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45. 父と子の抱擁

 その夜、セシルは私たちの部屋に泊まった。余分な寝具など一枚もないので申し訳なかったけれど、「俺はどこでも寝れるから大丈夫だ。君は気にせずいつも通りユーリの隣で眠るといい」と、私たちのベッドの下で横になると言い張る。


「……セシル、さっきまであんなことがあって、あなたも疲れているでしょう? もうこうして私たちの住まいは分かったんだから、宿に戻ってゆっくり休んだらいいのに……」


 なんせバハロたち大男四人を一人で相手にし、こうして衝撃の事実まで知ってしまったのだ。その疲労感は想像に難くない。ためらいつつ声をかけてみたけれど、セシルは少し悲しげな顔をした。


「分かってくれ、ティナ。俺はもう片時も君たちと離れたくないんだ。ついさっきあんな目に遭ったばかりの大切な妻子を置いて別の部屋に帰るなんてこと、できるわけがないだろう。朝までそばにいさせてくれ」


(さ……妻子って……)


 その言葉にまた顔が真っ赤に染まってしまう。私はまだこの人の妻になったわけじゃない。言葉の綾だと分かっていてもなんだか落ち着かなくて、私はセシルに背を向け、ユーリを起こさないよう静かにベッドに横になった。


「灯りを消すよ。……お休み、ティナ」

「……お、お休みなさい」


 ふ、とセシルのかすかな笑い声が聞こえたかと思うと、部屋の灯りが消え、次の瞬間、頬にふわりと柔らかいものが触れた。


(……っ!!)


 ほのかなセシルの香りとその唇の感触にドキドキして、息が苦しくなる。セシルが横になる気配がした。


(……どうしよう。結局こんなことになってしまった……)


 ユーリの存在をセシルに明かし、ホッとする気持ちももちろんあるけれど、それ以上に、私はリグリー侯爵家がどう出るのかが怖かった。このことが彼らの耳に入ればもちろんただでは済まないだろうし、そうなればシアーズ男爵家にも情報は行くかもしれない。それにハーマン・ダルテリオや、セシルと婚約関係にあったグレネル公爵家のことだって……。


(ああ、問題は山積みだわ……)


 ユーリを抱き寄せながら、私はひそかに深いため息をついた。

 けれど、背後に感じるセシルの気配がどうしようもなく頼もしいのも、また事実だ。ユーリの親はもう、私一人じゃなくなった。


(……乗り越えなきゃ。これから何が起こるとしても)


 私たち親子三人が、これからどうしていくのかも、母国にいるセシルの実家への対応も、何一つ決まっていない。けれどこの夜、私はついに決意を固めた。


(事実を知った以上、彼が言うようにセシルはもうきっと私たちのそばを離れない。それなら三人で幸せに生きていける道を、どうにか作っていくしかないじゃない。ユーリを守れるのは、私とセシルだけなんだから)


 そう自分を鼓舞し、同じ部屋の中にセシルがいることにかつてない安心感を覚え、私は静かに目を閉じた。

 けれど……


(……すぐそばにセシルがいると思うと……ドキドキして全然眠れない……)




  ◇ ◇ ◇




 その後のセシルの行動はすばやく、私に戸惑う暇も与えなかった。

 彼は自分が滞在していた宿を引き払うと、私たちが住んでいる従業員寮のすぐそばにある大きなアパートを借り、私とユーリをそこに移り住ませたのだ。


「王都の一等地だけあって、平民の中でも富裕層向けの、設備の整ったいい物件だ。君の勤め先にもユーリの保育園にも近いだろう? 元いた従業員寮の目と鼻の先だ。部屋が空いていてよかった」


 バハロたちに襲われているところを助けられ、セシルにユーリのことを打ち明けた次の週末、突然現れたセシルが「新しい家に行こう」と言って私たちを迎えに来、ここへと連れてきたのだった。

 半ば強引に新居に案内され、ユーリと手を繋いだままその部屋を見せられた私は、あっけにとられた。すでに立派な家具の数々がセッティングされてある。

 ユーリは私たちを見上げ、キョトンとしている。


「ち……ちょっと待ってよ、セシル……。いくら何でも、早……」

「寮の退去手続きと、荷物の移動を急がないとな」


 そんなことをブツブツ言いながら、私の隣にいるユーリのことをふと見下ろした彼は、そばにかがみ込み、ユーリの頭をそっと撫でた。そして柔らかい口調で息子に語りかける。


「ユーリ。俺は君のパパだ」

「……ぱぱ?」

「ああ。とても複雑な事情があって、これまで一緒に暮らすことができなかった。すまない。いきなり家族が増えてビックリするだろうが、これから君のいいパパになれるように頑張るよ。君とママを、一番近くで守っていく。だから、これからはユーリと一緒に暮らしたいんだ。……いいかな?」


 セシルの言葉を真剣な表情で聞いていたユーリは、なんだか照れくさそうに小首を傾げ、唇を引き結ぶ。そしてチラリと私を見上げた。ほっぺたがピンクに染まっている。モジモジしている様子が可愛くて、私は思わずクスリと笑った。そしてセシルと同じように、ユーリのそばにしゃがみ込む。こうなってしまった以上、ユーリに説明するのは早い方がいいに決まっている。どうせセシルはもう、私たちから離れるつもりがないのだから。


「今までパパの話をしなくてごめんね、ユーリ。パパはね、遠い国でずっとお仕事をしていたの。急にこんなことを言われて、ビックリするわよね。でもね、大丈夫。パパはとっても優しい人よ。もちろん、ママも今までどおり、ずっとユーリと一緒に暮らすの。ユーリと、ママと、パパで。……どうかな?」


 ほんの少しでもユーリが嫌そうなそぶりを見せれば、セシルに一旦引いてもらうつもりだった。ユーリの心にはわずかな負担もかけたくない。ユーリが不安そうな顔をすれば、こんなに急いで事を進めず、もっと慎重にいこうと、セシルに言うつもりだった。

 けれど、ユーリは相変わらずちょっとモジモジしながら、小さく頷いたのだった。セシルは心底ホッとした顔をして、両手を広げる。


「ありがとう、ユーリ。……抱っこさせてくれ」


 その言葉に、ユーリは私と繋いでいた手を離すと一歩踏み出し、セシルの腕の中に入った。セシルは小さく息を吐いて満面の笑みを浮かべると、ユーリの体をしっかりと抱き上げ、立ち上がった。


「……可愛いな。本当に可愛い。君に会えて幸せだよ、ユーリ。……ありがとう」


 息子の額に口づけるセシルの瞳が潤んでいる。その顔を見て、私の視界もまた涙で滲んだのだった。

 








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