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終わりのその先の始まり

前話のエンディングで納得した方は、お読みにならなくても大丈夫。


でももしよろしければ、もう少しだけお付き合いください。


「随分、遅くなってしまったけれど、解けたよ」


お見舞いに来てくれたアッシャー様は、そう言って分厚いレポートと楽譜の束を、サイドテーブルに置いた。

彼は生涯をかけて、あの呪物の解呪の方法を研究をしてくれたのだ。

私は楽譜を手に取った。


「素敵に難解ね」

「君なら歌えるとも」

「まぁ大変。ご信頼に応えなきゃ」


記されていた聖歌は、とても難しい大本歌だった。

聖歌の中でも、古の力ある言葉で歌詞が紡がれたものは本歌と呼ばれる。本歌は旋律に乗せられたその歌の力で、解呪や祝福など、超常の効果を発現するが、中でも大本歌と呼ばれるものは、強い効力を持つ。

ただし、その作詞、作曲、実演は著しく難解で困難だ。この世界での音楽教育が高等数学や神学、哲学と深く結びついているのはこのためである。それはファンタジーの物語であれば魔術や詠唱と呼ばれる行為に近しい技術だった。


稀代の天才、アッシャー様をしてこれだけの歳月を要したこの歌は、霊廟の古典詩歌に匹敵する代物だった。これを歌い切るには相当の覚悟がいるだろう。


「ありがとう。伴奏はお願いしても良いのかしら」

「グレゴリウスがいたら押し付けるところだけれど、もう僕にしか正しく弾けないだろうからね」

「男の方は皆さんせっかちなのよ」

「君があいつらを追いかけていく前に、完成して良かった。君以外にこれを歌える歌い手がいない」

「だったら、急がなくてはね」


私が微笑むと、アッシャー様は少しだけ口を引き結んだ。




私は、自分が育った教会に、実家にあった鍵盤楽器を置いてもらった。大聖堂で行うこともできたが、こういうことはゆかりの場所というものも意味を持つ。

アッシャー様専属の技師たちが完璧に調律した音色が心地よい。このチェンバロに似た少し風変わりなあたたかい響きが、子供の頃、好きだった。


警護の騎士が、厳ついケースから取り出した呪物は、聖句で飾られた専用の台座に載せられた。


「始めようか」


試し弾きを終えたアッシャー様が、椅子に座り直して、もう一度手を拭いた。

私は背筋を伸ばした。


第一音は基底音。

前提条件、序旋律……この世界特有の本歌の厳密なルールに従った、それでいて自由かつ斬新なアッシャー様らしい旋律。ちょっぴりグレゴリウス様のクセが入っているのは協力していただいたためだろう。懐かしい調べだ。

さあ、黒鳥の歌を詠おう。


声量は少し衰えたかしら?

嫌になるほど複雑な発音を一音残らず正しく調べに乗せる。

だからといって発音と発声に気を取られ過ぎちゃダメ。

聖歌は心がこもらないと効力を発揮しない。

音域はまだまだ大丈夫。

ハイエンド?練習したわ。


学院の楽堂で練習した日々を、そしてあの日を思い出す。


呪いよ。

我が歌に抗うすべはない。

解けよ。融けよ。疾く往ねよ。

その真の姿を我が前に晒せ。



真っ黒な短剣のようだった呪物が、紫の火花を散らしながら、ぐにゃりととろけて、淡く虹色に発光しながら球状になった。


音が私をいざなう。

軽い酩酊感と高揚感。同時にトランスにも似た現実感の喪失が始まる。明滅。白い暗転。私が視ているのは教会の光景ではない。






誰かが泣いていた。


どうしたの?


ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……。


顔を上げて。あなたはだあれ?


うずくまって泣いていた子供が顔を上げると、それは私だった。

いや違う。この教会で育って男爵家に引き取られた幼いときの私に似た女の子。

本来のシャルロット。


ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの。こんなことになるとは思わなかったの。ただ怖くて苦しくて誰かに助けてもらいたかったの。


救けに来たわ。

何があったのか教えて。


シャルロットが語った話は酷い物語だった。

彼女は私が体験したのと同じように、教会で幸せに育ち、男爵家に引き取られた。しかし、彼女は私のように最初の婚約を避けることができなかった。

彼女は金持ちの商人の婚約者となり、強引に商人の家に引き取られた。

男爵家の家族にも会わせてもらえない生活は辛かったが、その先に待っていた運命はもっと悲惨だった。


これは、このシャルロットが知らなかった話だが、あの商人はアンダーグラウンドのカルト集団と取引があった。外国の遺跡から違法に発掘された品や、盗品、禁制の薬物などを扱っていたのだ。

幼いながらも聖歌の歌える少女は、そのカルト集団にとっては価値が高かったらしい。同じ思想に洗脳されていた商人は婚約者であるにも関わらずシャルロットを組織の儀式に差し出した。


理由もわからぬまま恐ろしい目にあった少女は、強く祈った。

誰でもいいから助けてと願った。

強い強い祈りは古代遺跡の遺物に結びついていた異界の悪意を呼び覚ました。


お前の人生を差し出すか?


少女は同意した。誰でもいいから代わって欲しかった。

少女は己の生に絶望していた。

希望は絶望となって反転し、呪いに取り込まれた。



呪いは少女を異界の悪意を通じて、別の世界の存在に繋いだ。


「へーぇ、ピンク髪の男爵令嬢。いいじゃん」


そっちの世界に王子はいるかと聞かれて、いると答えた。

王子に婚約者はいるかと聞かれて、よくわからないが王子様にふさわしい高貴な身分の美しいお嬢様にお目にかかったことはあると答えた。


「ふーん。悪役令嬢いるんだ。邪魔だなぁ」


異界の悪意とシンクロしたその相手は、利己的な悪意で呪いを拡張した。


「手強いと邪魔だから、そっちは手頃なチョロい奴に入れ替えちゃおう」


かくして、悪意の執行者は凶行に及び、無関係な少女の命を対価にして呪いは発動した。




ごめんなさい。許されることではないけれど、本当にごめんなさい。


本来のシャルロットだった魂は、呪いの核に囚われたまま、すべてを見ていたという。

悪意の使徒が彼女の姿で目覚め、大人たちをたぶらかし、商人を破滅させて、自分は被害者として保護されたこと。王子に近づこうとしたがうまく行かず、パーティーに忍込んで、再び凶行に及んだこと。

巻き戻された二周目の人生で、王子の婚約者になることには成功したが、王子の態度はそっけなく思うようにならなかったこと。


悪意の使徒は三度目のために、破滅する前の商人に近づき、この世界での呪いの器となりうる古代遺跡の遺物を入手していた。

彼女は己のうちのある呪いの核……本来のシャルロットの魂を使って、再び遺物を呪具にした。遺物の中に囚われた不幸な少女の魂は、罪を重ねる度に強くなる呪いの力に恐怖し、悪意に抗えない弱い己に絶望した。





大丈夫。もう終わりよ。


あなたを縛っていた悪いものはみんな解いてあげたから。


さぁ、立ち上がって。



私はシャルロットに手を差し出した。


私はこの手にすがる資格なんてありません!


泣きじゃくる少女を、私はゆっくりと抱きしめた。


あなたは、もう十分に辛い思いをしたわ。


私は許されないことをしました。


あなたがあなたを許せないなら、私があなたを許してあげる。

それではダメかしら。


少女のこれまでの辛い思いが涙になって全部流れてしまうまで、私は彼女を抱きしめていた。




では、このもつれた因果を全部解いてしまいましょう。

でも、それをなすには、私が歌う力が少し足らないかもしれないの。手伝ってくれるかしら?


私がですか?


ええ。一緒に歌って。

ほら、息を吸って、私の声をよく聞いて、覚えているでしょう?

聖歌の第一音は基底音よ。

魂の根源の音。

私はここにあると告げる音。

あなたは覚えている。

さあ!




シャルロットの声が教会に満ちた。




呪いに溜められていた力が開放され、歪にたわめられていた世界の捻れが元に戻っていく。



ダメです!これではあなたがいなくなってしまいます!!


いいのよ。私は元々この世界の者ではなかったわけだし。

結び目は解けたらなくなるものだわ。


ダメです!私はこれ以上あなたを犠牲にしたくない!!


でも、方法がないわ。


アッシャーの歌は解呪の歌だ。


方法はあります!

私の囚われていた呪いの効果を使えばいいんです!



あの呪いは、一人の生命を対価にして二人を転生させる効果があったという。元の世界での命を対価にされた方は、赤子として転生し、呪いを実行した側は元の世界での命を失わないまま、分裂した魂が望んだ生の望んだ時点にも転生するらしい。

殺人を犯した側の意識が、罰を受けながら、転生できないじゃないかと怨嗟にまみれるのすら糧にしようという異界の悪意という存在はたしかに悪質極まりない。

しかも、犯行を繰り返す度に魂は分割され劣化するらしい。まさに呪いだ。



そんなものを使うのは嫌だわ。


大丈夫です!

呪いは聖歌で祝福されました。

あなたはあなたのまま、この世界にも、元の世界の好きな時にも戻れます。

それにあなたの魂は、元のこの世界の魂と混ざってしまった状態だから、二つに分かれても劣化はしないでしょう。

対価には私を使ってください。どうせこの世界には私の体はありません。


ああそうか。その方法ならあなたも生まれ直すことができるのね。



私は虹色の光が揺らめく黒い球体に手を伸ばした。


幻想の視界の中の少女の手が、現実の私の手に重なった。


想いを歌に。歌に想いを重ねて。

私達は聖歌を最後の一息まで歌い上げた。



§§§



「良いお歌でしたわ」


教会への寄進の返礼にと、聖歌を歌った男爵令嬢に、私は声をかけた。


「あなた、お名前は?」

「はい。シャルロットです。お嬢様」

「シャルロット。あなた、本格的に聖歌のお勉強をしてはどうかしら」


私は彼女が将来、学院の声楽科に入学できるよう支援したいと告げた。


「でも、お嬢様。私は無学なのでとてもそのようなところへは」

「誰でも学ぶ前は無学なものよ。そうね、学院に入るための基本的なお勉強はうちで私と一緒にすればいいわ」


名目は侍女見習いか何かで良いだろう。うちには私と同じ年頃の者がいないので、誰か欲しいと思っていたところだ。


何だったら私も学院に入っても面白いだろう。

せっかくだから、お友達の令嬢も誘ってみよう。女が学問なんてと言われるかもしれないが、学んで考えるのに男も女もない。

知識は無駄にならないのだ。

同年代のお茶会友達みんなで行けば、学院生活はきっと楽しいだろう。



「でも、どうしても嫌だとあなたが思うなら、私かご両親にきちんとそう言ってください。あなたに苦痛を強いる気はないの」

「お嬢様も私が見込み違いだと思われたら、すぐにそう言ってくださいますか?」

「ええ。そうするわ。でも、私はあなたのことを好ましく思っておりますよ」


もじもじとして、ぎこちない礼をした男爵令嬢に私は微笑んだ。






「素晴らしい歌声だね、シャルロット」

「殿下、お褒めに預かり恐縮です」


夕暮れの楽堂で、私達は皆、口々にシャルロットの歌を称えた。

中でもバルド伯爵子息は、とても熱のこもった口調で、最前列でシャルロットを褒め称えている。


「どう思うかい?あの二人」

「バルド殿が卒業パーティーのパートナーにうちのシャルロットを誘わなかったら、わたくしこのお気に入りのカメオを貴方様にお返ししますわ」

「だめだよ。それは貴女に捧げたものなんだから」


ナンド様は困ったような顔をしたが、もう一度チラリとシャルロットとバルド殿の様子を見て、あれなら大丈夫そうだと笑った。


「ところで、私も今年、卒業するのだけれど……」

「奇遇ですわね。私もです」

「まさか年下の貴女に学業で並ばれるとは思わなかったよ」

「学院は入学と進級の年齢制限がありませんでしたからね。ご一緒できて嬉しかったですわ」

「卒業パーティーのエスコート役はお決まりですか?」

「ええ。ずっと前から」

「そうですか。奇遇ですね。私もです」


楽堂の硬い木のベンチに並んで座った私達は、肩を寄せ合ってクスクスと笑った。

結び目が解けたって、結び目があったって記憶と結び方がわかっていれば、縁はまた結び直せるんですよ。



……感想欄のご意見におされて、すごーく悩みましたが腕力で足しました。


え?その割に殿下の出番が少ない?

これじゃ百合エンド?

んなこたありません!

ないったらない。

これはハッピーエンドです。



ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

いただいたご評価、いいね、そして感想!はものすごくありがたく受け取っております。

皆様にもハッピーな日々が訪れますように。

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― 新着の感想 ―
殿下が報われたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
[良い点] 殿下が報われて良かった!!!! えええええええええええ?! これって悲恋じゃ?! と思っていたので正史エンドがこれで本当に…良かったです(感涙)
[一言] くうっ 殿下っ いいっっっ♪  久々に王族らしい王族きたぁー この二人ならよき治世になるだろうなぁと思ったのに5話で撃沈されました まあ立場的に仕方ないかぁ石橋叩いて渡るシャルロットだもんね…
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