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14話 風神の巫女、王子と交わす静かな誓い

一通りの部屋の案内を終えたルガルニル王子は、部屋の中央で一度振り返ると、静かに口を開いた。


「さて、この場を借りて、あなた方の立場と待遇について正式にお伝えしておきましょう」


茜たちが揃って向き直る。ルガルニルは卓に置かれた粘土板に視線を落とし、慎重に言葉を紡いだ。


「あなた方は、今後“王子直属の外部援軍”として、我が軍に位置付けられます。加えて──“風神の巫女”という称号が授与されます」


「風神の……」茜は思わず繰り返した。


「ウンマの民は風を神の言葉とみなします。新たな信仰であれ、風を媒介とする神託を否定はしません。あなた方が“風神の使い”を名乗るのであれば、それを尊重する形での称号です」


言い回しは慎重ながら、明らかに配慮の感じられる表現だった。


「風の神ユカナの巫女か…まぁ、悪くないわね」と茜はつぶやく。


続けて、ルガルニルは脇に控えていた部下から細長い木箱を受け取ると、それをそっと開いた。


中には、風を切るような流線型の銀色の羽根装飾がついた、矢状の木製指揮棒が静かに納められていた。


「この指揮棒は、先ほど配下に命じて急いで仕立てたものです。あなたが風の名を借りて軍を導くのならば、あなた自身が“風の道筋”を指し示す存在でなければならない。どうかこれを──指揮棒として受け取ってください」


茜は驚いたように目を見開き、それからゆっくりと箱の中に手を伸ばした。


手に取った瞬間、不思議と風が吹き抜けたような錯覚があった。


「……重くはないけど、責任はずっしりってやつね」


思わず漏らした言葉に、リシュアとガルナードがわずかに微笑を浮かべた。


「またこの称号により、以下の限定的な権限が付与されます。城門の自由通行、軍令の補佐権、物資調達の承認権、ならびに市内での公的な取引許可。必要に応じて配給や支給も適用されます」


一通り聞き終えたところで、茜はぽつりと呟いた。


「なんか……ちょっと官僚みたい……」


ユカナが小さく笑い、ガルナードは無表情でうなずいた。


「すでに軍人の扱いに近いということですね」とリュシアが補足する。


「今日のところはこの部屋を仮住まいとしていただきますが……」ルガルニルは少し姿勢を正した。


「明日には、ウンマ西区の旧貴族屋敷が使えるようになります」


「お屋敷……?」


茜の目がぱっと輝く。


「もとは地元豪族の屋敷でした。二階建て、泥レンガ造り、藁葺きの屋根。中庭に井戸と簡易な祭壇があります。使用人部屋も2〜3室あり、少人数の滞在には十分です。急ぎ補修をかけましたので、生活には支障ありません。あとで紹介しますが、使用人もつけましょう」


「……っっ、リアル……!」


茜は勢いよく手を合わせて声を上げた。


「歴史資料で見たやつだ……! 本物の、古代シュメールの住宅に住めるなんて……! 完全に体験型テーマパークじゃん……!」


「テーマ……パーク……?」


ルガルニルが首を傾げる横で、リュシアが「主はご機嫌ということです」と淡々と訳してみせた。


「よかった……王子様、ありがと~!」


満面の笑みで頭を下げる茜に、ルガルニルはわずかに目を見開き――そして、柔らかな笑みを返した。


「歓迎します、“風神の巫女”。この都市でのあなた方の働きに、私は大いに期待しています」


こうして茜たちは、“異邦の神託を携えた部族の使者”として、ウンマに正式な足場を築いたのだった。


「また、いくつか支給物資も用意しております」


ルガルニル王子は、側近の兵に目配せすると、様々な大きさの銀塊が布の上に載せられて差し出された。


「これは銀の秤量塊――合計でおよそ五〜六ミナ分。物資交換の基準となるものです。市場での物資取引にお使いください」


茜は銀の塊を手に取ると、ずしりとした重みと輝きを見つめながら呟いた。


「……これ、現代だったら“金券”みたいなもんか」


「それと、こちらも」


次に差し出されたのは、数枚の粘土板。そこには刻まれた楔形文字と印章がしっかりと押されていた。


「神殿の配給所に持参すれば、食料や基本的な道具が支給されます。これは王子軍への正式な配給権に準ずるものとして発行しました。そなたらにも適用されるべきだと判断しています」


茜は粘土板を見つめながら、実務モードの口調でこぼした。


「……最低限の食事は保障されてるんだ。よかった、これで職場環境クリアだね」


「職場……」とルガルニルが再び眉を寄せるが、今度はリュシアも笑みを見せた。


「主は、“自分が今いる場所を職場”と置き換えて話す癖がありまして」


「なるほど」


ルガルニルは短く頷き、そして、ふと懐から小さな箱を取り出した。


「もう一つ、これは私からの個人的な贈り物です」


開かれた木箱の中にあったのは、小さなラピスラズリのブローチ。青に金の縁取りがなされた、落ち着いた装飾品だった。


「信頼の印として、身に着けていただければ」


「えっ、王子様からプレゼント……っ!」


茜のテンションが一気に跳ね上がる。


「本物のラピスラズリ!? しかもこの時代の、貴族からの直渡しとか……すごっ、歴史とリアルが同時に来た感じ!!」


「宝石の価値以上に、“王子の信任”を可視化する意味が大きいですね」とリュシアが補足する。


「そうそう、それ!」と茜はうんうん頷きながら、胸元に大事そうにブローチを留めた。


そして――扉がノックされた。


「入ってよいぞ」


ルガルニルの声に応じて現れたのは、二人の女性だった。一人は年配の凛とした女性、もう一人は小柄で快活そうな若い娘。


「こちらは、皆さんのお屋敷の世話を任せる者たちです」


まず前に出たのは、年配の女性。背筋がまっすぐに伸びた姿に、ただ者ではない空気が漂っている。


「ナムティと申します。かつて軍司の妻を務めておりました。以後、“姫様”の身辺はこのナムティが預からせていただきます」


「姫様!?」茜が一瞬たじろいだ。


「……いえ、あの、私はそんな身分では……」


「いいえ、異国の神託を持ち、この地に変革をもたらす方――まさに“姫様”とお呼びするにふさわしゅうございます」


「……なんか、すごいこと言われてる……」


一方、もう一人の少女が勢いよく前に出た。


「イルシュでーす! 市場のことならお任せをっ! 王子の推薦で来たから、そこそこ信用あるってことでよろしく!」


「……あ、明るい……!」


「お姉さんたち、都会初めてでしょ? まずは市場から案内するね! あそこ、マジ楽しいから!」


「えっ、ちょっと待って。情報量と勢いがすごい……!」


イルシュのテンションに押される茜を見て、ルガルニルは肩をすくめつつ苦笑した。


「彼女は少々賑やかですが、市内の案内には適任です。ナムティとのバランスが取れるかと」


「うん……うん……たしかに、いろんな意味で……」


笑いながら頷いた茜の胸には、少しずつこの時代、この街の空気が馴染みはじめていた。


ルガルニルは一息つくと、再び茜たちに向き直った。


「最後に、これも差し上げましょう。あなた方にはこの地の民として振る舞っていただく必要があります。最低限の礼として──衣を整えてください」


そう言って、側近に目配せする。すぐに数人の召使いが布包みを抱えて現れ、丁寧に広げていく。そこには、シュメール貴族の伝統衣装が一式、色とりどりに並べられていた。


「これ……!」と、茜の目が一気に輝いた。


「ついに……夢の“貴族ごっこ”解禁かーっ!」


一同が一瞬ぽかんとする中、リュシアが咳払いで話を戻す。


「それぞれ、個人の役割にふさわしいものを用意しました」


ルガルニルが静かに説明を加える。


「リュシア殿には、青地を基調とした落ち着きのある儀礼衣を。ガルナード殿には、戦士としての威厳を示す重装風のマント付き軍礼服を。預言者どのには巫女としての白衣を。そして、貴女には……」


王子は茜の方を向いた。


「金糸を織り込んだ、風の刺繍入りの外套と帯飾りを。ユカナ神の巫女として、最も目を引く衣装を選びました」


「……っっ、最高……!」


茜は一目見ただけで、既に脳内で自分が古代貴族になった妄想が暴走しはじめていた。


「皆様、どうぞこちらへ。着替えのお手伝いをいたします」


とナムティが声をかけ、イルシュも「じゃ、あたしこっち担当~♪」とノリノリで女性陣を別室へ案内する。


* * *


少しして、部屋の戸がそっと開かれた。


最初に現れたのは、長い袖を揺らして歩くリュシア。淡い藍色の衣は彼女の静かな佇まいによく似合っている。


続いて姿を現したのは茜。金の風の刺繍が入った白の外套をまとい、腰に巻かれた帯には風を模した刺繍が輝いていた。顔には満面の笑みが浮かんでいる。


挿絵(By みてみん)


「ど、どうかな!? 完ッッ璧じゃない!?」


「姫様……とてもお似合いでございます」とナムティが深く頷き、まるで自分の娘の晴れ姿を見るように目を細めた。


「ふふっ、これで市場を歩いたら、誰もが振り返るね~!」とイルシュがひとこと。「ま、あたしも負けてないけど?」


茜はくるりとその場で一回転し、ふわりと外套の裾を翻す。


「これだけで信仰の威光が増しそう……!」


その勢いに、リュシアはやや呆れ顔ながらも「主にしては、ふさわしい演出ですね」と頷く。


最後に現れたのは、白く染め上げられた巫女衣をまとったユカナだった。


布地はやわらかく、風にたなびくような軽やかさがあり、神聖な清浄感を演出するのにふさわしい装いだった。髪には小さな銀の飾りが留められ、どこか荘厳な雰囲気さえ感じさせる。


茜が思わず見とれていると、ナムティがうやうやしく頭を垂れた。


「預言者どの……お姿がまさに“天の客”でございます」


「ふふ……そう?」と、ユカナは頬を緩めて小さく微笑む。


その仕草ひとつに、不思議な威厳と穏やかさが同居していた。


――が、次の瞬間、茜の耳元に顔を寄せて、こっそりと囁く。


「……この服、けっこう動きやすいね。ずっとこれでもいいかも」


「いや、預言者でしょ、あなた」


「一応、ちゃんとしてるよ。ほら、預言者モード」


ユカナは急にきりっと姿勢を正し、無言で天を仰ぎ、“神託を受け取る風”なポーズを取ってみせる。茜は必死で笑いをこらえた。


そのやり取りの一部始終を見ていたルガルニルは、柔らかく口元をほころばせた。


「……預言者どのは、あまり言葉を交わされないものと思っておりましたが。こうして楽しげに過ごしていただけるとは、光栄です」


「っ……!」


ユカナはぴたりと固まり、顔を伏せて「……うっかりしゃべった……」と小声で呟いた。


茜は肩を震わせながら、フォローを入れる。


「大丈夫、“神の戯れ”ってことにしとくから」


****


その夜、ルガルニル王子の私邸にて、小さな歓迎の宴が催された。


庭に面した開放的な一室には、粘土製の低い卓がいくつも並べられ、その上には色鮮やかな料理が並ぶ。煌々たる飾りつけこそないが、どこか温かみのある照明と、素焼きの燭台に灯る柔らかな光が、素朴ながらも贅沢な空間を演出していた。


茜は卓の端に腰を下ろしながら、ふと周囲を見渡した。


(……あれ? この規模……思ったより、かなり小さい?)


招かれていたのは、数人の高位軍属と、王子の側近、そして使用人たちだけだった。


「もしかして……王家の中でちょっと浮いてるとか? 王子、王に疎まれてるパターン……?」と、茜は一人ごちたが、すぐに「いやいや失礼か」と首を横に振る。


ルガルニル王子はあくまで落ち着いていて、客将である自分たちに対しても礼節を崩さず、真摯だった。その誠意は、次第に茜たちの警戒心を溶かしていった。


やがて、食事が始まる。茜は手元の皿に置かれた香ばしい肉の塊を口に入れた。


「これ……本物だ……本物のメソポタミアの味だ……!」


呟くその表情は、完全に「感動の古代グルメ探訪モード」である。


「東京の古代展で、“当時の再現レシピ”って触れ込みの特設レストラン行ったんだけどさ……そっちは、やたら洗練されてて、オシャレにまとまってたのよね」


彼女は焼き羊肉の残りを指でちぎりながら、目を細める。


「でもこっちは違う……味が太い。粗削りなのに、香りが強くて、何より“生きてる”って感じする……っ」


噛むほどにあふれる脂とハーブの香りが、口の中を満たしていく。クミンのスパイシーな刺激、フェンネルの甘やかな清涼感――現代の味に通じながらも、何かが“圧倒的に違う”。


「素材の強さだけでここまで来るの、すごすぎ……文明すら噛み締めてる気分……!」


茜は完全に感動しきっていた。


次に取り上げたのは、デーツとチーズを丸めた団子状の甘味。


「えっ、これデーツ!? ナッツの代わりに果実でコク出してる……天才じゃん!」


こっくりとしたチーズの塩気と、デーツのねっとりした甘みが絶妙に混ざり合っていて、思わずうっとりする味だった。


続いて、赤土色の器に注がれたレンズ豆のスープ。


ひとくち啜ると――


「っっ、これは……しみる……! 完全にビューティー食……!」


胃の奥に優しく届くまろやかな味。にんにくやハーブの香りが控えめに香る。


「これ毎朝飲めたら、美肌間違いないんだけど……」


飲み物もまた一興だった。藁のストローを挿して供されたのは、濁り麦酒“シカル”。ほのかに酸味のある野趣あふれる味わい。


さらに茜は手元の陶杯に注がれた、薄金色の液体――デーツ酒を、ぐい、と口に運ぶ。


「……うっっっま……!!」


香りは華やか、味はとろみを帯びて優しく、それでいて甘ったるすぎず――女性向けの現代リキュールよりも断然“完成されている”。


「これ……女子受け最高じゃん……ずっと飲める……!」


リシュアがやや警戒気味に横から覗き込んだ。


「主、あまり急がない方が……それは甘口ですが、度数はそれなりにあります」


「ん、大丈夫。私、お酒強いからっ」


と、満面の笑みで答える茜。既に三杯目に手を伸ばしかけている。


ガルナードが小声でリシュアに囁いた。


「この様子……酒で暴走するのではと危惧しておりましたが、むしろ……」


「むしろテンションが普段より落ち着いている気もしますね。恐るべし“満たされたグルメ魂”です」


一方、ユカナはデーツ団子を口に運びながら、酒の香りだけでうっとりした顔を見せていた。


「……おいしい……なんかもう……ここで暮らしたいかも……」


「ふふ、それは光栄です」と、近くにいたルガルニル王子が穏やかに笑むと、ユカナはぴたりと動きを止め、小声で「……聞かれてた……」と頬を赤らめた。


やがて、部屋の中央に巫女たちが現れた。彼女たちは白衣を翻し、輪になって舞い始める。柔らかな動きは風そのものを写したようで、静かな笛と太鼓の音に合わせて、空気さえも澄み渡る。


「これは……奉納の舞ですね。女神ニンフルサグへの……」と、リュシアが解説する。


そのとき、ふと音の調子が変わった。視線を向けると、宴の隅に座ったルガルニル王子が、優雅に竪琴を奏でていた。


「……王子……こんなに多芸だったとは……」


思わず茜が呟く。


煌びやかではないが、確かに美しい音色が空間を満たしていく。古代の王子――だと思っていたその人物が、音楽で客人をもてなす姿は、どこか不意打ちのようで。


(……もしかしてこの人、本物の“リアル王子様”だったりして……?)


茜はひと口、デーツ団子を頬張ると、微笑みながらつぶやいた。


「……ちょっと見直しちゃうかもね」


宴は、静かに、しかし確かなぬくもりの中で続いていった。


****


宴が終わり、彼らは屋敷の一室に戻っていた。


天井の低い泥レンガの部屋。外はすっかり静まり返り、祭りの余韻のように遠くで微かな笛の音が風に乗って届いていた。


茜は丸い素焼きのカップを片手に、寝台の脇に腰を下ろしながら、ふとリュシアの方へ視線を向けた。


「ねぇ、リュシア。昼間、神殿でルガルザゲシ王に会った時、ちょっと顔つきが硬かったよね。なにか……気づいたことあるの?」


リュシアは少し間を置いてから、静かに口を開いた。


「はい。……ルガルニルという名前、あの王子に使われていることに違和感があります」


「違和感……って?」


「本来、この時代のウンマには“ルガルニル”と記録された王子の存在はありません。歴史文書のどれにも載っていない」


「つまり……名前がズレてる?」


「いえ、それだけではなく。もしこの世界の出来事が、史実と異なる分岐を始めているのだとしたら……いずれ、私たちの知る“正史”とは大きく異なる展開を見せるかもしれません」


ガルナードが、重い声で口を挟んだ。


「だが、それで困るのか? 名がどうであれ、我々は現実にこの地で戦い、生きるのだ」


「もちろん、即座に支障が出るわけではありません。ただ、未来の予測が利かないということです。油断は禁物ですね」


リュシアの言葉に、茜は肩をすくめながらにやりと笑った。


「うーん、でもさ、こっちに来た時点でもう歴史も何もズレまくってるわけでしょ? いまさら“正史”がどうこう言ってもなぁ。もし次にユクアと会う事になったら、聞いてみればいいよ」


その口ぶりは軽いが、どこか吹っ切れたような明るさがあった。


「それに、お宝と信仰、両方ゲットできれば、私としては万々歳なんだけど?」


リュシアは軽くため息をついてから、肩を落とすように微笑んだ。


「何が起きても動じない主で良かったです。本当に」


「よく言われるー」


そうして、三人の会話はふっと途切れた。


その隣で、ユカナは布にくるまったまま、すぅすぅと小さく寝息を立てていた。宴で出されたデーツ団子の満足感が、まだ顔に残っているようだった。


夜風がわずかに吹き込み、布のすき間から星の光が差し込む。


茜は天井を見上げながら、小さくつぶやいた。


「……ここが、ほんとに“始まり”なんだなぁ……」


静かな夜が、ゆっくりと更けていく。やがてすべての音が遠ざかり、屋敷は、時代の深みに抱かれるように、静寂へと包まれていった。


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