75. 母と娘と
コレット先生────“母”は、しばらく呆然としたまま、私のことを見つめていた。私はもうそれ以上何も言えなくなり、ただひたすら母の手を握って嗚咽した。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
ようやく母が、掠れた声で呟いた。
「…………あなたが……?」
答える代わりに、私は母の手を強く握った。
「……シアーズ……。まさか、そんなこと……」
「わ、私は……、シアーズ男爵家の、末娘です……っ。隣国出身のメイドが産んだ庶子として、男爵家で育てられました。だ、だから……あなたは、私の……」
どうしよう。伝えたいことはたくさんあるのに、もう言葉が出てこない。
そんな私の頬にそっと手を当て、母はいまだ呆然とした様子で呟く。
「……私の、娘……? あなたが……?」
母の瞳にも、みるみる涙が溜まっていく。
濡れた瞳で、互いを見つめ合う私たち。
次の瞬間、母は弾かれたように私を抱きしめると、声を上げて泣いた。
「ああ……! 神様……!」
◇ ◇ ◇
こんなに声を上げて泣いたのは、いつぶりだろう。
母は私に「ごめんね、ごめんね」と何度も謝りながら、私を抱きしめわんわんと泣いた。
私はそんな母の背に手を回し、この運命的な再会を噛み締めていた。
ようやく気持ちが落ち着いてきた頃、私たちがそっと互いの体を離すと、すぐそばにユーリが立っていた。ポカーンと口を開けている。
「……もうだいじょうぶ?」
そんなユーリの姿に、私と母はハッと息を呑み、慌てて息子のフォローに走った。
「ごっ! ごめんねユーリ! ビックリしたわよね!」
「大丈夫よユーリくん! 先生とママはね、今とっても嬉しいことがあったの! 今ね、……今……」
母はそう言いながら、ユーリを見つめたままふいに黙り込んだ。
「……じゃあ、この子は私の、本当の孫なのね……」
そう呟いた母の目には、また新たな涙が溜まっていた。母はそのままユーリに両手を伸ばす。
「……抱っこさせてちょうだい、ユーリ。私の可愛い子」
まだ口をあんぐりと開けたまま、それでも素直に“コレット先生”に腕を伸ばすユーリ。
ユーリを膝の上に乗せしっかりと抱きしめながら、また声を殺して涙を流しはじめた母の姿を見て、私の涙腺は完全に崩壊したのだった。
「……ずっとずっと心配だったの。あなたがあのお屋敷で、どんな扱いを受けているかって。案の定、辛い思いをしてきたのね、ティナ。私が至らない母親だったばかりに。……本当に、ごめんなさいね」
「もう謝らないで、お母さん。どうにもできなかったことよ。私は今、すごく幸せよ。大切にしてくれる人と一緒に、こうして愛する息子を育ててる。……それに、お母さんにも会えた」
「……私もよ、ティナ。生きてて良かった。心からそう思うわ」
私たちはそれから、たくさんの話をした。お互いに苦労ばかりの人生だったことが分かり、何度も涙をこぼしながら、労り合った。ユーリは私と母の顔を見比べながら、真剣な面持ちで話を聞いている。
「お母さんの実家は今……?」
「さぁ……もう話も聞かないわ。とうに没落したんじゃないかしら。魔力を持って生まれてくる人は、急激に減ってるもの。きっと私の後に生まれた子たちも、強い魔力を持っている人間はほとんどいなかったんじゃないかしら。分からないけどね」
「……そう」
「ふふ。そんな中で、まさか私の娘が魔力を開花させて、治癒術師になろうとしているだなんて。本当に不思議な感じだわ」
母はこの上なく優しい瞳で私を見つめ、穏やかに微笑む。それだけで私の心はふんわりと軽くなり、幸せに満たされていくようだった。
「じゃああのシアーズ男爵家も、今はもうないのね」
「ええ、そうよ。男爵は今頃、北の流刑地でひたすら肉体労働に従事しているはずよ。夫人もさっき話したとおり、まだ生きていれば、北の地で寝たきりね。罰はしっかりと下ったわ」
「そう……。まさかあの人たちがそんな結末を迎えているとは、夢にも思わなかったわ。因果応報ってあるのね」
「当然の報いよ。お母さんも私も、さんざん苦しめられたんだもの。可哀想とは思わないわ」
私がケロッとした顔でそう言い放つと、母は苦笑した。
「……あなたが生きていてくれて、よかった。どれほど会いたいと願い続けたことか。あなたの成長を、この目で見たかったわ、ティナ。悩んだり悲しんだり、あなたが立ち止まりそうになった時、私がそばで支えてあげられていたら────」
「ねぇ、お母さん」
これ以上母に後悔してほしくなくて、過ぎ去った時間のために苦しんでほしくなくて、私は母の手をしっかりと握り伝えた。
「私たち、ずっと一緒にいられなかったけど、人生はまだまだたっぷり残っているわ。これからは、大切な時間を家族でたくさん過ごそうね」
「……ティナ……。ええ、そうね」
「私の子育ては、まだまだこれからなの。それに、私には大きな夢もあるわ。お母さん、私を助けてね。これからはずっと、私たちを近くで見守っていて」
「……ええ! もちろん。ふふ、楽しみだわ。ありがとう、ティナ」
母は心底幸せそうに微笑んだ。
私やユーリの存在が、これからの母の人生の励みになってくれたらいいな。そう思って、私はあえて母に甘えてみせたのだった。
セシルが遠征から帰ってくるまでの間、私と母は何度も互いの家を行き来し、離れていた時間を埋めるようにたくさんの時間を過ごした。私が勉強や訓練をしている間、母はずっとユーリのことを見ていてくれた。
幼児の順応性で、ユーリの“コレット先生”への呼び方もすぐに変わった。
「ぱぱ! おかえりなしゃい! あのね、これっとしぇんしぇいは、おばあちゃんだったの!」
「……。……何だって?」
久しぶりに帰宅するなり飛びついてきた息子の言葉に、セシルの目が点になったのだった。