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40. 押し問答

 そして週末、本来ならばお休みのはずの保育園に出向き、コレット先生のご好意に甘えてユーリを預けた私は、またセシルと会う時間を作った。前回と同じようにあのカフェの前で待ち合わせしたけれど、先日のバハロさんのことがあったので窓際の席だけは止めてもらおうと心に決めていた。

 けれど、今回も先に店の前で待っていたセシルが、私が現れるなりこう言った。


「今日は別の店を予約してある。食事でもしながらゆっくり話そう、ティナ」

「え……? そうなの? わ、わざわざよかったのに」


 そう言って遠慮する私の手を、セシルはさりげなく握った。


「ここからそんなに離れていない店だ。おいで」

「……っ、」


 心臓がトクンと音を立てる。またバハロさんに見られたらどうしよう。この辺をうろついているんじゃないかしら。それに、セシルの実家であるリグリー侯爵家の手の者だって、もしかしたら今この瞬間もどこかから見張っているかもしれない。

 そう思い警戒する反面、こうしてセシルの温かく大きな手に包まれていると、それだけで心が満たされるようだった。武芸を鍛え上げてきたであろう彼の、固く熱い手のひら。

 私を引っ張るように少し前を歩いていたセシルが、ふいに振り返って微笑んだ。


「初めてだな。こうしてティナの手を握って街を歩くなんて」


 アメジストの瞳が輝くその笑顔は、本当に幸せそうで。

 ユーリも大きくなったらこんな風に笑うのだろうかと、ふと私の脳裏にそんな思いがよぎった。




 一本奥の通りにあるそのレストランは外観からしてとても豪奢で、いかにも貴族向けのお店だった。こんな普通のワンピース姿で来てしまってよかったのだろうかと、少しそわそわする。

 案内された個室の中で、セシルがオーダーしてくれた美しい料理の数々を味わう。完璧に飾り付けられた白身魚のポワレにおそるおそるナイフを入れながら、


(ああ、こんなオシャレなお料理を味わうのは何年ぶりだろう……。シアーズ男爵家にいた頃、何かの行事の時に一応家族の一員として、食卓の隅で似たようなものを食べたことがあったっけ。もう一生、こんなお料理には縁がないと思っていたのに。……今頃ユーリは私が持たせたサンドイッチを、コレット先生と二人で食べてるんだろうなぁ。なんか申し訳ない……。ごめんね、ママだけこんな高級なお料理食べちゃって……)


などと考えてしまい、我ながらすっかり“母親”が染みついてるなぁとしみじみと思った。


「治癒術の訓練は、順調なのか? 今どのくらい使えるんだ」

「……ノエル先生の助言のおかげで、魔力の放出はだんだんと上達してきているわ。切り傷や打ち身や捻挫くらいなら、すぐに治せる。今は解毒について学んでいるところよ」

「へぇ。本当にすごいんだな。頑張っていて偉いよ」


 食事の間中、セシルはまるで私の緊張を解そうとするかのように、核心には触れずに当たり障りのない会話を繰り返していた。


「ティナはどうして、この王国に来ることを決めたんだ。やはり自分の持つ治癒力を磨きたいと、以前から考えていたのか? ……もしかして、君の産みの母君の居場所が分かっていたりするのか」

「いいえ。母のことは本当に何も分からないの。でも、そうね。レドーラを去る時に行き先をこの王国に決めたのは、やっぱり母の出身国であったことが大きいわ。別に頼るアテがあったわけじゃないけれど、同じ国の血が流れている人達の近くにいることが、なんとなく心強いような、そんな曖昧な理由よ。……でも、ここを選んでよかったと思っているわ。私は、周囲の人たちに助けられてここまでやってこられたから」


 主にユーリの子育てに関して、だけど。


「そうか。……知れば知るほど、俺は君に惹きつけられる。大人しくて控えめで、優しくて。あからさまに媚びては、俺に近付く機会を虎視眈々と狙っているような周囲の連中とはまるで違う君の雰囲気は、最初からずっと気になってはいたんだ。だがまさか、君が育った屋敷を飛び出してたった一人で異国で暮らしはじめるなんてな。そんな意志の強さを持っているとは、予想もしていなかった。奥が深い女性だ、君は」

「お、大袈裟よ。私はただ……」


 この身に授かったあなたの子どもを、産みたかった。

 せっかく宿った大切な人の子どもを犠牲にしてまで、自分を殺し続ける人生を歩みたくはなかった。

 全てを捨ててでも、あなたの子どもを守りたかっただけなのよ。


 それらの言葉を全部飲み込み、いつの間にか話が核心に触れつつあることに私は気付く。

 おそるおそる視線を上げると、セシルの真剣な瞳が私をジッと見つめていた。


「……あれからゆっくり考えてくれたか?」

「……っ、……ええ」

「そろそろ滞在している宿を引き払おうと思っている。今後どうするかは、君次第なんだが、ティナ」


 つまりセシルは、私がレドーラに帰国する意志がないことを知り、自分もここに残るつもりなのだろう。一時的な宿ではなく、住むところを決めてしまうつもりなんだ。そして君次第というのは、私がセシルと一緒にいる覚悟を決めるかどうかで、今後の自分の行動を決めると、そう言っているのだ。


「……あのね、セシル。その……、今、私の抱えている全てを話すことは、正直できないんだけど、とにかく、今の状況では私はあなたと一緒にはいられないわ」

「なぜだ」


 あなたのことを、もう好きじゃないからよ。……なんて言ったところで、どうせもうバレバレだ。そんな見え透いた嘘じゃ、セシルは引き下がらない。


「……あなたのご実家のことが、一番大きな問題よ。分かるでしょう? こんな状態で無理矢理ここで一緒に暮らしはじめたって、絶対に放っておいてはもらえないわ」

「それに関しては、時間をかけて解決していく。リグリー侯爵家が俺を簡単に手放すとは俺だって思っていない。万が一にも君に危害を加えるような真似はさせないが、両親が心から納得してくれるのを待っていたら何年かかるか分かったものじゃない。俺はここで、君のいる場所で、君と共に生きていきたいんだ」

「……セシル」

「そばにいれば、君に何かあっても守ってやれるだろう。……もう、俺の知らないところで君が一人で泣いているなんて、そんな状況は作りたくない。君はずっと一人だった。シアーズ男爵家にいた時だって、きっと長い間孤独で寂しい思いをしていたんだろう。それなのに、今でもこうして一人で頑張っている。……そんな君に、やっと再会できたんだ。君が何と言おうと、俺は君のそばを離れない」

「……っ、」


 絶対に引き下がらないという強い意志が、セシルの深いアメジストの瞳から感じられる。気迫さえ感じられるその眼差しに戸惑っていると、セシルが言った。


「一緒に暮らそう、ティナ。君の隣にいさせてくれ」

「……。無理よ」

「なんでそんなに頑ななんだ。君は俺に、何を隠している」


 その言葉に、心臓がドキッと音を立てる。隠し事をしていることは、バレてしまっているらしい。


「なぜ住んでいるところさえ教えてくれないんだ。……まさか、誰かと一緒に暮らしているわけじゃないよな?」


(……暮らしているわよ。大人の男性じゃないけどね)

 心の中でそう答えながら、私は口を開く。


「……あなたが懸念しているようなことはないわ。でも、私にも私の事情があるの。今すぐあなたと一緒になることなんて、できない」


 あくまで拒絶の姿勢を貫き、全てを話さない私のことをしばらく見つめたセシルは、ふうっとため息をつく。


「……生活には困ってないのか?」

「だ、大丈夫」


 納得いかないと大きく顔に書いてあるけれど、セシルはもうそれ以上何も言わなかった。


(こんな問答、いつまで続けるつもりかしら、セシルも私も……。でも、セシルは意地でも私の周りから去ることはないみたいだし、私もユーリのことだけは絶対に妥協できない)


 ここからどうすればいいのか。

 全てセシルに話してしまうべきなのか、それとも、ユーリとの穏やかな日々を守るために、意地でも彼を拒絶し続けるのが正解なのか。

 頭を抱えて悩む日々に、終わりが来る気がしなかった。






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