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36. 激昂する勘違い男

 勤務時間がお昼からの今日は、ユーリと一緒に遅めのブランチをとった。保育園は朝から開いているからいつも通りの時間で行かせてもよかったのだが、たまには二人でのんびりした朝を過ごしたかった。


「オムレツ美味しい? ユーリ」

「はふっ、はほっ。……おいひーい。ままのおむれち、だいしゅき」

「よかった。……ふふふ、チーズがびよーんってなってるよ、ユーリ」


 目をキラキラさせながらチーズオムレツを食べているユーリの小さな唇の端から、とろけたチーズがみょーんと垂れ下がっている。可愛くて面白くて、私はクスクス笑いながらそれをティッシュでそっと拭き取った。


「まま、きょうはよるにおむかえ?」

「うん、そうね。いつもよりちょっと遅いかなぁ。先生の言うことちゃんと聞いて、お利口に待っててね。晩ごはんはユーリの大好きなお芋とベーコンのキッシュとスープがあるからね」

「わぁい! きっちゅ! きっちゅ!」

「こらこら、食べながら踊らないで。こぼれるから」


 フォークを持ったままきっちゅきっちゅダンスを踊り出したユーリをたしなめながら、その綺麗な瞳の色を見て改めて思う。本当にセシルと全く同じ色だなぁ、と。週末カフェで会った時のセシルの情熱を帯びたアメジストの瞳を、私は何度も思い出していた。

 だけど、どんなにゆっくり考えてくれと言われたところで、彼の想いを受け入れて一緒にいる選択肢はない。息子の柔らかな栗色の髪を撫でながら、私はそう思っていた。




 午後からユーリを保育園に送り届け治療院に出勤し、患者さんたちを診察室に案内したり受付業務をしたりと、今日もテキパキと仕事をする。

 そして、空いた時間にフロアを掃除していた夕方頃のことだった。そろそろ朝から出勤組のソフィアさんたちが帰る時間帯だな、なんて思いながらモップをかけていると、突然入り口の扉が乱暴に開かれた。私も待合室の患者さんたちも皆、その勢いに驚いてそちらに視線を向ける。

 入ってきた大きな男性は、バハロさんだった。仕事帰りなのだろうか、作業着が煤け、汚れている。彼はぐるりと首を動かし私の姿を認めると、こちらを睨みつけながらドカドカと真っ直ぐに歩いてくる。かつてないそのきつい表情に、嫌な予感がした。

 案の定、私の眼の前に立ちこちらを見下ろしたバハロさんは、心臓が縮み上がるほどの大きな声で怒鳴った。


「おいっ! てめぇ、何なんだよあの男は!! 人に散々気を持たせておきながら、他にもモーションかけてたってのか!? えぇ!? ふざけやがって、このあばずれが!!」

「……な……」


 大男の突然の敵意に、全身が固まる。恐怖のあまり、私はバハロさんを見つめたまま硬直するしかなかった。一体この人は何を言っているのだろうか。頭が真っ白になったまま、私はどうにか声を振り絞る。


「……患者様方の、ご迷惑になります。そんな大声を出すのは止めてください、バハロさん」

「うるせぇ!! てめぇ、ちょっと優しくしてやりゃぁつけあがりやがって! 俺以外の男も上手いこと誑かしてんじゃねぇか! 手なんか握り合って、なめんじゃねぇぞ!!」

「な……何のお話ですか? 本当に止め……」

「何のお話だと!? つい何日か前のことだろうが! 通りの向こうのカフェで、てめぇが色男とイチャついてんのを俺はしっかり見たんだよ!!」


(…………っ!)


 ようやく気付いた。この人はセシルのことを言っているのだと。心臓がドクッと音を立てる。カフェに入った私たちは、通りに面した席に案内され、語り合った。バハロさんはあの時、外を通りがかったのだろうか。セシルに手を握られている私のことを見たんだ……。


「ちょっと! 何やってるんですかバハロさん! 乱暴なことは止めてちょうだいよ!」


 その時。ありがたいことにソフィアさんや他の従業員が駆けつけてきてくれた。その中の一人の男性が前に出て、バハロさんと私の間に入ってくれる。待合室に数人いた患者さんたちが一斉にこちらを見ているのが視界に入った。


「落ち着いてください。ここは治療院ですよ。他の方々の迷惑になる行為をなさるのなら、役人を呼びます」

「あぁ!? 何だてめぇ!! このヒョロガリが! てめぇもこの女に誑かされてるうちの一人かよ! どけ!!」

「きゃあっ!」


 なんとあろうことか、バハロさんは男性従業員の胸ぐらを鷲摑みにするとポイッとフロアに投げ飛ばしたのだ。思わず叫び声が出る。

 ますます興奮したらしいバハロさんの太い指が、私の二の腕を摑んだ。


「い……っ! いたっ、は……離してください!」

「レイニーさん! こらっ!! 落ち着きなさいよこの馬鹿男!!」


 ソフィアさんが、バハロさんの丸太のような太い腕に飛びつき、私から引き剥がそうとしてくれる。激昂したがたいのいい大男相手に、あまりに危険だ。


「ソフィアさん……っ! やめ……」

「チッ! うるせぇんだよこのアマ! どけ!! 俺はこいつに用があんだよ!!」


 患者さんたちも皆怯えだし、フロアは大騒ぎとなった。

 その時だった。怒号や叫び声、ざわめきに包まれた待合室に、静かだけれど凛とした声が響いた。


「レイニーさんから手を離しなさい、バハロさん。私の治療院で、そのような横暴な真似は許しません」






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