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61. 荒れ果てた実家

 道中キャッキャと楽しそうにはしゃいでいるユーリの声に、幾分か救われる思いがした。今からあの人たちに再会する。私をずっといないもののように扱い、冷遇し続けていたシアーズ男爵夫妻に。私を商会の成金爺に嫁がせようとしていた、あの父に。小窓から覗く風景が、徐々に見慣れたものへと変わっていく。緊張で指先が冷たくなり、鼓動はどんどん速くなる。私は何度も深呼吸を繰り返した。

 ユーリを膝の上に抱いたセシルが、何度も気遣わしげに私の方を見、髪を撫で、頬に口づけをしてくれた。


 シアーズ男爵邸に到着し、馬車を降りる。屋敷を見上げ、私は驚いた。たった四年ほどしか経っていないにも関わらず、屋敷はまるで数十年もの月日が流れてしまったかのように薄汚れ、荒廃した雰囲気が漂っていた。玄関周りの草木は伸び放題で、屋敷の壁には蔦が長々とへばりついている。明らかに手入れをしていない伸び方だ。壁も窓も汚く、玄関前の大きな柱から扉にかけて巨大な蜘蛛の巣まで張っている。


「ぱぱ、ここ、なぁに?」


 この暗い異様な雰囲気に呑まれたのか、好奇心旺盛なユーリでさえ怯えた様子でセシルにしがみついている。セシルが口を開こうとした、その時だった。

 突然玄関扉が勢いよく開かれ、中からシアーズ男爵が姿を現した。血走った目でセシルを見、背後に立っている護衛たちにも視線を走らせ、そしてようやく、私の存在に気付いたかのようにこちらに目を向けた。


「ティ……ティナ……!」


(お父様……っ)


 父の姿を見て衝撃が走った。元々細身の人ではあったが、最後に見た時よりも一層痩せている。頬骨が飛び出し、目の周りは落ちくぼみ、まるで骸骨だ。いつも弄んでいた口髭だけは健在だった。

 そんな父は玄関扉に手をかけたまま、呆然とした様子で私を見つめている。そして、まるで品定めをするかのように、私の頭から足までゆっくりと視線を動かした。こんなドレスを着ているから驚いたのだろうか。この男爵家にいた頃、こんな豪奢なドレスが私に与えられたことなどただの一度もなかった。


「突然の訪問をお許しいただきたい。あなたからの手紙を読み、ティナがあなた方と話をしたいと言うので、共に帰国しました」

「……っ、」


 淡々と声をかけてくるセシルを、まるで化け物でも見るかのような顔で見つめる父。そしてゴクリと喉を鳴らすと、私たちの背後に並ぶ王家の護衛たちに目を走らせた。


「我々の帰国について()、すでにお聞き及びでしたか?」

「……いや。さようでございますか。驚きましたが、ひとまずどうぞ中へ……」


 セシルの追及に、父ははっきりと肯定も否定もせず私たちを屋敷の中へと招き入れた。

 大人しくしているユーリを片腕に抱いたまま、セシルが玄関ホールへと足を踏み入れる。私と護衛たちもその後に続いた。すばやく屋敷の中に視線を走らせ、暗い気持ちになる。

 見知った家令の姿がない。そればかりか、元々少なかった使用人たちはさらにその数が減ったのか、廊下を歩く一人のメイドの姿しか見えない。床の隅には埃が溜まり、どことなくカビ臭い空気が漂っている。手入れが全く行き届いていないのは、シアーズ男爵家の資金状態が逼迫していることを表しているとしか思えなかった。

 家がこんな状態なのに、父がリグリー侯爵家に楯突いてまで私の幸せを守るために尽力してくれるなど、到底思えない。やはりあの手紙は、私を絆してここへおびき寄せるための罠だったのだろう。嫌でもそのことに気付き、一歩歩くごとに気持ちはどんどん沈んでいった。

 一体この人たちは、何を企んでいるのだろうか。


 父はバツが悪そうに私たちを応接間へと通す。こんな状態の屋敷を見られたことが気まずいのか、それとも……。


「こちらでお待ちを。すぐに茶を準備させましょう。妻を呼びにやりますので……」

「お父様、お手紙をありがとうございました」


 私たちをソファーへと案内し、そのままどこかへ立ち去ろうとする父の横顔に、私は唐突に話しかけた。父はギョッとした顔でこちらを見、すぐに目を逸らす。


「……ああ」

「お心のこもった言葉の数々、しっかりと拝読いたしましたわ」

「うん……。そうか」

「……こちらが私の息子です、お父様」


 目を泳がせる父に、私は自らユーリを紹介する。すると父は、まるで今初めてその存在に気付いたかのような表情でユーリの方を見、またすぐに目を逸らした。


「あ、ああ。なるほど。……妻を呼んでこようか。お前と話したがっていた」


 そう言い残し、父はそのまま応接間を後にした。


 ユーリの名さえ聞いてこず、その顔にはほんのわずかな喜びの色も浮かばなかった。私は確信した。やはりあの手紙は全てが嘘だったのだ。父は私を蔑ろにし続けたこれまでの自分の行いを悔いてなどいないし、私との再会を微塵も望んではいなかった。私の産んだ子の顔を一度でいいから見たいなどと、少しも思ってはいなかったのだ。

 膝の上で作った拳を固く握りしめ、唇を引き結ぶ。セシルの言ったとおりだった。私は一体何を期待していたのだろう。……いや、本当は分かっていたはずだ。父はこういう人間だと。それなのに私は、ほんのわずかな可能性に縋ってまで、父との和解を、父からの謝罪や愛情に満ちた言葉がもらえることを、望んでいたのだろうか。

 そんな自分が、あまりにも惨めに思えた。

 黙ったまま俯いている私の頭を、セシルが労るようにそっと撫でた。


「とっとと用事を済ませて帰ろう。な? ユーリ。保育園のお友達に、どんなお土産を買って帰りたい?」

「えっとねー、えっと……。なにか、しゅごいのがいい!」

「ふ、そうか。すごいものか。明日は王都で土産選びだな」


 涙がこぼれないよう唇を噛んで堪える私の隣で、セシルとユーリがそんな会話をする。

 セシルの優しさとユーリの無邪気さが、私の心を包みこんでくれた。

 






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