13話 偽りの神託と、本物の王子
乾いた風が丘を吹き抜ける。背後には、遥か時を越えた転移の光がまだ微かに揺らめき、前方にはシュメールの都市国家ウンマの輪郭が、泥色の霞となって遠くに見えた。丘の斜面で旅装を整えていた茜は、肩にかかる布を引き直しながら、ぼそっと呟いた。
「ねえ……ユクアの“認識阻害”って、本当に効いてるのかな? あの神、設定ガバガバなとこあるし……正直、あてにしたら痛い目にあいそうな気がするんだけど」
隣でストールを被り直していたユカナが、あっさりと頷く。
「うん。お姉ちゃん、基本ザルだから……信用しない方がいいよ」
「だよねー」と茜はため息をつきながら周囲を見渡す。「このまま門に行ったら、絶対止められるよね。思いっきり異国の格好だし……」
「見た目が違いすぎます」とリュシアが静かに言葉を挟む。「この時代、外見や装束の差異は即座に“異物”と判断されます。警戒を避けるには工夫が必要です」
「じゃあさ、ポプリタイ出して武威を見せればどう? “こいつら強そうだぞ!”って感じで!」
リュシアは、すぐさま首を横に振った。
「武威そのものは効果的ですが、彼らの装備はこの時代の常識を逸脱しています。むしろ“敵の使い”と見なされかねません」
「うーん、じゃあダメかぁ……」
腕を組んで唸る茜に、隣のガルナードが落ち着いた口調で進言する。
「では、武装を外し、代わりにこの辺の木で作ったこん棒でも持たせてはどうだ? 本物の武器がなくても、体格と佇まいで“ただ者ではない”と伝わるだろう」
「……それ、採用!」
茜は指を鳴らしてからにやりと笑った。
「“木の棒と筋肉だけ”のポプリタイってわけね。文明度の低い部族戦士ってことで、逆にリアルかも!」
「主にしては現実的な発想ですね」とリュシアはやれやれと肩をすくめる。
「ふふん、それなら、カバーストーリーも考えないとね」
腰に手を当てた茜は、間髪入れずに語り出す。
「私たちは南東の辺境に住む部族。信仰に篤くて、最近“ユカナ”って女神の神託が降りるようになったの。そしてその神託が言ったの。“ウンマがシュメール世界を統べる”って!」
「そこで援軍として来た……という理屈ですか」とリュシアが続ける。
「そう。ユカナは預言者の設定で、私はユカナ神の巫女。預言者は直接話せないって設定にしとけば、ユカナはずっと無言でも問題なし。リュシアとガルナードは護衛で、ポプリタイは部族戦士ってことにして、うまく誤魔化せば……たぶんいける!」
「なにもしなくていいのは、楽でいい……」
ユカナは棒読み気味に呟く。
「……どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか、もはや不明ですね」とリュシア。
「信仰ってのは、勢いと語りの妙なのよ♪」
茜は胸を張って、堂々と笑ってみせた。
草の匂いが風に乗り、遠くからは都市のざわめきが微かに届く。いま、千年の歴史の扉がゆっくりと、静かに開こうとしていた。城門は、泥レンガを幾層にも積み重ねた重厚な構造で、都市国家ウンマの威厳そのものを象徴していた。その前に、ひときわ風変わりな一行がゆっくりと近づいてくる。先頭には現代の衣装を纏った女──茜。その後ろに控えるは、無言の少女ユカナ、理知的な気配を纏うリュシア、重厚な雰囲気を漂わせるガルナード。そして、筋骨隆々の戦士たち──だが、その手に握られているのは、ただの木の棒だった。
門の上から、その様子を見張っていた衛兵が顔をしかめた。
「おい、そこの者たち──止まれ!」
鋭い声が空気を切る。門前にいた兵たちも警戒の構えを取る。だが、茜は微塵も動じる様子を見せなかった。むしろ堂々と、胸を張って名乗りを上げる。
「我々は南東の辺境の部族の者。預言者の導きにより、この地・ウンマに来訪いたしました」
一拍置いて、さらに滑らかに続ける。
「我らが部族では、“ユカナ”という新たな女神の神託が近年現れました。そして、その神託にこうありました──“ウンマこそ、シュメール世界を統べる運命にある”と」
衛兵たちは顔を見合わせる。茜は語りながら、隣のユカナにちらりと目を向けた。何も言わない“預言者”は、計算通りの存在感でただ黙って立っている。
「こちらは預言者。だが、神の声を直接聞く身であるがゆえに、言葉を持ちません。代わって私がその意志を伝える巫女です」
それだけではない。茜はさらに手を広げ、後方の護衛たちを示す。
「こちらは部族の守り手である戦士たち。武装こそ質素ですが、その力は保証いたします」
門番たちの目が、ゆっくりとポプリタイたちへと向けられる。たしかに、手にしているのはただの棒。しかし──その体格、その威圧感、その静かな佇まい……。
(……装備は粗末だが、鍛え抜かれている。まともにぶつかれば、こちらがやられるかもしれん)
ひとりの門番が小声で言った。
「……あれは本物の戦士だな」
やがて、隊長格と思しき壮年の兵が前に出る。鋭い視線で茜たちを一瞥し、低く唸った。
「……新興の信仰か、辺境の流行り神か……。だが、“ウンマが世界を統べる”とは、王の耳に入れて損はない話だ」
そして、手を掲げる。
「門を開けよ。王に報告を入れる」
ごとり、と重い錠が外され、門がゆっくりと開いていく。茜は、ほんのわずかに唇の端を上げた。
「ほらね、通れた」
リュシアはわずかに肩をすくめながら呟く。
「……ある意味、“ユクアの言葉はあてにならない”という主の予想、的中ですね」
「だってあの女神だよ? 信用してたら、きっと今ごろ全員捕まってた」
茜は飄々と笑いながら、門の中へと歩みを進める。こうして、風変わりな一行は、ついにシュメールの中心地へと足を踏み入れることとなった──まだ、誰にもその本当の目的も、潜在的な脅威も知られぬままに。
門が開かれた瞬間、熱気とともに広がるのは――まさに古代シュメールの都市そのものだった。泥で固められた街道、両脇に立ち並ぶ乾いた色調の家屋、土器を抱えて歩く人々の姿。市場には布や食物を広げた露店が並び、ロバの引く荷車がのんびりと揺れていく。
「……うわぁ……」
茜は足を止め、目を丸くして見渡した。
「これ……全部、文献で読んだやつだ……! 地面の舗装の感じも、壁の装飾も、服の柄も、みんな一致してる……!」
声にならない感動が胸を満たす。現実とは思えない光景が、あまりにも生々しく、そして美しかった。
「現地視察ってレベルじゃないよ、これ……本当に来ちゃったんだ、紀元前の都市国家……!」
街道を進みながら、茜は何度も左右を振り返った。焼き物を売る露店、粘土板に文字を刻む書記、神殿の方向に向かって祈る老婆……そのひとつひとつが、教科書や展示ケースの中にあった“知識”を、今まさに“体験”へと変えていた。
その様子を後ろから見ていた門番の一人が、ひそかに呟いた。
「……やはり辺境の者たちか。見るもの全てに感動しているとは」
彼にとっては日常でしかない光景が、彼らには奇跡に見えている――そう考え、ますます“田舎の部族”という認識を深めていく。
やがて、神殿が視界に現れた。
階段状の基壇に築かれた構造は荘厳で、頂には厚く塗られた漆喰と彩色された柱が太陽を反射している。その手前にある神殿の大扉が、ゆっくりと開かれていく。
茜はその入口で、ふと立ち止まった。
「……あれって……」
神殿内部、柱の根元に安置された二体の木像。
ひとつは穏やかな微笑をたたえた長髪の神――正義と秩序を司るシャラ神。もうひとつは、両手に豊穣の象徴である穂を掲げた母なる神――ニンフルサグの像。
「……うそ……本当にあったんだ……」
茜の声は、震えていた。
「文献では存在だけ記されてて、現物は“失われた”ってされてた……でも、今、目の前に……」
彼女の視線はその像に釘付けになる。青銅の一部が淡く光り、風化しきっていない木材の質感が、逆に“生きている信仰”の証拠だった。
「これ……本物だ……」
しばし、誰も声をかけなかった。リュシアさえ、そっと目を伏せていた。やがて、リュシアが静かに語りかける。
「この時代の王は、神殿の中で政を執ります。この奥が、謁見の場です」
茜は、ふと顔を上げた。頬には紅潮、瞳は光を帯びている。
「じゃあ……いよいよ、“本物の王”に会えるってことだよね……?」
その声には、期待と畏れと、ほんの少しの高揚が混じっていた。次なる扉の向こうに待つのは――シュメール統一を目論む、ルガルザゲシ王との対面である。神殿の奥、ひんやりとした空気の中に張り詰める静けさ。柱にはシュメール文字が刻まれ、壁面には太陽神や農耕神の物語が浮き彫りに描かれていた。
その中心、広く敷かれた葦の絨毯の先に――玉座があった。
玉座に座すのは、一人の男。
背は高く、体格は屈強。白く飾られた衣の上からも、鍛えられた威圧が伝わる。灰褐色の髭が顎に揺れ、深く刻まれた皺がその歴戦を物語る。そして何より、その眼光――静かに、すべてを見透かすように鋭い。
「(……いけおじ系だけど、迫力すごっ……)」
茜は思わず内心で呟いた。言葉には出せなかったが、歴史の書に記された“シュメールを統べた王”が放つ、本物の存在感に、心の奥がぞわりと震えた。
ルガルザゲシ。その名は、後世にも記録として残る偉大な王。その実像が、今まさに目の前にある。
茜は、意を決して進み出た。そして、頭を下げることなく、まっすぐに彼を見据えながら宣言した。
「我らは神託の導きにより来たりし者。ウンマが、シュメールを統べる鍵を握ると知らされました」
玉座の王は微動だにせず、しばし沈黙を保ったまま、茜を見つめ返す。その視線には、鋭さと共に、測るような重みがあった。やがて、低く唸るように言葉を発する。
「……くだらぬ流行神か。辺境の地で流行る偶像のひとつにすぎぬか……」
声は重く、低く、壁を揺らすような響きを持っていた。
「だが――“私が統一する”と言ったな?」
わずかに口元が吊り上がる。
「ふむ……よい神託だ」
王は視線をずらし、茜の背後に控えるポプリタイたちへと移す。棒を携えた筋骨隆々の戦士たち。その装備は粗末、だが明らかに“戦える”と感じさせる威容。
「こん棒……武装としては稚拙。だが、その体……鍛えられているな」
彼は顎に手を添えて、吟味するように視線を巡らせた。
「未開の部族……だが、“使えるかもしれん”」
そして、玉座に肘を預けながら、ゆっくりと告げる。
「お前たちの滞在を許可する。ただし――」
茜の眉がわずかに上がる。その“ただし”の後には、警戒と不信がにじんでいた。
「お前たちは、王子ルガルニルに預けよう。彼に管理させる。好きにさせよ……」
その名前を聞いた瞬間、茜はわずかに首を傾げた。
(……ルガルニル? 誰、それ。歴史書で聞いた覚え、ないな)
一方、隣に立つリュシアがわずかに目を伏せ、考えるような素振りを見せた。表情に現れたのは、ほんのわずかな違和感――まるで記憶の断片を探るように。
そんな二人を余所に、ルガルザゲシは命じる。
「――ルガルニルを連れてこい」
側近が恭しくうなずき、奥の扉へと向かう。
やがて、玉座の間の扉が再び開かれる。差し込む光の中から現れたのは、均整の取れた立ち姿の若者だった。金褐色の髪、穏やかながら鋭さを秘めたまなざし。そして王とは対照的な、どこか静かな威厳を纏っている。茜は思わず見入っていた。彼女にとっては初めて出会う名も知らぬ王子、だが――その佇まいには、確かな力と理性を感じた。
(……この人が、私たちを“預かる”ことになるのか)
新たな出会いは、運命の一手を引く扉を静かに開きつつあった。玉座に座るルガルザゲシ王は、王子の姿を一瞥するなり、まるで荷物を放り投げるように言い放った。
「こやつらはお前に任せた。……ではな」
あまりにもあっさりとした言い方に、茜は思わず目を瞬かせる。一方のルガルニルは、軽く眉を上げたものの、すぐに表情を整える。
「かしこまりました、父上」
その声音には感情が希薄で、まるで慣れきった反応のようでもあった。ルガルニル王子は、茜たちに向き直ると、静かに言葉を紡ぐ。
「ようこそ、ウンマへ。父の命により、皆様の受け入れを担当することになりました。……私がすべて取り計らいましょう」
一礼ののち、やや手を上げて促す。
「まずは落ち着ける場所をご案内します。私邸の離れに空きがありますので、今日はそちらをお使いください」
その自然な口調と、過不足のない丁寧さに、茜は少しだけ安心を覚える。王に比べてずっと柔らかく、理知的だ。
(この人……悪くなさそう)
階を下りながら、ルガルニルは振り返りつつ補足する。
「兵の皆様は、邸内の中庭にて待機していただければ。特別に警備扱いとします」
その言葉に、ユカナが「うん、ちょうどよかった」と小さく呟き、ポプリタイたちに目配せする。巨大な体格の戦士たちは無言でうなずき、すぐさま与えられた役目に従うように中庭へと向かった。
「部隊行動の理解もあるのか……意外と頼りになりそうね」と茜が小声でリュシアにささやくと、リュシアは無言で頷いた。
神殿の一角から続く長い回廊を抜け、陽光の差す屋敷の庭へ。そこには石造りの柱と、柔らかな布で覆われた応接の空間があり、風が抜けるたびに布が静かに揺れていた。ルガルニルは茜たちを案内し、直に居室の扉を開く。
「こちらが主室です。内装は簡素ですが、広さは十分でしょう。必要なものがあれば、私の侍従に伝えてください」
そして、ちらりと茜に視線を投げる。
「……部族の導き手とお見受けしますが、私としては皆さんを“客人”として扱います。どうか気を張らずにいてください」
その言葉に、茜はわずかに微笑んで頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて、くつろがせてもらうね。“部族の預言者”たちと一緒に」
傍らで無言を貫いていたユカナが、なぜか一歩前に出て、ルガルニルをじっと見つめた。そして――
「この人、やさしそう」
小さな声でそう言った。茜が思わず吹き出し、リュシアが苦笑を浮かべる。ルガルニルは、少し困ったように目を細めたが、否定はしなかった。こうして、王子ルガルニルとの最初の接点は、静かに、だが確かに“信頼の種”を落としていったのだった。
ルガルザゲシ王は実在の人物で、史実ではこの王がシュメールを統一します。そのため茜達は、歴史でいうところの勝ち組側に今回はつくことになります。




