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54. 突然の手紙

 その日、いつものように三人でアパートへ帰宅し、郵便受けからなにげなく取り出した、その分厚い手紙。差出人の名前を見た瞬間、心臓が痛いほど大きく跳ね上がった。指先がすうっと冷たくなる。真っ先に頭をよぎったのは、私がこのアパートに住んでいることが、すでにシアーズ男爵家にまでバレてしまっているのだなということ。当然その情報は、セシルの実家リグリー侯爵家経由で父たちに知らされたのだろう。それならばもちろん、ここにセシルがいることも、そしてユーリの存在も知られているはずだ。

 リビングの椅子に呆然と腰を下ろした私は、震える手で半ば無意識に手紙の封を切る。


「どうした? ティナ」


 ユーリのカバンを下ろし上着を脱がせていたセシルが、私の異変に気付き声をかけてくれる。


「……父から、手紙が」


 掠れる声で一言そう呟いた途端、こちらを見ていたセシルの動きがピタリと止まった。


「おちぇがみ、なぁに? ゆーりもみる!」

「……ママのお仕事の、難しい手紙だよ。ほら、ユーリはこっちでパパと夕食の支度を始めていよう。手を洗おうか」

「はぁい」


 セシルが上手いことユーリを向こうに連れて行ってくれた隙に、私はその厚い手紙を取り出して広げた。耳元で心臓が暴れているかような激しい動悸がし、カラカラに乾いた喉がひりつく。

 おそるおそる開き、逸る気持ちを抑えながら、冒頭から一文字ずつ慎重に読み進めていく。予想したような私を叱責する文言は、ただの一つもそこにはなかった。

 父は案の定、リグリー侯爵夫妻から私の居所を知らされたのだという。ご令息の子をなし、隣国に逃げ勝手に子を産み育てている私に対して侯爵夫妻は大変お怒りで、ご令息を返せと、そして産んだ子を渡せと言ってきているとのこと。その文面を読んだ瞬間、覚悟はしていたはずなのに私の全身から血の気が引いていった。


(……やっぱり……。見逃してもらえるなんて思ってはいなかった、けれど……。リグリー侯爵家はユーリを欲しがっているんだわ……)


 何度も深呼吸を繰り返しながらその先を読み進めていくと、父はこれまでの自分の態度を切々と詫びはじめた。


『────思えば私は、お前が生まれてから屋敷を出ていってしまうまで、ただの一度もお前にきちんと向き合ってはやらなかった。こうなってしまった今だからこそ、正直に言う。ティナ、私は自分の過ちを恥じていた。一介のメイドであるお前の母に激しく惹かれ、我が物にしたいと願ってしまった。彼女がお前を身ごもっていることに我々が気付いた時、妻は「外聞が悪いから屋敷の中で大人しくしていろ」と彼女を強く叱責した。そんな時も、そして妻が妊娠中の彼女に乱暴に当たっていた時も、私は見て見ぬふりをした。弱い男だ。とんでもないことをしてしまったという焦りと後悔、妻から向けられる憎悪の目……。追い詰められていた。彼女がお前を出産し、妻は当初、自分が産んだ三人目の子であるかのように偽装しようとした。だが、そんなに上手く事は運ばなかった。私がメイドに手をつけ不義の子が生まれたことはすぐに社交界に知れ渡り、妻は彼女だけを追い出したのだ。まるで彼女自身が子を捨て、行方をくらましたかのように装った。そして、慈悲深い自分が、なさぬ仲の子を受け入れ、男爵家の娘として我が子同然に育てていく姿を社交界に印象付けようとした。──今さら悔いても許されるはずがない。だが、彼女にもお前にも、本当に申し訳なかった……』


(……なんて男なの。情けなくて無責任で、逃げ回ってばかり。今さらこんな告解めいたことをされたところで、あの頃の私の孤独や苦しみはなかったことにはならないわ)


 それに、私の産みの母まで。

 そんなひどい目に遭っていただなんて。どれほど辛く苦しい思いをしたことだろう。父も義母も、あまりにもひどい。

 父の身勝手な独白と後悔が綴られた文面は、長々と続いていた。怒りが込み上げ、読み進めるほどに手の震えがひどくなる。もうこれ以上読んでいられない。このまま捨ててやろうかしら。そんな思いが頭をよぎった。

 けれど、父の情けない独白は、中盤から様子が変わった。


『────お前が突然姿を消してから四年、私の心には大きな穴が空いたようだった。これまでとは比べものにもならないほどに、大きな後悔の波が押し寄せてきた。一体私は何をしていたのだと。自分の犯した過ちから逃げ、妻の不機嫌と怒りから逃げ、世間体を守ることばかりに執着し、怯え続け、何よりも大切なものを失ってしまった、と。

 お前の顔が、何度も脳裏に浮かんだ。いつも何か言いたげに、私のことを静かに見つめていたお前。幼い頃からそうだった。アレクやマリアが声高に自分の手柄を披露し、自分の欲しいものを主張している時、お前だけは何も言えずに隅の方でジッと私を見ていた。なぜあの時、ちゃんと向き合ってやらなかったのか。なぜ上の二人と同じように、お前に目をかけてやらなかったのか、と。

 お前が我々の前からいなくなり、ようやく気付いた。お前がどれほど孤独で寂しい思いをしてきたのかを。そしてどれほど私に失望していたのかを。私は最低な父親だ。

 今さら謝ったところで何の慰めにもならないだろう。だが、言わずにはいられない。ティナ、長い間本当にすまなかった。ずっと辛かっただろう。挙げ句の果てに私たちは、シアーズ男爵家存続のために、お前をダルテリオ商会会長の後妻として差し出そうとまでしたのだ。きっと私を憎んでいることだろう。

 今さらお前の信頼を取り戻すことなど、きっともうできまい。父として、お前に慕ってもらえる日など、きっと来ない。

 だが、それは当然のことだ。それでも構わないから、私はお前にできることをしてやりたい。

 ティナ、今のお前が幸せに暮らしているのなら、私はその生活を守ってやりたいと思っている』

 





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