10話 勝者の選択、神と宝と未来と
戦況盤の赤い光が一つ、また一つと消えていく。最後に点滅していたグロガンのアイコンが沈黙し、リュシアが静かに宣言した。
「第一フェーズ、勝利条件を満たしました。敵将・グロガンは重傷、随伴する精鋭部隊は壊滅済みです」
「こちらの被害状況を」
茜の問いに、リュシアは即座に応える。
「戦車部隊:損耗ごく軽微。軽槍兵:平均被害率22%前後。投槍兵と神官戦士については小規模の損耗にとどまっています」
「上々ね」
茜は戦況盤に映る味方ユニットを眺めながら、満足そうにうなずいた。だが、その視線はすぐに中央の集落へと向けられる。
「……さて、次はあの集落。逃げ込んだ敵を、そこで全部終わらせる」
彼女の声は、静かに、しかし確固たる決意を持っていた。
「戦車部隊は、ここで待機。地形的に中へは入れない。残念だけど、お役御免……とはいかないわね。外周の抑え、任せたわよ」
戦況盤に青のラインが再配置される。リュシアがすでに命令を伝えていたのだろう。シュメール戦車隊は素早く再編成を完了し、集落を包囲する位置へと移動を始めた。一方、集落突入を担う歩兵部隊たちが中央に集められ、再編成が進む。傷ついた兵士が下がり、比較的無傷な者たちが前列へ。軽槍兵、投槍兵、そして神官戦士。勝利の勢いをそのままに、次の戦へと備える。茜は彼らを見回し、前へ一歩進み出た。
「ここまで来た。あと一息よ。みんなで押し切って、終わらせよう!」
それは短く、簡潔な言葉だった。だが、兵たちの目がほんの少し強く輝いたのを、リュシアは見逃さなかった。
「……せっかくの場面なのですから、もう少し“名演説らしい”ものをなさってはどうですか?」
皮肉めいた口調に、茜は肩をすくめる。
「そんなの私に期待してないでしょ?」
「正確には、あまり期待できないと判断しております」
「正面から言うなや」
と、横から呑気な声が入り込んだ。
「がんばってね~。中は多分、狭いし、ちょっと臭いかもだけど~」
ユカナがスリッパをパタパタさせながら手を振っていた。
「それ、全然励ましになってないから……」
茜が思わず苦笑しつつも、視線を再び前に戻す。戦況盤の光が少しずつ落ち着き、リュシアが再び手を動かす。今度は集落内部の立体構造が浮かび上がり、建物や通路、屋根の重なりまでもが精密に再現されていく。
「これより、集落内部における想定敵戦力を報告します」
リュシアの声に、茜が戦況盤へと身を乗り出す。
「まず、最奥部。グロガンは重傷ながら健在。その側には、精鋭こん棒戦士の生き残りと、通常のこん棒兵を合わせて10名程度ずつ。合計20名規模の“最後の盾”が形成されています」
「なるほどね、最後の防衛線ってわけか……」
リュシアは視線を横に移し、屋根が複雑に入り組んだ中層部を示す。
「狩人、約80名。屋根上からの投射支援を継続。間接攻撃と視界妨害を担う位置に配置されていると推測されます」
「またチクチクやってくるのか……」
「続いて、高台には魂送り約50名。前戦と同様、士気干渉を目的とした太鼓による影響が予想されます」
「地味にうっとうしいけど、無視できないのよね、あれ」
「そして通路。およそ90名のこん棒戦士が“民兵”として再構成され、待ち伏せまたは狭路防衛を意図していると思われます」
茜はそれを聞きながら腕を組み、ふむ、と小さく息をついた。
「……ってことは、だいたい敵は250人前後か。こっちよりは少ないし、動きも鈍ってる。つまり——」
わざとらしく間を空けてから、茜は明るく言い放つ。
「な~んだ、これだけ戦力差あれば楽勝じゃん! ……って言うとフラグだよね?」
リュシアは、ほんの僅かに目を細めた。
「油断、慢心、そして軽口。いずれも敗北の兆候とされます」
「うっ……でもちょっと緊張ほぐしたかっただけなんだけど……」
「緊張を解す方法としては非効率的ですが、主らしくはあります」
****
乾いた風が集落内の通路を抜け、木と土の匂いが戦場の匂いに変わっていく。狭い路地に展開する茜軍。正面では、こん棒を握る生き残りのこん棒戦士たちが、通路の奥に固まり、通せんぼのように盾の代わりに石や木箱を積み上げている。
「……あれ、正面から突っ込んだら時間かかるやつだね」
茜が戦況盤を見つめながら唸るように言うと、リュシアが即座に応える。
「はい。包囲の動きが封じられ、進軍速度も低下します。ですが、敵は人数が足りていません。誘導が可能です」
「じゃあ、やろう」
茜が小さく笑って頷く。茜軍の軽槍兵たちは、あえて真正面の通路からやや後退し、敵部隊の視界の外に消える。代わりに広場へと抜ける側道を大きく展開し、まるで「こっちが手薄ですよ」と言わんばかりの隙を見せた。まんまと釣られた敵こん棒兵たちが、吠えながら通路を飛び出してくる。
「今だ!」
その瞬間、左右から軽槍兵の主力が一斉に広場を包囲。投槍兵の支援が空から降り、混乱に陥ったこん棒部隊は次々と崩れ落ちていく。
「被害拡大。敵残存、およそ30名。指揮不能状態、降伏を申し出ています」
リュシアの報告に、茜は満足そうに一つうなずいた。
しかし、その直後——
「射撃! 左の屋根!」
矢が横から飛来し、槍兵の一人が盾で受け止めながらよろめく。屋根の上、集落を守る狩人たちが、家の屋根を移動しながら弓を引いていた。
「側面射撃です。防衛に高練度軽槍兵を移動……対応中」
敵の射撃は正確だったが、迎え撃つ軽槍兵は、より厚い盾と冷静な隊列でその攻撃を受け止める。同時に、別の方向から不気味な太鼓の音が響き始める。
「魂送りが士気干渉を開始。範囲内の兵に微弱な動揺」
だが、神官戦士がその隙間をぬって前進し、力強く祝詞を響かせた。
「この戦いは終わっていない! 顔を上げよ!」
光のような鼓舞の力が広がり、兵士たちの背中を押す。
「こういう時のために、士気補助つけといたんだよねぇ」
茜が鼻で笑いながら呟き、次の命令を発する。
「屋根の上を狙い撃ち。投槍、動いて」
左右から展開していた投槍兵たちが、建物の影に身を隠しながら、屋根の狩人部隊に向けて前進を開始した。家屋の陰を縫い、トーテムの裏に回り込み、視界の隙間から槍を構える。
「投槍兵、攻撃範囲到達。投擲開始」
鋭い槍が、屋根の上に次々と突き刺さる。狩人たちは慌てて退避しようとするが、屋根という限られた足場では回避もままならない。
「指揮崩壊確認。狩人部隊、士気低下による降伏申し出あり」
続けて、高台で太鼓を叩き続けていた魂送りの兵たちにも槍が突き刺さる。一人、また一人と崩れていき、叩かれていた太鼓の音も次第に鈍っていった。
「魂送り、戦闘不能者30名以上。残存兵も降伏の意思を示しています」
土と血の匂いが、集落全体に広がる。この戦いは、ただの防衛ではない。彼らにとっては“自分たちの村”を守るための、命を懸けた戦いだった。
——茜は、それでも止まらなかった。
「……全部終わらせるって決めたんだもの。立ち止まってなんか、いられない」
最後の太鼓が鳴り止んだ時、集落は不気味な静寂に包まれていた。既にほとんどの防衛線は崩壊していた。残るは、集落の最奥部——半ば崩れかけた神殿のような建物。その石の階段の上に、グロガンは腰を下ろしていた。彼の周囲には、まだわずかに戦意を保っている兵がいた。精鋭こん棒戦士の生き残り10名、そして同じく10名の通常のこん棒戦士。血と泥にまみれたその姿は、もはや“防衛”というより“執念”だった。
「神殿を包囲して!」
茜が指示を飛ばし、軽槍兵の主力部隊が慎重に進軍を続ける。高武装の中央部隊が先頭に立ち、三方向から神殿を囲むように布陣した。
完全な包囲が完成する。
リュシアが静かに指示を送る。
「最終突入、用意。……各部隊、準備完了」
「リュシア、ちょっと待って」
リュシアが振り向くと、茜はすでに戦況盤から目を離し、前線へ向かって歩いていた。
「何を——」
「降伏勧告。もう勝負は決まったでしょ」
リュシアは言いかけて、何も言わずに口を閉じた。味方の部隊がほとんどを制圧している今、前線に立つ茜に危険はない。だからこそ、彼女の決意を止める理由もなかった。神殿跡の前、槍兵たちの列が自然に道を開ける。茜が一歩ずつ進み出ると、階段の上でようやくグロガンが顔を上げた。その顔は、土に汚れ、血に濡れ、すっかり変わり果てていた。それでも、瞳だけはまだ、炎のように燃えていた。
「……俺の命はいらん」
沈黙を破った声は、濁っていて、それでも響いた。
「だが、部族を残してくれ。……こいつらを、殺す理由は、もうないだろう……」
茜はしばし言葉を返さなかった。そこにはゲームではないリアルがあった。神殿の柱が傾き、遠くで火の粉が舞っている。その中で彼女は、まっすぐにグロガンの目を見返し、静かに頷いた。
「……あたしは、あなたの降伏を受け入れる」
茜の声は静かだったが、よく通った。
「部族は助ける。でもあなたの処遇については……今ここでは決められない」
その一言に、グロガンの肩がわずかに震える。しかし、彼は何も言わず、ただ深く頭を垂れた。リュシアが静かに歩み寄り、報告用の端末を操作しながら言う。
「敵将、降伏を正式に申し出。戦闘終了です」
「全部隊、警戒はまだ維持して。それと敵兵の武装解除、拘束を」
茜の指示が響くと、槍兵たちが素早く動き出し、最後の敵兵たちを拘束していく。もはや、誰も抵抗しようとはしなかった。
戦いは終わった。
戦場の喧騒が遠ざかり、集落の神殿跡には静けさが戻っていた。拘束されたグロガンとその部下たちは、既に武装を解かれ、味方の兵士により厳重に監視されていた。茜は仮設の司令部に戻り、簡素な椅子に腰を下ろすと、戦況盤の前で腕を組む。リュシアが静かに端末を操作しながら、淡々と口を開いた。
「これより、敵将グロガンおよびその部族に対する処遇選択を開始します」
「処遇選択って……」
思わず苦笑する茜に、リュシアは表情を変えずに提示する。
「選択肢は二つです」
戦況盤にAとBの光が浮かぶ。
「A:グロガンの処刑と引き換えに部族は残す。これにより即座に“神力ボーナス”が得られ、チュートリアル最終戦としての明確な勝利演出が発生します」
「B:降伏を受諾しグロガンと共に部族を残す。これにより、敵部族から“宝物”の提供があります。」
リュシアが目を細めた。茜は顎に手を当ててしばらく考え込んだ後、ふと顔を上げて言った。
「一つ聞いていい? この部族……ユカナを信仰するようにさせたらどうなるの?」
その場が静まり返る。リュシアがほんのわずかに目を見開いた。
「……そのような提案は、これまでのチュートリアルで前例がありません。ですが……」
指先でいくつかの数値を操作しながら、淡々と続ける。
「理論上、以後の本戦において“信徒数に応じた継続的神力の取得”という形で、一定周期ごとに追加神力を得られる可能性があります」
「つまり、パッと得るか、ジワジワ得るかの違い、ってわけね」
と、後ろの方から間の抜けた声が割り込んだ。
「えっ!? チュートリアルで信徒ゲット!? ……うそでしょ!? え? 何この展開、あたし聞いてない!」
ユカナがスリッパをパタパタさせながら、仰天した様子で前のめりになっている。茜は満面の笑みで振り返った。
「継続的って言ったよね? なら、お宝がもらえる分、降伏させた方が得じゃん!」
「……現金な判断ですね」
リュシアは少しだけため息混じりに言い、しかしすぐに続けた。
「ですが、論理的だとは思います。ユカナ様を信仰対象とした部族の形成が、以後の布石となるのは確実です」
「じゃ、決まり」
茜は立ち上がり、再びグロガンの元へ向かう。神殿跡の中央でひざまずく彼に向き合い、堂々と告げた。
「あなたの命は取らない。ただし、条件がある」
「……条件?」
グロガンの傷だらけの顔が上がる。
「あなたの部族は、これから——“ユカナ”を信仰の対象としてもらう」
横で、ユカナが「えっへへ……責任重大かも……」とこそっと呟いた。
しばらくの沈黙の後、グロガンは深く頭を垂れ、力の入らない声で言った。
「……従おう。あなたの勝利を認め、あなたの神を——我らの神としよう」
こうして、部族は戦火を生き延び、新たな神を迎え入れた。
****
集落に差し込む夕陽が、崩れかけた神殿の石段を黄金色に染めていた。その中央、グロガンはゆっくりと立ち上がり、手にしていた小さな布包みを茜の前へ差し出した。
「……これは、我が部族に代々伝わるもの。戦の神の加護と、部族の繁栄を祈る象徴だ」
茜がそっと布を開くと、そこに現れたのは青く輝く石の首飾りだった。ラピスラズリ——濃い蒼にわずかに金色を含むその色は、素朴な縄で束ねられていながらも、不思議な力を感じさせた。
「ラピスラズリ……!」
茜は思わず目を見開き、指先でそれを持ち上げる。装飾は原始的だが、明らかに丁寧に加工されている。そして、その石には、古代の意志のようなものが宿っていた。リュシアが、静かに言葉を添えた。
「この将……グロガンは、部族にとって真の英雄だったのでしょうね」
その言葉に、茜はしばしラピスラズリを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「私だって……英雄になれるってこと、かな」
目を細め、石に映る自分の姿を覗き込む。だが——次の瞬間、茜の表情がくるりと変わった。
「……にしても、お宝ゲットお宝ゲット! ラピスラズリの原始時代のアクセってさ……、現代の価値に換算したら幾らくらいだろ?」
「……」
リュシアが表情を動かさぬまま、すかさず返す。
「いきなり換金の算段ですか?」
ユカナは横でスリッパをパタパタさせながら、苦笑するようにぼやいた。
「まったくぶれないねぇ……茜さん」
「え、だってリアルに価値あるでしょ? 神力も信徒も手に入れて、ついでに財宝までゲット。これ、完璧じゃない?」
「……総括すると、非常に“主らしい”チュートリアルでした」
「でしょ?」
茜はラピスラズリの首飾りを軽く掲げて、夕陽にかざすように眺めた。そう、すべてを手に入れたのだ——勝利も、信徒も、神力も。そしてなにより、自分自身が一歩、変わった気がしていた。でも、変わらないものもある。——欲深さと、ちょっとした軽口。そして、何より“楽しむ”こと。
チュートリアル最終戦は、こうして幕を閉じた。




