90、フレイとルテア1
凪のように穏やかな笑みのまま、ルテアは友達ではないと言い切ったフレイ。カレンの背筋がぞっと凍る。
「……何それ。だったらどうして――」
顔を強張らせるカレンとは対照的に、フレイはいつもの教師の顔で笑った。
「カレン様、いつも言っていますよね? 人の話は最後まで聞いてください。私はあの人を友達とは思えなかった――ルテアを一人の女性として愛していたのです」
カレンは首をひねる。ロウラントを見れば、怒っているのかと思うほど険しい表情で考え込んでいた。心の動揺を隠している時ほど、機嫌が悪く見えるのは彼の癖だ。眉間の皺を見る限り、相当混乱しているなとわかる。
「ええっと……つまり先生は女性が恋愛対象、ということ?」
「それはどうでしょうか……。私はこれまでの人生でルテア以外に、そういう興味を抱いたことがないので。でも多分カレン様が考えているのとは違います。――だって私自身が女性ではありませんから」
三人の間に、長い長い沈黙が落ちる。
しばらく口を開いたままぽかんとしていたカレンが、ぎこちなく言葉をつむぐ。
「……ついてる?」
「言い方……!」
ロウラントに小声で怒られた。
フレイが苦笑しながら言う。
「早い話がそういうことです。証拠を、と言われても困るのですが……」
「いや、いいです! わかったから!」
カレンは「ううー」と唸って、テーブルの上に突っ伏す。
「……そうだよね。考えたら、先生って女の人にしては声が低いし、背だって高いもんね」
とはいえ、男のように声が低い女も、男より背の高い女もいないわけではない。イヴリーズの従者であるジュゼットなどその典型だ。
低くなめらかな声も、色香じみたものを一切感じさせない、肉付きの薄いすらりとした体型も、種明かしをされれば納得がいくが、そういうものだと勝手に思い込んでいた。
肌や喉元を隠す理由も、『修道女時代の名残』と言われてしまえば、フレイの持つ清廉な雰囲気と相まって、それ以上疑問は持たなかった。
(裏を読むことには、慣れてきたつもりだったんだけど……これはズルいよ)
「私はある事情があり、物心つく前から女性として育てられてきました。だから立ち振る舞いには自信があったんです」
「じゃあやっぱり、フレイ先生の心は女性なの?」
「……さあ? 深く考えたことがないので、そこもどうでしょうか。でもこの先、男性の生活に戻る必要があるのなら、それはそれで構わないと思っています」
……考えてみれば、着替えの時などカレンは堂々とフレイの前で体を晒している。しかしそれを知った今ですら、別に不快とも何とも思わない。フレイはそれくらい自然体だった。ルテアにしか興味がないというのも本当だろう。
性への認識が多彩だった『元の世界』にもそういう人はいた。おそらくフレイは男性でありたいわけでも、女性でありたいわけでもないタイプだ。女性としての人生を選んだのも、本当に便宜上の意味しかなかったのだろう。ルテアが例外だっただけで、本来は自他共に性別という分類に、こだわりも執着もないのかもしれない。
「事情とは先生の故郷、タルタス王国のことですか?」
ようやく平静を取り戻したロウラントの言葉に、フレイは静かにうなずく。
フレイの故郷であるタルタス王国に、凄惨な政争があったことは聞いている。フレイは幼い頃に戦から逃れるため、このルスキエ帝国に来たと言っていた。
「こうなった以上、最初から話すのが筋ですね。始まりは……もうずいぶん昔のことになります――」
フレイはその複雑な半生について、時間をかけてカレンたちに語った。
※※※※※※※※※※
フレイの故郷は、北方の大国ドーレキアと隣接するタルタス王国という小国だった。タルタスに政変が起こったのは、フレイが生まれて間もない頃のことだ。第三王子が軍を掌握し、父である王と、他の王子王女を殺害し王座を簒奪した。王族は第三王子の妻子を除き、女や子供を含めすべて処刑された。
フレイの母は王弟である公爵の庶子だった。公爵が気晴らしに手を付けた女中の娘だ。母娘はまとまった手当を渡され、屋敷を追い出された後は忘れさられた存在だった。
母娘は市井で暮らし、やがて娘は騎士階級の男と結婚してフレイを設けた。しかし政変が起こり、王族に連なるものは、その姻族まで根絶やしにされると噂が広がった。その状況下で、父はあっさりとフレイの母と離縁した。
見捨てられた母子は混乱の最中、国中を転々とした。母は用心を重ねフレイを娘と偽って育てた。
やがて親子は故郷を脱出し、ルスキエ帝国でも世俗から隔絶された場所とされる、レイローグ女子修道院にたどり着く。夫が愛人を作り、家を追い出された行き場のない母娘と身を偽って保護を求めた。
修道院にたどり着いて間もなく、心身共に疲弊していた母親が病で亡くなった。
その直後に、修道院にやって来たのがルテアだった。ルテアは帝国貴族の血を引いているものの、きらびやかな生活とは無縁で、貧困の中で両親を亡くし、扱いに困った親族の手でこの修道院に送り込まれてきた。
フレイは一つ年上のルテアとすぐ友達になった。明るく活発なルテアは、引っ込み思案なフレイをお構いなしであちこちに連れ出した。
木に登って野生の果実を取ったり、崖から海に飛び込んだりと、ルテアは静寂な修道院に、突如飛び込んできた嵐のような存在だった。一緒にいるフレイまで修道女たちに怒られたが、それすらも彼女と一緒なら楽しかった。
友情が恋に変わるまで、そう時間はかからなかった。そしてどれほど彼女と親しくなろうと、恋心が成就することはないとわかっていた。
母はフレイに『誰にも正体を明かしてはいけない』と言って息を引き取った。愛する母が残した最期の言葉を、フレイはずっと守り続けていた。
露出の少ない首元まで覆った修道服に、異性の事情にうとい修道女たち。皮肉なことに女子修道院という場所は、男であるフレイが正体を隠して生きるのにうってつけだった。
思いを告げられなくても、人並みの幸せでなくても、こうして世俗から切り離された箱庭のような世界で、ルテアと共に年老いていくならそれも悪くないと思っていた。
しかしフレイのささやかな希望は儚く消え去る。ルテアが十六歳になった時、親族から宮廷で侍女として仕えるよう、呼び戻されたのだ。




