ペット
「いや、息子さんですよね?」
「いいえ、ワンちゃんです。大型犬です。」
店主はそう言い張るが、目の前のライオンが入れそうな檻の中にいるのは、ついこの間、東京に行ったと思われた店主の息子さんであった。たしか就職かなにかだったと思うが。
そのときだった。
「わん。」と彼が、俺に向かって言った。困惑する俺に対し、「ほらね」と店主がたたみかけた。
「いや、でも・・・。」「わんわん。」「一回、お試しで体験飼育してみては?」
店主の言葉に俺はますます困惑した。なんだよ、体験飼育って。意味が分からない。
「わんわんわん。」言いながら、息子さんが手を伸ばし、俺の服のすそをつかんできた。
なにこの世界観。夢でも見ているのか。
以前にここで文鳥とハムスターを迎え入れた事があり、それ以外にもよく立ち寄る常連の俺は、今日もそんな調子でこの店に来ただけのことである。いつものように。
そんな俺に”新種のペットがいるから、ぜひ来て”と来た早々に言われて、で、今にいたる。
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いったいどうしてこんな事になったんだろう。家に向かう道を歩きながら考えた。
俺の後ろにはとぼとぼと、俺より頭ひとつぶん背の高い、息子さんが首輪をつけた状態で黙ってついてくる。
さすがにリードは断った。そうですか?と店主は言ったが、男同士の上、何かのプレイだと思われても困るので、俺は全力で断ったのだ。
どうかしてるぜ。店主は頭がイカれてしまったのだろうか? 店主と息子さんの双方から圧力をかけられて半ば強引に、体験飼育?とやらをする事になってしまった。
とにかく帰ってから、息子の方からゆっくり話を聞こうじゃないか。
俺はひとりうなずき、肩越しに後ろを歩く彼をみやる。
・・・・・・・・・・・
・・・・約10分後。
家の前についた俺たち。「どうぞ。」と言いながら、俺は玄関の扉を開けた。
彼は「わん」と言って一緒に中に入ってきた。俺はあわてて周囲に人がいないか確認したが、大丈夫だった。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・。
俺たちは小さなテーブルに向かい合って座っている。彼は俺が出したお茶をだまってすすっている。
俺は少し間をおいてから切り出した。「・・・何があったんだい?」無視。
無視か。まあ、そうくるよね。・・・しかし、めげない。
「いつ、こっちに戻ってきてたの?」無視。「東京で・・何かあったの?」
一瞬、ぴくっと彼が反応したような気がした。俺は手ごたえを感じ、このまま質問を続けた。
「お父さんとケンカでもした?」しかし、彼は何も言わない。黙ってお菓子をぽりぽり食べている。
俺は追い詰めるのは可哀想だと思ったので、話題を変えてみる事にした。
「そういえばさ、音楽やってたよね。中学生くらいからだっけ?ギター、上手だよね。前にお店の奥から聞こえてきた事があってさ。いやあ、俺は楽器って、まったくできないから尊敬するよ。趣味もねぇし。
仕事行って寝てるだけの日々だし。・・・なにかひとつさ、好きで続けられることがあれば、最高だよな。金にならなくても、生きがいになるし。俺、彼女もいねえし、若くねえし、そういうのも全然ねえから、本当に羨ましいわ、アハハ!」
・・・・・・人をなぐさめるつもりが、自分で自分が悲しくなってきた。
何言ってんだ、俺は。
彼も反応に困っているだろう。
しかしだった。
「帰ります。」彼はさっとテーブルをふくと、すくっと立ち上がり首輪を外して手に持つ。
「へ?」あっけにとられる俺に彼は「お茶、ごちそうさまでした。」と言って頭を下げた。
先ほどとは違い、何かふっきれたような表情をしている。
なにこれ、どういう流れ?
彼は固まったままの俺を残し、部屋を出ていった。玄関の扉がガチャリと開いて再びばたん、と閉まる音がした。
「・・・・・・・・。」
ま、いいか。
俺は残ったお菓子をぽりぽり食べ始めた。
完