70. 私たちの居場所
事件への対応を一通り済ませた私たちは、ようやくセレネスティア王国へと戻ってくることができた。まだ何もかもが収束したわけではないけれど、もう今後はリグリー侯爵家にユーリを奪われるのではないかと怯えながら生活する必要はない。セシルとユーリと私、三人で暮らす幸せな日々は守られたのだ。そのことが何よりも嬉しくて、もう他には何もいらないとさえ思えた。
保育園の先生方も、ユーリのお友達も、そしてノエル先生やソフィアさんたち仕事仲間も皆、私たちが無事に戻ってきたことを心から喜んでくれた。
以前セシルのことを打ち明けて以来、ずっと私たちのことを気にかけてくれていたソフィアさんには、今回起こった事件やその顛末について説明した。治療院でのお昼休憩中、ソフィアさんとレドーラ土産のミルククッキーをつまみながら、事件のことや、ユーリの魔力のことについて話す。
「そっかぁ。ユーリくんにもあったのね、あなたから受け継いだ治癒力が……。まさかそんな形でそのことを知るなんてねぇ。ビックリよね。ユーリくん、偉いわ。毒に苦しむババアの姿を見ても臆することなく助けようとするなんて。そんなの目の前で見ちゃったら、大抵の子どもは怖くて腰抜かしちゃうわよ」
(バ、ババア……)
ソフィアさんの義母に対する印象は、すでに最悪だ。
「そうですよね。私も当初はそれが心配で……。義母の顔は紫色だったし、目の前で長い時間ひどく苦しんでいたから、ユーリのトラウマになってしまっていないかと不安で、ずっと様子を窺ってるんですが……。あの時は怖かった、なんて言い出すこともなければ、夜中に泣いたりうなされたりすることもないし。全然平気そうなんです。案外、肝が据わってるのかもしれません」
私がそう答えると、ソフィアさんは愉快そうにケラケラと笑った。
「すごいわね、ユーリくん。あんなに優しくて、繊細そうな感じがするのに。大したもんだわ。血や怪我にも動じないようなら、治癒術師向きかもしれないわね。ユーリくんは何て言ってるの? 自分も治癒術が使えることに気付いて、将来はノエル先生みたいになりたいとか言ってる?」
「いえ、全然。まだ何も考えてなさそうです。でもパパが王子様を守る騎士の仕事をしていたと知った時は、目をキラキラさせて彼を尊敬の眼差しで見つめていましたから……。もしかしたら騎士になりたがるかも」
「へぇ! それもいいわね! パパにそっくりのあの容姿だもの。モテモテ騎士になりそうじゃない!? やだぁ、将来が楽しみだわぁ」
そんな会話をしながら笑っていると、ああ、本当にここに戻ってこられたんだなぁと、しみじみと実感できた。
未練の欠片も残っていない実家は、もうなくなった。
セシルも実の両親を見限り、私と息子と一緒にこの王国で生きていくことを望んでいる。
ここが私たちの、これからの居場所なんだ。
◇ ◇ ◇
それから数ヶ月が過ぎた。
セシルの友人やお兄様を通じて、あの後もレドーラ王国の状況は逐一私たちの耳に入ってきていた。
大陸に存在しなかった毒物を無断で持ち込み販売したハーマンと、それを購入して使用し、私の殺害を企てた父は、レドーラ王国の北の国境沿いにある鉱山での生涯労働の罰が下された。
比較的穏やかな気候を保つあの王国の中で、どこよりも厳しい環境にあるその地は、一年を通して極寒で、作物もほとんど実らない。そこへ送られるのは、死刑に次ぐ重い罰だった。
気が遠くなるほどの寒さの中で、同じような重罪を犯した荒くれ者たちの中に交じり、父はこれから先ずっと、朝から晩までツルハシを持ち採掘作業を繰り返すのだ。あの気弱で頼りない父が。罪人たちがお腹いっぱいになるような、充分な食事など与えられないとも聞く。何せ作物の実らぬ極寒の地に送られた犯罪者たちなのだ。手厚い待遇であるはずがない。力の強い他の罪人たちから食料を奪われたり暴力を振るわれたりしながら、父は日々震え、泣きながら労働をするのだろうか。
そんな考えが頭をよぎっても、憐れみの欠片も浮かばなかった。最初から最後まで、ただの一度も私のことを娘として扱ってくれたことはない父だったのだから。
義母は、結局回復することはなかった。寝たきりのまま日々全身の痛みを訴えていたというが、彼女もまた、父らと共に鉱山へと送られた。もちろんそんな状態で、男たちと同じ肉体労働ができるはずもない。通常北の鉱山に送られるほどの重罪を犯した女は、そこで働く男たちの慰みものとなるのだ。けれど義母は、そんな役割さえ果たせない。……はずだ。
彼女は、罪人の女たちがその役割のために過ごす館のどこかの部屋に置かれているという。こちらももちろん、手厚く看病などされるはずがない。おそらくはほとんど放置されているだろうし、もしかしたら、悪趣味な男たちの慰みものになっているのかもしれない。