19話 勝ちすぎた代償と、先手必勝
戦いの興奮と喧騒が過ぎ去った翌日、ウンマ軍はそのまま勝利の余勢を駆ってラガシュへ向けて進撃を開始していた。だが、進軍中の野営の合間――茜たちは戦力の再編と補強に取りかかっていた。
「さて、恒例の“神力会議”といきますか」
野営地の小高い丘に設けられた茜の臨時司令スペース。茜はお馴染みの神力計算板を卓上に広げると、リュシアとガルナードを片手に招き寄せた。
「今回の戦利ボーナスは、初戦勝利ボーナス:70、戦術勝利報酬(S評価):30前回からの持ち越しも合わせて、計168ポイントっと……」
「被害回復は――中装槍兵2部隊で3、軽槍兵3部隊で5、戦車2で4、投槍兵2で2。合計14」
「で、残りは154」
そう手早く計算しながら、茜はふと口を開いた。
「……ねえリュシア。軽槍兵と中装槍兵って、被害率を考えると回復コストそんなに変わらないんだね?」
「単価で言えば近いですが、戦場での耐久や持久戦能力は全く別物です。主のご判断次第ですが」
「ふむ……」
茜が考え込む隣で、ガルナードが穏やかな声で口を開いた。
「継戦能力でいえば、中装槍兵は圧倒的に有利ですな。長引く戦いでは、兵一人の粘りが戦局を変えることもある」
「……全部中装槍兵に変えちゃおうかな。でも機動力がなあ……」
茜は頬に指を当てて悩む。
「そういう判断をいつでもできるのが神力の強みです。いざとなれば、中装槍兵は練度E・武装度Eですが、即席でも雇えますし」
リュシアがそう言うと、茜はにやりと笑った。
「なら別の方向から補強かけてみるか……リュシア、間接攻撃系って、指揮補正かけやすいんだっけ?」
「最も得意な部類です。弓兵であれば、私の支援でかなりの精度と射程を維持できます」
「決まり。投槍兵、ちょっと進化してみよう」
数刻後、粘土板の計算が終わる。
「投槍兵2部隊、まず練度と武装をB・Cまで上げて……進化させて弓兵(早期型)に。さらに1部隊、弓兵(早期型)を新規雇用……っと」
リュシアがその編成を確認し、静かに頷いた。
「地味な補強かもしれませんが、私の指揮補正と合わせれば――かなりの戦力になります。相手が投槍兵を使用している以上、弓兵の射程の長さは、市街戦でも大きな利点となるでしょう」
茜は満足げに手をパンと叩いた。
「頼んだわよ、リシュア。あなたが間接火力の要だから!」
野営地に、風が吹き抜けた。
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王子の天幕内は、まだ作戦会議の余熱が残っていた。火皿の灯りの下、王子は粘土板の報告書を前に腕を組み、深く思考の淵にあった。
「来てくれて助かりました。状況が変わりました」
王子は顔を上げると、すぐに本題を切り出した。
「偵察隊からの急報によれば――北の都市国家キシュが、軍を発してラガシュへ向かっています」
茜とリュシアが無言で頷く。
「さらに南では、ウルがキシュに呼応し、ラガシュ救援軍を準備しているとのことです」
一瞬、天幕の中の空気がわずかに緊張した。
「ラガシュ救援の名目ですか……ですがその実、ウンマの膨張を抑える意図が強いでしょう」
粘土板の報告書を手に、リシュアが落ち着いた声音で告げる。
「キシュは“王権の象徴”とされる都市。歴史的にも地域秩序の中立者を自称してきました。その彼らが動くということは、ウンマの勢力拡大が、秩序の崩壊として映っているのでしょう」
茜が眉を上げる。
「……勝ちすぎたってことね」
「その通りです、主」
リシュアはうなずき、さらに続けた。
「また、ウルからすれば。ラガシュが落ちれば、交易路がウンマに握られる。ウルとしては、それだけは何としても避けたい」
「つまり、港と物流ね」
「加えて宗教的な主導権。もしウンマがラガシュを制し、神殿都市としての地位を奪えば――それは、ウルの神々の影響力すら揺らがせる」
王子もまた、深く頷いた。
「結果として、キシュとウルが手を組むのは自然な流れです。宗教、交易、政治――三方面すべてにおいて、我らは脅威と見なされている」
茜は顎に指を添え、ふっと笑った。
「じゃあ、やっぱり“勝ちすぎたから”ってことだよね。風の神ユカナの威光、侮れないってわけだ」
その一言に、リシュアは肩をすくめる。
「本当に“風の神ユカナの威光”ならば、少しは主の行動も慎ましくなっているはずですが」
「なにそれ、失礼!」
天幕に、少しだけ穏やかな笑いが走った。しかしルガルニル王子は、わずかに疲れた声で提案する。
「両軍が揃えば、我々は不利。戦力差は否めません。撤退も……検討すべきかと」
茜の目が、ぴくりと動いた。
「待って」
王子の言葉を制して、茜は一歩前へ出た。
「その二つの軍、まだ合流してないんでしょ?それなら、戦える手はあるはず。二つの都市国家の合流予想地点はどこ?」
王子は僅かに目を細めた。
「……交通の要所はアダブ付近。確かに、あのあたりが合流地点になるでしょうね」
「キシュは北から、ウルは南から合流ね。なら、こっちは中央にいる。だったら――」
茜は、にやりと笑った。
「フリードリヒ大王やナポレオン式で、各個撃破ってわけ!」
リュシアがそっと咳払いする。
「……主。まだその二人は、三千年以上先の人物です」
「そういう話じゃないの。言いたいのは、今ここで勝負を仕掛ければ、撤退なんて考える必要ないってこと!」
その言葉に、王子はしばし沈黙し――そして、茜をじっと見つめた。
「……では、具体的な戦術について、聞かせてもらえますか?」
茜は微笑んだ。
「もちろん。ちゃんと計算してあるから――」
茜が戦況盤を開き、指を滑らせながら口を開いた。
「現在、ウンマ軍はアダブに最も近い位置にいる。ここから北東へ進めば、二日あればアダブ近郊に到達できる」
リュシアがその言葉に続くように説明を補足する。
「キシュ軍は北方から既に進軍中。彼らがアダブに到達するのは早くてその二日後」
「一方で、ウルの軍は南方から。規模は小さいですが軍はまだ編成中のようです。またユーフラテス川の渡河が必要ですから、合流にはさらに二日はかかりますね」
茜は指先で戦況盤のアダブを示し、そこから北と南に向かって線を引いた。
「だから今がチャンス。キシュが来る前にアダブを抑えて待ち構える。キシュ軍が到着した瞬間を狙って、こっちが先手を取る」
リュシアが続ける。
「その上で、キシュを迅速に撃破すれば、後から来るウルは状況を見て撤退する可能性が高いです。ウルは宗教都市。敗北が確定している戦に、自らの神殿と信徒を危険に晒すような無茶はしないでしょう」
王子はしばし戦況盤を見つめたまま、ゆっくりと頷いた。
「……確かに。ウルは理性的に動くだろう。キシュだけを叩けば、全面戦争には至らずに済む」
その言葉に、茜がぱっと顔を輝かせた。
****
アダブをめぐる情勢判断を終え、茜たちは自分たちの天幕へと戻ってきた。さっきまでの王子の天幕とは違い、こちらはやや雑然とした空気が漂っている。戦況盤の余熱、帳簿の書きかけ、そして椅子代わりの荷箱にごろりと寝そべる白衣の神。ガルナードは一足先に戻っていたようで、静かに飲み物を飲んでいた。
「ふう、戻った戻った……」
茜は腰を下ろすなり、大きく伸びをして叫んだ。
「やった!あれでこそ正解!これで次の戦いも続行ってこと!」
満面の笑みを浮かべたその顔から、ぽろりと“本音”がこぼれ落ちる。
「撤退なんてされたら、恩賞減るから困るんだってば!」
「……主、それは表で言わなくて正解でしたね」
リュシアが目を細めながら皮肉を返すと、ガルナードも苦笑しながら頷く。
「王子の前ではさすがに自重しておられましたが……やはり本音はそこですか」
「違うもん!」
茜は椅子から身を乗り出すと、机を両手で叩いて言い返した。
「ユカナの神格だって、上げなきゃいけないじゃん! だから、この戦争でラガシュを落とすのは必須!」
「……そこだけ強調されても説得力はあまり……」
「結果が同じなら、理由なんてなんでもいいの!」
その瞬間、荷箱の上で寝そべっていたユカナが、けだるげに片手をひらひらさせて口を開いた。
「私は……平和でいいんだけどね~……あったかい石と、ごろごろできる床があれば……」
「ユカナ、それじゃ神格上がらないから!」
「別にいいよぉ……私は下がらなければそれで~……」
「神様のやる気がないってどういうこと!?神様って、もうちょっとやる気出すもんでしょ!?」
茜がぷるぷると怒りをこめて抗議するが、ユカナはふぁ~と大きなあくびを一つ。
「茜が頑張ってくれるなら、それで……うとうと……」
「寝るなーっ!」
その様子を見ていたガルナードが、お茶をすすりながらぽつりとつぶやいた。
「……主がこの調子だから、逆に戦場では頼れるのかもしれませんな」
「どういう意味それっ!?」
「おそらく、そのままの意味かと…」
茜の抗議にも動じず、リュシアは既に次の戦況資料を手にしていた。
天幕の中は相変わらず賑やかだったが、その賑わいこそが、茜の軍の“らしさ”であった。
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翌日――
早朝の濃霧が晴れる前に、ルガルニル王子の命により、ウンマ軍全体が動き出した。
行き先はアダブ。
南北の交通を結ぶ要衝であり、キシュ軍とウル軍が合流するであろう地でもあった。
茜たちは先行してアダブ周辺を制圧し、陣地を確保。野営地と臨時拠点の整備が開始される。
その上で、リュシアの指示により偵察部隊が北と南、二方向に派遣された。
「状況はどうなるか、数日で全てが決まります」
リュシアの声には、どこか期待と緊張が混ざっていた。
***
そして、偵察報告が届いたのはその翌日――
天幕に入ってきた斥候が粘土板を差し出しながら報告する。
「キシュの援軍、北方より進軍中。アダブ到達予定は明日と見られます!」
茜が反射的に顔を上げる。その横で、リュシアが冷静に次の報告を促す。
「……そしてウルは?」
「こちらは南方にて確認されましたが、まだ三日はかかる見込みです!」
「予定通りね……!」
茜はふっと息を吐いた。戦況盤に向き直ると、その上の都市マーカーを指先でなぞる。
「北から来るキシュ、南から来るウル――だけど、ここにいるのは私たち。中央にいる者の特権ってやつ、最大限に使わせてもらうわ」
****
アダブの西側、丘陵を背にした広い野営地に、ルガルニル王子の軍の列が姿を見せた。ルガルニル王子を先頭にした本隊が到着し、茜たちの軍と合流を果たす。兵たちは整然とした動きで着陣し、旗印が風に揺れ、野営地の規模が一気に膨れあがる。
「王子軍、無事到着。予定より半刻早いです」
リュシアが報告を終えた頃、茜はすでに王子の天幕へと向かっていた。天幕の中では、火皿の炎が揺れていた。ルガルニル王子は鎧のまま席に着き、茜とリュシアを迎えると、粘土板に視線を落としたまま尋ねた。
「……では、例の偵察報告。聞かせてください」
リュシアが進み出て、一礼しながら静かに報告を始める。
「北方のキシュ軍は、アダブへ向けて進軍中。到着は明日朝と予測されます」
「……そしてウル軍は?」
「南方より進軍中ですが、距離・編成速度から見て、到着には三日以上かかるものと思われます」
ルガルニル王子は静かに目を閉じ、息を吐いた。
「まさか、都市国家間の合流にこれほどの時間差が出るとは……いや、そもそもこのように時間差を見て“各個撃破”を仕掛けるなど、かつてのウンマ軍では考えもしなかった」
王子は目を開き、茜を見据えて微笑んだ。
「……見事な先見だ。茜殿、あなたの作戦はすでに半ば実を結びつつある」
「ま、予想通りってとこね」
茜はにんまりと笑って指を組み、天幕の布越しに外を見やる。
「少し安心した? 明日はいよいよ決戦だけど、今回は時間勝負だからね。王子様にも、いつも以上に頑張ってもらうよ?」
その言葉に、リュシアがすかさず小さく咳払いを入れた。
「主、その言い方は命令口調に聞こえます」
「指揮官だから!責任重大なのよ!」
そんな軽口を交わしながらも、王子の瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
「……まかせておけ。ここまで来たら、負けるわけにはいかない。キシュを討ち、ウルを退けて、ラガシュへ――それが我らの道だ」
茜はその言葉にうなずいた。




