77、妹の夢
腹の子の父親を言い当てられ、驚愕の表情のままイヴリーズは凍りつく。
カレンディアは慌てたように、両手を振った。
「違う違う! 今のは変な意図とかなくて――」
「何なのよ、本当に……あなたは、何なのよぉ……」
顔に熱が上り、手足の先が震える。
もう今度こそ終わりだ。手札は出し切った。この状況を誤魔化しきれる材料は、イヴリーズにはない。
(この子が、怖い……)
愛しい妹であることは間違いないのに、その底知れぬ器に触れ、イヴリーズは慄然としていた。
「ごめん、ごめんね。本当に困らせるつもりじゃなかったの。――大丈夫? 気持ち悪い?」
口元に手を当て、身を丸めるイヴリーズの背中をカレンディアがさする。妊婦に負担を与えてしまったことに、彼女も焦っているのだろう。オロオロと泣き出しそうな顔をしている。
人の心に寄り添える慈悲と、必要ならば追い詰める冷徹さ。カレンディアは相反する性質を持ち合わせながら、どちらも曲げることをしない。この強さが兄であるグリスウェンにもあればよかったのにと思う。
「……どうしてスウェンだと思ったの?」
もはや諦めの境地だったので、素朴な質問がするりと口をついて出た。カレンディアは「え……?」と、きょとんとした顔をしている。
「や……だって、姉上と二人きりで会える男の人なんて、他にいないじゃん。姉上は警戒心が強いし、従者だって女性でしょ。いつも侍女をたくさん付けてるし、完璧な人払いをするのは、私たち兄弟姉妹で話をするときくらいじゃない?」
イヴリーズは完全に虚を突かれ、呆然とする。全身の力が抜け、椅子に座ってなかったら地面に膝を付いていたところだった。
(……私は本当に馬鹿だわ。何でそんな当たり前のことに、気づかなかったのかしら……)
いざとなれば、秘密の恋人でもでっち上げようと思っていたが、そんな可能性は端から自分が潰してきたではないか。イヴリーズはデ・ヴェクスタ家の人間であっても、特に男とは決して二人きりになったことがなかった。
「ああー……でも、恋とか絡むと舞い上がっちゃう時ってあるよね」
慰めのつもりだったのかもしれないが、カレンディアの言葉はイヴリーズをますます落ち込ませた。権謀術数には多少自信があった。その自分が、こんな――こんなその辺の小娘のように、色恋沙汰で基本を見落とすとは……。舞い上がっていると言われても仕方ない。
自己嫌悪に陥りながら、イヴリーズはカレンに言う。
「……軽蔑してくれていいわ」
カレンディアの視点からすれば、イヴリーズは実の弟の子を宿した獣以下の存在だ。それでも誤解を解く気はない。どれほど罵倒されようと、最後の秘密だけは守り通す。
カレンディアも不義の子である可能性を、イヴリーズは知っている。それは同時に、彼女の兄グリスウェンの秘密でもある。例え妊娠を世間に暴露されようと、カレンディアとの交渉のカードにするつもりはなかった。
しかし、覚悟していた罵りはなかった。
「しないよ。二人が覚悟を決めて選んだことでしょ? それならきっと間違ってないよ」
その声は神託じみた不思議な響きで、イヴリーズは目を見張る。
「あ、もちろん告げ口もしないよ」
つとカレンディアは首をかしげる。
「でも、何でそうなったかには興味あるかも……」
「ええ!?」
イヴリーズは思わず赤くなる。秘密を抜きにしても、さすがにここに至るまでの経緯を、十七歳の妹に話せるはずがない。
「うまく言えないけど、だって二人とも根は真面目じゃない。禁断の恋に溺れる気質じゃないでしょ。どうもその辺が納得できないっていうか、他の事情があるような……何かこう引っ掛かりが――」
「引っ掛からなくていい! カレンはもう何も考えないで!」
焦ったイヴリーズは切羽詰まった声で怒鳴る。この勘のいい妹に、これ以上足掛かりを与えるのは危険だ。彼女自身のためにも。
イヴリーズは真剣な顔で言い含める。
「お願いだから、この件にはもう深入りしないで。あなたのためでもあるの」
「そうは言われても……」
「私は自分の保身のために実の妹を陥れて、スウェンを皇太子にしようとしたのよ。私を蹴落とすつもりがないのなら、せめて放っておいて。情けをかける価値など、私にはないわ」
その言葉に、カレンディアはむっとしたように言い返す。
「そんな言い方しないでよ! 何とか姉上が失踪する以外に方法はないの?」
「私だっていろいろ思案したわ。でも見てわかると思うけど、つわりが結構ひどいのよ。『祝福』の使い過ぎってことにしているけど、このまま回復の兆しが見えなければ、さすがに医官を呼ばれるわ。――そうなったらお終いよ」
つわりの期間をうまくやり過ごせても、選帝会議の頃には腹も少しづつ出てくるだろう。そもそも宮殿で秘密裏に出産を行うなど、絶対に不可能だ。
「だったらせめて、何とか宮殿から離れる理由を作って、その後戻って来られない? ええっと――……ランディス兄上も療養中だから、宮殿にはいないんでしょ?」
「いいえ。病気や怪我を理由にするには、それこそ医官の診断が必要よ。簡単には行かないわ」
「ちゃんと考えてるの!? 兄上と離れ離れになっちゃうんだよ!」
一番痛いところを突かれ、思わずイヴリーズは声を荒げる。
「仕方ないじゃない! 言われなくてもわかってるわよ!!」
口論になりそうなところで、お互い気まずくなり我に返る。
「ごめんね……姉上を困らせたいわけじゃないの」
「……私こそ、ごめんなさい」
イヴリーズは表情を緩め、手を伸ばしてカレンの頬に手を添える。
「あなたはいい子ね。私のためなんかに本気で悩んでくれて……」
優しく、そして誰よりも強靭な魂の持ち主だ。だからこそ、こんなことに巻き込みたくなかった。
「当たり前でしょ。私はずっと兄弟姉妹と暮らすのが夢だったんだから」
その笑みがなぜか少し物悲しく見えた。ずっと部屋にこもり、風の噂で兄弟姉妹の活躍を聞きながら、カレンディアは何を思っていたのだろう。
カレンディアとまともな付き合いを始めたのは、ほんの数か月前のことだ。それなのにもうずっと一緒に過ごしているような、不思議な気持ちになる。




