30. 緊張の待ち合わせ
そして次の週末。ユーリに朝食を食べさせ、後片付けをして身支度を整えている間、私はずっと気もそぞろだった。
部屋を出る前に上着を着せてあげていると、ユーリがキョトンとした顔で尋ねてくる。
「ららしゃんとあしょんでていーの?」
「そうよ、ユーリ。昨日も言ったけど、ママね、ちょっと用事を済ませてこなきゃいけないの。だから、その間ララちゃんちでお利口に待っててくれる?」
「うんっ! ゆーり、ららしゃん、だいしゅき」
「ふふ。ソフィアさんにご迷惑をかけないように、いい子にしていてね」
「あいっ! ゆーり、そふぃしゃんも、だいしゅき」
聞き分けのいい我が子の手を引いてソフィアさん宅まで歩き、ユーリを託す。ソフィアさんには、故郷の街から昔の仕事仲間が王都に出てきているから、少し会いたいと伝えてあるのだ。週末は保育園もお休みなので、快くユーリを預かってくれて本当にありがたい。
「ごめんなさいね、ソフィアさん。ご迷惑かけます」
「ふふっ。とんでもない。ユーリくんはいい子だし、こっちは何時間でも大丈夫よ。たまの機会なんだから、ゆっくりお喋りを楽しんできてね」
玄関先で挨拶をすると、ソフィアさんはいつものようにサバサバとそう言ってくれた。昨日のうちに準備しておいた手土産の焼き菓子やフルーツを渡すと、ソフィアさんは恐縮しながら受け取ってくれた。ユーリはララちゃんに大喜びで出迎えられ、「おじゃましましゅっ!」と元気よく言うと、もう私には目もくれずにさっさと中へ行ってしまった。
(……緊張するわ……)
これからセシルと二人、向かい合って話をするのだ。そう考え何度も深呼吸を繰り返しながら、私は例のカフェを目指して歩いた。
角を曲がってカフェのある通りへと出た途端、店の前に立つセシルの姿が目に飛び込んできて心臓が跳ねる。
(は、早いな……。まだお昼前なのに)
私が彼を見つけたのと同じタイミングで、セシルも私の姿を認めたらしく、こちらを見つめ微笑んでいる。私はドキドキしながら一歩一歩、彼に近付いた。目の前に立つなり、セシルが口を開く。
「おはよう、ティナ」
「……ええ。おはよう」
「ちゃんと来てくれたな」
「も、もちろん。約束したじゃない」
私がそう言うと、セシルは嬉しそうに笑った。
「よかった。来てくれなかったら明日からエイマー術師の治療院に通い詰めるところだったよ」
「そ、そんなことしないで……」
「さぁ、中に入ろう」
セシルはそう言ってカフェの扉を開け、私をエスコートしてくれた。
(明日から通い詰めるつもりだった、って……。そもそも、一体セシルはいつまでこの国にいるつもりなのかしら……)
不思議に思いながらも、私は大人しくカフェへと入ったのだった。
広々とした小綺麗な店内に入ると、店員の女性から通りに面した窓際の席に案内される。セシルはメニュー表を手渡しながら、私に問いかけた。
「昼食は? ティナ。遠慮なく何でも好きなものを言ってくれ」
「だ、大丈夫。お腹は別に……」
この口ぶりからしてご馳走してくれるという意味だろうけれど、食欲はない。朝から何も食べてないけど、胸がいっぱいでそれどころじゃないのだ。けれど、店に入って何も注文しないというわけにもいかないので、私はメニュー表に視線を落とした。
ホットサンドやパンケーキなどの軽食もいろいろあるけれど、もっと軽めのデザートに目を走らせる。
(……あ。チョコレートムースがある)
チョコレート系のデザートは私の大好物なのだが、いかんせんチョコレートムースは上手に作るのが難しく、あまり手作りしようという気になれない。せっかくこんな素敵なカフェに来たのだから、プロが作った美味しいムースを食べたいな。私は迷わずそれに決めた。
「決めたか? どれがいい」
セシルの声に顔を上げると、気付けば店員さんが近くに立ち、注文をとるために待っていた。
「えっと……、このチョコレートムースと、ミルクティーを」
「同じものを二つずつ頼む」
私がオーダーすると、すかさずセシルが横からそう言った。店員さんが下がっていく。
「あ、あなたは好きなものを頼めばよかったのに……」
「ティナが好きなものの味を知りたいんだ。ティナのことは、どんな些細なことでも知りたい」
(……へっ!?)
私の言葉に間髪入れずそう返してきたセシルに驚き、思わず反射的に彼の目を見る。セシルは私のことをジッと見つめていた。その視線に今度は狼狽え、露骨に顔を伏せてしまう。動揺のあまり、頬がどんどん熱くなってきた。……今日会った瞬間から、セシルは片時も私から視線を逸らさず、ずっと見つめてくる。……そろそろ顔に穴があきそうだ。




