ヒロイン転生
次に生まれ変わった先は孤児だった。貴族だった前の人生と同じ世界のようだったが、今度は貧しい教会で育つことになり、前回、自分がどれほど恵まれていたかよくわかった。
幸い、教会での暮らしは、貧しいが人には恵まれていた。
善良な司祭やシスター、教会に来る近所の人々に可愛がられて、私はつましいが満たされた幼少期を送った。
教会に聖歌を習いに来る少年たちは、休憩の時に飲み物を用意する私に、キャンディをくれたりした。
私が聞きかじりで覚えた聖歌を歌うと、皆、たいそう褒めてくれた。
これまで人に褒められるような特技がなかった私は、なんだかとても嬉しくて、いっぱい歌った。
筋が良いからと、少年達に交ざって聖歌の練習に参加できるようにもなった。そのうち年長の子たちの練習にも出られるようになり、幼かった私は、声楽隊のお兄ちゃん達にとても可愛がってもらえた。
教会への寄進の返礼にと、貴族のサロンで聖歌を歌った折に目を留めていただいたそうで、男爵家から養女の話が来た。
教会の皆さんと別れるのは寂しかったが、お断りできる理由のない良いお話だったのでお受けした。
男爵家には男ばかり四人の兄弟がいた。皆、年上で、聖歌隊のお兄ちゃん達と比べると、いささか乱暴なところはあったが、男の子というのは元来そういうものらしい。
卑しい生まれの養女の私は、いじめられることも覚悟したが、「わぁ!女の子だ」の第一声がすべてだったらしく。たいそう大切にしてもらえた。
貴族の家に入ると、前世のようにお行儀よくしなければいけないのかと思っていたのだが、男爵家は思いの外、自由だった。礼儀作法は教えられたが、拍子抜けするほど基本的かつ僅かな事柄だけで、要点さえ押さえておけば、なんでもさせてもらえたのだ。
私は、新しい妹にお兄さん風を吹かせたくてしょうがない四人の兄に、代るがわる引っ張り回されて、一緒に町や港にでかけたり、農場で休暇を楽しんだり、遠乗りや狩りに同行させてもらったり、びっくりするほど立派な図書室や、博物館のようなコレクションの展示室のあるところに連れて行ってもらえたりした。
木登りや釣りや乗馬なんて、前世でも前前世でもしたことがなかった私は、新しい体験にワクワクした。
おそらく令嬢を育てるということに不慣れだったのであろう男爵夫妻は、男の子につけた家庭教師にそのまま私の教育を頼み、家庭教師達は言われたとおりに、私に自分の専門分野を教えた。
面白かった。
いや、たぶん前前世の私が直接ここの教育を受けたら、あまり馴染めず、元々、学校で習った知識に近いところだけ、それなりにいい成績をおさめて終わっていたと思う。
でも、今の私には前世の貴族令嬢としてのこの世界における十分な基礎教養があった。
高校生になってから小学校の教科書を見るとなるほどと思うのと同じで、ベースになる一般教養がある上で初等問題を提示されると、何を簡略化していて、どこに教育の主眼があるのか、問いの意図がわかりやすかった。また逆に、初級の基礎をきちんと理解すると、断片的だった雑学が、整然と体系化された知識として理解できることもあった。
私は教わることすべてが楽しくて学習に前向きだったため、教師たちからの評価は高く、オマケで様々なことを教えてもらえた。
一番下の兄は、すぐに授業をサボって逃亡してばかりだったのだが、私が熱心に授業を受けていると、そのうち同じように大人しく席に着くようになった。
一番上の兄は、家庭教師達が教えないような、断片的で多様な雑学を、本当か嘘かわかりにくい法螺を交えて私に吹き込んだ。
「ウソ!」と言うと「自分で調べてごらん」と笑われるので、私は耳にした話は、きちんと裏を取って事実関係を確認してから知識として扱う習慣がついた。
義母である男爵夫人は、しばしば私を寄親である伯爵家で開かれる音楽会に連れて行ってくれた。
音楽好きの貴婦人が集まって、詩人に即興詩を作らせたり、楽士の演奏を聞いたり、ときにはそれぞれが趣味で嗜んでいる楽器を演奏したりする会だ。その会で私の歌は好評で、“天使の歌声”などという面映ゆい大仰な呼び名で評された。
伯爵家のサロンに行くと、チェンバロに似た音色の鍵盤楽器を弾かせてもらえることもあり、私は音楽会を楽しみにしていた。
伯爵夫人は、まだ小さい私が大人の集まりに参加しても不快に思わず、目をかけてくれた。末の娘を流行り病で亡くしたらしく、私を見るとその娘を思い出すのだという。
私は男爵家ではろくに淑女教育を受けていなかったが、昔取った杵柄で一通りの基礎はあったので“行儀の良い子”で通用した。私は伯爵家の音楽会でのご婦人方の話を注意深く聞き、貴族婦人の間で好まれる振る舞いと、眉を顰められる振る舞いがいかなるものかを学んだ。
前世の私はかなり高位の貴族だったため、下流から中流の貴族の振る舞いの細部には疎かったので、そんなことにまで気を遣う必要があるのかと驚いたし、上の者がいかにシビアに評価されているのかを知って勉強になった。
十二才になったとき、私に婚約話が持ちかけられた。
相手は新興商人で羽振りの良い男だったが、兄たちよりも歳上だった。
私は、家のためになるのならと承知しようとしたが、兄たちはこぞって反対し、男爵夫人も「借金のかたに金持ちに娘を売り飛ばす気はない」と息巻いた。
どうやら男爵が新たに手を出した事業を焦げ付かせ、その資金の融通とセットで出た婚約話らしい。
詳しい話を聞いて出てきた商会の名前は、前世で大きな醜聞を耳にした名前だった。
今回のこの世界が前回と同じかどうかは確証がないが、同じならそこは近い将来に沈む泥舟である。
私は義父に、その相手との提携を慎重に進めて今しばらく保留にして欲しいと頼み、その裏で、一番上の兄に、相手の危うそうなところ……前世で聞いた噂をそれとなく伝えた。
一番上の兄は、気になったら調べる人なので、驚いたことにそれらしい話を拾ってきた。
二番目の兄はいきり立って、すぐにでも職場である騎士団に話を持ち込もうとしたが、私はこれも少し待ってもらった。上の兄が仕入れたネタは、騎士団が動くほどキチンとした証拠ではないからだ。
私は伯爵家の音楽会のお茶の時間に、口が軽い御婦人の耳のある席で、くだんの噂を“うっかり”漏らしてみた。その御婦人は、噂好きの高位貴族夫人の取り巻きで、火力の高いインフルエンサーである夫人が抱えている情報源の一人である。父兄など、ご一族には行政、法務関係の高官も多い。
撒いた種が芽を出す前に、私は義母から伯爵夫人に、婚約の打診が来ている件を伝えてもらった。
義母があからさまに乗り気ではない様子で愚痴めいて話したからだろう。伯爵夫人は「おやおや、どんな方かしらね」と言ってくださった。
これで伯爵家の使用人が調査してくれること決定である。
ことが順調に進みそうなので、私は男爵家を守るために、義父に「婚約はお断りしてほしいです」と、涙を浮かべて訴えた。人の良い男爵は金策は別で考えようと言って、断りの書状を出してくれた。
じきに成金商人はゴシップで足をすくわれた。
事件に巻き込まれないように、下の兄たちと一緒に農園に休暇に出ていた私が男爵邸に帰ると、伯爵家から私を養女にという打診が来ていた。
とても良い人ばかりの男爵家の皆さんと別れるのは気が進まなかったが、寄親からの話は断れない。謹んでお受けさせていただくことになった。
「死んだ娘の代わりなんて嫌だろうけれど、私があの娘にしてやりたかったことに付き合ってほしいのよ」
「承知いたしました。伯爵夫人」
「でも私、あなた自身のことも見込んでいるのよ。母と呼んでちょうだい」
「ありがとうございます。お義母様」
「男爵家のことは気にしなくていいわ。うちで援助するから。寄親としての務めですからね。それから、あなたにはとびきり良い縁談を見つけてあげるから、自分を安売りするような真似はしないで待っていなさい」
「はい」
「そこに関しては、まったく心配いらなさそうだと思ってはいるのだけれどね」と微笑んだ伯爵夫人は、私が色恋に疎いのをご存知だったのか、先の一件での私の小賢しい細工をご存知だったのかは定かではない。
私はこうして伯爵令嬢となり、数年間、身分にふさわしい教育を受け、経験を積んだ。
成長期に合わせて、ダンスや刺繍などの身体で覚える類のレッスンを受けられたのはありがたかった。
一通りの基礎が身についた頃、伯爵夫人は私が王立学院で学べるように手配してくださった。
王立学院は専門性の高い高等教育機関で、日本の中高よりは、大学院や専門研究機関に近いところらしかった。専攻は声楽を中心とした音楽だが、この世界での学問としての音楽は、宗教、哲学、数学が混ざったような代物でたいそう難解だった。前前世での学校の音楽の授業とは別物だが、小学校時代にピアノ教室で習ったことや、学校の数学は役に立つ。それになにより幼い頃から大人に交ざって伯爵家の音楽会に参加していたアドバンテージは大きかった。
年若い女子の少ない王立学院でも、私は特に苦労することなく、授業に参加することができた。
次回、学院生活。