63. 話し合い
「シアーズ男爵、夫人。あなた方は一度でも、ティナの気持ちを汲んであげたことがあるのか。……私ははっきりと覚えている。昔リグリー侯爵家の茶会で、あなたがティナだけを疎外していた様子を。アレクサンダーやマリアローザと違い、ティナに向ける視線だけがひどく冷たかった。おそらく屋敷の中ではもっとひどい態度なのだろうと簡単に想像できた。そんな中で、幼いティナは一人で耐えていたんだ。あなたにとってはなさぬ仲の子。思うところもたくさんあっただろう。だが、ティナはどれほど孤独で、辛い日々を送ってきたことか。……男爵、あなたが商会の男とティナとの結婚を決めた頃、一度でもティナの様子を気にかけてあげたことがあったのか。辛そうにしているのを、不安げな、苦しげな顔をしているのを、見て見ぬふりはしなかったか。……きっとずっとそうしてきたのだろう。なぜ実の父親であるあなたが、娘を守ってやらなかった」
(……セシル……)
見てきたわけでもないこの人の方が、両親よりもはるかに私の気持ちを分かってくれていた。ユーリを授かったあの夜、涙をこぼして縋りついただけで、彼はここまで私を理解してくれていたんだ。
息子を大事に腕に抱いたまま、セシルは私の言いたいことを、私の代わりに全部両親に訴えてくれている。涙が溢れそうになった。
けれど、そんなセシルの訴えは、両親には全く響かないようだった。
父は相変わらずンンッと喉を鳴らしながらせわしなく視線を動かしたり、口髭を撫でてみたり、落ち着かない様子を見せている。私の顔は一度も見ない。
義母は逆に落ち着き払った態度で、口角を上げ真正面からセシルを見つめていた。
「まぁ、セシル様。あなた様は本当に、心底この義娘のことを好いていらっしゃいますのね。ほほ。幼少の頃から変わらぬその熱意、……このようなことを申し上げますのは大変心苦しいのですが、正直、昔からありがた迷惑でしかございませんでしたわ」
義母は悠然と、そして嫌味ったらしくそう言うと、鋭い眼力でセシルを見据えた。
「あなた様がそうやってこの義娘に目をかけるものですから、私たち一家はリグリー侯爵夫人から睨まれることになってしまいましたのよ。私はただ侯爵夫人をお慕いし、懇意にしていただきたかっただけですのに。そして今も……、あなた様が性懲りもなく、そうやって義娘のお尻を追いかけて隣国にまで行ってしまったものですから、侯爵夫妻は私たちをひどくお叱りになられました。ご令息を誑かすような人間に義娘を育て上げてしまった、私たちの過ちだと。おかげさまでうちはひどく追い詰められております。グレネル公爵家との縁談がダメになってしまった大きな原因はティナレインにあると。リグリー侯爵はそう仰って、我がシアーズ男爵家に婚約破棄の慰謝料を半分負担するよう通告なさいました。払えるわけがございませんわ、我が家に」
「……その件については、これから父と話し合うつもりだ。グレネル公爵令嬢との婚約を破棄したいと申し出た時点で、私とティナには何の関係もなかった。ただ私が一方的に好意を寄せ、ティナの元に向かっただけだ。その件に関してはあなた方に負担などしてもらう理由がない」
「ぜひお父上にそう仰ってくださいませ」
義母はそう言うと、澄まし返った顔でティーカップを手に取り、口をつける。随分と高慢な態度だ。セシルはそんな義母を忌々しげに睨みつけ、しばしの沈黙が続いた後、再び口を開いた。
「それで? あなた方のどちらからも、手紙にあったような謝罪の言葉が出ないようだが。こうして再会した今、ティナに対して何か言うことはないのだろうか」
セシルのその言葉にも、反応したのは義母だけだった。
「ほほ。ええ、もちろん。義娘と話したいことはたくさんございますのよ。ですが、このようは場ではとても……。何分家の恥になる内容もございますし、できれば義娘と私たち夫婦だけで、人払いをして話をしとうございますわ」
そういうと義母は、背後に立っている王家の護衛兵たちに視線を滑らせた。そして私の方にゆっくりと首を動かし、柔らかく微笑む。
「ティナ、別室で少し、二人きりで話をしましょう。あなたに渡したいものもあるの。……あなたの実の母の残したものよ」
「……え……?」
思わず反応すると、義母は眉尻を下げ、少し消沈した様子を見せた。
「意地になっていてずっと渡せなかったの。いらっしゃい、見せてあげるから。……坊やもよかったらお母様と一緒に来る? ほら、おばあさまにお顔を見せてちょうだいな。ね?」
猫なで声でユーリに話しかけるけれど、ユーリはセシルから離れようとはしないし、義母に顔を向けもしない。セシルが口を開いた。
「悪いが、あなた方とティナだけを別室に行かせることはしない。ここで話をしてもらおう」
「まぁ、一体なぜですの? 親と子の会話ですわ。話の内容は、ティナが話す気になれば、後からセシル様に話すことでしょう。……ふふ。まさか、私たちが義娘に危害を加えるとでも? ご冗談を。そこまで憎み抜いてはおりませんことよ。それに、本日は王家の護衛の方々までおられます。全て王家に報告がいくかもしれませんのに、私たちがそんな愚かな真似をするはずがございませんでしょう」
「……」
チラリとセシルに目をやると、セシルが私に「ダメだ」と目配せしてくる。
実の母の残したものなど、十中八九嘘だろう。それでも、彼らが私に何を話そうとしているのかは気になった。わざわざここまでやってきたのに、中途半端に気になることを残したまま帰りたくはない。もう二度と、ここにやって来ることはないかもしれないのだから。
黙りこくった私たちに、義母が提案した。
「ではまず、私とティナの二人だけで話をさせていただけます? 夫とは後ほど。それなら構わないでしょう?」
「……二人だけはダメだ。サイラス、ティナと一緒に部屋の中へ」
「承知しました」
セシルが声をかけると、護衛たちの中で最もヒョロリと細い体型のサイラスさんが一歩前に出た。義母は明らかに不満そうな顔をしたけれど、サイラスさんの全身を舐めるように見回した後、「まぁいいわ」と言って立ち上がった。
父は結局、一言も話さなかった。




