電子書籍配信記念SS◆二人きりの時間
四度目の出産を終えてから、およそ一年。先日私は、ついに仕事に復帰した。
久しぶりの王宮。久しぶりの職場。慌ただしく、それでいて懐かしい雰囲気と緊張感に高揚する。
同僚たちは皆、復帰した私を温かく迎えてくれた。けれど、長い間現場を離れていたせいで、まだまだ心身ともに慣れない。
(……ふぅ。今日もどうにか無事に終わったぁ……)
夕暮れの回廊を歩きながら、私はほっと息を吐いた。
今日も母が我が家に来て、子どもたちを見てくれている。皆いい子にしているだろうか。
目の中に入れても痛くないといわんばかりに子どもたちを可愛がり、面倒を見てくれる母には、感謝してもしきれない。次にセシルと休日が重なる時には、母を素敵なレストランにでも連れて行きたいな。
そんなことを考えながら、よいしょ、と荷物を肩にかけ直して歩いていると、前方にすらりとした長身の美形騎士の姿を発見した。……我が夫だ。相変わらず、立っているだけで絵になる。
夕暮れの光にその金髪を輝かせながら、柱に少しもたれかかるようにして、近付く私を愛おしげに見つめている。王宮にいる間は常に緊張の糸を張っているけれど、彼の姿を見て、ほんの少しそれが緩んだ。
「お疲れ様、ティナ」
「セシル……。今日はもうお仕事は終わり?」
そう問いかけると、彼は目の前まで歩み寄り、さり気なく私の荷物を受け取ってくれる。
「ああ。君を待っていたんだ。一緒に出よう」
その言葉に、私の胸は恋を知ったばかりの少女のように躍る。
「ふふ……、ええ。セシルもお疲れ様。荷物もありがとう」
そう労い、私は彼と並んで回廊を歩く。
結婚してもう何年も経ち、四人もの子どもに恵まれた。再会してからこれまでの時間は、まるで夢のように瞬く間に過ぎていった。
自分の人生にこんな幸せな日々が訪れることなど、想像もしていない時期があった。いくつもの困難を乗り越えて、こうして家族皆で穏やかに暮らせている今を、心から愛おしく思う。
広々とした中庭を通り過ぎ、馬車寄せへと向かう。
馬車に乗ると、セシルは当然のように私の隣に腰かけた。
何だか嬉しくなり、私は彼の肩にぴたりと寄り添う。
甘えるような仕草が我ながら恥ずかしいけれど、今やこんな二人きりの時間はとても貴重なのだ。家に着くまでのわずかな時間だけでも、噛み締めていたい。
セシルはまるで私の心を見透かすように、そっと私を抱き寄せた。甘酸っぱい喜びが胸に満ちる。
帰り着いたら、私たちは全力で「パパ」と「ママ」の役目を果たす。それまでの間の、束の間の恋人の時間だ。
ゆっくりと深い息をつきながらセシルにもたれ、私は何気なく小窓の外に視線を送る。
(……あれ?)
違和感に気付き、しばし思考が止まった。見慣れた街並みが、いつもとは違う方向に流れていっている。
「……セシル。道が違うわ」
体を起こしそう言うと、セシルが小さく笑った。
「気付いたか。……そうだよ。今日は少しだけ、遠回りをして帰ってる」
「え?」
その言葉に驚いて、私はセシルに向き直る。
「ど、どういうこと? どこへ向かっているの? 子どもたちは……?」
矢継ぎ早に質問を投げかける私を宥めるように、セシルは私の頭を撫で、また抱き寄せる。
「実は、前もってお義母さんに頼んであったんだ。今日はティナと同じ時間に上がれそうだから、帰宅の前に少しだけデートさせてほしいって」
「へ!? そ、そうなの……?」
「ああ。何だかすごく嬉しそうに承諾してくださったよ。たまにはゆっくりしてくるといいって」
(お……、お母さん……)
二人の気遣いが、ありがたいやら照れくさいやら。
頬を火照らせていると、セシルが私の額に唇を寄せる。
「だから少しだけ、君の時間を俺にくれる?」
「……もちろんよ」
そう答えると、セシルが嬉しそうに微笑む。その笑顔に、私の体温が上がった。
しばらく進んだ馬車は、見慣れぬ小高い丘の上で停まった。
先に馬車を降りたセシルが、自ら手を差し出し、私を降ろしてくれる。
「わぁ……」
目の前に広がった光景に、思わず声が漏れた。
空一面が、茜色に染まっている。
赤、橙、金色。染め流したような色が幾重にも空に重なり、遠くの山並みまで柔らかな光に包まれていた。
眼下には王都の街並みが広がり、ぽつりぽつりと家々の灯りがともりはじめている。
「綺麗……」
思わずそう呟くと、セシルが私の手を握る。
「先日同じ時間帯に、この辺りまで巡回に来たことがあってさ。その時にここで見た夕焼けが、あまりにも美しかったから。ティナと一緒に見たいと思ったんだ」
「……セシル……」
その言葉に胸がいっぱいになり、目頭がじんと熱くなる。
素敵な景色を見た時に、真っ先に私を想ってくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
「……ありがとう」
喉を詰まらせながら、ただ一言そう伝えると、セシルは私を見つめて言った。
「仕事復帰、おめでとう、ティナ。でも、絶対に無理はしないでくれよ。俺も子どもたちも、君が元気でいてくれないとダメなんだからな」
セシルのその言葉に、つい笑ってしまう。
「子どもたちは分かるけど……、あなたもダメなの?」
「そうだよ」
彼は間髪を容れずに真顔で答えた。
「俺の人生の幸せは、君の笑顔の上に成り立ってるんだからな」
(セ、セシル……)
当然のような彼のその言葉に、ますます体が熱くなる。
「昔も今も、俺の心の真ん中にいるのはティナだ。君に心を摑まれて、君のことで一喜一憂している。ずっと変わらない」
「……子どもたちが聞いたら拗ねちゃうわよ」
熱烈な愛の言葉を注がれ、嬉しさと気恥ずかしさに耐えかねた私はわざとそんなことを言い、視線を逸らした。
「子どもたちは大事だよ、もちろん。命に代えても守るさ」
セシルはそう言うと、私の耳元に唇を寄せる。
「でも、俺が人生で唯一心を捧げた女性は、君だ。君がいたから、君を愛したから、あの子たちが生まれたんだ」
「……セシル……」
甘い言葉が止まらない。たまらず私は、熱く火照った顔を彼に向ける。
真摯な瞳の奥には、燃えるような熱が灯っていた。その目に射抜かれ、胸の鼓動はこれ以上ないほどに高鳴り、息が苦しいほどだ。
「俺の幸せの始まりは、今も昔も変わらず、君なんだよ、ティナ。……愛してる」
「……私もよ、セシル。あなたと出会えたから、今の私の幸せがあるの。……愛しているわ」
素直にそう答えると、彼の美しい瞳がかすかに揺れる。
次の瞬間、私の体はセシルの腕の中にあった。
愛おしい人の馴染んだ香りが、鼻腔をくすぐる。全てを彼に委ねるように、私は目を閉じ、息をついた。
茜色の空の下。私たちはそっと、唇を寄せ合う。
愛する人の姿を照らす美しい夕焼けは、私の心の奥に深く刻まれたのだった──。
── end ──




