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33. 熱量

 セシルが冷めたミルクティーに口をつける。その様子を見ながら、私の心の中にあった不安の渦がどんどん大きくなっていく。


(クレイグ様がそんな状況なら、リグリー侯爵夫妻はきっとセシルに期待していたはずだわ。侯爵家の後継ぎとなる息子は、セシルの奥方となる人に産んでほしいと、考えていないはずがない。……今この世にリグリー侯爵家の血を引く男児は、ユーリだけなんだ)


 思わず喉がゴクリと鳴った。動悸が激しくなる。……もしもユーリの存在をリグリー侯爵家に知られてしまったら、放っておいてはもらえない。

 手の震えが治まらず、ティーカップを持ち上げることができない。私はテーブルの下で両手をギュッと握り合わせたまま、できるだけ落ち着いた声でセシルに言った。


「……侯爵夫妻はきっと、あなたの行方を探っているでしょうね」

「まぁ、そうだろうな。俺が今どこで何をしているかくらいは、おそらく人を使って探らせているだろう。このまま本当に俺を見限ってもらえるとは思っていない。侯爵家の後継ぎがほしいだろうしな」

「……ええ……」


 半ば無意識にそう相槌を打つと、セシルが私に向かって静かに言った。


「だが、俺が結婚したい相手は君だけだ、ティナ。他の誰とも、子などなすつもりはない」

「セ、セシル……ッ」

「ティナ、君の番だ。君の気持ちを聞かせてくれ」

「……っ、」


 “子をなす”という彼の言葉にも、さっきから何度も告げられる求愛の言葉にも、私の心はかき乱されるばかりだ。……どうしよう。どうすればいい? セシルはきっと見張られているはず。このままセシルが私の周りにいれば、やがてはきっとリグリー侯爵家に、ユーリの存在が知られてしまう。


(ここで打ち明ける勇気はないわ。私は今、激しく混乱してる。一度冷静になって、今後のことをゆっくりと考えなきゃ……)


 深く息を吸い込み、気持ちを落ち着ける。

 震えの治まった手をテーブルの上に置き、私は慎重に口を開いた。


「……私は、もうレドーラ王国に戻るつもりはないの。あんな形でシアーズ男爵家を飛び出してしまったし、向こうの国にいい思い出もないし……」

「俺と出会ったことは?」

「……っ!? こっ、この国で、治癒術師としての腕を磨きたいという気持ちは、変わらないの。せっかくいい先生に出会えて、術師としての腕も着実に鍛えてもらってる。ここで……自分の力で生き抜く術を身に着けたい。だから……」

「今の環境を変えるつもりはない、と」

「……ええ」


 私がそう答えると、セシルは迷うことなく言った。


「分かった。じゃあ俺も当分はこの王国にいることにする」

「へっ? ち、ちょっと待ってよ……。あなたは一度国に帰って、もう一度冷静に考えてみてほしいの。だって私は……」

「ティナ」


 なんとかセシルを説得して帰国を促すことはできないかと頭を回転させていると、テーブルの上に置いていた私の手に、セシルの大きな手が重なった。


「っ!」

「俺の将来を思ってのことなのか? そんなにも俺を遠ざけようとする理由は」

「……」


 それもあるけれど、もちろん最大の理由はそれじゃない。

 とにかく今、セシルに私の、私たちの周りにいられるのは困る。

 ユーリの存在を、リグリー侯爵家に知られたくはない。


「……そうよ、セシル。私はこの国で、治癒術師を目指して生きていく。あなたももう私にばかり執着しないで、ゆっくりと自分を見つめ直して。だって……おかしいでしょう? よく考えてみてよ。私たち、たしかに幼馴染ではあるけれど、お互いのことをそんなに深く知ってるわけじゃない。一緒に過ごした時間なんてほんのわずかよ。それなのに……、せっかく得た王太子殿下の近衛騎士の座を捨てて、立派な侯爵家の後ろ盾まで放り投げて、こんな私のことを追ってくるなんて、ふ、普通じゃないわ。絶対に後で後悔する。あなたのその、私を想う気持ちは……きっと、本物じゃない」


 こんなこと、本当は言いたくない。心がジクジクと痛んで、お腹に力を入れていないと瞳が潤んでしまいそうだ。

 だけど、ユーリを産むと決めた時、私は心に誓った。何があっても、何を犠牲にしても、この子だけは絶対に守り抜くのだと。


「ティナ」


 セシルは私の手を強く握ったまま、真正面から私の目を見つめて言った。


「俺の気持ちを、簡単に偽物だと決めつけないでくれ」

「────っ、」


 セシルのそのアメジスト色の瞳には強固な意志が宿り、怒りさえ孕んでいるように見える。それほどの熱量が強く伝わってきた。


「共に過ごした時間は短くても、俺が君を愛するのには充分な時間だった。俺が君だけを特別な人と認識し、この心を全て捧げるには充分だったんだ。君は俺にとって、他の誰とも違う。それに……、君は俺に全てを委ねてくれた。その意味が分からないほど、俺は鈍感じゃない。あの至福の夜が、酔った俺の見た幻だとは言わせないぞ」


 ……そこに触れられると、私は目を逸らすしかない。

 私だって、あの夜を一夜の過ちだなんて思ってはいないのだから。

 私にとってもあの夜は、これから先の人生を生きていくために必要だった。生きていく力と、ユーリを授けてくれた。


「ティナ」


 そっと顔を上げると、セシルはフッと口角を上げた。


「恋も愛も、理屈じゃない。君は俺の唯一の女性だ。何があっても、俺は絶対に君を諦めない」


 私は再び彼から目を逸らし、そっとため息をついた。




「今日こそ家まで送らせてくれ、ティナ。住んでいる場所は、この近くなのか?」


 カフェを出るとすぐ、セシルが私にそう言ってきた。私は準備していた言い訳を慌てて口にする。


「だ、大丈夫よ。この後まだ用事があるの。友人に会う予定があるし、買い物にも行かなきゃいけないし。それよりも、あなたはどこに滞在しているの?」


 無理矢理話を逸らすと、セシルは不服そうな顔をして答えた。


「この裏の通りにある宿だ。だがどうやら長丁場になりそうだし、部屋を借りるべきだろうな」


 そう言うとセシルは突然、私の頬をそっと撫でた。


「っ!? セ、セシル……ッ」

「こんな街中で、本当は一瞬たりとも一人にしたくない。家に帰り着くまでついて回りたいし送らせてほしいが、嫌なんだろう。気を付けて帰ってくれよ。また会いに来るから」

「……セシル……、私は……」

「ティナ。君こそもっとゆっくり考えてくれ。今日俺が伝えたことを。俺の気持ちは変わらない。……またな」


 そう言うとセシルは私を愛おしげに見つめ、先に背を向けた。

 その背が角を曲がり見えなくなった途端、自分から突き放しておきながら、私の胸は寂しさにキュッと痛んだのだった。

 

 






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