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44. 今度こそ

 結局ユーリは遅い夕食を食べることもなく、そのまま眠ってしまった。セシルはすやすやと寝息を立てるユーリを抱きかかえ、ベッドまで運んでくれる。

 壊れ物を扱うように優しく、とても慎重にユーリの体をベッドに横たえたセシルは、そのままベッドサイドに座り、ユーリの寝姿をジッと見守っている。私はできるだけ音を立てないよう気を付けながら、セシルと自分のために紅茶を淹れた。

 私が二人分の紅茶をテーブルに運ぶと、セシルは静かにそばにやって来て、向かいではなく私の隣に腰かけた。

 ジッと見つめられて、私は黙ったまま俯く。


「……どうして、今まで黙っていたんだ」

「……ごめんなさい」


 そこに私を責めるような響きは一切なかったけれど、私は自然と謝罪の言葉を口にしていた。どんな事情であれ、私はセシルの子どもを黙って産んだのだ。そして、父親であるはずの彼にそのことを一言も告げず、勝手に子どもを連れ去り一人で育てた。そのことは責められて当然だろう。

 けれどセシルは、私を怒らなかった。


「リグリー侯爵家にユーリをとられることを恐れたのか。それとも、言わずに去る方が、俺の将来のためになると……?」

「両方よ。この子を授かっていると気付いた時、私には産まない選択肢はなかった。私を愛してくれない、気にもかけてくれない名前だけの家族のために、大嫌いな男の元に嫁ぎ、地獄のような人生を送る選択肢は消えたわ。どんなに苦労しても、あなたの子を産んで育てたい。……そう思ったの。迷いはなかった。……あなたには、言えなかった。黙っていて、ごめんなさい」


 ついに吐き出した私の本音を、セシルは静かに受け止めた。そして私を抱き寄せると、しばらくの間黙ったまま、私の背中を擦ってくれた。

 されるがままにその大きな胸に体を預けていた私は、ふと気になって彼に尋ねた。


「ねぇ、セシル。あなたどうして、こんな遅い時間にあそこにいたの? どうして私の声を聞いて、あんなにすぐに駆けつけて来られたの……?」


 そう問いかけながら見上げたセシルの顔は予想以上に距離が近く、私の鼓動と体温は途端に上がった。セシルはそんな私を優しい眼差しで見下ろし、微笑む。


「この王国に来て以来、エイマー治療院の周りは何度も見回っていた。特に日が沈んでからはな」

「な、何度も……?」

「ああ。君の勤め先の近隣がどんな所か、治安は悪くないのか、気にならないはずがないだろう。いざという時のために、土地勘もあって損はない。……早速役に立っただろう?」


 そう言ってセシルは私の頬をそっと撫で、ごく自然な動作で私に顔を寄せた。そして────


(…………っ!)


 抵抗する間もなく、私の唇は彼の唇と重なっていた。息が止まり、体が硬直する。開いたままの私の視界には、伏せられたセシルの瞳を縁取る長い睫毛だけが映っていた。

 こちらが動くよりも先に私から離れたセシルは、私の体を解放すると音もなく立ち上がり、ユーリが眠っているベッドへと向かう。そしてベッドサイドに腰を下ろすと、静かにユーリの寝顔を見守りはじめた。

 突然の口づけに頭が破裂しそうなほど動揺した私は、茹だったように真っ赤な顔で、彼のその後ろ姿を見つめた。すると息子の寝顔を見ているセシルが、小さな声で呟いた。


「……可愛いな」


(……セシル……)


 噛み締めるようなその言葉が、私の胸にじんわりと染みて広がる。


「信じられないくらいに可愛い。素直で、愛らしくて、君にそっくりだ。……大変だっただろう、ティナ。この子を宿して、誰にも言えずにたった一人で国を出て、今日まで育ててきてくれたんだな。身内も知り合いも誰もいない場所で、辛い時もきっと数え切れないほどたくさんあっただろう。それでも……この子を見れば、君がどれほどこの子に愛情を注いで、大切に守ってきてくれたのかが分かるよ。ありがとう、ティナ。俺たちの子を守ってくれて」

「……っ、ふ……」


 セシルの言葉の一つ一つが私を包み込み、もう堪えることができなかった。涙が堰を切ったように溢れ、私は顔を覆い、嗚咽しながらしゃくりあげた。

 どれほどこの言葉を聞きたかっただろう。不安で孤独で押し潰されそうな夜、どれほど彼に縋りたいと思っただろう。

 セシルが静かにそばへとやって来る。彼は私を横抱きに抱え、そのまままた、ユーリのそばへと戻っていく。

 すやすやと眠る息子の隣で、セシルは私を膝の上に抱いて座ったまま、泣き続ける私の額に、髪に、濡れた頬に、何度も唇を押し当てた。私はたまらず、彼の首に両腕を回し、強く抱きしめた。

 セシルの掠れた声が、耳元で聞こえる。


「……もう絶対に、君のそばを離れない。今度こそもう二度と、君を一人にはしない。ティナ、何も心配しなくていい。君とユーリは、この俺が守る。ユーリを他の誰かに渡すことなど、絶対にするものか」

 




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