2話 契約と脅しと、SSR召喚
「契約も済んだようだし…」
契約の言葉を交わした瞬間、ユクアの声が、すっと温度を失った。
さっきまでの芝居がかった微笑や、甘ったるい誘導口調は鳴りを潜め、代わりに響いたのは、何かを管理する者の淡々とした響きだった。
「……では、次に進めましょう」
茜の肩が、無意識にひくりと跳ねる。
気のせいか、空気が一段階、硬くなったような気さえした。
「まずは、対象の呼び出しを」
そう呟いたユクアは、足元に現れた光の輪の前に進み、今度はまるで教師が遅刻常習犯の生徒を呼び出すかのような、明確に刺すような声で告げた。
「ユカナ。出てきなさい」
——ピキンッ。
その言葉には、妙な迫力があった。
神の名を冠する者が本気で呼ぶ時の声。
“業務命令”と“苛立ち”と“抑圧”が混ざったような、冷たい圧。
数秒の沈黙ののち、光の奥から、何かが「ズリズリ」と引きずられるように現れた。
それは、どう見ても“やる気のない”少女だった。
しわでいっぱいの神衣を着て、足元は……なぜかスリッパ。
髪はぼさっと肩に落ち、目は半分閉じたまま。無言のまま、目だけでこちらを見ていた。
「……えー、なんで……まだ寝てたんだけど……」
「寝てたんじゃないでしょ。さっきから呼んでたの、わかってたでしょ?」
「でもさぁ……あの声、キツすぎ……」
少女、いや、“妹神”ユカナは、まるで呼び出された猫のようにぐずりながら、ユクアの隣に立った。茜はその様子を見て、ほんの数秒沈黙し——心の中で、ぽつりと呟いた。
「……これ、ヤバい案件だ」
そして即座に質問を投げた。
「ねえ、ユクア。契約したばっかなんだけど、クーリングオフ制度ってある?」
ユカナが「あ、わかるそれ……」と小声で同意しようとしたその時、ユクアが笑顔を貼り付けたまま振り返った。
「あるわけないでしょ♪」
その言葉は、なぜか“無邪気”に聞こえるのに、背筋が寒くなるほど重かった。
「契約は成立したわ。神との契約は絶対。条項の途中解約は認められていないし、破棄しようとすれば——」
ユクアはひと呼吸置いて、にっこりと微笑んだ。
「地上には戻さず、ずっと私の小間使いとして働いてもらうだけよ?」
「えっ」
「無期限で。交代なし。残業代ゼロ。神界基準で福利厚生もなし」
「ねえちょっと!? 契約内容、労基通ってないよね!? そもそも地上に返さないって人権どこいった!?」
「神には通らないわ。だって私たち、概念の存在だもの」
「いやそっちの概念でこっちを縛るのやめてくれない!?」
「でもあなた、同意したじゃない。自分の意志で」
その言葉と共に、ユクアが指を鳴らすと、茜の右手の甲に柔らかな光が浮かび上がる。サインのように煌めくそれは、“神契”の印だった。
「……やられた……」
茜は額を押さえ、低く呻いた。
「これ……詐欺じゃなくて……完璧な、合法案件じゃん……」
「そうよ♪ だから次は、旅の目的を説明するわね」
唐突に切り替わったユクアのトーンに、茜は眉をひそめた。
「は?」
「今回、あなたに協力してもらう本当の目的——それは、このユカナの神格を引き上げること」
「神格?」
「ええ。まだ未成熟な存在の彼女を、ちゃんと“人々に祈られる神”として認知させる。そのためには、信仰が必要なの」
ユカナは、ソファにもたれたままフードを目深にかぶって、だるそうに手を振った。
「やらなくていいなら、やりたくないんだけどなぁ……」
「いいえ、やるのよ。あなたはもう契約の対象に組み込まれているんだから」
「……ぅい……」
見ているだけで胃が痛くなりそうな状況に、茜は口を開いた。
「で? その信仰ってやつ、どうやって集めるわけ?」
「単純な話よ。歴史上の様々な時代に降臨し、人々に“奇跡”と“偉業”を見せること。そうすれば自然と彼女への信仰が生まれる」
「奇跡と偉業……それって、まさか——」
「そう。最も効率の良い信仰獲得手段は、“戦争で劇的な勝利を得ること”」
「……」
「人間は勝者を崇める。絶望から救ってくれる存在を“神”とする。あなたは、その舞台を作るための立会人なの」
「つまり、私が戦争に関わるってこと?」
「ええ」
即答だった。あまりにも悪びれなくて、逆に殴りたくなるレベルの潔さだった。
「ユカナを英雄として見せるため、あなたには部隊を指揮してもらう。神力を支給するから、それを元手に兵士を雇い、配置し、戦場を制してもらうわ」
茜の目が鋭くなる。
「……でも、ちょっと待て」
さっきのやり取りが脳裏に蘇る。
「“見るだけ”って言ってたじゃん。『導いてくれるだけでいい』『助言する』『傍観することもある』って——」
「言ったわよ?」
ユクアは笑顔で肯定する。
「だって、あなたは“指揮官”なんだから。現場に出て剣を振るうわけじゃない。指示を出し、状況を把握し、全体を“見る”。それがあなたの役目」
「……それ、“見るだけ”の意味が違うからね!?」
「でも、私は嘘は言ってないわ。あなたに『前線に出ろ』とは一言も言ってない。あくまで“導き手”としてお願いしただけ。実際、あなたがやるのは戦況の分析と判断であって、刃を交えるわけじゃないでしょ?」」
「うわー……詐欺の手口じゃん、それ。解釈のトリックってやつ……」
「神の言葉は常に多層的なの。解釈は信徒に委ねられる」
「開き直ってんじゃねーよ!」
茜が半ば叫ぶように言うと、ユクアはさらに追い打ちをかけるように優雅に微笑んだ。
「それに、もしあなたが戦場に出て、槍でも剣でも使って活躍したいというなら、それは“あなたの自由”よ。尊重するわ。私の言葉とは矛盾しない」
「しないどころか、完全に私のせいにしてきたな今!?」
「あなた、自由意思って大事にするタイプでしょ?」
「うるさいわ!」
茜はがっくりと肩を落とした。これまで交わしてきた“柔らかな契約の言葉”の裏に、こんな固い実務が詰まっているとは——詐欺じゃないだけに、なおタチが悪い。
「……で、最初から戦場に送り込まれるってこと?」
「もちろん、まずはチュートリアル。いきなり本格的な戦争は大変だから、ちゃんと練習はさせてあげる。簡単な原始時代の集落同士の戦いよ。」
「……ま、チュートリアルから始まるって言うなら、いきなり死にはしないってことでしょ」
がっくりと肩を落としつつも、茜は渋々うなずいた。怒りや呆れを突き抜けたその態度は、まさしく“納得してないけどもう仕方ない”の極地だった。
「完全に話が違うじゃん……。でも、お宝は欲しいし……」
彼女はポケットに手を突っ込んで、隠し持っていた金貨をそっと指でなぞった。重さが、リアルにずしりと訴えてくる。引き返すにはもう遅い。
とはいえ、ここで大人しく引き下がるのは、性に合わない。
茜は、ソファでぐったりしているユカナに目を向けた。さっきからやる気ゼロの態度を崩さず、スリッパをぱたぱたと音もなく揺らし続けている。
「……ねえ、ユクア」
「なにかしら?」
「この子、なんでずっとあんな感じなの? 正直、神として売り出すどころか、引きこもりサポート案件にしか見えないんだけど」
その言葉に、ユクアの口元がぴくりと動いた。しばしの沈黙。小さくため息を吐いた彼女は、ついにぽろっとこぼす。
「……これまで何人かに頼んだのだけれど、全員、途中でリタイアしてしまって……」
茜の目が鋭くなる。
「そろそろなんとかしないと……私の神格にも影響が出てきてるのよね……」
その瞬間だった。
「へぇ〜……なるほど」
茜の声が、やけに明るく響いた。
「つまり、追い詰められてるのは、実はあんたの方だったってことじゃん?」
ユクアが一瞬、動きを止めた。
茜はそこを見逃さない。完全に“落とし所”を見つけた営業スマイルで畳みかける。
「私がここで“やっぱり辞めます〜”って言ったら、また最初からやり直し?次の候補を探して、一から信頼関係構築して、神格下がるのに耐えて、上層神に怒られるのを待つの?」
「……」
「ねえ正直、私に断られたら、困るんでしょ?」
茜はわざとらしく顎に手を当てて、にやにやと笑う。
「それならさ、私……ここで“永遠に小間使いとして生きる”っていうのもアリかな〜って思ってきた。戦争より楽そうだし。“神界限定ニートコース”って響き、悪くないわよね?」
「……っ」
わずかに表情を引きつらせたユクアを見て、茜は“勝ち”を確信した。
ユカナが茜を見て小さく「この人、強い……」とぼそっと呟いたが、誰も気に留めなかった。
「……仕方ないわね」
ユクアはそう言って、やや悔しそうに息を吐いた。
「じゃあ特別に、召喚の恩典を一度だけ許可するわ。本来は後の試練で開放されるべきものだけれど、今回は特例として」
「召喚……?」
茜が首を傾げると、ユクアは神妙に頷いた。
「あなたがこれから指揮を執るにあたり、“指揮官”という存在が必要になる場面があるわ。彼らは、部隊に戦術補正や士気支援を与える存在。あなたの軍に、知恵と秩序をもたらす者たちよ」
「ふーん……」
「……それと、もうひとつ。神力の支給についても、今回は特別に増額するわ」
「ん?」
「本来なら初期支給は100が基準だけど、“誠意”として+50して、合計150支給する。これは最大限の譲歩よ。もうほんとにギリギリ」
茜は目を輝かせた。
「おお、数字で誠意が見えるって最高。言質も取ったし、ありがたく使わせてもらうわ♪」
ユクアは渋い顔で、「この時点でこれほど譲歩するとは……」と小さく呟いた。
「で、その“召喚”ってどうやんの? また契約印とか使う?」
「召喚の刻印はあなたの意志によって発動する。心に強く“求める”こと。それが、神界の召喚における最も純粋な意思表明」
「……って、つまりガチャね」
茜が指を立てて、目を輝かせた。
「完全にソシャゲのガチャじゃん、それ! マジで神界って万能だわ!」
「……少し違うわ。これは神託の選定よ。あなたの魂に呼応した存在が現れるの」
「でも運要素あるよね? SSR的なやつ出る可能性あるよね?」
「……まぁ、否定はしないけど……」
「よし、じゃあ今すぐ引く!!」
「ちょ、まだ説明の途中……!」
だがその言葉より先に、茜の手の甲が淡く発光を始めた。
「いま引かないと、途中で取り上げられるかもって思ってさ!」
茜は構わず光に手をかざす。
その様子を見ていたユカナが、ソファから少しだけ顔を起こしてぽつりと呟いた。
「……お姉ちゃんが……押し切られてる……」
茜の手の甲に浮かぶ“神契”の印が、一段と強く脈打ち始めた。その鼓動に呼応するように、空間全体が淡い金光に包まれていく。
「……あれ、なんか……来てる……?」
床の中央、神紋の刻まれた円環が回転を始めた。幾重にも重なる光の輪。その中心から、七色の輝きが、ふわりと立ち上る。
虹色の柱。
それは単なる光ではなかった。空気が震え、神域の空間に緊張が走る。眩さではない。威厳に似た何かが、そこにあった。
「……召喚反応、高すぎる……ちょっと待って、まさか……」
ユクアが、思わず声を漏らした。その目に浮かんでいたのは、“予想外”への警戒だった。
虹の柱の中から、ひとつの影が姿を現す。それは、女性だった。長身で、姿勢がまっすぐ。貴族の気品が漂う風貌。腰には装飾された書物と蒼銀の短杖。その出で立ちは、軍人というよりは、学者でもあり、儀礼者でもあった。
視線は冷静。感情の波がほとんど見えない。けれどその瞳には、研ぎ澄まされた知と責任感が、鋭く宿っていた。
女は一歩、また一歩と静かに進み出て、茜の前で足を止める。
そして、片膝をついて軽く礼を取った。
「召喚に応じ、ここに現れました」
「私は——リュシア・フォン・エルトシュタイン」
その名乗りは簡潔でありながら、貴族としての気品を宿した、正統な自己紹介だった。
「かつて中欧の王国で学徒として、錬金と文明の統治理論を修めた者。これより、貴女の命に従い、戦術と秩序をもって勝利へ導きましょう」
「……いや、ちょっと待って、なにこのSSR感……」
茜は思わず呟いた。その場にいた誰もが、それを否定できなかった。演出からして違う。虹、光、声、登場の流れ、佇まい——すべてが格上だ。
「リュシア、じゃない……?」
ぽつりと呟いたのは、ソファの上から顔を出したユカナだった。
「……うそ……ほんとに……」
珍しく、ユクアの声に驚きが混じっている。
「……あの人、前の導き手のときも出てきたけど……そのときは、あっちが使いこなせなくて……」
「ん? 知り合い?」
茜が目を細めると、ユカナはこくりと頷いた。
「うん、リュシア……すごい人だよ。静かだけど、軍も、知識も、ぜんぶ本気で一流。ただ、相性が悪いとぜんっぜん力が出ない。でも、うまく動けると……たぶん、最強クラス」
「へぇ……つまり、引いた私の腕が問われるってことね。それ、ちょっと燃えるかも」
茜がにやっと笑ったそのとき——
「……はぁ……まさかこの段階で引くとはね……」
ユクアが顔を押さえてため息をついた。
その表情は、明らかに“やられた”という顔だった。
「よりによって、リュシア・フォン・エルトシュタイン……」
神界側にしてみれば、想定以上に優秀な指揮官が、想定以上に厄介な人間(茜)の手に渡ってしまったのだ。この組み合わせ次第で、初期段階からバランスブレイクが起きる未来も視野に入ってしまう。
「いや〜、なんかゴメンね?」
茜は、ぜんぜん申し訳なさそうではない笑顔で肩をすくめた。
「でもほら、ガチャってそういうものでしょ?」
まずは茜の機転で、ユクアからガチャの権利をゲットしました。そしてこんな時に限って、良いカードが出るのは世の常です。結果的に、ここから茜がズルをする余地が生まれてしまう事に…。感想お待ちしています。