4. 過去 ── 生い立ちと出会い
このセレネスティア王国の西側に位置するレドーラ王国で、私は生を受けた。
私の産みの母親は、その王国の小さな土地の領主である、シアーズ男爵家のメイドだったそうだ。領主のシアーズ男爵との間に私をもうけた。そして、そこにどんな事情があったのか詳しいことは分からないけれど、私が物心つく頃、すでに私の母はシアーズ男爵家の屋敷にはいなかった。
「お前の母親はね、自分の雇用主である私の夫シアーズ男爵を誑かして、お前を身ごもったの。本当にいやらしくて、浅ましい小娘だったわ。しかもお前を産み捨てて、一人でこの屋敷を去った。おかげで外聞の悪い義娘ができてしまったというわけ。実の母親の行動を恥じる気持ちがあるのなら、お前はせめて慎ましく控えめにしていてちょうだいね。アレクやマリアと同等の扱いを、私に求めないで」
育ての母であるシアーズ男爵夫人は、私が幼い頃からことあるごとに、私に向かってそう言ってきた。そして忌々しいものを見るような目つきで、私のことを睨んでいたのだ。
男爵夫人の語る私の母のことは、どこまでが真実かは分からない。けれど、私にそれを確かめる術などなかった。当の本人がすでにここにいないのだし、父であるシアーズ男爵は私に無関心で、必要最低限の会話しかしてくれなかった。
このシアーズ男爵家には、私を含め三人の子どもがいた。
家督を継ぐ予定の兄アレクサンダー、世渡り上手で気の強い姉マリアローザ。もちろん彼らは正真正銘、シアーズ男爵と夫人の間の子どもだ。一人だけ母親の違う私は、彼らの下で影の薄い末娘として生きていた。世間体をひどく気にするシアーズ男爵夫妻から、物語に出てくる哀れなヒロインのような激しい虐待を受けなかっただけ、まだマシなのかもしれない。けれど、私はずっと孤独で寂しかった。
そんな私には、たった一人だけ大切な友達がいた。それはリグリー侯爵家の次男、セシルだった。
セシルと私は幼馴染。義母であるシアーズ男爵夫人が、リグリー侯爵夫人の取り巻きの末端らしき存在であったことから、何度も茶会などで顔を合わせていたのだ。
リグリー侯爵家で行われる茶会に参加するのは、ほとんどが伯爵家より上の家柄の人たち。そして、特別な名家でもない男爵家の娘など、高位貴族家の子どもたちは相手にしてくれないことが多い。でも兄のアレクサンダーや姉のマリアローザは、上手いこと皆の輪の中に入っていた。彼らは母親に似て、幼い頃からとても口が上手だったし、社交性もあったのだ。
けれど、茶会に集まる子どもたちの各々が、母親から何かしら聞かされていたのだろう。私を見てはひそひそと陰口を叩いたり、もっと露骨に「あなた、男爵がメイドとの間につくったいやしい娘なんでしょう? あたしたちに話しかけないでくださる?」と堂々と言ってくる子もいた。
そんな中で、主催者の次男であるセシルだけが、いつも私に優しかった。
母親たちがお喋りに興じる茶会の途中から、子どもたちは大抵皆で別室や庭園で遊ぶことを許される。そんな時、セシルはいつも真っ先に私の元へやって来ては、一緒に遊ぼうと声をかけてくれるのだ。一番古い記憶は、四歳か五歳頃のこと。二つ年上のセシルは当時、六歳か七歳くらいだったのだろう。
「どうしてセシルさまは、あたしに話しかけてくださるのですか?」
「セシルでいいよ。僕たちは友達なんだから」
「……セシル」
私がおずおずとそう呼ぶと、セシルはすごく嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「うん。……どうして、って、好きだからだよ、ティナレインのことが。君はかわいくて、おりこうで、優しい」
王子様のような容姿をしたセシルのその言葉は、孤独だった幼い私の心の中にじんわりと染み込んで、私を満たしてくれた。誰にも相手にされず寂しかった小さな私がセシルに夢中になるには、充分すぎるきっかけだった。
陽の光にキラキラと輝く美しい金色の髪、深いアメジスト色の幻想的な瞳。そして私を見つめる、温かい眼差し。
この時から、私はセシルのことが大好きだった。そしてセシルも、いつも私のことを特別に気にかけてくれていた。
何度も顔を合わせるうちに、私たちはどんどん親しくなっていった。
「ティナ、さっきあの令嬢がお茶を零した時、真っ先に自分のナプキンでドレスを拭いてあげていたね」
「ええ。泣きそうなおかおをしてたから……」
「……でも彼女はいつも君を無視するし、いじわるなことばかり言うだろう? 放っておこうとは、思わなかったのかい?」
「? でも、こまってたから」
「……ふふ。君は本当に優しい子だよね、ティナ」
こんな会話を交わした後、セシルは決まって私の目をジッと見つめ、少し微笑んだ。
「僕は君のことが大好きだよ、ティナ」
そしてよく、私にそう言ってくれていた。
月に一度ほどセシルに会えるそんな日々は、一年ほど続いただろうか。いつものようにリグリー侯爵家での茶会が終わり屋敷へ戻った、ある日のこと。私は何の前触れもなく、いきなり義母から頬を叩かれた。
「っ!? ……お、お義母、さま……?」
驚いて義母を見上げると、彼女は鬼のような形相をして私を睨みつけていた。