18. 大嫌いな患者
がたいのいいバハロさんは日に焼けて真っ黒で、声も大きい。威圧感のある雰囲気に恐怖を感じてしまう。どう返事するべきかと私が思案していると、彼はさらに言葉を重ねる。
「ユーリっていうのか、子どもの名は。男か? 女か? “くん”付けだったから、男か」
「……男の子です。あの……」
「へーぇ。女だったらあんたに似て別嬪になっただろうけどなぁ。へへ。一人で育ててんのか。いじらしいねぇ」
「……お気遣いありがとうございます。それなりにやってますので、大丈夫です」
「三歳ぐらいのガキなんて生意気盛りで大変だろう。男手があった方がな、だいぶ楽だぜ。ガキは女親にはワガママ放題だが、男親が一発ぶん殴りゃあすぐに大人しくなるからよ」
(……最低。何を言い出すのよこの人)
この一言で、バハロさんは私にとって“少し苦手な患者さん”から“大嫌いな患者”に格下げされた。私のこともユーリのことも何も知らないくせに。幼い子どもを暴力で従わせようと考えるなんて、こいつはろくな男じゃないわ。
「うちの息子はとてもお利口なので、ぶん殴る必要なんてございません。お構いなく」
少しトゲのある言い方をしてしまったが、バハロさんは気に留める様子もない。無骨な顔でニヤニヤと笑いながら、頬杖をついて私のことを見ている。
「あんたはものすごく俺の好みのタイプなんだよ。俺は顔が良くて華奢な女が好きだ。子ども込みで可愛がってやりてぇなぁ」
「お待たせしててごめんなさぁいバハロさん! もうちょっとかかりますので、どうぞあそこの席でお待ちくださいね! あ、レイニーさんごめーん、奥の片付けしててもらってもいーい? ここ私がやるから!」
その時。受付の奥から出てきて私たちのそばにササッとやって来たソフィアさんが大きめの声でそう言うと、私の体を強引に押して彼の相手から解放してくれたのだった。
「……さっきはありがとうございました、ソフィアさん。助かりました」
午前中の患者さんが全員帰った後、私はソフィアさんのそばに行ってお礼を言った。ソフィアさんは腕組みするとフンッと鼻から息を出す。
「あのバハロって患者、絶対にレイニーさん目当てで通ってきてるわよね。ここってさ、治療に時間がかかるような大きな怪我をしている人が来るじゃない? 軽い怪我ならわざわざ治癒術師のところになんか来ないで、普通の病院に行って手当てしてもらえば済む話なのよ。治癒術師に診てもらうのは、普通の病院より割高なのに。それなのにあいつ、いつもかすり傷程度の傷でわざわざここに何度も来てるでしょう。それもお昼近くの、患者が少なくなる時間帯を見計らったように来ては、レイニーさんのことばかりジロジロ見てたり話しかけたりするしさ。絶対に下心アリアリよ」
それは私も、少し前から気にはなっていた。治癒術で傷を回復するこういった治療院は、普通の病院に比べて診療代が高い。それでも怪我がひどくて早く痛みを取りたい人たちや、寝込んでいる暇がないという人たち、あるいは貴族階級の裕福な人たちがこういった治療院へと通ってきているのだ。なのにあのバハロさんは、治っても治っても何度も腕や肘辺りに軽度の傷を負ってここへとやって来る。「俺は作業現場で働いてるからなぁ。肉体労働に怪我はつきものさ。でも、なかなかいい体してるだろ? 女には評判いいんだぜ。いろんな意味でな」などと言って下卑た笑いを浮かべながら、私に腕や胸の筋肉を見せつけてきたこともあるのだ。
その上今日の不愉快な言葉。もはやあの人に対しては嫌悪感しかない。
「レイニーさんがここに来るまで、あの男こんなに頻繁に通ってこなかったもの。……気を付けてよレイニーさん。あなた若くて可愛いシングルマザーだから、あいつだけじゃなくて他にも変な男に言い寄られること、きっとこれからあるだろうからさ」
「あは。そんな……。でも、ええ。気を付けますね。心配してくださってありがとうございます、ソフィアさん」
お世辞込みだと分かっていても、若くて可愛いなんて言葉に少し照れつつ、たしかに彼女の言う通りだと思った。頼る相手のいないシングルマザーなんて、妙なことを考える男にとっては恰好の餌食なのかもしれない。気を付けなくちゃ。
嫌な思いはしたけれど、おかげで気を引き締め直すことはできた。ここはこれまで住んでいたのどかな田舎街とは違う。人の多い大都会には、それだけ変な人もいるんだから。
その後もバハロさんは定期的にこのエイマー治療院に通ってきた。段々と私への馴れ馴れしさが増してきた彼は、やがて果物やお菓子なんかの差し入れを持ってくるようになった。「こういったものは受け取れない」と言って何度断っても無理矢理押し付けてくるバハロさんを見かねて、時折ソフィアさんが割って入ってくれた。「うわぁ~ありがとうございますねぇ~バハロさん! そこまで仰るなら今回まではいただきますけどぉ、もう今後は結構ですからねぇ! 明日の休憩時間に皆でいただきますわねぇ~!」などと言って代わりに受け取り、私を彼から引き剥がしてくれたりするのだった。




