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強制転生

「あんたでいっか」


忘れ物を取りに戻ったひと気のない教室。引き戸の音に振り向いた私に、見知らぬ女生徒はそう告げた。制服のリボンは同じカラー。同学年?誰だろう。見覚えがない。B群のクラスの子だろうか?

戸惑う私に近づいてきた彼女は、何の御用かと問う前に、手に持った何かを私の腹部に押し当てて……私の前世の記憶はそこで終わっている。



§§§



気がついたら別の世界で生きていた。王様だの貴族だのがいる、ちょっと昔のヨーロッパに似た、それでもぜんぜん地球じゃないファンタジーな世界。

遊園地のパレードのプリンセスのように、ウェディングドレスみたいなドレスを着た貴婦人が、お茶会やパーティをする世界だ。


私は貴族の令嬢で、信じられないことに王子様と婚約することになった。


「貴女との結婚は国内の政情を鑑みた政治的な契約だ」


ビックリするほど整った容姿をした品のいい王子様は、婚約が決まったときに私に言った。


「でも、どうしても嫌だと貴女が思うなら、私かご両親にきちんとそう言ってください。貴女に苦痛を強いる気はない」

「殿下もそうなさるのでしょうか」

「私は貴女が私の婚約者になったことを好ましく思っておりますから」


ゆったりと微笑んだ王子様は、さすがは本物の上流階級という育ちの良さにあふれていた。

このよくできた王子様に釣り合う女の子になりたくて、私は花嫁修業をがんばった。


貴族の令嬢はお料理やお掃除なんてしないので、花嫁修業の中心は、お勉強だ。

礼儀作法、話法、法律、身分制度に伴う明文化されていないしきたり、歴史、貴族の構成、人間関係と国内情勢、国際情勢、外国語、古典詩暗唱を含む教養全般などなど盛りだくさん。座学以外にもマナーの実践やダンス、嗜み程度の音楽、刺繍なんていうものもあり、学ぶことは大量にあった。


ほとんどの内容は、口伝で、明文化された教科書などという便利なものはない。

あまりに不便で非効率なので、私は父から借りた書記官に速記録をつけさせ、授業内容を文字起こししてもらい、それをベースに自分なりに再構成したノートを編纂して学習した。

一度、耳で聞いただけでは頭に入らない内容も、文字を目で見て、自分の頭で再構築してから、手を動かして書き記すと、使うリソースが増える分、記憶に残りやすい。見直すこともできるので、復習が楽だ。


前世の記憶があると言っても、特殊技能も専門知識も何もないただの高校生だった私が、この世界の人に対して持っているアドバンテージ。それは効率よく勉強する方法を知っていること。

だって、それくらいしかしていなかったから。


先生の言う事をきちんと聞いて、ノートをまとめ、おさらいをする。

規則と言いつけを守って、でしゃばらず、悪目立ちするようなことはせず、周囲の様子をよく見て、自分に与えられた役割を果たす。

いがみ合わず、正義ぶらず、除け者にならないように、足をすくわれないように、注意深く。注意深く。

前世の学校生活でしていたことと基本は同じだ。

ただし、今は王子様の婚約者などという華やかで妬みを買いやすいポジションにいる。

地味で引きすぎていても侮られるし、増長しては叩かれる。


本当に些細な落ち度でも、落ち度ですらないことでも、週刊誌やワイドショーで面白おかしくあることないこと報道されていた人はいた。


王子様なんていう重圧の多い責任ある立場にいる婚約者に、スキャンダルは致命的だ。

私は今世でのお母様と、婚約者の母上、つまり王妃様の言う事をよく聞いて、上流階級でのソツのない振る舞いと、ロイヤルな微笑みを身に付けた。

TVで見た皇室や海外の王室の方々の笑みを思い出しながら、心を穏やかにして、修学旅行で見た菩薩像のオリエンタルスマイルを忠実に再現する。


私は皆様の害にはなりません。どうぞそっとしておいてください。


努力の甲斐あって、大きな波風は立たず、私は静かに与えられた生活を享受した。




婚約者である王子様とは、ひと月かふた月に一度お会いして、しばし歓談する間柄だった。

時候の挨拶に始まって、お会いできて嬉しゅうございます、お忙しいところお運びありがとうございます、最近はいかがお過ごしですか……と続くお決まりの会話。先方の無難な話題を微笑みながら聴き、水を向けられたら、こちらも用意しておいた無難な話題を1つ手短にお話する。

お互いに身分が身分なので、話法と作法の授業の例文のような会話だったが、相手からの気遣いと優しさが感じられて、心地よかった。


贈られるプレゼントは、毎回、さすが王族という品だった。私が希少で高価な宝石や華やかな品よりも、職人仕事の逸品の方を喜ぶと知られてからは、精緻な銀細工の髪留めや、見事な彫金と螺鈿細工の小箱など、見惚れるような小物を選んでくれた。

私からも、お父様と相談の上で、男の方がよく使われる消耗品の小物の類を差し上げた。できるだけ消耗品にしたのは、その方が少々好みと違っても気軽に使って貰えそうだと思ったからだ。

せっかく贈った品が、一度も使われずにしまい込まれて、そのうち処分されるのは、忍びない。


「ありがとう」と言って受け取ってくださる殿下の微笑みが嬉しくて、私はお目にかかれる機会を心待ちにしながら、心を込めてプレゼントを選んだ。




殿下が通われていた学院をご卒業なさるにあたって、私はその記念パーティーに招待された。

卒業生が親族や婚約者をパートナーとしてエスコートする慣習があるそうで、ダンスも行われるらしい。

私は慌ててダンスの先生にステップの総ざらえをお願いした。

「卒業パーティーのダンス程度なら、パートナーにお任せして、相手のお顔を見ながら体を揺らしていれば、それでいいのですよ」と笑われたが、私は大切な殿下のハレの日に、恥をかかせるような真似はしたくなかった。

あれほど素晴らしいお方なのだ。

私の落ち度で汚したくはないし、がっかりされるのも嫌だ。


この日のために用意していただいたドレスとアクセサリを身に着け、それに合わせたお化粧をして、髪を整えてもらった私は、なんだかいつもの自分ではないような気分で、殿下のエスコートでパーティー会場に向かった。


「ああ、いつもの貴女も素敵ですが、今宵のような装いの貴女も美しい」

「贈っていただいた品々が大変美しかったからですわ。わたくし、殿下のお心尽くしに少しでも釣り合いたかったのです」

「では、私はもっと貴女の美しさを引き立てる品をたくさん贈らねばいけませんね」

「いいえ。そんなことをしていただいては、わたくし困ってしまいますわ」


いただくなら小さなカメオ一つでも十分に幸せですから、無駄遣いはなさらずに、もっと有用なことに予算はお使いください、と遠回しにお伝えしたら、殿下はいつも通り静かに微笑まれた。


お気を悪くはなさらなかっただろうか。せっかくのご厚意のお言葉なのだから、この場だけでも同意しておくべきだったか。グルグルと空回りする反省会を頭の中で開きながら、私は殿下とパーティー会場に入場した。




「こいつよ!この女がすべての悪事を企んだ大悪女なのよ!」


今生で一度も直接聞いたことがないような乱暴な言いようで糾弾されて、私は何がなんだか理由がわからず戸惑った。


「ねぇ、フェル王子、この女なのよ。私をこれまで虐めてきた一番悪い女は!ひと目でわかったわ」


眼の前で私に指を突きつけている相手は、会ったこともない知らない女性で、年齢は私や殿下とそう変わらないように思われた。

それにしても殿下のことを愛称と“王子”だなんて敬称ですらない呼称で呼ぶなんて、一体何者なんだろう。無学な庶民だって“様”くらいは付ける。

あまりに無礼な行いに、殿下がお気を悪くされたのではないかと、私は青ざめた。


「ほうら、図星だ。顔色が悪いわよ、悪役令嬢」


()()()して泣いて謝りなさいよ、と言われてハッとした。この変な女はこの世界の者ではない。ファンタジーな色のストロベリーブロンドの髪や顔立ちは日本人ではないが、“ドゲザ”なんていう明らかに文化の違う用語を用いているということは、私と同じような転生者か、少なくとも転生者と接点があって日本社会の知識を有する者なのだろう。


私は持っていた扇子で半分顔を隠しながら、あまり大きな動きをしないように注意しつつ、忙しく周囲に視線を走らせた。

周囲の者は何事かと遠巻きに様子を見ている。

会場警備の兵はまだ気づいていないのか近くにいない。

この、何をするかわからない不審者が、狼藉を働こうとした場合、この距離なら、私が臣下として殿下を守らなければならない。

緊張で膝が震えた。


「やだぁ〜、こわーい。助けて、フェルぅ~」


殿下の腕に手を伸ばした女の前に、私は勇気を振り絞って、体を割り込ませた。


「ちょっと!何なのよ、あんた」


恐ろしさにギュッと目を閉じた。

ドスンと身体が床に打ち付けられる音が眼の前でして、私の身体はフワリと抱えられて後ろに引かれていた。

何が起こったのかと目を開けると、殿下が心配そうに私を覗き込んでいた。ダンスのホールドのように腰を抱かれている。狼藉者から殿下を庇おうと前に出た私を、逆に抱えて庇ってくれたらしい。

こんな風に間近でお顔を見るのは初めてで、私はドギマギして視線を逸らせた。殿下の肩越しに、あの不審な女が、床に尻餅をついているのが見えた。

彼女を突き飛ばしたのは、殿下のそばにいた御学友の伯爵子息のようだ。今は彼が私達と女の間に入ってくれている。

伯爵子息殿の広い背中の向こうで、女が金切り声を上げる。


「なんで!?どうしてソッチが大事にされているの?」


意味がわからない。

なぜあの女はあんな意味不明な主張をしているのだろう。

殿下が顔を上げて軽く視線を向けると、会場警備の兵が血相を変えてやってきた。


「あちらに参りましょうか」


殿下は穏やかに私に声をかけ、いつも通りに微笑んだ。

結局、殿下は不審者に一言も声をかけなかったし、彼女の存在に言及すらしなかった。


完全にないものとして扱う。


周囲にもその趣旨は伝わったようで、皆、フロア中央で兵に囲まれてまだ甲高い声で叫んでいる女に背を向け、見て見ぬふりをした。


「おかしいわ!こんなの変よ!バグってるわ。リセット案件よ」


背後から聞こえる叫び声に嫌な予感がした。


「そうか!わかったわ!!この世界は悪役令嬢が主役なのね。だったらチェンジしてやり直ししなきゃ」


「おい!何だそれは」「取り押さえろ」などの声が上がる方を、振り返った時、閃光が身体を貫いて、私の意識はそこで途切れた。

次回、二周目。

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