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27. 未練

 その後、王太子殿下御一行が治療院を去る時間まで、私が彼らと顔を合わせることはなかった。ノエル先生は殿下をお連れになり、望まれるままに院内を案内していたようだったけれど、私はソフィアさんに「緊張しすぎて気持ち悪くなってしまった」と言い訳をし、診察室のバックヤードに姿を隠していた。


「どう!? 大丈夫? レイニーさん。分かるわー。たしかにめちゃくちゃ緊張するわよね~。とんでもない美男子なんだもの、レドーラ王国の王太子殿下って……! お出迎えで初めて見た瞬間、目が潰れちゃうんじゃないかと思ったわ! もう、興奮しちゃう……! ね、後ろに控えていた護衛の人たちの中にも、すっごく素敵な人がいたわよね? ……あ、ごめんね、まだ具合悪い? こっちは大丈夫だから、まだゆっくりしてて、レイニーさん。お帰りになる時には一応呼ぶわね!」


 途中、バックヤードに飛び込んできて早口にそうまくし立てたソフィアさんは、また慌ただしく出ていった。

 一人きりになった部屋の中、私は椅子に座ったまま机に顔を伏せ、大きくため息をついた。心臓の鼓動はずっと騒がしく脈打ち続けている。さっき見たセシルの顔が、頭に焼きついて離れない。懐かしさと愛おしさで、息をするのも苦しいほどに胸がいっぱいだった。


(まさかこんな風に再会するなんて……)


 生涯もう二度と、会うことはないと思っていた。母国に戻るつもりはなかったし、セシルがこのセレネスティア王国に来ることも、きっとない。万が一来たとしても、この広大な王国の中でたまたま鉢合わせすることなど、絶対にないと高をくくっていた。

 それが、四年も経たないうちに、こんな……。


「……ユーリの存在だけは、絶対に隠さなきゃ……」


 無意識にそう呟く。混乱する頭の中で、真っ先に思ったのは息子のことだった。セシルは私が妊娠したことも、ましてや彼に黙って彼の子どもを産んだということも、何も知らない。

 万が一にも「俺の子どもがいるのか? じゃあ結婚しよう」なんて話になるはずがないのは、もちろん分かっている。だってセシルは、レドーラ王国の筆頭公爵家であるグレネル公爵家のご令嬢と、婚約したはずなのだから。おそらくもう、とうに二人は結婚しているに違いない。だからこそ、私が余計な波風を立てるわけにはいかない。

 けれど、私が学園を中退しダルテリオ商会のハーマンと婚約すると知った時、セシルはあっさりと全てを捨てることを選択しようとした。そんな彼がユーリの存在を知ってしまった後どんな行動に出るか、私には想像もつかない。

 それに、彼の実家も……。

 貧乏男爵家の庶子の産んだ子どもなど、きっとリグリー侯爵家は相手にもしないだろうけれど、こちらも万が一ということもある。今現在セシルと奥方との間に子がいるのかも、何も分からない。もしも何らかの事情で、リグリー侯爵家の子息であるセシルの血を引く男児を、侯爵家が望んでいたら……。


(…………っ!!)


 泣きながら私に手を伸ばすユーリが強引に連れ去られていく姿が、ふいに私の脳裏に浮かぶ。私は慌てて首を振り、その幻想を追い払った。

 それだけは、絶対に耐えられない。

 あの子と引き離されることだけは、絶対に受け入れられない。

 隠し通さなきゃ。何があっても。


(でもきっと、今日さえ終われば、もう今度こそきっとセシルと会うことはない、わよね。王太子殿下が他国の同じ施設を何度も訪問することなんてないだろうし。今日さえやり過ごせば……もう、会うことはない)

 

 今度こそ、二度と。


 そう思った瞬間、私の胸に鈍い痛みが走る。元々もう会うことはないと覚悟していたはずなのに。こうしてこの目で姿を見てしまうと、ずっと抑えつけてきた彼への愛おしさが一気に溢れ出して、どうしようもなく切なかった。




 動揺を抑えきれずそのまま籠っていた私だけれど、その後しばらくして、王太子殿下がお帰りになるとソフィアさんが知らせに来た。ああして姿を見せて会話まで交わしたのに、このまま隠れているわけにはいかない。大きく息を吸って立ち上がると、私は部屋を出て皆のお見送りの列に並んだ。


 ノエル先生と言葉を交わしながら、王太子殿下が姿を現した。その後ろにいる近衛たちの中でも一際目立つ、金髪の長身。まだだいぶ距離が離れている時から、セシルは真っ直ぐに私のことを見つめていた。反対に、私は静かに目を逸らす。

 何か声をかけられたらどうしようかと、心臓が破裂しそうだった。けれどセシルは何も言わず、王太子殿下に続いて私の前をスッと通り過ぎた。懐かしい香りに心が震えた。


 その日から数日間、私は上の空だった。そしてユーリを寝かしつけた後、ひそかに涙をこぼした。

 我ながら、なんて未練がましいんだろう。自分を情けなく思う。けれど、人生でたった一人好きになった人のことを、そして愛しい息子の父親でもある彼のことを忘れてしまうなんて、私にはできなかった。








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