49. 溶けてしまうほど甘く
私はもう抵抗しなかった。
セシルは私を抱いたままリビングの灯りを落とすと、ゆっくりとした足取りで私をソファーまで運び、そっと私を横たえる。覚悟を決めてもなお恥ずかしさに震える私をなだめるように、私の上に重なったセシルが優しく私を抱きしめ、頬にキスをくれた。
彼の熱い唇が、私の唇に静かに触れた瞬間、私は目を閉じ、あの夜のように全てを彼に委ねた。
セシルの指先が、私の首筋をそっと撫でた。
最初こそこわごわと私を求めていたセシルの慎重な動きは、やがて制御を失ったかのように情熱的なものへと変わった。火傷しそうなほどのその熱を受け止めながら、私はこれまでに感じたことのない幸せを味わっていた。さっき言葉で伝えられた時とは比べ物にもならないほど、セシルの私への愛を全身で感じられたから。
その熱に翻弄されながら、私は何度かぼんやりと目を開け、彼の存在を確認する。その整った顔とたくましい体に汗の粒を浮かべたセシルは、片時も目を逸らすことなく私を見つめ、熱く荒い呼吸を繰り返しながら私を求め続けた。
何かを堪えるように眉間にしわを寄せ、時折私の首元に顔を埋めながら、セシルはうわ言のように繰り返す。
「ティナ……愛してる……。もう決して離さない。俺にはずっと、君だけだ────」
身も心も溶けてしまいそうなほどの甘い時間が過ぎ、セシルは私を労るように何度も口づけながら、私に夜着を着せ、ブランケットをかけてくれる。本当は裸のまま彼の腕に抱かれ、しばらく幸せの余韻に浸っていたいような気持ちだったけれど、「万が一ユーリが起きてきてビックリしたらいけないから」と言って肌を隠してくれるセシルには完全に同意できるので、されるがままになる。若干ムードには欠けるかもしれないが、こうして常にユーリのことを一番に考えてくれるところもありがたい。こんな短期間のうちに、セシルはすっかり“父親”になってきている。
互いに服を着てソファーに横になり、セシルの腕枕に体を預けて彼に尋ねる。
「ね、セシル。これからどうするつもりでいるの? もうレドーラ王国には一度も戻らないの?」
幸せそうな顔をして私の髪を撫でながら額に何度もキスを繰り返していたセシルが口を開く。
「いや、やはりビクトール殿下にはこうなったことを直接報告したい。これまでかなり目をかけていただいたからな。落ち着いたら一度帰国して、殿下にお会いしてくる」
「そう……。たしかに、そうするべきよね」
「ああ。王国騎士団を辞めセレネスティア王国で暮らすことを報告して、一度リグリー侯爵家の様子も探っておきたい。妙な動きをしていないか気になるしな」
「……ええ」
「君は何も心配しなくていい」
私の表情を見たセシルは、安心させるように優しく微笑むと、私にそっと唇を重ねた。甘い仕草に胸がキュンと疼く。
「……仕事は? もう考えてるの?」
「ああ。こっちでも騎士を続けるつもりだ。以前から交流のあった人物たちに、今いろいろと相談している。できるだけ好条件で働けるに越したことはないからな。まぁ、幸い当分生活に困らないくらいの金はある。よく吟味するよ」
「交流のあった、って……、え? この王国に知り合いがいるの?」
「ああ、もちろん。近隣諸国の高位貴族たちとは、これまで社交の場で挨拶をする機会が何度もあった。いろいろな付き合いが面倒だと思っていたこともあったが、こうなってくると人脈というもののありがたみが分かるな」
「そうなのね。すごいわ……」
私にはまるっきり縁がなかったけれど、高位貴族の人たちは他国の貴族と社交する機会もあるってことか。セシルを助けてくれそうな知り合いがいるのならよかった。
そんなことを考えホッとしていると、ふいにセシルが言った。
「俺たちの結婚のことも、ちゃんと考えなきゃな」
「……えっ!?」
突然飛び出した“結婚”という言葉に、思わず声を上げてしまう。セシルはそんな私の反応にクスリと笑うと、また私を抱き寄せる。
「中途半端なままではいたくない。できるだけ早いうちに手続きをしよう。結婚式も考えなくては」
「セシル……」
「君のウェディングドレス姿は、きっと目も眩むほど美しいだろうな」
「……っ、」
結婚式……。
ユーリと生きていくためにこの王国へとやって来て、ついこの間まで二人きりで暮らしていた。それなのに、もう二度と会うことはないと思っていた愛しい人と再会し、こうして一緒に暮らすことになって、また肌を重ね、今はその腕の中で結婚式の話をしている。
なんだか頭がぼんやりとして、まるで現実とは別の世界にいるみたいだ。
「……どうした? ティナ。眠いのか?」
「……今の状況が、信じられなくて。私は本当に、これから先、あなたと一緒にいられるの……?」
自分の考えていたことを素直に口に出すと、セシルは慈しむような瞳で私を見つめ、頭を撫でる。
「当たり前だろう。君が嫌がっても、もう絶対に逃がすものか。離れることは、もう俺が耐えられない。……愛してるよ、ティナ」
「……ありがとう、セシル。私もよ。あなたのことが、ずっとずっと大好きだった。……一緒にいましょうね、ずっと。ユーリの成長を、一緒に見守ってほしい。……愛してるわ」
少し照れながら、けれどセシルの甘い言葉に誘われるように、私も自分の気持ちを口にする。するとセシルは目を見開き、小さく息を呑んだ。そして心底幸せそうに破顔する。
「やっと言ってくれた。初めてだな、ティナが俺にその言葉をくれたのは。……ああ、もう、たまらない」
そう言うとセシルは、私を強く抱きしめた。息が苦しくなるほどのその力に私は抵抗せず、セシルの胸の鼓動を聞いていた。しばらくすると少し腕の力を緩めたセシルが、私を促す。
「ユーリの話を聞かせてくれ、ティナ。これまでのあの子の成長を。産まれた時の様子はどうだった? これまでどんな苦労があった? 俺の知らない間の君たちのことを、全て知りたい」
「ふふ。ええ。……ユーリはね、南の方にある小さな産院で産んだの。安産でホッとしたんだけど、しばらくは夜泣きがひどくてね……」
その夜、私はこれまでのユーリのことをセシルにたくさん話した。セシルは私を抱いたまま、どんな些細なこともすごく真剣に聞いてくれた。
そしていつの間にか、私は眠ってしまったらしい。ふと気が付くと、体がふわふわと宙に浮いていた。たくましい腕の感触にうっすらと目を開け、セシルが運んでくれているのだと気付く。
目が合うと、セシルは優しく微笑んで囁いた。
「ユーリのそばで眠ろう。……お休み、ティナ」
たまらなく幸せな気持ちになり、私はゆっくりと目を閉じた。やがてベッドの柔らかい感触とユーリの匂いがし、私は無意識にそちらに手を伸ばして息子の体を抱き寄せた。そんな私とユーリを守るように、セシルの大きな腕が私たちを包み込んだ。