42. 圧倒的な強さ
(っ!? ユーリ……ッ!!)
一瞬にして、頭が真っ白になる。息子の行方を探そうともがく間もなく、私の体は強い力で抱きすくめられたまま、ぐるりと後ろに反転させられた。
(…………っ!!)
街灯に照らし出されて立っていたのは、その太い片腕に私の息子を抱えてニヤリと笑う、バハロさんだった。その横にはあと二人、見知らぬ男が立っていた。いずれもバハロさんと同じように、がたいのいい大男だ。そして今、私をがっちりと捕らえ口を塞いでいるこいつも、かなり体格がいい男なのは間違いない。
押さえつけられている私を、ユーリが不安そうな顔で見ている。
「まま……?」
「やっとチャンスが巡ってきたぜ。……ったく、何回無駄足踏まされたと思ってやがるんだ、このあばずれ」
バハロさんがニタァ……と不気味に笑い、私に一歩ずつ近付いてくる。どうにか私の口を押さえつけているこの大きな手を振りほどこうと、私は全力でもがいた。でも、大きな手は指の一本さえも引き剥がせない。
後ろにいた二人の男たちも、ニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。
「へーぇ。たしかに別嬪じゃねぇか。こりゃ男をダメにしちまうタイプだなぁ。へへへ」
「さっさと話を決めろよ、バハロ。連れて帰って可愛がってやれ」
ユーリを抱えたバハロさんは、私からほんの二、三歩の距離で立ち止まり、ドスのきいた声で私に言った。
「……謝れ。そしてこの俺に服従しろ。てめぇがこれからは俺だけに尽くすと約束するなら、息子共々まとめて面倒見てやらぁ。だがな、てめぇがこれからも他の男を誑かしやがるようなら、てめぇも息子も容赦しねぇぞ。俺の女になって、一生俺だけに尽くすと、今、ここで誓え」
(……っ!? 何言ってるの、この人……!)
怒りで目の前が真っ赤に染まるような感覚がした。私を逆恨みして、私からユーリを取り上げてこんなことをするなんて……!
「……ま、まま……。ふぇぇ……」
状況の恐ろしさを理解してしまったらしいユーリが、ついにくしゃりと顔を歪めて涙をポロポロとこぼしはじめた。まずい。今ユーリが騒いでしまったら、この男が何をするか分かったものじゃない。
案の定、バハロはチッと大きく舌打ちすると、自分が抱きかかえているユーリに向かって大きな声を出した。
「うるせぇ! クソガキ! てめぇは黙っとけ! 放り投げるぞコラ!」
(…………っ!!)
その言葉とユーリの怯え顔に、私の中の何かがブツリと音を立てた。私は全身全霊の力を振り絞り、押さえつけてくる男の指を引きちぎる勢いで爪を立て、その指が少し動いた瞬間口を大きく開けると、思いっきり噛みついた。
「っ!! ぎゃぁぁーーっ!! こ、このアマ……ッ! やりやがったな!!」
手が剥がれるやいなや、私はその男の腕にしがみついて押さえ、大きく息を吸い込んで叫んだ。
「誰かぁーーっ!! 助けてぇーーっ!! 誰かぁーーっ!!」
ここは従業員寮の真ん前。近隣には何軒もの民家もある。これだけ騒げば、絶対に誰かは気付いてくれるはず。
「おいっ! 女を黙らせろ馬鹿野郎!!」
バハロがそう言うと、私の背後の男が舌打ちをした。
「チッ!! 騒ぐんじゃねぇよこいつ……!」
頬に強い衝撃が走った。けれど、そんなものに怯んでいる時間はない。
「ユーリ!! 誰か、ユーリを助けてぇーーっ!!」
男に再び口を押さえられる前にと、私は襲ってくるその大きな手から無我夢中で逃れながら叫び続けた。
すると、次の瞬間。
「ぐはっ……!!」
(────っ!! ……え……?)
苦しげなその呻き声に顔を上げると、ついさっきまでバハロがいた場所には、別の人が立っていた。
私の息子を抱きかかえ、長い足を大きく蹴り上げている。
バハロの巨体が、道の隅にゴロンと無様に転がった。
街灯に照らし出された眩しいほどの金髪のその人は、息子を抱いたままこちらを振り返った。
(──セシル…………ッ!!)
目が合った瞬間、セシルが動いた。そしてふわりと空気が揺れるのを感じた途端、私の体は自由になった。
「ぐわぁぁっ!!」
潰れた獣のような呻き声に振り返ると、セシルがユーリを片腕に抱いたまま、私を拘束していた男を蹴り飛ばしていた。
「ユーリ!!」
私は両手を大きく広げ叫んだ。男がのたうち回っている間に、セシルが私にすばやくユーリを渡す。
その小さな体をしっかりと抱きしめた私の目から、途端に涙が溢れた。
「離れていろ! ティナ!」
「っ! は……はいっ」
安堵したのも束の間、セシルのその鋭い声に反射的に飛び上がった私は、道の片隅に走った。
「ひ……ひぇぇ……っ!」
「な、何だコイツ……! 逃げろ……っ!」
後ろで見ていた男二人が、セシルの強さに怯んだのか慌てて踵を返し、走り去ろうとする。しかし男たちより格段に速いセシルの足はあっという間にその男たちに追いつき、奴らの首根っこを鷲摑みにすると、二人いっぺんに投げ飛ばし地面に叩きつけた。そしてその男たちを力いっぱい踏みつけると、セシルは起き上がったバハロの元へと走る。圧倒されるほどの肉弾戦が、私の目の前で繰り広げられはじめた。
ユーリの顔を自分の胸に埋めるようにして視界を塞ぎ、呆然とその様子を見ていた私は、いつの間にか周囲に何人もの野次馬が集まっていることにふと気付いた。
「や、役人を呼んでください……! 襲われたんです! あの男たちに……!」
私の声を聞いた数人が、「まぁっ!」とか「よし、待ってろ!」とか言いながら走ってくれる。
セシルの強さは桁違いだった。腰を抜かす私の前で、四人の大男たちはものの数分後、地面に倒れたまま動かなくなってしまった。
男たちの抵抗がなくなると、セシルはふうっと大きく息をつき、髪をかきあげながら私の方を振り返った。