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52. コレット先生の事情

 セシルと新居のアパートで暮らしはじめてからすぐ、私はソフィアさんに全てを打ち明けた。治療院でのお昼休憩中、隅の方の席で持参したサンドイッチを食べながら今の状況を話すと、彼女は目をまん丸く見開いた後、その目をキラキラと輝かせた。


「よかったじゃないの! レイニーさん……っ! じゃあこれからはユーリくん、パパとママと一緒に暮らせるわけね」

「はい。一応、そういう形で落ち着きました。……これからどうなるかは分かりませんが、今のところは。いろいろと話を聞いてくれてありがとうございました、ソフィアさん」


 ソフィアさんは嬉しそうに頷きながら、キョロキョロと辺りを見回しこちらに顔を近づける。私たち二人以外に、他にも何人かの従業員がお昼を食べているけれど、こちらの会話を気にしている人は今のところいない。


「あなたたちが一緒に生きていく覚悟を決めたのなら……、あとはアレね。向こうのご実家問題ね」

「そうですね……。どんな行動を起こされるかは分かりませんが、何があってもユーリと離れる選択肢だけはないので」

「当然よ! いい? レイニーさん。油断しちゃダメよ。貴族様のことは何一つ分からないけどさ、金に物を言わせて乱暴な手段を使ってくる可能性だってありそうじゃない? 万が一にも勝手にユーリくんを連れて行かれたりしないように気を付けなきゃ!」

「……ええ。たしかに。考えられないことでもないですよね」


 まさかリグリー侯爵家の誰かが直接やって来て、私からユーリを引き離しレドーラ王国へ連れ帰るなんてことはしないと思うけれど、動かせる人間ならいくらでもいるはずだ。相手がすでにユーリの存在を知っているのか、どう対応しようとしているのかはまだ分からないけれど、油断はできない。


「それにしても……ふふ。すごいわねセシルさん。仲間まで連れて襲ってきたあの馬鹿バハロを、返り討ちにしちゃうなんて」

「本当に……。あの時セシルが現れなかったら今頃どうなっていたことか」

「惚れ直しちゃった?」

「……へっ!?」


 頬杖をついて楽しそうに私の顔を覗き込むソフィアさんの言葉に照れながらも、私は小さく頷いた。


「まぁ……、はい。そうですね」

「うふふ。やぁだぁレイニーさんったら、惚気ちゃって!」

「っ! ソフィアさんが聞いてきたんじゃないですか……っ!」


 思わず大きな声を上げると、ちょうど休憩室に入ってきた同僚の女性たちがそばにやって来る。


「どうしたの? そんなに盛り上がって。何の話?」


 その中の一人の言葉に、ソフィアさんが「どうする? 話すの?」と言わんばかりにチラリと私を見る。……これからセシルがここに顔を出す機会もあるだろうし、黙っておいてもいつかは皆にバレるだろう。変にいろいろ勘繰られるよりも、ちゃんと話しておいた方がいいわよね。うん。

 覚悟を決めた私は少し照れながらも、同僚たちに「これまで諸事情で一緒に暮らせなかった息子の父親と、今後は近くのアパートで共に生活することになった」と打ち明けた。セシルがレドーラ王国の貴族家の人間であることは伏せておいた。皆驚きながらも興味津々といった様子で、いろいろと尋ねてきたり、祝福の言葉をくれたりと、しばらくはその話題で盛り上がったのだった。


 その後ユーリのお迎えに行った時に、保育園の先生たちにも同じように事情を説明した。今後は私の代わりにセシルがユーリのお迎えに来ることだって、きっと何度もあるはずだ。先生方は驚いた顔をしていたけれど、すぐにニッコリと微笑み「承知しました。ユーリくん、パパと一緒に暮らせることになってよかったですね」と口々に言ってくれた。


「本当によかった。いろいろとご事情があるんでしょうけれど、これでレイニーさんも今までよりは生活が楽になるんじゃないかしら。金銭的な意味でも、時間的な意味でも」


 他の先生たちがそれぞれ子どもたちの相手に戻っていくと、そばにいたコレット先生がそう言って微笑んでくれた。ユーリはコレット先生の足元にむぎゅっとしがみついており、先生はそんなユーリの頭を優しい手つきで撫でてくれている。


「はい。……週末に立て込んでいたのも、実は彼との話し合いなんかがありまして。お世話かけてしまってすみませんでした、コレット先生。本当にありがとうございます」


 私がそう言うと、先生は柔らかい笑みを浮かべて首を振る。


「とんでもない。大切なところでお役に立てていたのね。嬉しいわ。これからもいろいろあるでしょうけれど、私が手を貸せることがあれば何でも言ってくださいね。お休みの日もまたユーリくんを預かったりできるから」

「……いいんですか? 先生」

 

 どこまでも好意的なコレット先生の言葉は非常にありがたく、けれど「本当に甘えていいのだろうか」という気持ちもあって、私はおそるおそるそう尋ねた。けれどコレット先生は、屈託のない笑みを浮かべて言う。


「ええ、もちろん! 前にも言ったけれど、私ユーリくんと過ごす時間がとても楽しいの。子どもは本当に可愛いわ。無邪気で純粋で、素直で。もちろん、ワガママを言って泣きじゃくったり、癇癪を起こしたりもたくさんするけれど。……子どもを育てるってすごく大変なことだけど、我が子の成長を一番近くでずっと見守っていけるのは、きっとこの上ない幸せでしょうね」

「……コレット先生には、お子さんは……?」


 口に出してから、しまった、と思う。どこか遠い目をしながらそう語る先生の雰囲気が何だか寂しげで、つい踏み込んでしまった。この口ぶりでは、きっと先生にはお子さんがいないのだろう。

 案の定、先生は気を取り直したように明るい笑顔を見せ答えた。


「そばにはいないんです。ふふ。……私にも少し事情があってね。だからこそ余計に、よその子たちが可愛くて仕方がないの」

「……。ごめんなさい」


 そばには、いない。

 ……想像以上に、深い事情があるらしい。無神経に触れてしまった自分に腹が立ち、私は静かに謝罪の言葉を口にする。


「やだ、気にしないでレイニーさん。いろいろあったけど、もう昔のことなんだから。今はこうして自分の天職を見つけて、楽しい日々を過ごしているのよ。子どもたちに囲まれて、毎日が幸せ! ふふ。……そういうことだから、私は無理して休日を潰しているんじゃないの。レイニーさんやユーリくんのパパが忙しい時は、遠慮なく頼ってくださいね」

「……はい。ありがとうございます、コレット先生」


 いつの間にか私とは随分親しい口調で会話をしてくださるようになっているコレット先生のその笑顔は、やっぱり少し影があるようにも見えた。けれど、先生のご厚意を無駄にしたくなくて、私も精一杯の笑顔を作ったのだった。






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