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22. 緊張の瞬間

 レドーラ王国の王太子殿下御一行がこのエイマー治療院の視察に訪れるというその日、私は午前中ずっと、とある一人の入院患者さんに捕まっていた。


「あぁぁ……、レ、レイニーさんや……。ワシはもう、ダメ、じゃ……。優しくしてくれて、ありがとうな……」

「あの、ですからジョシュアさん。傷は随分と回復なさってますよ。大変な大怪我でしたが、強力な治癒術を一度に流し込んでしまうことは、ジョシュアさんのご年齢を考えるとお体への負担が大きすぎるとのことで、数回に分けて術を施しているんです。術師の先生からも、何度も説明してました……よね? 覚えてますか?」

「うぅぅ……い、痛い……。足を擦っておくれ、レイニーさんや。あんたのその天使のような微笑みを見ながら、ワシは旅立ちたい……。幸せ、じゃったよ……」

「ま、まだそんなに痛みますか? 太もも、ザックリいっちゃってましたもんね。でも、ほら、見てくださいご自分の足を。もう傷口は塞がっていますし、無理な動きをせず数日ここでゆっくり休みながら治癒術をかけていけば、すぐ元気に歩けるようになりますよ」

「まさか……この歳になって、職場で機械に足を挟まれるような事故を起こしてしまうとはな……。ワシも耄碌したもんじゃ……。じゃがな、思い残すことはない。子は巣立ち、孫は生まれ、生物としてなすべきことはなした。あとは……若く可愛い娘さんにこの手を握られたまま、穏やかにあの世へと旅立つのみ、じゃ……。八年前に先立ったばあさんは、この老いらくの浮気心に目をつぶってくれるじゃろうか。の? レイニーさんや……」

「…………」


 お年寄りの入院患者さんが、気が弱っているのか、それともそんなフリをしているのか、やたらと私をそばに呼んではこうして弱音を吐き、甘えてくるのだ。朝小一時間ほど話を聞いてなだめ、ようやく仕事に戻れたというのに、さっきまた呼ばれたかと思えばこの調子だ。困ったな……と思いつつ足を擦ってあげていると、ソフィアさんが息せききって病室に駆け込んできた。


「レッ! レイニーさん! やっぱりここにいたのね!? もういらっしゃったわよ! レドーラ王国王太子殿下が! 今皆で並んでお出迎えしたところよ!」

「えっ!? も、もうですかっ!?」


 しまった。お出迎えの列に並べなかった。おそらく午後になるだろうと聞いていたのに、まさかこんなに早くお着きになるとは。


「王太子殿下は今ノエル先生の診察室をご覧になっているわ。ともかく、急いで戻っておそばに控えていましょう! 資料が必要になったりしたら、先生に呼ばれるかもしれないわ!」

「は、はいっ」

「ごめんねージョシュアさん。レイニーさん、また後で来てくれますからねー。ちょおっと連れて行きますよー」


 ソフィアさんはそう言うと私の手をぐいぐいと引っ張り、病室を後にした。背後から、あぁっ、レイニーさんや~という悲しげな声が聞こえてきた。




 慌てて診察室のある一階に降り、ノエル先生の診察室と続いている隣の部屋に静かに入室する。ここは助手などが出入りするバックヤードで、仕切りのカーテン越しにノエル先生の診察室と繋がっているのだ。王太子殿下からのご質問やご要望に応じてすぐに先生にお渡しできるよう、部屋に揃えられた資料はどこに何があるか全て把握してある。事前にノエル先生から言われていた。「当日はレイニーさんたちに私の助手を頼みますね」と。


 仕切りカーテンの向こうから、聞き慣れない声が聞こえてくる。張りのある凛とした、素敵な声だ。話の内容から、王太子殿下のお声であることが推察された。一気に緊張が高まり、心臓がドキドキと脈打ちはじめる。


「治癒術師たちが腕を振るうという治療院を、以前からずっと視察したいと思っていたんだ。我が国にはない、非常に貴重な施設だからね。しかもこちらの治療院は、この広いセレネスティア王国随一の規模であり、有能な術師たちを何人も抱えていると聞く。素晴らしいものだ」

「お褒めに預かり光栄に存じます、殿下」


 応対するノエル先生の声は落ち着いている。口調は丁寧だけど、普段と何ら変わりない雰囲気。すごいなぁ、緊張しないのかなぁなどと感心しながら、私はソフィアさんと並んで立ち、カーテンの向こうから聞こえてくる会話に耳を澄ましていた。


「こちらの王国でも魔術は衰退の一途をたどり、術師の数は年々減ってきていると聞く。だがあなたの治療院はこのような王都の一等地に立派な施設を構え、随分と盛況だそうだね」


 王太子殿下のそのお言葉に、ノエル先生がいつもの穏やかな口調で返事をしている。


「ええ。元々は王都の端で一人細々と小さな治療院をやっていたのですが、非常にありがたいことに、多くの患者様に信頼を寄せていただきまして。そのうちに、共に働きたいと申し出てくれる術師までやって来るようになりました」

「ほう……」

「市井の人々をできるだけ多く救いたいという、同じ志を持った者たちが私に力を貸してくれるのは、とてもありがたいことです。今では私の指導の下、術師となるべくここで腕を磨いている者たちもおります」

「あなた自らが、治癒術師となるための指導までしているのか」

「本人の素質というものはどうしてもありますが、現段階で王立魔術訓練所に入ることができなかったり、治癒術師の資格試験に通るようなレベルでなかったとしても、訓練次第でめきめきと力を伸ばしていける人たちがいます。彼らの能力を開花させ、術師の数を少しでも増やしていくことが、この王国のためになると思っているのです。私以外にも、治癒術の訓練を行っている術師は何人もいるんですよ」

「素晴らしいな。このセレネスティア王国の民だけが持つ稀有な力だ。国自体が、魔術の強化により一層力を注いでいければいいのだろうが……」

「そうですね。魔術訓練所には多額の資金が投入されていますが、やはり芽が出ぬままに訓練所を去る者たちも以前は多くいて……」


 ノエル先生の話に、レドーラ王国王太子殿下は真剣に聞き入っているようだ。私のことじゃないけれど、ノエル先生をとても誇らしく思う。この王国のことを、民たちのことを思い、真摯に働いている先生はやっぱりすごく素敵だ。

 そんなことを考えていると、ふいにカーテンの向こうからそのノエル先生に名を呼ばれた。


「レイニーさん、いますか?」

「っ!! は、はいっ!」

「最近の救急患者の処置録と診療録、それと、ここの施設概要の書類をいただけますか?」

「し……承知しました!」


(きっ、来た来た来た……!)


 ちょっと気を抜いた瞬間に名前を呼ばれ、また心臓がバクバクしはじめた。ありがたいことにソフィアさんが施設概要の載ったパンフレットをササッと取り出して渡してくれたので、私は棚の中からここ一ヶ月の処置録などを手に取り、それと合わせて腕に抱えた。

 いってらっしゃい、と口パクで伝えてくれるソフィアさんに頷き、私は深呼吸して仕切りカーテンをそっと開けた。


「失礼いたします」






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