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55. 葛藤

 あの頃私が切望していた言葉の数々が、その手紙には溢れていた。父は何度も何度も私に謝罪し、それらの言葉のところどころは、まるで涙に濡れたようにインクが滲んでいた。

 そして父は、リグリー侯爵夫妻の望むように、私から息子を引き離すつもりはないという。


『セシル殿がリグリー侯爵家のご令息である以上、非常に難しい問題ではあるが、お前とセシル殿が一緒に生きていける道はないか、私もリグリー侯爵と話し合いを重ねていきたい。そして、お前の元にいる子がお前と離れずにいられるよう、私が尽力する』


 また、義母は私が何も言わずに出ていき、隣国で子を産み育てている事実にまだ完全に納得したわけではないが、父の毎日の説得に応じ、私と直接会って話を聞きたいと言うようになった。そうも記してあった。

 そして、長い長い手紙の最後は、こんな言葉で締められていた。


『ティナ、一度だけでも構わない。お前の産んだ子の顔を、この父に見せておくれ。私に支援できることが何かあればしてやりたいし、お前が我々を拒むのであれば、遠くからお前たちの幸せを静かに祈ることにする。だが、私とお前は血の繋がった親と子だ。こんな形で縁が途切れたまま、生涯会わなくなるのはあまりにも辛い。身勝手なのは百も承知だ。それでも、私たちのような親の元でずっと苦しんできたお前が、今は幸せな道を歩んでいる、その姿を見送らせてほしいのだ。たとえこれが最後になるとしても』


「…………」


 支離滅裂な気もした。あまりにも都合が良すぎるとも思った。

 けれど、十二枚にも渡って丁寧な文字で記されたこの懺悔の手紙には、父なりの誠意が詰まっているような気もした。それこそ私の、都合の良すぎる解釈なのだろうか。


 ほとんどセシルが一人で準備してくれた夕食を食べ、ユーリを寝かしつけた後、私たちは話し合った。

 忌々しげな表情で父の手紙に目を通したセシルは、フンと鼻を鳴らすと、テーブルの上に手紙を放った。


「馬鹿馬鹿しい。いかにも君のために一肌脱ぐかのように書いてあるが、あのシアーズ男爵が俺の父に対して何ができるっていうんだ」

「……そうよね。それは私も、そう思ったわ」

「君をおびき寄せるための体のいい甘言としか考えられない。絆されるなよ、ティナ」

「……」

「父や母に何か言われているんだろう。策略だ。君は帰国しなくていい。俺がリグリー侯爵邸に顔を出し、話をしてくる。ユーリと一緒に、ここで俺の帰りを待っていてくれ」

「……」

「ティナ」


 押し黙った私の名を、セシルが咎めるように呼ぶ。分かってる。セシルの言っているとおりだ。あの事なかれ主義で、面倒なことからは目を逸らし続けていた父が、こんな風に都合良く改心なんかするわけない。

 それでも、手紙にしたためられたいくつかの言葉が、私の胸を揺さぶり続ける。


『なぜあの時、ちゃんと向き合ってやらなかったのか。なぜ上の二人と同じように、お前に目をかけてやらなかったのか』


『長い間本当にすまなかった。ずっと辛かっただろう』


『私とお前は血の繋がった親と子だ。こんな形で縁が途切れたまま、生涯会わなくなるのはあまりにも辛い』


 父の言うとおり、私はとうの昔に父に失望した。この王国に渡ってくる時に、そんな父との縁も捨ててきたつもりだった。そして今は、大切な息子が、愛する人がそばにいる。

 振り返るべきじゃない。頭ではそう分かっていても、ほんのわずかな可能性を捨てきれない自分がいた。もしも万が一、この手紙に記された父の私への後悔が本物だったら。

 だからといって、父を許せるわけじゃない。けれど……

 一人静かに葛藤を続ける私を、隣に座ったセシルがジッと見つめていた。




 翌日の勤務が終わり、私は一人でユーリのお迎えに行った。今日はセシルはいない。帰国の準備や様々な手続きのため、終日動き回る予定とのことだった。私の姿を見るなり「ままぁ!」と声を上げて駆け寄ってくる愛しい息子を抱き上げ、頬にキスをし、荷物を持ってくるよう促す。

 ロッカーにトテトテと向かう息子の後ろ姿を見つめながらボーッとしていると、コレット先生が静かに声をかけてきた。


「……何かあった?」

「……っ、え? どうしてですか? 先生」


 心配そうな表情の先生を振り返り、私は慌てて返事をする。


「何となく……。いつもと様子が違う気がして。何か悩み事?」

「……っ、」


 コレット先生は不思議なほど敏感な人だ。そんなに思い詰めた顔なんてしていなかったはずなのに……。最近ではほんの少しでも私が何か考え込んでいると、必ずこうして声をかけてくれる。


(……少しだけ、相談してみようかな……)


 そして私も、なぜだかそんなコレット先生にはいろいろと話したくなってしまうのだ。先生の温和で柔らかな雰囲気が、私に甘え心を芽生えさせるのだろうか。この先生には甘えてばかりだ。


「……先生、実は……」


 コレット先生には、私が隣国の男爵家の出身であることは話していない。だから、自分がレドーラの出身であること、長い間私に関心のなかった父が、偶然私の居所を知る機会があったようで、突然和解申し入れの手紙が届いたこと、それに対して戸惑い、どう対応すべきか葛藤していることだけを話してみた。

 先生は黙ったまま、私の話を聞いてくれた。








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