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21話 戦わずして得る信仰、広がるユカナの名

戦場に残る塵煙がようやく収まった頃、茜は自分の天幕へと戻ることなく、その場で捕虜となったキシュ軍司令官と対面していた。衣服に砂をかぶった男は、ひざまずいたまま顔を上げず、ただ沈黙している。傍らにはガルナードが控えていた。


「この者、どう処すべきか――ご判断を」


彼はあくまで静かに問うたが、その視線には一切の情けがなかった。茜はしばらく司令官を見下ろし、ふう、と短くため息をついてから言った。


「リュシア、あなたはどう思う?」


呼ばれたリュシアは、淡々と一礼して言葉を紡ぐ。


「シュメール統一という長期目標を考えるならば、キシュは敵である以上に“交渉相手”です。ここで強硬に出るより、寛大に処して味方の意志を示す方が、結果的に周辺諸国にも示威となりましょう」


その言葉に、ルガルニル王子も静かに頷いた。


「私も賛成です。勝利をもって圧するのではなく、道を示す……それが、真の勝利者というものでしょう」


「ふむ……」


茜はわざとらしく考え込む素振りを見せてから、唇に小さな笑みを浮かべる。


「じゃあ、釈放ね。でも――」


彼女は指を一本立てた。


「身代金くらいは欲しいわよ? ね?」


その一言に、王子はわずかに口元をほころばせた。


「ええ。戦時中でもありますし、軍資金に困るのは双方同じ。……全員まとめて銀30ミナ程度が妥当でしょう」


「……うん、それはもっともだけど」


茜は小さく肩をすくめ、柔らかく言った。


「今後のことを考えれば、ここで欲張る必要はないかな」


彼女は歩み寄ると、捕虜の司令官を見下ろしながら告げた。


「キシュからの身代金は――銀10ミナ。それで全員分よ。悪くない取引でしょ?」


司令官が目を見開いたまま顔を上げた。その表情には、驚きと安堵、そして――わずかに敬意がにじんでいた。


「……感謝を」


膝をついたまま、キシュ軍の司令官がかすれた声で告げた。茜は、その言葉に首を振る。


「私達に感謝はいらないわ。その代わりに――私たちをここに遣わした“風の神ユカナ”に、感謝して。キシュに戻ったら、その神に奉納でもしてくれれば、それでいいの」


その瞬間、司令官をはじめとする捕虜たちの表情が変わった。


「……風の神ユカナ……」


「慈悲を与えた神……」


「我らを赦したのは、その神のご意志……」


そう、彼らは誤解した。自分たちの命を救ったのは、茜ではなく――その背後にいる神、ユカナだと。その場にいた兵たちが、徐々にその名を口にし始める。ささやきは風に乗り、戦場を越えて、捕虜たちの心に確かな印象を刻み込んでいった。


「ユカナ神のご加護だ……」


「風の神ユカナの巫女将軍……」


そんな声が次々に広がっていく。その光景を見ながら、ルガルニル王子はわずかに苦笑した。


「……神々の均衡が、少しばかり揺らぎそうですね。ウルの神官がこれを聞いたら、眉をひそめるかもしれません」


しかし、すぐにその表情を改めて穏やかに続けた。


「けれど……この遠征そのものが、風の神ユカナの預言を契機に始まったのも事実。あなたが巫女としてその名を語ることには、私も異を唱えません」


一方、リュシアは呆れたように肩を落とし、小声でぼそりと漏らす。


「また詐欺まがいなことを……」


隣でそれを聞いたガルナードは、目を細め、静かに頷いていた。


「しかし主の振る舞いは、敵味方問わず心に残る。信仰が伝播するなら、それは立派な“力”ですな」


こうして、捕虜たちは解放され、身代金支払いのための使者が立てられた。この異例の寛大な処置と、神の名を掲げた赦免に、キシュの兵士たちの間には深い衝撃と静かな感銘が広がっていった。やがて、キシュの一部神殿では、まだ仮の扱いとはいえ、風の神ユカナの名を加えた香炉が焚かれることになる。それは“誤解”で始まった信仰だったかもしれない。だが、神とは、そうして育つものなのかもしれなかった。


茜は自分の天幕へ戻ると、満足そうに腰を下ろした。


「さて……ユカナ様の信仰がまた一つ芽を出しましたよ、と」


「それにしては、身代金の計算だけは妙に現実的でしたね、主」


リュシアの冷静な声に、茜はあっさり笑った。


「だって、どうせあとで王子から恩賞もらうし。今は恩を売るターンなのよ」


横でユカナがゴロリと横になりながら、むにゃむにゃと眠たげに言った。


「信仰がふえたら……昼寝もふえるかな……」


「ふえないよ!!」


茜の突っ込みが、静かになった戦場に小さく響いた。


****


アダブの戦いから二日が経った。


南方の地平線に、細く立ちのぼる砂煙が見えたのは朝のことだった。偵察隊が駆け戻り、茜のもとへ粘土板を差し出す。


「ウル軍、南方より接近中。小規模編成、おそらくキシュへの援軍です」


「来たわね、最後の客が」


茜は天幕の布の隙間から陽の昇る方角を見やりながら、机の上に置かれていた風の指揮棒に自然と手を伸ばした。指先がその羽根飾りに触れると、微かに布のすきまから風が流れ込んできたような気がした。その横でリュシアが冷静に補足する。


「規模から見て、主戦力にはなり得ません。ただ……向こうはこちらの戦況を知らないはず」


正午過ぎ、ウル軍がアダブ周辺に到達した。隊列は整然としていたが、その動きには若干の慎重さと緊張が混ざっていた。彼らが目にしたのは、完全な布陣を維持し、戦闘態勢を解いていない茜・ウンマ連合軍。


「……まさか」


ウル軍を率いていた神官将、エン=ナンナは顔を強張らせた。彼は完全に想定していなかった――キシュが、すでに敗れていたことを。敵の軍勢は明らかに疲労を見せておらず、むしろ整然としている。王子軍も茜軍も健在で、損耗も見えない。しかも、こちらの倍はあろうという精鋭部隊の布陣。


「戦えば――滅びる」


神官将としての直感と宗教都市を背負う責任が、即座に決断を下させた。


「退く。我らは……戦ってはならない」


だが、ただ撤退するには理由が必要だった。その時、茜たちから交渉の使者が送られる。エン=ナンナはそれを“渡りに船”とばかりに即座に応じ、儀式服を整えてウンマの司令部へと赴いた。


挿絵(By みてみん)


使者に導かれた神官将は、すぐに司令部の天幕でルガルニル王子と茜のもとに通された。居並ぶ護衛と文官たちの中、緊張感はあれど、敵意はもはやどこにもなかった。


「――本当に、戦を収める条件がこれだけなのですか?」


粘土板に刻まれた文言を見つめながら、エン=ナンナが口を開く。そこに記されていたのは、都市の割譲でも、神殿の支配でもなかった。


「はい。ウルの大神殿にて、“風の神ユカナ”を信仰対象に加えていただくこと。そして年に一度、銀一ミナと大麦百二十リットルの奉納を」


茜の返答に、エン=ナンナは思わず顔を上げた。


「それだけで……よろしいのですか?」


「慈悲の神の啓示ですので」と茜は静かに微笑む。「寛大であることが、勝者の余裕――と、どなたかが申していました」


神官将は一瞬目を伏せたのち、深々と頭を垂れた。


「この寛大な裁きに、我らの神々が試練の意図を込めたのだと信じます。我らウルの祭司団は、必ずこの誓約を守りましょう。風の神ユカナにも、我らの祈りを捧げます」


この様子を傍らで見ていたルガルニル王子は、苦笑しながら小さく肩を揺らした。


「……キシュの時も驚かされましたが、今回もまた、随分と手加減されたようで」


「こういう時にかけた恩が後で効いてくるってのが、お約束なのよ」と茜が穏やかに答えると、王子は「なるほど」とうなずき、「たしかにキシュとウル、二都市に恩を作れたのなら、外交の種としては上々でしょう」と満足げに語った。


****


陽が傾きかけた丘の上。茜は、風になびく髪を押さえながら、遠ざかっていくウル軍の列を静かに見送っていた。その隣には、ルガルニル王子。沈んだ陽光の中、その瞳はどこか感慨深げだった。


「……戦わずして終わる戦など、夢物語だと思っていました」


「案外、夢って現実になるのよ」


茜はさらりと答えた。


「信仰は奪うものじゃなくて、植えるもの。そうすれば、後でいくらでも収穫できるでしょ?」


王子は笑みを浮かべたまま、短くうなずいた。


「あなたは不思議な方だ、茜殿。剣ではなく、言葉と信仰で勝利を得る。……本当に、本物の戦友だ」


「ふふん、それ、ちゃんとルガルザゲシ王に報告しておいてね。あとで何かもらえるかもしれないし」


冗談めかした口調の裏に、しっかり打算が覗く。その顔は――満面の笑みだった。王子は軽く肩を揺らして笑ったが、何も言わずにその場を去った。一人残った茜は、遠ざかるウル軍の影をしばらく眺めてから、ふう、と息をついて踵を返した。天幕に戻ると、そこにはすでにリュシアが待っていた。机の上には粘土板が整然と並び、横ではユカナが相変わらずゴロリと寝転んでいる。


「……また、随分と柔らかい条件を提示されましたね」


リュシアが開口一番、冷静な声で言った。


「両都市国家から信仰ゲット。これ以上の理想的展開、ある?」


茜が自信満々に言うと、リュシアはこめかみに手を当てて小さくため息をついた。


「“ユカナ神の啓示”という言葉、最近主の口からしか聞いていない気がするのですが」


「ね、ユカナ。最近、啓示いっぱい出してるでしょ?」


「えっ……うん……? なんか……知らない間に信者が増えてるし……啓示ってどう出すんだっけ……」


天幕の隅で、ユカナが現実逃避のように縮こまる。


「神官に聞かれたら即バレですよ。……いえ、むしろ今の時点でギリギリアウトです」


「でも結果的に信仰が集まってるんだから、結果オーライでしょ?」


「……ええ、戦略的には見事です」


とリュシアは認めたうえで、目を細めて付け加える。


「その結果を使って自分の欲望も満たそうとしているのが、問題なのですが」


「ちゃんと目的に沿った形で動いて、ついでに私の欲望も満たしているだけよ?」


茜が肩をすくめて笑ったとき、隣のユカナがぼそっとつぶやいた。


「なんか……このままだと、神事とか……ほんとに増える気がする……寝てる場合じゃなくなりそう……」


「……神として、それはちょっと頑張ってほしいかな」


天幕の静けさの中、粘土板の整理を終えたリュシアがふと顔を上げた。


「そういえば、今回の展開について――一つ気になることがあります」


茜が椅子の背にもたれながら首を傾げる。


「ん?なにか変だった?」


「変というより……前例にない、です」


リュシアは慎重に言葉を選ぶように続けた。


「これまで私が同行した導き手のいくつかのパターンでは、アダブでの戦いそのものが起きなかったのです。こことは違う場所での戦いでシュメールの戦いは構成されていました……」


茜は眉を上げた。「ふぅん……じゃあ、今回のこれは、想定外?」


「はい。ただ、結果としては非常に見事でした」


リュシアは穏やかに微笑み、続けた。


「強硬ではなく、恩と信仰で都市を収め、敵を屈服させる。“神の名のもとに”というのは戦略的にも優れています」


「お褒めに預かり光栄ね」と茜が笑うと、リュシアはすかさず現実的な話に戻す。


「それで……神力の精算報告をいたします」


茜が身を乗り出した。


「まず、初戦勝利のボーナスが90、戦術評価Sによる報酬が40。さらに、キシュとウルでの信仰開始によって+20の神力が付与されました」


「やった、信仰ボーナス!」


「ただし、その20はユカナ様自身に付与されたポイントです」


「はいはい、それは私が使います!」


「えっ……えっ!?わ、わたしの、神力……」


ユカナが布団から飛び起きてうろたえる。茜は手をひらひら振りながら軽く流した。


「あなたの神格を上げるための、戦略的投資ってことで。ね?」


「最近、神って……大変なんだね……」ユカナが遠い目をした。


「さて、損害による神力消費は計10。中装槍隊が5%損耗×2部隊で2、軽槍隊が10%×3で3、シュメール戦車部隊が10%×2で5」


「ってことは、差し引きで140……もともと残ってた神力39を足すと、そうね……」


「ちょうど179です」


茜は腕を組んで少し考えた。


「これ、温存するのも手だけど、リュシアはどう思う?」


リュシアは即答した。


「今の流れなら、使っても構いません。信仰基盤が安定し始め、神力の収支も見通しが立ちます。それに、今回のシュメールキャンペーンは、一応これまでのパターンでは全4戦構成――次が最後です」


「最後か……なら、準備はちゃんとしておかないとね」


リュシアは軽くうなずき、提案を続けた。


「まず、練度・武装度がまだDのままの軽槍兵2部隊をCへ強化。コストは50」


「よし、それいこう」


「続けて、先ほど雇用した弓兵(早期型)の強化を。練度・武装度をDまで上げるのに25」


「これもやっとく。弓兵、意外と便利」


「現在の残り神力は、104ですね」


リュシアはひと呼吸置き、やや慎重に言葉を選んだ。


「半分“先行投資”になりますが――文明2-1、『青銅武具と密集戦術』の開放を推奨します。通常なら神力130が必要ですが、私の補正で95に」


「文明Lv.2……いよいよって感じね」

茜はしばらく目を細めて考えたが、すぐに笑って言った。


「開けよう。文明は進めてなんぼでしょ!」


「承知しました。開放します」


「で、残り9神力っと……」


「……またほとんど全部、使い切ったね」


「資源は使わなければ意味はないですから」


「……そうやって、私の神力まで……」ユカナが布の中で小さくつぶやいた。


「大丈夫大丈夫、そのうち“啓示”が出て神力貯まるから。たぶんね!」


リュシアは無言で額を押さえ、ユカナはさらに布団に潜り込んだ。

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