79、姉妹の再会
イヴリーズと闘技場の近くまで戻ってくると、ますます歓声は大きくなった。試合が盛り上がりを見せているようだ。
「お姉様方!」
聞き慣れた声に目をやると、ミリエルが年上の婦人たちと話をしている輪から抜け、こちらに近づいてくるのが見えた。
「久しぶりミリー! 元気だった?」
「相変わらず呑気そうですね、カレンお姉様。それよりもイヴお姉様――」
「ミリー、会えてよかったわ。いつかあなたに頼まれていた、トルケーの『君主論』を持ってきたの。後で渡すわね」
いつもの調子のイヴリーズに、緊張の面持ちだったミリエルから、ほっと力が抜けるのが分かった。
「ありがとうございます、イヴお姉様。その……お加減の方はいかがですか?」
「心配をかけてごめんなさい。もう大丈夫よ。それで、この本なんだけど少し古語が多いから――」
姉妹が会話する傍らで周囲の気配を探ると、ちらちらと様子をうかがってくる視線がいくつもあった。襲撃の被害者である姉と、それを指示したかもしれない妹のやり取りに、何か不審な点はないかと必死に探ろうとしているのだ。
しかしイヴリーズとミリエルが何事もなく会話している様子に、人々は興を削がれたようで、すぐにそれぞれのおしゃべりに戻っていく。
「……大丈夫よ、ミリー。何も心配しないで」
「イヴお姉様……」
イヴリーズも周りの気配を察し、ミリエルに小声でささやきかける。カレンはそれを少し複雑な思いで見つめる。
「あらイヴリーズ殿下、お久しぶりね!」
軽やかな声に振り向くと、四十歳前後に見える、泣き黒子が特徴的な黒髪の貴婦人が立っていた。カレンはもちろんイヴリーズでも及ばない、熟れた色香の漂う肉感的な美女。先ほどミリエルと会話をしていた一人だ。
「これはイゼルダ様。ご機嫌よろしゅうございます」
カレンはイヴリーズにならい、共に礼を取る。
この夫人は第一皇妃イゼルダ。兄弟姉妹の母親の中で、唯一健在の皇妃だ。つまりロウラント――ランディス皇子の母に当たる。
「よかったわ、最近全然お見かけしないんですもの。少し体調を崩されていたと聞いたけど、本当にどこかお体が悪いのではなくて?」
聞きようによっては、義理の娘に対する当て擦りとも受け取れる、遠慮のない口振りだ。カレンは少しひやりとする。
しかし当のイヴリーズは気に留めた様子もなく、涼しげな顔だ。
「ご心配おかけして申し訳ありません。でも本当に少し疲れが出ただけです」
「そうなの? それならばいいのだけど」
それきりイゼルダは興味を失ったように、今度はカレンにくるりと向き直る。
「カレンディア殿下も当家での夜会以来ね。お元気かしら?」
「その節はお騒がせして、大変ご迷惑をおかけしました」
「ええ、本当よ」
イゼルダは少女のように頬を膨らませる。
「ちょっと場所を離れている間に、バルゼルト殿下とそんな面白いことがあっただなんて……私も見たかったわ。呼んでいただければよかったのに」
すねたように言うイゼルダに、カレンは何とも言えぬ表情で「恐縮です……」と答えた。
そしてふと、イゼルダの後ろに隠れるように立つ、もう一人の存在に気づいた。確かにそこにいたはずなのに、見た目も言動も仰々しいイゼルダの側にいると、彼女は影も同然だった。
「――これはベルディ―タ様。ご無沙汰しております」
同じく彼女の存在にはっと気づいたように、イヴリーズが声をかける。
「……ご機嫌よう、イヴリーズ殿下」
消え入りそうな声で応じたのはイゼルダとは対照的な、小柄で細身の貴婦人だった。小作りな顔に、ほっそりとした首筋、黒目がちな瞳が小鳥を思わせる。歳はイゼルダよりも若そうだ。
その名前はカレンも知っていた。皇妃の中では唯一子供がいない最後の妃、第六皇妃ベルディ―タだ。確かカレンディアが生まれる一、二年前に皇家に嫁いでいる。
ベルディ―タ自身も人前に出ることを苦手とし、あまり華やかな場に顔を出さなかったため、カレンディアとは面識がほとんどないと聞かされている。おそらく数年ぶりの再会ということになるのだろう。
「ベルディ―タ様、久方ぶりでございます。お元気であらせられましたか?」
「ええ。こちらこそ、カレンディア殿下」
恥ずかしがり屋の少女のような言葉少ない返答だ。しかし扇の陰から垣間見える、何か思慮するような眼差しは、確かに大人の女性のそれだった。イゼルダとはまた違う意味で、不思議な人だなと思った。
最初の皇妃と最後の皇妃。
一緒にいるのが不思議なくらい、見た目も性格も、そして立場も正反対の二人だ。
「ねえベルディ―タ様、そろそろ時間じゃなくて?」
イゼルダが腕をからめ、もう一人の皇妃に寄り添う。その気安い態度に、少し戸惑ったようにベルディ―タが苦笑する。
「え、ええ……そうですわね。イゼルダ様」
イゼルダがカレンたちに向かって満面の笑顔で言う。
「もうすぐレブラッド家の試合なの。そういえばイヴリーズ殿下の所の方と当たるはずよ」
「左様でしたか……では私も観覧席に参ります」
「あら、では一緒に行きましょうよ」
イゼルダはそう言って、今度はイヴリーズの腕に自分の腕をからめ、さっさと歩き出す。ベルディ―タがその様子に呆れたように嘆息し、後を追う。妹たちに困惑した目配せをしながら、イヴリーズも行ってしまった。




