88、同じ愚行
テーブルの上でティーカップの湯気がくゆる。二人とも紅茶に手をつけないので、まずカレンが一口飲んだ。
「――それでね、ミリーが濡れ衣を着せられた件について、思い切ってイヴ姉上に聞いてみたの」
カレンは二人に、イヴリーズが自らの行いを自白した時のことを話して聞かせる。彼女はその時にあり得ない言葉を口にしていた。
「『ミリーの離宮に押し入って、刃物を向けられたばかりでしょう』って、姉上は私の無茶なやり方を叱ったんだけど……これっておかしいと思わない?」
ミリエルがカレンに刃を向けたとき、あの場にいたのは、自分たち姉妹とロウラントだけだ。さらにカレンは帰宅後に、すべての事情をフレイに伝えてある。
もう一人事情を知ってそうなのは、血塗れの部屋を見たミリエルの侍女メイベルだが、彼女は忠義者として宮廷でも有名だ。ミリエルが幼い頃から面倒を見てきたメイベルが、主を裏切るとは思えない。
「だから姉上に情報を漏らしたのは、ロウかフレイ先生しか考えられないの」
黙ってカレンの話を聞いていたロウラントが、少し不満そうに言う。
「……でも馬上槍試合大会の時は、明らかに俺を疑っていたでしょう?」
「だって『ランディス皇子』は姉上たちと、すごく仲が良かったって聞いてたし……」
ロウラントがランディス皇子であるなら、やはり姉と手を組んでいて、カレンを陥れる腹なのではという疑念に、あの時はすっかり囚われていた。
「ごめんなさい。ロウには本当に悪いことをしたと思ってます……」
結果的にあの日のロウラントは、カレンの名を背負って勝負に挑んだ挙句満身創痍になり、さらに今までの献身を無下にされる疑いをかけられたことになる。……加えてあの奇行だ。我ながら愛想をつかされても仕方ないと、縮こまるしかなかった。
「怒ってはいませんよ。状況は理解しましたし。殿下の心情を考えれば、多少錯乱するのは仕方ありません」
言いつつも、恨みがましい目を向けるロウラントに、カレンは頭を下げる。
「うん、本当にごめんなさい。この前のことは忘れてくれると――」
「無理ですね」
にべもなく顔を背けられた。怒ってないと言いながら、大人げない態度にカレンは絶句する。
「――それよりも話の続きは?」
促され、確かにそんな話をしている場合でないことを思い出す。
「――えっとー……それで姉上はミリーが私に刃物を向けたことは知ってたのに、ロウのことは何も言わなかったんだよね」
ロウラントの正体はランディス皇子――刀傷沙汰よりも、こちらの方が重大な事実だ。カレンが皇太子候補として台頭できたのは、誰よりも宮廷をよく知るロウラントの手腕が大きい。単なる知識だけでなく、こういった宮廷での考え方を叩きこんでくれたのは彼だ。
「誰が裏切者にしても、私を妨害したいのなら、ロウがいなくなっちゃうのが一番効果的じゃない?」
「……確かに痛手でしょうね」
「裏切者は姉上と手を組んでいるのに、決定的な私の邪魔はしたくないのかなって思ったの。……私への情はあるか、それか姉上に弱みを握られて、仕方なく裏切ったとかね」
そう考え至った時、少し安心した。犯人がロウラントにしろフレイにしろ、自分は見捨てられたわけではないと思えたからだ。
だからこそ、すべてを明るみにしてやると決めた。カレンに情を残しながら、相反することを強いられているなら、必ず救い出してみせると。
「――フレイ先生」
場を移してから初めてカレンに呼びかけられ、フレイの肩がびくりと揺れる。
「先生は最初から一度も、私に皇太子になってほしいって言わなかったよね?」
選帝会議まで時間を切っても、皇太子の地位があともう少しで届きそうであっても、不安を打ち明けた時も。フレイはたくさんの褒め言葉をくれたが、その中にカレンに皇位継承者になってほしいという言葉だけはなかった。そこがロウラントとの違いであり、決定打だった。
「……あなたを皇太子にさせるわけにはいかなかったのです。皇家の血を継ぐ確証がない以上は」
フレイは憔悴しきったように弱々しく言った。
「そう考えた理由は?」
「言えません」
これはきっぱりと言われ、カレンは呆れつつフレイを見る。フレイが実は頑固な性分であることは、カレンもよく知っている。無理やり問い詰めても答えないだろう。
カレンは気を取り直して、ロウラントに向き合う。
「あー……ちょっと話は変わるんだけど、ロウ。覚悟してここからの話聞いてね」
ロウラントが不安そうに身を引く。
「え、俺がですか?」
「うん。多分すごく驚くと思う。先に言っておくけど、私の部屋の壁には穴開けないでね」
「意味がわかりません」
「イヴ姉上が妊娠してるの」
ロウラントがたっぷり時間をかけてから、「……は?」と間の抜けた声を発する。
「それで相手はスウェン兄上なんだよ。びっくりだよね!」
ロウラントが鼻で笑ったが、視線が定まらず明らかに動揺していた。
「殿下……? こんな時に変な冗談は――」
「私こういうこと冗談で言わないよ」
その言葉にロウラントからすっと感情が失せる。真顔のまま無言で立ち上がり、部屋を出て行った。カレンはビスケットを頬張りながらそれを見送る。
カタカタと、カップとソーサーが鳴る音が聞こえた。抵抗の意志がないことを示すためか、ずっとテーブルの上に置かれていたフレイの両手が震えていた。
「……それは本当ですか?」
「先生も知らなかったんだね」
「――何てことをっ!」
フレイが怒りとも恐怖ともつかぬ声で叫ぶ。
間髪入れず、鉄球でも投げつけたような大きな音と共に、建物が揺らいだ。
(うわっ痛そ……)
カレンはティーカップに入りそうなホコリをふっと吹き飛ばす。
「とりあえず落ち着こう。ここで私たちが騒いでもどうしよもない話だし」
「落ち着けません! よりによって同じ愚行を犯すなんて――」
「それは私たちの母上のこと?」
フレイがはっとしたように口をつぐんだ。
「愛したらいけない人を愛したのが『同じ愚行』? ……そっか。やっぱり母上にはアンフィリーネ皇妃みたいに、よそに好きな男の人がいたんだね」




