつりと聞く。


「ねぇ、ガルナード。今の私達の戦力で……前線を安定できる?」


「できますとも」


彼は微笑んだ。


「シュメールのこの時代に、これだけの軍備を整えられる都市国家はまずありません。戦線は維持できます」


「……なら、リュシア」


「はい」


「開放して。これは……半分賭けだけど、今やっておくべきだと思う」


「了解しました」


文明Lv2-2【改良戦車と機動戦】を開放 → -114→ 残り神力:24


光のエフェクトが静かに盤面を包み、新たな文明が開放された。


****


数日後、朝焼けの光がウンマの城門を朱に染めた。門の外、整然と並ぶ王子軍の列。その先頭のシュメール戦車に立つルガルニル王子は、金の飾り紐をあしらった純白の外套をまとい、街を見つめる眼差しにわずかな緊張と、抑えきれぬ誇りを宿していた。


「……ここまで来ましたね」


茜がその隣で微笑む。王子は彼女に応えるように小さく頷いた。


そして、城門がゆっくりと開かれる。


その瞬間――


「おおおおおおおっ!!」


裂けるような歓声が、ウンマの都市を震わせた。


王子の凱旋を祝うため、街路には無数の市民が詰めかけていた。両脇にびっしりと並ぶ人々は、花を投げ、香を焚き、歓声を上げる。神殿から遣わされた神官たちは詠唱の詞を奏上し、巫女たちが鈴を鳴らして行進を先導する。


屋上からは布が垂れ、壺に盛られた大麦と戦利品が、ゆっくりと運ばれていく。中にはラガシュから献上された銀器や織物の列も整然と続いていた。王子の軍の兵たちは、誇り高き勝者の列に相応しく、陽光の中を堂々と行進していた。兜を外し、顔を上げ、時に市民の歓声に微笑みで応じるその姿には、勝利の自信と誇りがにじみ出ていた。


「ルガルニル王子、万歳!」


「我らの英雄よ、ウンマの誇り!」


挿絵(By みてみん)


そんな声が湧き上がる中、王子が右手を掲げて手を振ると、それに応えるように歓声はさらに大きく膨れ上がる。まるで街そのものが王子の帰還を歓迎するかのようだった。


それを見た茜も、少し照れながら試しに手を振ってみた。


――すると。


「風の巫女様だ!」


「風神の巫女に感謝を!」


「風の神ユカナの導きに感謝を!」


茜のまわりに、ひときわ大きな歓声と喝采が沸き起こる。次々と花が投げられ、彼女の歩く先には拍手の波ができていた。


「う、うわ……なにこれ……」


思わず目を丸くしつつも、自然と口元がほころぶ。彼女は胸元に差していた風の指揮棒をそっと抜き取り、思い切って高く掲げてみせた。陽の光を受けて、銀の羽根飾りがきらりと光る。風が、その羽根をそっと揺らした――ように見えた。それを見た民の一人が思わず声を上げた。


「風が、応えてる……!」


誰ともなくそう囁いたその瞬間、観衆はざわめき、そしてさらなる喝采が巻き起こる。


――これが、自分のやってきたことの結果なのか。


歴史書でしか見たことのなかった「古代の凱旋式」が、いま目の前に広がっている。そして自分は、その主役のひとりなのだ。少しだけ目を伏せて笑いながら、もう一度手を振ると、今度は子どもたちの歓声まで混ざった「風神の巫女様!」という声が響き渡った。


「……ふふ、ちょっと、くすぐったいかも」


と、肩元からひょいと顔をのぞかせたユカナが、真顔で言った。


「ねぇ茜……私がそのユカナ神本人だってバレたらどうなるの?」


「そのぼんやりとした表情だと……全信仰、一瞬で吹き飛ぶわね。確実に」


「やっぱり!? うわー……絶対だめだこれ……」


「だから、今は預言者のふり。ね?」


「……その方が、絶対よさそう……」


一行はそのまま、街の中心部へと行進を続ける。


人々の祝福、香の匂い、太鼓の響き。シュメールの都市国家における勝利の儀――“凱旋”が、誇らしげに、そして確かに、この都市に刻まれていた。


賑わいの中心が、徐々に都市の最奥――神殿前の大広場へと移っていく。凱旋の行列が最高潮を迎えるその瞬間、荘厳な神殿の階段の上に、ひとつの影が姿を現した。


「……あれが」


茜が、無意識に声を低める。


ルガルザゲシ王――ウンマの覇王が、堂々たる姿で神殿の正面に立っていた。これからシュメールを統べる覇王にして、神権と王権を一身に集める者。その出で立ちは、まさに神殿の頂に相応しく、白と金の衣をまとい、天を象った王冠が燦然と光を放っていた。その口元には微笑があった。穏やかで、威厳と慈愛に満ちたそれは、民の前で見せるべき“王の顔”として完璧だった。


――だが、その目は。


まったく、笑っていなかった。その目が、凱旋の列の先頭――ルガルニル王子をまっすぐに見据える。王子もまた、その視線に気づいていた。わずかに背筋を伸ばし、儀礼的な動作で片膝をつく。


「父上、命に従い帰還いたしました」


静かな声が、祝福の空気に切り込むように広場へ響く。


「宿敵ラガシュを征し、その地を我がウンマの旗の下に置きました。これはすべて、父上の御導きと、ウンマの威光の賜物にございます」


「よってこの戦果を、ウンマに、そして父王に捧げます」


その報告は、完璧な言葉だった。軍事的、政治的、そして宗教的にも、何一つ欠けることなく“勝利の献上”を示していた。


……ただし。


そこには、「キシュ」の名も、「ウル」の名も、ひとことも出てこなかった。また、「ウルカギナ王」――宿敵たるラガシュ王を生かして逃がしたことにも、一切触れられていなかった。階段の上の王が、わずかに目を細めた。


ほんの一瞬。だが、その一瞬を、茜は確かに見た。


(……やっぱり、気づいてる)


茜は唇を引き結び、王子の背を見つめながら、内心で呟いた。


(王子も、あえて伏せた。キシュやウルとの交渉、ウルカギナ王の処遇――そのすべてを。……でも、それを黙って聞いてる王様も、“何か”を考えてる)


静かに沸騰するような沈黙の中、王と王子の視線だけが交差していた。


「……これは、ただの凱旋じゃ終わらないわね」


茜の胸の奥で、警鐘が鳴っていた。長い間、沈黙が続いた。だがやがて、ルガルザゲシ王は階段の上でわずかに息を吸い、そのまま堂々と手を掲げた。


「よくぞ戻った、我が息子、ルガルニルよ!」


その声は、すぐさま広場のすみずみにまで届いた。


「そして民よ――見よ、我らの王子が、宿敵ラガシュを討ち果たし、勝利と共に帰還した!」


再び歓声が湧き上がる。だが、王はそれを制するように手を上げ、重々しく続けた。


「この勝利は、一将の武ではない。我がウンマの結束がもたらした栄光である!」


「そして我らがルガルニル王子が居る限り、ウンマの未来は揺るがぬ。シュメールの中心、それが今や、このウンマなのだ!」


雷鳴のような喝采が、大広場を包んだ。


「ルガルニル王子、万歳!」


「ルガルザゲシ王に栄光を!」


「ウンマこそ、神に選ばれし都!」


人々は花を振り、神殿の階段を指さして歓声を上げ、都市そのものが歓喜に震えた。茜はその光景を見つめながらも、どこか醒めた目で王の表情を観察していた。


「……完璧な演説ね。民衆も熱狂してる。けど――」


王が王子へ向けた視線には、やはりひとかけらの温かさもなかった。


「……終わりじゃない。これは“前置き”だわ」


その隣でリシュアも、小さくうなずいた。


「公式の場では、さすがに何もないでしょう……ですが。水面下では、確実に何かが進んでいます。おそらくこれが…私達が次の時代に進めなかった理由なのでしょう」


「なるほど、これでは我々も先の時代に進めませんな」


ガルナードはそう言って、気楽に肩をすくめる。リシュアは、やれやれとでも言いたげにため息をついた。その横で、ユカナは呟く。


「茜…なんか……みんなニコニコしてるのに……息苦しい気がする」


「気づいてるじゃない、雰囲気を読むことは一人前ね」と茜が笑うが、その笑顔もほんの一瞬だった。


やがて、歓声がやや落ち着いた頃。ルガルザゲシ王は王子へ視線を戻し、短く告げた。


「……正式な報告は、神殿内で聞こう」


それだけ言い残して、王は静かに背を向け、神殿の大扉へと向かっていった。振り返ることも、手を振ることもなかった。さっきまでの笑顔は影もなく、ただ、沈んだように厳しい――“王”の顔だけがそこにあった。

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