15話 ズルから始まるシュメール統一戦争
翌朝――。
朝霧の残る静かな街に、軽やかな足音が響いた。
茜たちは、ついにウンマ西区の旧貴族屋敷へと正式に移住した。王子の用意してくれた屋敷は、泥レンガと木枠で組まれた二階建て。藁葺き屋根の下には中庭と井戸、小さな祭壇と使用人部屋まで完備されており、まさに“体験型古代生活”の極みだった。
屋敷の門前には、既にポプリタイ(スパルタ)部隊が警護に立ち、威圧的なほどの存在感を放っていた。筋骨隆々の兵たちが無言で門前に並ぶ様は、まさに「武の神殿」のごとし。
「……っっ、これ……完全に古代シムライフの最高難易度クリア特典じゃん……!」
茜は鼻息荒く、屋敷の石段に立ち尽くした。朝日を浴びた泥レンガの壁がオレンジに染まり、歴史資料でしか見たことのなかった“本物の暮らし”が、目の前で脈打っている。
「二階建てレンガ住宅に住めるなんて、リアル古代定住民じゃん……っ! もう夢とか妄想とか超えてるよ!これ現実だよね!?」
「現実ですよ、主」とリュシアが背後から冷静に突っ込む。
「神界に拉致されて歴史改変を始めた時点で、夢の中みたいなものではないか」とガルナードが呟いたが、茜のテンションはもう止まらなかった。
午前中、屋敷の片づけも一段落すると、茜はぴょこんと立ち上がった。
「イルシュ! 案内してくれるって言ってた市場、行こっ!」
「待ってましたー! 姫様、都会初デビューですねっ!」
陽気なイルシュの声に応じて、茜は勢いよく外套を羽織った。金糸入りの刺繍が朝の光にきらめく。
「ユカナは……どうする?」
問いかけると、屋敷の隅の寝台からくぐもった声が返ってきた。
「……無理……今日、動ける気がしない……」
「昨日、ほとんど動いてないじゃん!」
「……今日は“神の休息日”……」
布団にくるまったユカナは、完璧なまでの怠神モードだった。
「よし、放置で!」
茜はきびすを返すと、イルシュを引き連れていそいそと屋敷を後にした。
午後の市場は、朝の喧騒を一段落させた分、どこか落ち着いた熱を帯びていた。
通りにはまだ多くの人が行き交い、売り手の呼び声や香辛料の香りが風に乗って漂ってくる。屋根のない露店には、色とりどりの品々が並べられ、その合間を縫うように土器の壺がぎっしりと積まれていた。
「……これが……リアル古代都市国家の市場……!」
茜は圧倒されつつ、興奮を抑えきれずにあちこちを見渡した。
「ねっ、ウンマの市場、けっこうすごいでしょ!」
横でイルシュが嬉しそうに胸を張る。
香辛料を盛った壺の前では、クミンやフェンネル、乾燥ニンニクの香りが混ざり合って鼻をくすぐった。別の店では粗塩、炒り麦、干し玉ねぎが並び、陶器の水瓶や簡素な杯には渦巻模様や動物の意匠が施されていた。平パンやナツメの団子も、焼きたての温もりを残して蒸気を上げている。
「ぜんぶ……“資料の中の単語”だったのに……いま、目の前で動いてる……!」
茜の頬は、現実の熱気に染まっていた。
「じゃ、姫様。今日は晩ごはんの材料、いろいろ揃えてみよっか」
「もちろん!」
二人は香辛料店へ足を運んだ。店主の男はにやりと笑いながら、手で天秤の皿を示す。
「ご婦人方、お支払いは秤量銀か? それとも穀物との交換?」
茜は懐から、昨日王子から受け取った銀の束を取り出した。棒状・小片・リング状の銀塊が細い紐でまとめられており、それぞれに小さく“印”が刻まれている。見れば、王子家の紋章らしき印が浮かんでいた。
「これで交換できますか?」
「おお、王子印の純銀か。信用は十分だ。ほら、こっちに天秤がある」
商人が出したのは、両皿式の天秤と、古代的な重錘。1シェケル=約8グラムの小石型錘を基準に、銀塊の重さを量る。
茜は一片の棒状銀塊を天秤に載せた。商人は皿のもう一方に重錘を並べて測る。
「……ふむ、これは6シェケル分くらいの重さだな。これで豆、それからパンと交換できるぞ」
「じゃあそれでお願い!」
ふたりは以下の品を選んだ。
クミンと乾燥ニンニクの詰め合わせ:3シェケル相当
焼きパン 4枚:4シェケル相当
レンズ豆の乾燥袋(1リットルほど):2シェケル相当
干しデーツ(甘味用):1.5シェケル相当
中サイズの羊チーズ:6シェケル相当
合計:16.5シェケル。茜は別の銀片と合わせて再計量し、正確に分割して渡す。
「なんか……本当に、銀の“重さ”で食材と交換してる……!」
その仕組みに、茜は感動すら覚えていた。通貨ではなく、ただ“価値のある重さ”としての銀。物と物の“間”を繋ぐ、最もシンプルな取引の形。
「実はこの辺の商人、朝より午後のほうが少し値を下げるの。日が沈む前に品を減らしたいからね」
とイルシュがこっそり囁く。
「そうなの!? なるほど……午後来て正解だったかも!」
ふたりは笑い合いながら、袋を抱えて市場を歩く。
ふと、通りの奥に見慣れない光がちらついた。ラピスラズリ――あの深く澄んだ青が、皿の上で静かに輝いている。
「……っ……あれは反則……!」
ネックレス、耳飾り、小さな祈祷印章。どれもが芸術的な細工であり、茜の歴史オタク魂を直撃した。
「交換できる銀は、ある……けど……」
茜は小片銀を一つ取り出し、じっと見つめた。王子の紋章入り、宝物庫由来の品。
「……これは自分の趣味に使っちゃだめだよね……支給品だし……」
言葉とは裏腹に、指が小刻みに震えている。
「……姫様、意外とマジメなんだね」
と、イルシュが感心したように笑った。
「“意外”ってなんだ“意外”って……」
「ふふ。でも、そういうところ、ちょっと好きだな」
顔を赤くしながら、茜は銀片をそっと布袋に戻した。
「……よし、今日は見るだけで我慢。明日また来よう、予算ちゃんと組んで!」
「了解〜。じゃ、そろそろ帰って晩ごはん作戦だね!」
市場の賑わいを背に、ふたりは陽の傾いた通りを歩く。袋の中では銀の代わりに、香辛料や豆、デーツの甘い香りが揺れていた。
茜はふと立ち止まり、空を仰いだ。
「……あー……ほんと……生きてるんだな、今、ここ……」
その横でイルシュは、静かに、そして誇らしげに微笑んでいた。
「姫様、なんか……ウンマに来てくれて良かったなって思っちゃった」
何気ないその言葉に、茜はそっと、照れ隠しの笑いで返した。
「私は、こっちがすごすぎて、まだついていけてないんだけどね……でも、好きになりそう」
そう言って、二人は袋を揺らしながら、レンガの家並みの奥へと帰っていった。
****
食事は、市場で仕入れた食材に加えて、ナムティの手による仕上げが施されていた。四角い陶板皿に並べられたのは、焦げ目のついた平パン、レンズ豆のとろみある煮込み、ざっくり切られた羊乳チーズ。そして干しデーツの甘煮と、塩で和えた香味野菜。いずれも古代メソポタミアの典型的な家庭料理だ。
「……これ、見た目は素朴だけど……うん、すっごく丁寧に作られてる……!」
茜は、少し冷めた平パンを指先でちぎり、レンズ豆の煮込みをすくって口に運ぶ。豆はしっかり煮崩され、とろみがある。香辛料は控えめだが、塩気とクミンの風味がじわりと口の中に広がる。
「わ……これ、地味だけどすごい……!」
舌の上で転がすたびに、素材の輪郭がはっきりする。調味料の少なさが、かえって豆の甘みや麦の香ばしさを引き立てていた。
「昨日の王子の晩餐会の料理は貴族風って感じだったけど……こっちは“生きるための味”っていうか……なんていうの、身体にしっくりくる……」
チーズはねっとりと濃厚で、やや酸味が強いが、それがパンの素朴さとよく合う。干しデーツはねっとりと甘く、香味野菜の塩気がそれを引き締めていた。
「これ、塩と香辛料だけでここまで風味出せるの……? ナムティさん、すごい……!」
「民の味に、贅はございませんが」とナムティは淡々と答えつつも、茜の目を見て微かに笑った。
イルシュは平パンをちぎってチーズを包み、ぱくっと食べながら言った。
「ね、姫様、これが“本物のウンマごはん”!」
「うん……もうこれで、ふつうに定食屋開けるよ……“ウンマ定食セットA”って感じ……」
「なにそれ」とイルシュが笑い、リュシアも思わず吹き出しそうになって唇を押さえた。
「主、それはたぶん現代の概念です……が、評価としては伝わりました」
ガルナードも無言でパンを手に取り、噛みしめる。質素な献立に表情を変えることはないが、その手元はどこか丁寧だった。
茜は、もう一度豆の煮込みを口に運びながら、深く息を吐いた。
「……素材と塩と僅かな香辛料……それだけでこれだけ美味しいって、なんかこう……文明の原点って感じがするよね……」
そのつぶやきに、誰もがふと手を止めて、食卓の静けさを共有した。
「お口に合えば幸いです。食後の支度はこちらで整えますので、どうぞごゆっくり」
「洗い物はあたし達がやるから~!」と、イルシュも軽快な声を残して調理場へと消えていった。
残されたのは茜と、リュシア、ガルナード、そして白衣姿のまま床に足を投げ出しているユカナの四人だけとなった。
茜は背もたれのない腰掛けに体を伸ばしつつ、静かに言った。
「……あー、でもやっぱり思うのよ。王子からもらった銀で、自分の楽しみのためにラピスラズリ手に入れるとか、やっぱちょっと違うよね」
不意な真面目発言に、リュシアが驚いたように目を細めた。
「主でも良識的なことを……。これは記録に残しておいた方がよさそうですね」
「なにその“珍しいもの見た”みたいな顔……」
茜は苦笑しながら、持っていた銀の小片を指で弄ぶ。
「でも使えないってなると……やっぱり“稼ぐ”しかないじゃん。どの時代でも、信仰ってお金になるんじゃない? ってことで、ユカナの出番かなって」
その瞬間、リュシアの表情がスン……と冷えた。
「……撤回します。今の発言、帳消しです」
リュシアの反応は冷たかった。
「主よ、ほどほどにな……」とガルナードも低く唸るように付け加える。
「いやいや、違うのよ? 私欲とかじゃなくて、ちゃんと信仰を広めて、神力を得るという高尚な目的のためで……」
「その説明の仕方が、すでに商人です、主」
「聞いて聞いて。リュシア、戦況盤ってさ、日食とかって出るの?」
唐突な質問に、リュシアが一瞬だけ眉を動かす。
「……確認できますよ。天文データの交差で、皆既日食や月食の出現は予測可能です」
「おお!」
「ちなみに、明後日の昼ごろに、皆既日食が起こる見込みです」
その瞬間、茜の目が据わった。
「きた。これは“神託の的中”を演出するには最高の素材……!」
「演出……?」
「つまり、事前に“風の神ユカナが告げる。明日、太陽が消える”って言いふらしておけば、本番で“ほんとに消えた!”ってなるでしょ?」
「やだなあ……面倒くさそう……」
ユカナがあからさまに目を逸らす。
「いや、頼むからやって。神の仕事して」
「私は何もしゃべらないし、立ってるだけだよ?」
「するする。演出は私がやるから。ユカナは“預言者の顔して立ってて”くれたらそれでいい!」
「本気で言ってますか、主……?」
「うん。だってこの時代、信仰とビジネスは切り離せないでしょ? 神力ゲージも増えるし、信者も増える、ついでに供え物もがっぽり。しかも、見せるだけでいいってお得じゃない?」
「……もはや詐欺ですね」とリュシアが疲れたように言った。
「でも、効果は絶大ですな」と、ガルナードだけは半ば納得している様子だった。
「やめるなら今のうちだよ~?」と、ユカナがごろりと寝返りを打ったが、茜はニヤリと笑って応えた。
「やらなきゃ、予算も未来もないんだよ、ユカナ。さ、明日は宣伝活動よ!」
そして彼女の目は、既に“信仰マーケティング”の成功イメージに向かっていた。
――その夜、シュメールの時代が動き始めるとは、まだ誰も知らなかった。
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翌朝。まだ空気にひんやりとした涼しさが残るうちから、ウンマの街にふたりの目立つ人物が現れた。
ひとりは風の刺繍入りの外套を纏い、目をきらきらさせている茜。そしてその隣には、長い白衣を引きずるようにして歩く、どこか浮世離れした佇まいの少女――ユカナ。
「ねえ……まだ行くの……? これ、あと何カ所……?」
ユカナは半目でぼやくように呟いた。
「あと五カ所! 街の主要拠点と広場、そして神殿の前。信仰はね、まず“認知”から始まるんだよ!」
「そっかー……」
まったく身が入っていない返事だったが、ユカナはそれでも抵抗することなく、茜の横を歩き続けた。預言者の役割は、“語らず、佇む”こと。その沈黙が逆に、神秘を生んでいた。
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まずは市門前。
次いで市場の入り口、中央広場、井戸のそば、香料の通り――。
茜はそのたびに小さな石台や木箱に登り、布越しに遠巻きに注目する市民たちに向かって、堂々と口を開いた。
「ウンマの皆さん、聞いてください!」
「明日――昼間の太陽が、空から姿を消します! でも、それは恐れることではありません!」
「それは、“風の神ユカナ”がもたらす天のしるし。この地が神に選ばれたことを示す、預言なのです!」
「闇が訪れても、光は戻る。それは、あなたたちの未来を祝福する兆し――!」
茜が手を広げると、隣でユカナは棒立ちのまま、目を半開きにしてぼーっとしていた。だがその無言の姿が、逆に“神託の重み”を生んでいた。
白衣の裾が風に揺れるたび、人々は一瞬だけ息を呑むようにその姿に目を奪われる。
(……立ってるだけなのに、ずるいなこの人……)
茜は心の中でぼやきながらも、表情には満面の信頼を浮かべ続けた。
**
とはいえ、反応はまちまちだった。
「昼に太陽が消える……?」「え、なにそれ、ほんと?」「占い師か?」
「また怪しい神様かい……」と、訝しむ声もあれば、
「え、ほんとに明日なの?」「じゃあ見てみようか」と興味を示す者も。
誰もが確信は持てず、だが何かが始まっている空気には、確かに気づいていた。
**
そして、午後。
神殿近くの巡礼路で、ついに立派な装束を纏った神官が、ふたりの前に立ちはだかった。
「風神の巫女殿、申し上げます」
その声は静かで、しかし厳格だった。
「不確かな神託を大々的に吹聴されることは、民心を惑わしかねません。王子のご威光のもととはいえ、神殿の威信に関わります」
茜はにこやかに会釈を返した。
「もちろん、私たちはこの都市を混乱させる気はありません。ただ、預言はあくまで“予告”です。明日を見てからでも、判断は遅くないと思いますよ」
神官は一瞬だけ沈黙し、やがて「お気をつけて」とだけ残してその場を離れた。
「ねぇ……」
ユカナがぼそりと茜の肩に寄りかかるように言った。
「これ……明日、本当に太陽が消えなかったら……あたし、街から追い出されるやつじゃない……?」
「大丈夫! ちゃんと戦況盤が予測してるから!」
「いや……あの板、本当に信じていい……?」
「そこは信じて。神様でしょ?」
「信じてって……」
ユカナはうっすらため息を吐きながら、それでも黙って茜の後に続いた。その姿は、まさに“神託の担い手”――口を開かず、ただ立つことで語る者だった。
****
そして――翌日、正午。
ウンマ神殿前の広場は、異様な静けさに包まれていた。
普段は巡礼者や香油売り、供物を持った市民で賑わう場所だが、この日は違った。広場の一角に小さな石壇が設けられ、その上には金糸の外套をまとった茜。そしてその隣、白衣の袖を風に揺らす預言者・ユカナが、今日も例によって無言で立っていた。
人々はまばらに集まり、遠巻きに視線を送っていた。
「またあの神の使いか……」
「ほんとに昼に暗くなるって話、信じていいの?」
「さすがに嘘だったら笑うけど、ちょっと怖いよな……」
その場に集まったのは好奇心と警戒が入り混じった民衆たち。そして神殿の前には、昨日と同じ神官の姿もあった。
茜は、深呼吸して空を見上げる。
天は晴れ渡り、雲一つない。太陽は高く、まぶしい。
だが――その輪郭が、徐々に、ほんのわずかに、欠け始めていた。
「……きた」
小さくつぶやいた茜は、広場に向き直り、右手を高く掲げた。
「聞け、ウンマの人々よ!」
「この空の変化は、まさに“預言の成就”! 風の神ユカナが天に告げ、今日この時、太陽はその姿を隠す!」
「だが、恐れるな!」
「これは災いではない! 神の導きによる“祝福の証”だ!」
人々のざわめきが広がっていく。
そして、数分――。
太陽は、完全にその光を閉ざした。
影が伸び、広場が薄暗くなる。空気がひんやりとし、昼であるはずの空に、まるで夜が差し込んだような異様な空気が走る。
「……ほんとに……消えた……?」
「昼なのに、夜……!」
「お告げ……本当だったのか……」
一瞬、茜の背筋にも冷たいものが走ったが、すぐに顔を上げる。
「見よ! これが風の神ユカナの力!」
「だが、神は慈悲をもって光を戻す。恐れることはない!」
「風の神ユカナよ、あなたのご意志を示し、再び我らに光を――!」
と、そこで茜は隣のユカナにひそっとささやいた。
「ほら、合図。手、上げて」
「……えー、もう暗いの十分伝わったでしょ……」
「いいから、神の仕事!」
ユカナはしぶしぶ、けだるい動きで両手を天に向かって上げる。
ちょうどその瞬間――太陽の輪郭が、再び現れはじめた。
徐々に光が差し込み、闇が退いていく。まるで本当に、ユカナの手に導かれるかのように。
「戻った……!」
「風の神ユカナが……太陽を戻した……!?」
「これが神の御業か……!」
広場が、割れんばかりの歓声に包まれた。
「本物だ! 本物の神だ!」
「風の神ユカナに捧げよ! 麦を! 銀を! 羊でも!」
次々に人々が祭壇の前へ供物を運び込んでくる。乾燥麦、麻布の束、小さな銀の指輪、花を編んだ冠――あらゆる信仰のかたちが溢れた。
茜は目を見開いてそれを見つめた。
「…やった……信仰と供物ゲット!」
リュシアがやや複雑そうな顔でつぶやいた。
「……これはもう、詐欺では?」
ガルナードは腕を組みながら、それでも頷く。
「ただ、結果的に成果は上がっておりますな……神力も……十ほど入ってきております」
「ねっ!? これはもう正義でしょ!」
その時、ユカナはというと――
「……なんか、思ってたより目立った気がする……」
手を下ろして、そっと茜の後ろに隠れていた。
こうして、ユカナの名は本当に“神話”となり、ウンマに信仰が芽吹いた。
この日を境に、彼女の名を呼ぶ祈りが、都市のあちこちでささやかれ始めることになる。
――信仰という名の奇跡の第一歩は、確かにこの日、太陽の影から始まった。
その頃――
日食の奇跡が広場を揺らしていたまさにその瞬間、神殿の奥。重厚な石壁と彩色された柱に囲まれた謁見の間で、ひとりの男が静かに座していた。
ウンマ王――ルガルザゲシ。
王の目は細く、表情は揺れなかった。だが、天窓の向こうで太陽が黒く欠けていくさまを、彼はその目で確かに見届けていた。
そして――再び光が満ちる、その瞬間に。
「……本当に、光が戻ったか」
沈んだ声が、空気を震わせるほどに重く響いた。
彼の背後に控えていた神官たちが、どこか怯えを滲ませながら口を閉ざす。
王は立ち上がり、そっと歩を進めながら、低く呟いた。
「……あの神……本物かもしれん。でなければ、この奇跡、説明がつかぬ」
広場からの歓声が、神殿の石壁を伝ってかすかに届いてくる。
「ならば……あの女が言っていた“風の神ユカナの神託”、我がシュメールを統べる者になるという言葉……あれも、真だったということか」
王の目は、鋭く燃え上がった。
「……時が来た。シュメールを統一する、神に選ばれし者として」
****
翌朝。まだ朝霧が立ち込めるなか、茜とルガルニル王子は神殿の内殿へと呼び出された。
茜は緊張を装いながらも内心では「ついに来たか……イベント進行」と気分を高め、ユカナはいつも通り無表情(かつ眠そう)なまま従っていた。
神殿の奥に進むと、玉座の前に王が立っていた。
その威容には、いつか見た王のそれとは違う“決意”が宿っていた。
「ルガルニル、風神の巫女。よく参った」
低い声で王は言うと、手にした粘土板をひとつ、侍臣に差し出させた。
「ラガシュが動いている。南東の境、ギルス周辺に動きがあるとの報せだ」
静まり返る空気のなか、王はゆっくりと続けた。
「迎撃のため、ギルスに進軍せよ」
「そしてそのまま、我が軍の先陣としてラガシュを討ち、南部全域の掌握にあたれ」
「ルガルニルよ……これは、父たる我が命としてではなく、“神の時”を受けた者としての命だ。我らは“光を戻した神”の加護を受けているのだからな」
沈黙が落ちる。
そして――
「……父上、承りました」
ルガルニル王子はまっすぐに王を見つめ、深く一礼した。
そのあとで、そっと茜たちに振り返り、小さく笑う。
「いよいよ、出番ですね、風神の巫女殿」
その言葉に、茜はごくりと唾を飲み込んだ。
「やばい…今さらズルだって言えないし…」
ユカナは……相変わらず半分眠そうに「また面倒そうだね……」とだけ呟いていた。
だがそれでも、時代は動き出していた。
神の名のもとに――戦の季節が始まろうとしていた。




